特別編 日本の夏、アンナの夏 前編
あまりの暑さに書いてみました。
本編とは関係ありませんが、お楽しみいただければ幸いです。
よろしくお願い致します。
これはアンナが日本に来てから少し経った頃、まだシャノンが来る前のお話。
八月のお盆の時期、幹太は夏休みを取っていた。
「幹ちゃん、今年も町内会のお祭りに夜店出すの?」
「あぁ、もちろん今年もやるよ」
「ヨミセ…?ヨミセとはなんですか?」
「夜店ってのは…なんつうか簡単な屋台…って感じ?」
「てゆーか幹ちゃん、屋台自体が簡単なお店なんじゃないの?」
「ま、まぁそうだけど」
「でしたら、幹太さんはお祭りでラーメン屋さんをするんですか?」
「うんにゃ、ラーメンじゃなくて焼きソバ屋だよ」
「それがすごいんだよ〜アンナ♪
幹ちゃんの焼きソバって、この町内じゃけっこう有名なんだから♪」
「わ、私…まだ食べたことありません…」
アンナはこちらの世界に来てから、ほぼ毎日幹太か由紀の料理を食べているが、まだ焼きソバというものは食べたことがない。
「そんな悲しそうな顔からすんなって!
わ、わかった、お祭りの日に食べさせてあげるから!」
「本当ですか♪約束ですよ、幹太さん♪」
「あぁ…」
「お祭りって今週末だっけ?」
「うん。そんで今日はその会場作り」
「あ!私、手伝うよ」
「そうだった。由紀も呼んでくれって言われてたんだよ。
んじゃアンナも来るか?」
「はい♪ぜひ、お願いします♪」
それから一時間後、
「あ、暑いです…」
アンナは家から出たことを後悔していた。
この日の吉祥寺の最高気温は三十八度。
今シーズンの最高気温である。
「うん。日本人の俺でもこりゃ辛い…」
「確かに今日はスゴイね〜♪」
由紀はさすがにラクロス日本代表というだけあり、普通にしているだけならそれほど辛くはないようだ。
「私、世界がこんなに暑くなるって初めて知りました…」
それはアンナがこちらの世界に来て、驚いたことの一つであった。
「あ〜、やっぱりアンナって涼しい国から来たんだ。
なんだかそんな感じしたんだよね〜♪」
この頃の由紀は、まだアンナが異世界から来たということを知らない。
「極寒の国というわけではないんですが、まぁさすがにここまで暑くはなりませんね…」
そもそも内燃機関もなく、アスファルトの道路もないアンナの世界では、砂漠以外でここまで気温が上がることはないのだ。
「そっか…最近、夜しか家を出てなかったからなぁ〜」
「え、えぇ…私、屋台のお手伝いでしか表に出てませんでした…」
「とりあえずアンナは会場に着いたら休んでなよ。
幹ちゃん、集会所ならエアコン付いてたよね?」
「付いてた、付いてた。
だったら由紀もアンナと一緒にいてあげてくれよ」
「おっ♪そりゃラッキー♪」
「だな。まったく、こっちは炎天下で設営だっつーのに…って、アンナ…?アーンナ?」
幹太はなぜか返事をしないアンナの目の前で手を振ってみせた。
「…はい、わたちアンナ・バーンサイド、四歳ちゃいで…」
そう機械のように呟くアンナの瞳は、焦点がまったく定まっていない。
「か、幹ちゃん…」
「あぁ…こりゃマズい…。
よし、集会所まで走るぞ!由紀っ!」
幹太はアンナを二度目のファイアーマンズキャリーで背負い、エアコンの効く集会所へと急いだ。
「まぁ重症でなくてよかったよ」
「ご心配をお掛けしてすいません」
「まぁアンナのおかげで私は楽だったけどね〜♪」
その晩、祭りの会場での手伝いを終えた三人は、幹太の家で夕飯の準備をしていた。
「幹ちゃんは何してたの?」
「盆踊りのやぐらの設営。
いや〜めちゃくちゃ暑かったよ。
その証拠にほら…」
と、幹太はTシャツの袖をペラッとめくる。
「うわっ!跡クッキリ!なんだか小学生の時の幹ちゃんみたい♪」
「これはスゴイですね…ちゃ、ちゃんと元に戻るんですか?」
「ハハッ♪大丈夫、ちゃんと戻るよ。
あっ!でもこっちのが白くてわかりやすいかも…」
そう言って、幹太は何の気なしにTシャツの裾をめくって見せる。
「幹ちゃん!?」
「か、幹太さんっ!?」
幹太の急な行動に驚いた由紀とアンナは、両手で顔を覆いつつも指の間からしっかりと幹太のシックスパックを観察していた。
「あ、そっか…ここじゃ白いだけで差がわからないのか…」
「「あ…」」
「うん?二人ともどうした?」
「い、いいえ!なんでもないですっ!ね、由紀さんっ!」
「そ、そうそう!なんでも無いよっ、幹ちゃん!」
「ん〜?まぁいいか…。
そうだ!できたら二人にお願いがあるんだけど…」
「ごめんね、幹ちゃん。
私、盆踊りの方の手伝いがあって無理なの」
「私は大丈夫です♪」
二人は幹太のお願いに先回りをして返事をする。
「あ〜そう…。
じゃあアンナ、当日のお手伝いよろしくお願いします」
「はい♪」
そして祭り当日、
「どうです♪似合いますか?」
と、嬉しそうに幹太に聞いたアンナは、いつものノースリーブにデニムのミニスカート姿に、上から紺色のハッピを着ていた。
「うん。いいんじゃないか」
「でしょ〜♪まさに浮かれた外国人って感じ♪」
そう言う由紀も、アンナと同じハッピを着ている。
「浮かれたって…由紀。
まぁいいか…そんじゃ始めよう」
「はい♪」
「頑張ってね、二人共。
じゃ、私は集会所の方にいって来る〜♪」
そうして幹太とアンナは、さっそく夜店に入って焼きソバの調理を始める。
「幹太さん、これが焼きソバの…?」
「そう、鉄板」
「ほぇ〜焼きソバって、本当に焼くんですね」
「そりゃそうだよ」
まず幹太は鉄板に油を引き、前日に町内会の奥様方が刻んだ野菜を炒める。
「えっ!?幹太さんっ!ヤケドしちゃいます!」
アンナは驚いた。
それは幹太が鉄板に載せた野菜を、素手でほぐしているからだ。
「しばらくは大丈夫。
とりあえずキャベツと玉ねぎはこうしてバラさないと焦げちゃうんだ」
一般的に火力の強い屋台の鉄板は、気を抜いているとすぐに具材を焦がしてしまう。
さらにキャベツや玉ねぎはバラけにくいために、火の通りにムラができやすい。
なので屋台の鉄板で大量に炒める場合、あらかじめ手でバラすのがベストなのだ。
「焦げたキャベツって、すんごい不味いしなぁ〜」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ、ん〜っと…あった、あった」
幹太は鉄板の端で、早くも焦げてしまったキャベツを拾ってアンナに渡した。
「食べてみて…」
「え、えぇ…ではいただきます」
アンナは素直にキャベツを口にする。
「あ〜なるほど…これは」
「な、マズイだろ…?」
「はい。苦味しかないんですね」
「そう。ただ焦げたって味じゃなくて、苦味がすごいんだよ」
なので、幹太が店で野菜炒めの載ったタンメンを作る時、一番気をつけるのはキャベツを焦がさないことなのだ。
「よーし!そろそろ次にいくよ。
アンナ、クーラーから蒸し麺を出して」
「はーい…っと、これですか?」
「おーそれそれ、ありがとう」
幹太はアンナから大量の袋入りの蒸し麺を受け取る。
「すっごい作るんですね〜♪」
次々と袋を破き、麺を取り出す幹太を見てアンナはとても楽しそうだ。
「そう。一度に十五人前ぐらいかな…」
「こんなにいっぱい作るって、なんだかワクワクします♪」
「だな♪実は俺もちょっと楽しい♪」
そう言いながら、幹太は山のように盛り上がる麺にひしゃくで水を打つ。
「あ〜♪ほぐれできました♪」
「これがっ、またっ、大変なんだよなっ!」
幹太がなるべく切らぬように両手に持ったトングで大量の麺をかき混ぜると、塊だった蒸し麺が次第に一本一本の焼きソバになっていった。
「これで野菜と混ぜて〜」
「わっわっ♪さらにいっぱいになりました♪」
「そんでソースだ!」
「いや〜ん♪なんだかすごいイイ香りがします♪」
と、幹太が何かをするたびにアンナは感嘆の声を上げる。
それもそのはず、アンナはこの世界のお祭りを見るのは初めてなのだ。
それ上さらに目の前で夜店の調理が見れるとなれば、子供のように興奮してしまうのも仕方ないことである。
「ハイ!お待たせっ!幹太流焼きソバ!」
幹太はそんなアンナに、出来上がったばかりの焼きソバを紙皿に載せて手渡した。
「わぁ〜♪美味しそうです♪」
「熱いから気をつけて、アンナ」
「はい♪いただきます♪」
アンナは器用に箸で焼きソバを掴み、フゥフゥと冷ましてから口に運んだ。
「最…高…です」
一口目の焼きソバをゆっくりと味わったアンナは、プルプルと震えながらそう呟いた。
「うん?」
「最高ですっ!幹太さん!」
アンナは口の周りがソースで汚れるのにも構わず、ズルズルと焼きソバをかっ込んでいく。
「ははっ♪そりゃ何よりだ♪」
「夜店の焼きそばって、どこもこんなに美味しいんですか!?」
「どうだろな?俺も他のはあんまり食べてないから。
まぁウチのは親父の作った焼きソバのレシピを改良して作ってるから、たぶんほかには負けてないと思うよ」
「ほぇ〜そうなんですか」
幹太がこの町内会のお祭りで夜店を出すことになったのは、彼の父が以前このお祭りで夜店を任されていたのを引き継いだのが始まりである。
「そうなんだよ。
ソースだって市販のやつを混ぜて使ってるし、豚肉にも下味つけたりしてるからなぁ〜。
けっこう手が込んでるんだよ」
「なるほど…だから美味しいんですね」
「まぁ気に入ってくれて良かったよ…って、そうだ!由紀の分も残しとかないと」
「由紀さん、後でいらっしゃるんですか?」
「あ、いや、せっかくだから後でアンナと三人でお祭り回ろうと思ってね。
実はもう時間ももらってるんだよ
アンナはそれで良いかな?」
そう言って、幹太は少し照れた様子で頬を掻く。
「もちろんです♪よろしくお願いします♪」
と話が決まったところで、祭りの開始を告げる花火が上がった。




