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月夜見の館~人形達の誘い~ 前編

作者: ひすいゆめ

この物語は「仮初の魂の心」の続きという位置づけになっています。

スチュワート家の新たな子孫の発見が含まれて、それとなく醸し出しています。

しかし、今までにないミステリーの要素があります。

ちなみに、「心の彼岸」と「仮初の魂の心」間のの話は「魂の細波の中で」という絶版の小説になります。中古か国会図書館かグーグルブックスで良かったらお読みください。

プロローグ

 汗ばむ額をハンカチで拭いながら木崎(きざき)定紀(さだき)はスーツを仰いだ。まだ、春になったばかりだというのに、新宿はビルに囲まれているからか異常に暑かった。ビジネス街を抜けて駅に近付くと人ごみの中に紛れて先を急いで歩く。

 人並みに流されながら彼は早足をさらに早くした。苛立ちを顕わにしながら足音を荒立てた。彼が1ヶ月も掛けて進めて来た仕事を直属の上司に奪われてしまったのだ。それを思い出す度に腹立たしい気持ちが紛れることはなかった。

 苛立ちながら真っ直ぐを見て進んで行くと、ふと目の前のある一点に視線を奪われた。

 「おい、石島!」

 彼は自分の高校時代の親友の石島(いしじま)(じん)を見つけたのであった。しかし、人ごみの中で陣は気付かなかったのか足を止めない。定紀は高校時代を思い出した。卒業してからは縁遠くなっていたが、学生時代はいつも一緒だった。

 彼とは高校に入ってすぐに仲良くなったのだ。そんな彼に変化が見えたのは小さな卒業旅行から帰路に着いた時からであった。定紀が企画したそれは長崎に2泊3日のものであった。

 しかし、何も変わったことはなかったはずであった。少なくても人一人を変化させるほどの事象は何一つも…。

 ――何か胸騒ぎがする。何かが始まろうとしている。

 その面影のある陣はさっさと行ってしまい、いつの間にか横断歩道を渡って反対側を歩いていた。その表情は畏怖を感じるほど冷たいものであった。何を考えているのかも微塵も垣間見ることさえできなかった。

 急いで点滅している歩道用信号を気にせずに駆けていった。息を切らし汗を拭いながら魁を呼び続けるが、彼は無視して足早に歩き続けて細い路地に入って行った。

 「石島、待てよ」

 彼は改装中の都会の骨董品と言えるほどの古く汚れたエクステリアの直方体のビルに入って行った。

 定紀は建物の前で立ち止まりしばらく見上げながら息を整えていたが、意を決したように拳を握ると入り口に入っていった。立ち入り禁止のロープを跨ぎエントランスに入ると埃臭さと篭った空気が鼻についた。

 …そして、異様な雰囲気を微妙に感じ取っていた。

 ひんやりした屋内を見回し人影を探すが、人の気配は一向になくその代わり妙な空気が体にまとわりついていた。入り口のドアのないところがあったので覗き込んでみるとそこはトイレであった。入っていくと気持ち悪い気持ちが込み上げてきた。

 個室で酸っぱいものが込み上げてきて便器を抱えて嘔吐を始めた。胃液しかでなくなっても嘔吐感は続いた。やっと、少し落ち付くと力なく立ち上がり出口の方にある洗面に向かった。鏡に映った定紀の顔は色白く頬こけて衰弱していた。

 ―――これはただごとじゃない。

 廊下にふらふらと出ると、それでも何かに導かれるように奥に進もうとすると、急激に心臓を氷水に浸けられたような感覚を襲われた。すると、背後より幼い子供の愛らしい声が聞え始めた。

 「かーごめかごめ」

 汗が体中から吹き出して体を動かすことはできなくなった。

 「かーごの中の鳥はー」

 天井から冷たい液体が落ちてくる。視線だけで腕に付いたそれを見ると緋色の液体が伝って床に落ちていった。心は凍り付き恐怖は頂点に達していた。

 「いーついーつでやーる」

 息が苦しくなり定紀は思い切り息を肺に送ろうと必死になった。気持ちの悪い空気が更に澱み始める。

 「夜明けの晩に鶴と亀が滑った」

 目に見えない力は完全に彼を支配していた。畏怖というよりは氷水に心をそのまま浸けられたような危機感が彼を絞め付けていた。ふと、女性特有の心地よい香りが鼻に漂って来た。

 「後ろの正面だーれ…」

 そこで静寂が訪れた。緊張感が頂点に達し、この息苦しい空気が更に重く周囲を包み込んだ。体が何とか動くようになった定紀はゆっくり首を後ろに回した。しかし、そこには誰も確認することはできなかった。

 大きく息を吸い込み再び前に顔を向けると、青白い顔の小さなおかっぱの少女が着物姿で無表情のまま立っていた。驚嘆の声を上げて逃げ出そうと振り向いた。すると、そこには真っ青な顔の女性が三白眼の鋭い視線で睨み付けていた。

 「わぁー」

 定紀は驚きのあまり後ろに転倒して床に頭を強く打ち付けて意識を失ってしまった。彼のカバンは勢いよく床を滑っていった。

 …メビウスの輪のような歪んだ運命がゆっくり回り始め出していた。


恐怖の幻影

 「ねぇ、行こうよぉ」

 鼻に掛かる甘い声を掛けた三好葵(みよしあおい)は説得力はなかった。彼女は愛らしい表情に暑い化粧を施していた。格好は派手でカーディガンと短いスカートが印象的であった。

 それに対して、黒の革のタイトズボンにスカジャン姿、首を腕や指にシルバーのアクセサリーをジャラジャラとさせていた茶髪の逆立てた男性がだるそうに声を上げた。

 「俺は反対だ。なぁ、勇兎」

 髪を撫で付けながら鹿島(かしま)砕牙(さいが)は隣りに声を掛けた。呼び掛けられた我神(あがみ)勇兎(ゆうと)はいつもの無邪気な笑顔のまま答えた。

 「僕はどっちでもいいけど」

 すると、砕牙は舌打ちをして不貞腐れるようにそっぽを向いた。勇兎は見かけは幼く子供のような性格であった。精神的に子供の葵とは気の合うところがあった。

 「そうよねぇ、勇ちゃん」

 葵は勇兎の隣りに満面の笑みで寄って来た。

 「じゃあ、決まりね。今度のゴールデンウィークの旅行はまたあのホテルで肝試し」

 そう、彼らは今度のサークルの仲間恒例の旅行の相談をしていたのだった。


 彼らがこの話になったきっかけは春休みの旅行にあった。彼らはサークルの他でも仲の良かった彼らは講義のない時は絶えず部室に入り浸りであった。サークルの無い日も集まり遊ぶこともしばしばであった。その中でも旅行はその遊びの延長であった。

 その旅行の目的地を提案したのは葵であった。彼女の友人の1人にオカルトフリークの風変わりの女性がいて、彼女、真崎(まさき)深雪(みゆき)の勧めがあったからであった。そのホテルは東北地方の某所にあって山の中の森に囲まれ孤立したところにあった。陸の孤島にあるホテルには白い服の女性の霊が現れることという話がある怪奇ホームページに載っていたのであった。実は自分が行きたかったがその時間がないということで葵に行ってもらい土産話を期待したのであった。深雪は大学の休みを何かの活動で忙しくしていたのだ。

 そして、その旅行から帰って来た彼らは、いつも旅行の際にビデオを撮っていたのだが、そこで撮ってきたビデオをみんなで見ていた時のことだった。

 そのビデオは凝っており、パソコンに長けている荒木(あらき)(こう)()がパソコンに取り込んで色々加工していた。彼は葵や砕牙と同じく2年であった。彼はおしゃべりであり、細かい妙な(どうでもいい)知識を沢山持っていた。

その彼は格好良い、時にコミカルなBGMを入れたり、シーンの切り替えに渦巻きのような変化をつけたり、始めるときの題名や説明文を凄い動きを付けて流したり、思わず笑ってしまう字幕を入れたりしていた。

すると、一番前で見ていた1年の勇兎が部屋でみんなが持って来たテレビゲームで楽しそうに遊んでいる光景の中で何かを見つけて声を上げた。

 「どうしたの?勇ちゃん」

 そのすぐ後ろにいた葵が首を傾げると勇兎は画面の彼らの背後の窓を指差した。窓ガラスは外が暗い為に鏡と化していたのだが、そこに薄っすら何かが映っていた。停止ボタンを押してじっくり見ると、それは白い服を着た女性のぼんやりした姿であった。

 「いやっ!」

 悲鳴を上げたのは1年の(さざなみ)唯華(ゆいか)であった。彼女も見た目が幼く性格は中学生のようであった。

 「勇ちゃん、良く見付けたね」

 葵はそう言うと隣りの唯華の肩に手を置いてそう言った。

 「幽霊?」

 端に座っていた小太りで背の低く眼鏡の掛けた浩次はそう呟いた。

 「そんなもん、いるわけないだろ」

 砕牙は吐き捨てるようにそう言うと煙草を灰皿に叩き付けた。

 「どうでもいいじゃない」

 眼鏡の奥にきつい眼を潜めた小柄で虚無主義の芦原(あしはら)瑞穂(みずほ)が冷たくそう言うと再び愛読書のキエルケゴールの本に視線を戻した。

 無口の最近このサークルに入ったばかりの部長の親友、伊村(いむら)京介(きょうすけ)は一番後方から冷たい視線を部屋全体に向けていた。彼はジーパンにジージャンを着て金のクロスのネックレスをしていた。その細い瞳が彼の思考を誰にも悟らせることはなかった。静寂を保ったまま彼は腕と足を組みじっとストールに腰掛けている。

 その少し脇に1年で大人しい片桐孝一がおどおどしながら無言を保っていた。彼は精神的に強い方でなかったので、特に発言することは少なかった。

 「じゃあ、またここへ行って確かめようよ。みんな、いいでしょ?」

 わざと愛らしい仕草をして葵は頼み込んだ。

 …という訳で、結局、ゴールデンウィークの旅行は決定した。

 「じゃあ、勇ちゃん。井沼さんに言っておいで。今なら学食で夕食食べているから」

 元気に頷くと勇兎はちょこちょこと駆け出していった。同棟の最下の学食に飛び込むと首を振り回して部長の井沼(いぬま)耕平(こうへい)を探した。彼は中央のテーブルで定食を食べていた。彼は長身痩躯の美青年で誰にでも優しく接した。

 「おう、勇。こっちだ」

 耕平は手招きすると勇兎は笑顔ですぐに駆寄った。

 「そうだ、ソフトクリーム奢るから買って来な」

 彼はコインを受け取ると目を輝かせてすぐに口の周りをベタベタにしながら戻ってきた。耕平の向かいちょこんと座ると無邪気にソフトクリームにぱくつきながら先程の話を一通りした。耕平は頷きながら彼の支離滅裂な話を正確に頭の中で組み立てて整理した。

 「いいんじゃないか」

 賢明な彼らしくない答えを出した。笑顔で勇兎は頷いてソフトクリームに夢中になった。耕平は意味ありげにそれを微笑みながら箸を進めた。


 それから2日後の土曜日に勇兎はある人物と待ち合わせした。話は進むにつれてあらぬ方に向き始めた。

 「俺は誰からも愛情を感じ取ったことはない」

 翡翠(ひすい)(しょう)はそう言ってそっぽを向いた。彼と勇兎が知り会ったのはインターネットのチャットであった。彼は自分が人に悪い影響を与えると思っていたので、特に人と関わりを持つことはなかった。そんな彼もいつしか勇兎には僅かではあったが心を開きつつあった。髪はハリネズミのようにつんつんに立てて、シルバーに染めている。肌けた皮ジャンからは天使の羽根の形どったシルバーのネックレスに黒い石のブレスレットをしていた。皮パンに履き潰したブーツといった姿であった。三白眼の瞳は人を遠ざけ、体中からは異様なオーラをまとっていた。歳は20代後半に見えるが、どんな職に就いているかは謎である。

 喫茶店で今回の旅行に誘う為に勇兎は彼と待ち合わせをしたのだった。だが、話は反れ過ぎていた。 

「どうしてそう思うの?両親は?」

彼は憂いの視線を目の前のストロベリーフレーバーティーに落した。

 「言ったろう?愛情(・・)を(・)感じ取った(・・・・・)こと(・・)が(・)ない(・・)と。誰かが俺をどう想ってたかは分からない。親も人並みに子への愛情を持っていたのかもな。だが、俺がそう感じなければ意味が無い。人間は相手が自分をどう想っているか、より自分をこう想っていると自分が思うことが真実なんだ。誰かが俺を好きでも俺がそいつが自分を嫌っていると思えば、俺にはそれが真実なんだ。

 親が愛情を持っていようと、子供に虐待、精神的に極限まで追い詰めて心を自己崩壊にまで導けばそんな歪んだ愛情は伝わる訳がない。ナイフを親に向けるほどの、親と同じ空間にいるだけで嫌悪を感じ自荷中毒になりその時の記憶を喪失してしまうほどの心の拒否を与えるほどであればなおさら…」

 勇兎は息を飲んだ。翔は想像以上に辛い経験を積み重ねて来ているのが手に取るように分かった。

 「精神、心を壊し病んでしまうこともある。人の心の傷はな。その境遇だけで決まるものでもないんだ。両親を早く亡くしても強く前向きに生きる者もいれば、両親、兄弟、友人が回りにたくさんいても孤独で自荷中毒になる子供もいるんだ。小さいことでも深く傷付く者もいれば、少しのことでも動じない者もいる。眼に見える大きな悲劇もあれば、眼に見えない積み重ねの悲劇もある。…難しいか?」

 そして、辛苦に満ちた表情で重く言葉を吐いた。

 「その人の為になることと思うことをやってあげるより、その人の思いを感じ取り、本当にその人の為になることをすることが大切なんだ」

 勇兎は面食らって呆然と聞いていた。

 「まぁ、とにかく、俺は少なくとも人から愛情を感じたことはない。…これからも人から情を掛けられるなんてことはないだろうがな」

 勇兎はどう言っていいのかわからず、いつもの能天気な笑顔を曇らせた。そして、どうしてこんな話になったを忘却の彼方から必死に引き戻そうと努めた。

 「全ては過去に由来する。一概には言えないがな。これは全てに言えることだ。そして、過去は否定できない事実であるし、過去があるから今がある。…残酷なことだがな」

 そして、表情は突然憂いものから緩んでいつもの無表情に戻った。

 「思いっきり話が反れたが、つまりだなぁ。霊だって同じなんだよ」

 急に顔を近付けて翔はやっと聞き取れる声で言った。

 「それより、今回は俺も付いて行く」

 「ヴィジョンが見えたんだね」

 翔は小さな頃から不思議な力を持っていた。

 ――ヴィジョン。

 自分の知り得ない情報を画像として、直接網膜に映すか脳裏に映し出すことができた。ただし、ヴィジョンの種類、場所、時間はランダムで自分ではコントロールすることはできなかったが。

 彼が見たヴィジョンの中には風景まるまる別の光景に変わっていたこともあった。愛車の運転中に並木の続く丁字路に差しかかった時にぱっと目の前が緑の草原、そこに立ち並ぶ木々の清々しい光景に変化した。一瞬動揺はしたものの心の中で、『これは幻だ。本当は道路の上なんだ』と必死に自分に言い聞かせて本来の景色を思い浮かべた。すると、徐々に霧が晴れるようにデパートの見える十字路に差しかかったところであった。一つ間違えれば事故を起していただろう。

 様々なヴィジョンは時に彼を助けもした。知り得ぬ情報、未来を予め見ることが出来たからだ。彼は勘が鋭い方なので訳の分からぬヴィジョンも想像をつけることができた。夢でもヴィジョンのような経験もしたが、ここでは割愛することにする。

 「2つな」

 彼は深刻な面持ちでぼそっと囁いた。

 「1つは『C・O・D・E』と言う蒼い文字。もう1つは息絶えた女性の姿だ」

 それを聞いて勇兎は息を飲んだ。そして、始めの言葉に疑問を持った。

 「コード?なんだろう?」

 「さぁな。そんなことより、今度の旅は何かある。気を引き絞めておいた方がいいぞ」

 勇兎は素直に頷いた。そして、ふと翔が遠くに視線を投げていることに気付いた。それを辿っていくとウィンドウに面するカウンターにいる女性が視線をこちらに向けていた。彼女は視線が合うとさっと近付いてきて、

 「ここ、空いてる?」

 女性は長い髪の少女はモデルのような容姿で周りの男性の視線を集めていた。その彼女の端麗な顔立ちに興味を示さず、逆に拒否するように翔は視線を合わそうとはしなかった。

 「ねぇ、貴方は翡翠翔君でしょ。覚えてない?」

 その誘うような流し眼に無視をしていると、今度は彼女は勇兎に視線を移した。彼女、(つづら)真奈美(まなみ)は手に持っていたPコートを背の後ろに回しながら言った。

 「ねぇ、貴方お友達でしょ?」

 彼は困惑の表情を翔に向けた。彼は合い変わらず無表情で遠くを眺めている。真奈美は翔の腕を掴みながら言った。

 「私は葛真奈美。こう見えても翡翠君の高校の同級生。それにしては若くて可愛いでしょ?」

 優兎は困惑したように苦笑した。

 「でも、翔君も見た目若いから同級生に見えなくないよ」

 「そう言うお前が一番幼いんだよ」

 翔がそう言うと真奈美はわざと驚いたように見せて明かにからかうように囁いた。

 「え、貴方中学生じゃないの?」

 「えー、大学生ですよ」

 「貴方が一番幼いわ、やっぱり」

 そう言って、少し間を置いて真奈美は突然真剣な表情に変化した。

 「ところで、偶然ここで会ったのも運命だと思って相談するんだけど」

 流石にその代わりように翔は興味を示して視線だけを向けた。

 「実は、私の姉が行方不明なの。今、世間で神隠しが流行ってるじゃない。それね。で、助けて欲しいの」

 すると、翔は煙草を咥えて足を組んで天井を見上げた。

 「断る」

 そうぼそって呟き煙を上に吐いた。顔を伏せる真奈美を憐れに思い勇兎は翔に懇願の視線を向けた。

 「そんなこと言わないで助けてあげようよ」

 すると、冷たい視線を彼女に向けて翔は言葉を刺した。

 「何故、久々に会った親しくもない俺にそんなことを頼む?」

 一瞬、彼女の表情は曇ったように感じられた。すぐに表情を真顔に戻して翔の袖を軽く掴んだ。

 「それは警察に捜索願いを出しても頼りないし、自分で探したくてもその伝手もないし何をしていいのかも分からない。周りには力を貸してくれる人もいない。そうして途方に暮れたときに貴方の姿が見えたの」

 そして、慎重に言葉を選びながら小声で言った。

 「それに、不思議な力を持っているから」

 すると、即座に眼光を鋭く翔は彼女を睨み付けた。

 「どうして、それをしている?」

 彼女は動じることなくそれに応じた。

 「高校の時に会話が偶然耳に入ったのよ。貴方の唯一の友達とのね」

 彼は納得した。高校の時に優兎に似た友人と呼べるだろう人物が1人存在したのだった。しかし、彼は真奈美に食い下がった。

 「それを何故、信用できた?今だにそんな非科学的なことを信じているのか?」

 「勿論。これでも人を見る目はあるのよ。特に人と違う翡翠君が嘘や下手な冗談を言うような人じゃないことぐらい分かるよ」

 優兎はそれを聞いて大きく頷いた。確かに彼が事実と違うことを言ったことを未だに聞いたころはなかった。彼女は両手を合わせて必死に頼んだ。

 「お願い、他に誰も頼れる人がいないのよ」

 すると、頭を掻いて面倒くさそうに言い放った。

 「…しょうがない。優兎に免じて聞いてやる」

 「ありがと!」

 真奈美は翔の腕に抱き付いた。それを避けるように力強く引き放し彼女との間を開けた。

 「で、何か手掛かりはあるのか?」

 「実は、姉が最後に家を出る前に言ってたことだけかな」

 そう言って少し小声で感情を込めて囁いた。

 「『月夜見の館』というところに友人と遊びに行くって言っていたの」

 すると、翔は優兎に顔を向けた。優兎は理由が分からず彼の心中を垣間見ようと努めていると彼は厳かに言葉を落した。

 「ヴィジョンで見たことがある。優兎が今度行くホテルに飾ってある看板にその文字が以前に描かれていたんだ。今はオールドフォレストと書かれているらしいがな」

 優兎は手短かに今度の旅行の話を駆け足で語ると目を輝かせて彼女は言った。

 「私もその旅行に参加する!」

 そして、翔に意味ありげに流し目をした。彼は溜息をついて遠くに視線を捨てた。ガラス窓の向こうでは相変わらずカジュアルな若者が行き交ってい



神隠し

 『「人は自分とは違う意見には否定的になってしまう。それは自然なことで仕方が無いが1度肯定し、自分の意見と客観的に比較検討するべきなんだ」顔の無い男性はそう言い放って立ち上がるとふと、ある詩を連ねた。「心の石は ガラス玉 汚れの布で 包まれる」』

 そこでペンを下ろすと井波(いなみ)創生(そうせい)は大きく溜息をついた。朝一番で入れたコーヒーはすでに冷たくなっている。それを構わず飲み込むともう1度朝刊を開いた。

 それを目にして再び新聞を乱暴にたたみ項垂れた。新聞記事に現在世間を騒がせている行方不明の事件の記事が零れたコーヒーを吸って染まっていった。     

彼の親友の月代(つきしろ)連牙(れんが)も依然から姿を消してしまったのだ。今世間を騒がしている失踪事件に遭ってしまったに違いない。この記事で急に連牙のことが心にぶら下がり仕事も手につかず立ち上がると意を決してクローゼットに向かった。ジャケットを羽織りテーブルの車のキーを掴むと玄関に向かった。

 ふと、彼は連牙と最後に会った時のことを思い出していた。


 …あれはまだ春と言うには寒過ぎた頃であった。久しぶりに暇な時間ができたので、親友の連牙と2人でスキーを楽しみに行ったその帰りであった。

 「おい、お前がこっちが近道って言ったんだろう?」

 「そう言うな。こっちが近道なのは確かなんだ」

 東北の高速道路からかなり離れた山道である。気付くと自然に囲まれていた。山道はカーブを連ねている。すると、携帯電話の着メロが鳴り出した。連牙は何気なくハンドルを片手に話を始めた。

 「…そうか、まだ見つからないのか。悪いがもう少し調べてくれ。…ん?電波が悪いんだ。あいつの部屋に行ってくれ。ネットはあいつの趣味だ。…おい、ん?くそう」

 携帯電話仕舞うと重々しく言葉を吐いて視線を創生に向けた。

 「圏外だってよ」

 創生はあえて先ほどの電話の内容を訊くことはしなかった。しばらく、車は進んで行くと辺りは暗闇に包まれていた。

 そのとき、電源が止まっていたラジオが突然プツッと鳴って古いラジオのような男性の英語を話す声が聞えた。それも数秒でまた静寂に戻った。

 沈黙の中で横目で創生は連牙を一瞥する。彼は何も無かったかのように運転を続けている。堪らずようやく創生は沈黙を破った。

 「今の、何だったのかな?混線か?」

 すると、彼はCDを付けてそのリズムに乗ってハンドルの上の指を動かしながら言った。

 「あんな放送はねぇよ。まぁ、海外の奴が入って来たにしても音声が古過ぎる。まるで、戦時中の放送だろう」

 当然のようにそう連牙は冷静に言った。創生はますます顔色を青くした。

 「じゃあ、あれは何なんだ?出るはずのない音声が出たのか」

 「そうだろう。別にいいじゃないか。大したことじゃない」

 混乱した創生はそのまま黙ってしまった。連牙が度胸が据わっているのか鈍感なのか、それともそういう不自然な出来事に慣れているのか分からなかった。

 それから、徐々にくだらない話を交わしていくうちに創生は落ち付きを取り戻していった。この迷子の状況を連牙が楽しんでいるように見て取ることができて創生は歯痒さを感じられてならなかった。このもどかしさを打開する為にルームライトを点けて地図を眺めながら溜息をついた。

 「だから、カーナビを買えって言っているのに…。もう、どこにいるのか分からないぞ」

 「そんな金があったらもっと車をチューンしてるって、総エアロでなぁ」

 すると、ボンネットに水滴が跳ね始めていることに気付いた。ライトの中には雨が鮮やかに見ることが出来る。その雨脚も数分で激しくなり始めていた。ルームライトを消して後部座席に地図を放り投げると創生は手を頭の後ろに組んで大きな欠伸をした。デジタルの時計は12時13分を示している。

憂鬱さが頂点に達したときに、暗闇の中で何かが蠢くのを確認した。創生は額をウィンドウにつけて目を凝らす。ガードレールの向こう側に…崖すれすれに…人影のようなものが見えた。それも白い服がたなびいている。

「女性が立っているぞ、こんなところで、しかもこの大雨の中で…」

連牙は車を止めると数mバックした。しかし、そこには人影すらなかった。崖から身を投げてしまったのだろうか、それとも…。創生は身を震わせて連牙を見た。彼はさもつまらなそうに目を細めると再びアクセルを踏み込んだ。

「いちいち怯え過ぎなんだよ」

無言の中で連牙が視線だけを投げ掛けてそう言った。

「君の方がおかしいんだよ。普通の感性を持った者なら、この状況に畏怖を感じない方がおかしい」

「確かに俺は精神が強いからなぁ」

「そういうことでも無い気がするが」

そのうちに会話が減り出した頃、車は妙な音を立て始めた。厭な感覚が体に伝わっている。そして車は歪に動きを止めてしまった。

「まさか、ガス欠とか言うなよ」

「こんなに距離を走る予定じゃなかったんだ」

エンプティランプが寂しげに輝いている。2人は顔を見合わせて、これからのことを考えた。それから数分後、突然、連牙は創生の上を乗り越えてウィンドウの向こうに目を凝らした。

「どうした?」

「明かりが見える」

創生も連牙の顔にくっつけるように曇りを拭いて外を覗く。ガードレールの向こうには森が広がっている。その木々の間から光が漏れていた。車の中の荷物をまとめると、有無を言わさず土砂降りの中で外に飛び出しガードレールを乗り越えた。この辺りは比較的道路と横に広がる森の間に高低差は少なかった。雨に濡れた土の斜面を滑り降りると、その明かりの方に転びそうになりながら走って行く。

森の中に空き地がぱっと広がった。その空き地の隅に木造2階建ての建物がそびえている。目の前に広がる駐車場には3台の車が並んでいる。数ヶ所の窓から漏れる光が周りの視界を保っている。2つの建物が2階建ての渡り廊下で繋がれている。まるで古風なヨーロッパの屋敷を思わせるその建物に近付き連牙は口走った。

「まるで、ミステリー小説の舞台になりそうだな。陸の孤島。古い洋館」

そして、玄関入り口の上のランプ風の照明で照らされたオールドフォレストホテルと言う看板に目を凝らして言った。

「それにこの看板の文字の裏に薄っすら残ってる文字があるぜ。月夜見館(つきよみかん)と。ますます、よくあるミステリー小説に出てきそう」

小説家であり、連牙の言うような舞台のミステリーを執筆したことのある創生は敢えて何も言わなかった。大きな重い入り口のドアを押すとぎこちない耳障りな音を立てながら開けた。中から古い独特の匂いが鼻に付いた。

エントランスには豪華なシャンデリアが下がっている。右手のカウンターに寄って行くと、そこはロビーであることが分かった。そう、ここはホテルであるのだ。呼び鈴を鳴らすと腰の曲がった老人が現れた。その老ホテルマン1人がここをやりくりしているようだ。壁には絵画がやたら多く掛かっている。それも印象派の模写であった。モネ、ルノワール、セザンヌ…。

「これは、大変な中どうも」

「部屋は空いてますか?」

大部分が空いていることを察しながらも連牙はそう尋ねると、老人はにこやかに頷いた。

「ええ、ええ。空いてます」

「しかし、こんな時間に驚かれたでしょう」

創生はそう申し訳なさそうに囁くと老人は笑顔で首を振った。

「このホテルには伝説があるんですよ。その昔、ある白い服の女性が大雨の日にこのホテルに訪れました。彼女はかなり真っ青で怯えているようでした。少し心配しましたが、当時のオーナーはお泊めになりました。すると、翌日彼女の姿はありませんでした。当時、沢山いた従業員全員でこの森の中隅々まで探しましたけど、結局見つからなかったのです。それからです。今日のように大雨の夜遅くにお客様がお出でになるようになったのです」

そして、老人、風見(かざみ)清三(せいぞう)は2人の荷物を持とうとしたが、すぐによろけて転びそうになってしまった。慌てて創生は風見を受け止め、連牙は荷物を持った。

「荷物は自分で持ちます」

「済みませんねぇ」

3人はエントランスホールの奥の中央にそびえる大階段を上り始めた。何故、この時期、この何もない不便なホテルで、しかも駐車場から見て宿泊客のそんなにいないはずなのに、2階の部屋を2人に宛がうのだろうか。

踊り場の壁には巨大な絵画が飾られていた。美しい西洋人の女性の肖像である。2人の視線に気付くと清三は足を止めて微笑んだ。

「この方は先代のオーナーのケート・スチュワート様です。現在はお譲様の北条(ほうじょう)恭子(きょうこ)様が実質オーナーをされています」

「で、ケートさんは今は?」

すると、彼は難しい表情になり口篭もった。しかし、ゆっくり西を向いた。

「西の屋敷にお篭りになられています。今ではほとんど外出はなされません」

踊り場から180度回りの左右に伸びる階段の一方を上り切ると右手に向かい始める。長い廊下の一番奥の突き当たりの部屋に入った。

「それでは何かありましたら、内線0でお呼び下さい」

2人は老人の去った部屋にぽつんと立ち尽くした。まさに西洋ドラマの豪華な洋室を思わせる部屋はベージュの花柄の壁紙にまた多くの絵画が壁を埋め尽くしている。その中に奇妙なクラウンの不気味な絵が目に入った。その右下には作者の名前がALLAN-STEWARTと筆記体で書かれていた。足元には毛長の象牙色の絨毯が敷き詰められている。

「さっきの話、どう思う?作家さん」

連牙は2つのベッドの前のソファに寝そべってそう訊いた。創生は微笑んでそれに答える。

「まず、あの話は実話だ。老人はここに古くから勤務していて実際にその場にいたんだろう」

そして、連牙の向かいのベッドに腰掛けて煙草を咥えて連牙の頭上の絵画に目をやった。

「しかも、その白装束の女性が消えた日からあの肖像画の元オーナーがその壁の向こうの屋敷に篭った、かな」

「その可能性はあるね。一体、彼女はケートさんに何をしてどこに消えたか。…ケート・スチュワート?おい、あの絵の著名」

「アラン・スチュワートだろう。おそらくは同じ一族だろう」

「驚かないか。…何か知っているのか?」

彼は何も言わずに立ち上がると人差し指を唇に当てた。

「何か聞えないか?」

沈黙すると静寂の空間の中に悲しげなメロディが漂っている。オルゴールのようである。しかし、聞えてくるのは連牙の背の壁の方である。

「ここが屋敷の一番奥だよな」

「しかし、渡り廊下は存在していた。どこかに入り口があったんだよ」

連牙は首をゆっくり振った。

「過去形じゃない、今もあるんだ。隠し通路の入り口がな」

そして、連牙は廊下に出ると壁を探り始めた。呆れて背後で見ていた創生は階下から玄関ドアの重くぎこちない音がなり響いたことに気付いた。

「この時間に客が?」

彼は不思議そうに廊下の向こうを見つめて階段の方に歩いていった。赤絨毯の廊下は足音すら立てることがなかった。階段をゆっくり下りてエントランスホールに降り立った。すでに老人と男性客が1階の東の廊下に向かって行くところであった。すると、入って来た時にはなかった物が落ちていた。小さい紙切れ、名刺であった。それを摘み上げると視線をさっと走らせる。

網代(あじろ)文雄(ふみお)。大手出版社に勤めているらしいが、こんな時間にこんな場所に何の目的に訪れたのだろうか。このホテルの周りには森の他に何もない山奥である。このホテルがあることさえ不思議なのだ。金持ちの道楽、そう考えていた創生にはこの新参者が不思議でならなかった。東の屋敷に、ホテルに来たのだから、オーナーの客でもなさそうだし。

溜息をついて再び階段を上り始めると胸騒ぎを感じ出した。駆け出して廊下の奥に辿り着くとすでに連牙の姿はいなかった。部屋に飛び込むが彼の姿は見えない。必死になって部屋の隅々まで探したが、結局、連牙の姿を見つけることはなかった。彼は体格がよく柔道の黒帯で格闘に長けていた。誰かに連れ去られるとは思い難かった。

創生は疲れの為かそのままベッドに伏して眠ってしまった。カーテンの木漏れ日で目が覚めた創生はベッドから下りてふと考え込んだ。鍵を閉じたはずのこの部屋の様子がどこかおかしかった。その直感は感覚的ではあるがそれは彼にとって確かなものであった。

頭を振って顔を両手で擦ると昨日、風呂に入ってないの為に気持ち悪い体を浴室に運んだ。シャワーの熱いお湯を浴びていると背後で物音がした。と同時に彼は飛び出しバスタオルを体に巻き付けた。しかし、部屋の中央まで行くがすでに人影を見ることはできなかった。しかし、僅かな異変を確認することは出来た。

ソファの上の額の列の1つだけが微妙に傾いていた。そして、微かに残った中年男性の独特の匂い。明かにここに先程まで誰かがいたことを示している。振り返り入り口のドアを見る。鍵はしっかりと掛けられたままである。

 ふと、思いたってクローゼットを開けた。すると、昨日まで入っていた連牙の荷物がなくなっていた。急いで着替えると荷物も掴んでエントランスに駆け下り老ホテルマンに声を掛けた。ロビーの中で起きたばかりなのかうとうとしていた彼はすぐに笑顔を作って挨拶をする。

 「私の連れを見ませんでしたか?」

 すると、彼は軽く咳払いをして笑顔のまま答えた。

 「ええ、今朝早くお荷物を担いでチェックアウトされましたが。そうそう、そのときにお言付けをお預かりしました。自分は用事が出来たので先に出発する。と、申されていました」

釈然としない表情で創生は宿を後にすることにした。


 …これが彼と会った最後である。それ以来、彼は行方不明になっていた。

 そして、最近になって神隠しの話である。しかも、数多い行方不明者の多い東京で新聞に載るくらい噂になっている。これはただならぬことが起こっているのだと実感した。ただ、新聞になるくらいなので、普通じゃない点も上げられた。同地区内に起こっている。短期間に多くの人がいなくなっている。そして、階段話が失踪の影に囁かれている…。

 車に乗り込むと創生は連牙の行方を探すことにした。手掛かりがあるとすれば当然あの日最後に訪れた、彼の姿を消したオールドフォレストホテルである。彼は東北自動車道に車を向けることにした。

 すっかり日はすっかり傾いた頃、創生はあの山道に出ることができた。仕事の締め切りを伸ばしこれから取材旅行をするという話を担当者にする為に出版社に寄って来たので遅くなってしまったのだ。

森を見つけると、タクシーで帰路に着いたあのオールドフォレストホテルへの道を思い出しながら舗装道路から土剥き出しの脇道を目指す。すると、ライトの中に前方に白い人影が目に入った。闇の中で車を止めるとガードレールの脇に歩み寄った。そこには白いワンピースを着た人形が立っていた。驚愕と戦慄を覚えて後ずさりを始める。すると、突然雨が降り始めた。土砂降りの雨は全身を濡らしたが寒さを感じず何か邪悪な運命が動き出したのを感じて思わず身震いをする。

 恐怖を抱いてしばらく人形を凝視していると後方から心を揺さぶるような地響きが起こった。振り向くと崖が土砂崩れを起して土が流れ始めていた。道路は土の山によって塞がれ始めていた。その時、人形が巨大な悲鳴を上げた。創生はショックを受けて意識を失ってしまった。

 全ては度重なる謎とともに始まったばかりである。



                  不自然な殺人

 「勇ちゃん、襟が曲がってるよ」

 葵は勇兎のシャツの襟を直してやると耕平は口を開いた。

 「まるで、親子だな」

 「どっちが子供か分からないけどな」

 一瞥した砕牙はそう言って鼻で笑った。 

 「鹿島はうるさいよ」

 そう言うと葵は砕牙のことを睨み付けた。彼らは集合場所を大学の建物の間の広場にしていた。パーキングメーターは着々と料金を上げていく。最後の翔と真奈美が来ないので苛立っている者も出始めた。勇兎もゲームセンターで獲ったGショックを眺めて溜息をつく。

 「それにしても、なんで葵がドライバーの1人なんだよ。俺は絶対に乗らないからな」

すると、葵はベンチから勢いよく立ち上がり再び睨み付けた。冷や汗を流して耕平が言った。

 「大人数が乗れる車を持っているのが他にいなかったんだ。それにいつものようにレンタカーを借りるお金が勿体ないって言い出したのは鹿島だろう。あ、別に俺は仕方なく三好をドライバーに認めたって言う訳じゃないんだ」

 しどろもどろになっている耕平の後ろから勢いよく蒼いスポーツカーが耳の奥に響く音を回りの高層の建物に反響させて彼らの前に止まった。中からは翔が案の定現れた。

 「遅いよ」

 勇兎が膨れてそう言うと翔は悪びれる様子も見せずに始めて見る勇兎のサークルのメンバーを見渡した。

 「彼が今日同行する勇兎の親友の翡翠翔さんだ」

耕平は勇兎から話を聞いて皆に話をしていたのだ。気心しれた仲間の旅行に彼を参加させることを反対する者もいたが、結局耕平の鶴の一声で決定した。それだけ耕平は全員から信頼もされていたし、一目置かれていた。

 「お、すげぇ、このインプレッサ。フルチューンじゃないか。エンジンもいじってるだろう」

この歳の離れた勇兎の友人の出現よりも砕牙は彼の愛車に興味を持った。

 「お、ハンドルとギアまで変えてるぜ。派手なレザーシートだし」

 すると、真奈美も駅のある方から走ってやってきた。その彼女の容姿から男性達は視線を釘付けにした。勇兎と翔、そして孝一以外は。あの耕平でさえ端麗な女性に視線を奪われることに葵は驚いていた。

 「男ってどいつもこいつも、全く…」

 勇兎達がいなければ、瑞穂は『男って皆こうなんだから』というところであった。滅多にいない、女性に対して厭な視線、思考を送らない(或いは抑えている)彼らには論理的で定義好きな瑞穂も一目置いていた。実際のところ、勇兎は単に子供のような精神で、翔は人嫌いで興味を示さないのだが。孝一は心弱い存在であるから、そして、精神的に潔癖になっているから一般的な男性の女性に対する視線を持たないことはよく理解していた。外見を気にしたり、異性に特別な感情や品定め的な思考をするのは男女ともであるが、本能的に男性の方が異性への執着が強い傾向があるのだから仕方がないところもあるが、理性はその為にも存在するのだ。

 瑞穂は孝一が唯一の心を許せて理解してくれる味方であり親友であるので、心を開いて何でもお互いに話し合っていた。心の中の傷(彼らはそれを心の闇と呼んでいるのだが)をもお互いに理解して傷を舐め合うことなく支え合っていた。彼女の虚無主義的でないそういう一面を知っているのも孝一唯独りである。


 全員が揃ったところで彼らは車を乗り分けて出発することにした。葵の運転するワゴンタイプの車には助手席にはお気に入りのお菓子を頬張る勇兎を座らせている。後ろには乗り込むとすぐに眠り始める唯華、その隣りに瑞穂がカントを読み耽っている。その後ろには浩次と孝一がテレビのバラエティ番組について談笑をしていた。

 その前のGTRには耕平がハンドルを握る。その隣りには当然彼の親友の沈黙を保っている京介。ラジオを付けてオリコン10位から1位の音楽を流している番組にチューナーを合わせる。1位には香住愛香という女性ヴォーカリストの歌が流れていた。その後ろに座るのは砕牙が1人独占して腕を組んでサングラスの奥の瞳を後ろに流れる景色に向けている。

 最後尾には翔が運転をしている。この遅過ぎる2台にいらいらしながら無口にハンドルに手を乗せている。その隣りには楽しそうに真奈美は一方的に翔に話をしていた。彼の車はツードアのツーシートである。 他のメンバーを乗せるつもりはなかったがこの車では不可能であった。

 しばらく走るって首都高に出るとそのまま東北自動車道に突入した。葵は訝しげな表情をちらちらと勇兎に向けた。

 「あまり食べ散らかさないようにね。シートが汚れるから」

 「はーい」

 汚れた口をほころばせて勇兎は笑顔で言った。苦笑して葵は前方に視線を戻した。高速から下りてしばらくすると国道を走るが見覚えのない道であった。いかに以前はレンタカーによる砕牙の運転で行ったからといってすっかり道を忘れてしまうということはなかった。

 「勇ちゃん、こんな道を前に通ったっけ?」

 すると、彼は不思議そうに首を傾げてペットボトルの甘過ぎるジュースを喉に流し込み始めた。

 「勇ちゃんに訊いた私が馬鹿だった…。景色さえも覚えてないよね。瑞穂、道を覚えてる?」

 すると、読んでいた2冊目の本を仕舞って眼鏡のフレームを上げた瑞穂は葵に視線を移した。その目は長い時間の読書のために充血している。

 「当たり前じゃない。あのときは本を持ってきてなかったから」

 そして、ウィンドウの外に注意を反らしてすぐに口走った。

 「こんなところ、通ってないはずよ」

 「やっぱり。どうしたんだろう、井沼さん」

 前方の車は依然スピードを一定に保ちながら走っている。そして、赤信号で離れた為に路肩に止まった。 ふと、浩次は携帯電話を取り出すと話を始めた。

 「井沼さん、道が前に来たときと違うじゃないですか」 

 すると、彼の返事はすぐには返って来なかった。そして、耕平の代わりに砕牙の声が聞えて来た。前方の車は葵達が追い着くと再び走り始める。

 「いたんだよ。前に愛夢(あむ)の乗った車がな」

 浩次の反応に全員が固まる。浩次が砕牙の言葉を厳かに伝えると沈黙が車内に広がった。柏崎(かしわざき)愛夢。彼らは表情を硬くした。彼女は以前彼らの仲間であった。それが引越しして全員の前から何も伝えずに姿を消してから音信不通になり、すぐに彼らの誰にも連絡すらよこさないようになってしまった。

 それ以来、彼女に対する彼らの蟠りは大きくなる一方であった。そして、彼女の話はタブーになり忘却の彼方に追いやられかけていた。それが今になって彼らの前に現れたのだ。

 「でも、何故井沼さんは追っているの?あんな白情な奴、放っておけばいいのに」

 瑞穂がそう冷たく言い放つと葵が静かに囁いた。

 「彼女にも何か訳があったのよ。皆、目の敵にし過ぎ。ねぇ、勇ちゃん」

 「うん、僕達との別れが悲しいから何も言わずにいなくなったんだよ」

 「じゃあ、どうして連絡をくれないんだ?」

 浩次の言葉に誰も返すことはできなかった。すると、浩次は携帯を仕舞いながら続けた。

 「あいつに一言言ってやりたいじゃないか。で、部長は追っかけているんだ」

 車はどんどん進んで行き高い建物はおろか住宅すら見えなくなっていく。山道に入ってどのくらい経ただろうか。気付くと見覚えのあるところを走っていた。疲れの堪った葵は大きな欠伸をして流石に辛そうである。

 「俺が運転変わろうか?サービスエリアから休憩なしできたし」

 砕牙の言葉に耳を疑った葵はそれを断った。

 「それにもうすぐで着くし」

 勇兎の言葉に全員が彼に視線を集めた。瑞穂は外を一瞥して言った。

 「貴方達まだ気付かないの?ここはもう、あのホテルの側の道じゃない」

 気付けばあのホテルの側の山道であった。そう、愛夢を追っていることで全然知らない道を進んでいると 思い込んでいたのだ。しばらくして突然、前方の耕平の車が急ブレーキを掛けた。車はタイヤを滑らせて大きく蛇行したが上手くバランスを取って止まった。葵も慌ててブレーキを踏んだ。耕平の車の対向車線に入り避けながら車は停止した。後方の翔の車は上手くサイドブレーキを使い前方の2台の間を後輪を滑らし、S字にドリフトをして数m先でゆっくり停止した。もし、ここが車の通りのある道であれば大変な事故になっていたであろう。

 全員無事で車も無傷だったのは本当に奇跡と言えるだろう。心臓の鼓動を激しく鳴り響かせて全員が車を降りた。しばらく、呆然として言葉を発生できないでいると、先の方から翔は駆け寄ってきて耕平の車の前に来て屈んだ。

 そこには1人の男性が倒れていた。しかし、ぎりぎりのところで轢かれていないことを確認すると体の状態を見た。

 耕平は我に返り、皆に声を掛けた。

 「大丈夫か?皆。怪我をした人はいるか?」

 すると、ショックから解放されて全員は首を横に振った。すぐに翔に掛けより男性の容態を確認した。一通り見た翔は降り返ってぼそっと囁いた。

 「大丈夫だ。ただ、かなり衰弱している。腕の鬱血と絞跡からどこかで監禁されていたんだ」

 その勇兎達の見覚えのない男性は疲労の為かここまで脱出してきて力尽きたのだろう。しかし、どこから逃げて来たというのか。森の中か、車に監禁されていたのか、車から脱出したのか、それとも…。

 翔は森の向こうに見える明かりを鋭く睨み付けた。そう、オールドフォレストホテルはすぐそこであった。

 「さぁ、彼を連れてとりあえずホテルに行こう」

 耕平がそう言うと沈黙が破られそれぞれ今までの話を始めながら車に戻って行った。彼らが結局ホテルに着いたのは空が夕暮れの紫の神秘的な模様に変わった頃であった。しかし、怪しい雲が遥か遠くからこちらに向かって漂いつつあった。車に乗り込むときにブルゾンを掴んで浩次は孝一に言った。

 「夜には雨になるな。折り畳みの傘を持ってきてよかった」

 「こんないい天気なのに?」

 「まぁ、見てろって。あと3時間くらいで分かるから」


 彼らは舗装道路から少しよく見ないと見落としてしまう脇道に入る。その道の入り口のガードレールの途切れたところには道標が倒れていた。土埃を立てながら剥き出しの凹凸のある道路を走っていく。翔はふと道祖神に目をやった。あれは道のすぐ側にかなりの大きさで数体も石碑とともに柳の隣りに並んでいるが、それはこの道を通る人々の誰にも気付かれることはなかった。それが翔にはこの先に進むことを阻んでいるように思えた。彼は勘や感性が敏感で鋭いところがあった。

 やがて、森の中に伸びる道は開けて空き地が姿を見せた。全員は疲れとショックの為に逃げるようにホテルに飛び込んでいった。

 部屋は3つに分かれて、奥が耕平、京介、砕牙、浩次。その手前に翔、勇兎、孝一、そして先ほど助けた青年。その手前に葵、瑞穂、唯華に真奈美の女性陣の部屋に割り当てられた。

 部屋に入ると中央のベッドにいち早く飛び乗った勇兎は、ゆっくり天井を眺めた。以前泊まった時と同じ気分だ。その次に孝一が窓側のベッドに腰を下ろしてDパックの中を整理し始める。翔は慎重に部屋に足を踏み入れると警戒するように部屋中を見渡した。そして、中央のベッドに腰を下ろすと溜息をついて目の前のソファとテーブル、その横のテレビに目をやった。

 勇兎は置き上がるとテレビを見てすぐに電源を付けた。彼は家ではいつも見る番組がなくともテレビを付ける習慣があった。そして、視線を落すとホテルには珍しくビデオデッキが備えつけてあった。

 ―――ビデオカセットがセットされている。

 勇兎は怪しく思いデッキに指を伸ばそうとした刹那、翔がすでに背後に来ており彼の腕を掴んで首を横に振った。その表情には危機の色が読んで取ることができた。

 「止めておけ」

 勇兎は頷いてベッドに戻るとぽかんとした表情でソファで足を組む翔を見た。

 「また、見たの?」

 彼は煙草を咥えて頷く。白い煙が弱々しく立ち昇っていった。

 「ああ、忌まわしいヴィジョンだ」

 彼はそれ以上話そうとはしなかった。勇兎は深く追求することはしなかった。元々、彼は好奇心がそれほどある方ではなかったし、人の気持ちを察して重んじる性格の人間であった。勿論、無意識の内に。

 翔はビデオを取り出してジャケットのポケットに仕舞うと一番廊下側の壁沿いのベッドに眠っている男性に視線を落した。もし、この男性がここから逃げてきたのだったら、ここに連れて来たことは間違いだったのではないか。

 窓辺のベッドにいた孝一は勇兎に声を掛けた。

 「ここに来たのはいいけど、どうするの?幽霊なんてそう簡単に見れるものじゃないし」

 「とりあえず、あの幽霊の正体を調べよう。それにそれだけが旅行の目的じゃないしね」

 翔はベッドの前のソファに腰を掛けて、ポケットに手を入れたまま煙草を咥えた。そして横目で入り口のドアに目をやると真奈美が入って来た。

 「ノックぐらいしてよね」

 勇兎はそう言うと真奈美は小さく舌を出して苦笑した。そして、翔の隣りに陣取って彼の腕を組んだ。それを振りほどいて口を開いた。

 「他の連中はどうした?」

 彼女は少々不機嫌そうに見せて翔の瞳を覗き込んだ。彼は何を考えているのか分からない瞳の色で窓の外に向けられていた。

 「部長さん達は寝ちゃったみたい。厚化粧と眼鏡ちゃんは部屋に入ってすぐにどこかに行っちゃった。おチビさんは布団に潜り込んで寝息を立ててる」

 「皆疲れているんだね」

 その無邪気な勇兎の言葉に空気が和らぎ始めた。それから食事が各個室に運ばれてきた。真奈美はそのまま自分の部屋に戻りソファの前のテーブルに並べられた食事を始めた。食事は保存食がほとんどの材料である。豪華とは言いにくいがそれなりのレストラン並のものであった。

 食事が終わる頃に救助した青年が唸り声を上げて意識を取り戻した。


 彼は何とか起き上がると部屋を見回して愕然とした。

 「折角、逃げ出したのにまた戻ってきてしまったのか」

 「どういうことだ」

 ソファから立ち上がると食器を片付けている勇兎を押し退けて青年の側に行った。彼は振るえているだけで何も答えることはなかった。翔はそれ以上無理に問い詰めることはしなかった。

 しばらくして食事が引き上げられてから、勇兎と孝一はベッドに潜り込んだ。翔は寝る気になれなかったのでシャワーを浴びた後にソファの上で片膝を立ててそれに腕を乗せた。

 気付くと真っ暗の空間になっていた。孝一と謎の青年は寝息を立てている。翔は勇兎の方を見てやっと聞こえるような声で言った。

 「まだ、起きているのか」

 すると、勇兎は置き上がって目を擦りながら目の前の翔を眺めた。

 「うん、何か眠れなくてね。外は雨降っているんだね」

 ローテクのスニーカーを履くと勇兎は立ち上がって闇の中で大きな窓に近付いた。雨がガラスを激しく叩いていた。

 すると、2人に厭な感覚が体を貫いた。翔は飛び起きてドアを勢いよく開いた。そこには見なれぬ少女が人形を抱いて立っていた。彼女は青白い顔で頬笑みそのまま無表情に戻ると西のエントランスに向かって歩いて行った。

 背後までやって来ていた勇兎に視線をやると彼は頷いて足を出した。翔も無言の答えに頷いて彼女の後をつけることにした。

 真っ暗な廊下は心が冷えるほど畏怖を普通の人間に与えるものであった。翔にはそれは意味をなさなかったが。少女は西の方に歩きある部屋の中に消えていった。彼らもそれを追って足音を立てないように気を付けながら駆け出した。しかし、そこで勇兎は息を飲んで立ち止まった。確かに少女が飛び込んだと思われたその部屋には鍵が掛かり厳重に木の板が×の形に打ち付けられていた。ノブには埃がたまりノブと壁の出っ張りに鎖が巻き付けられてあり南京錠で封印されている。どこも埃をかぶり長い間開けられたことのないことを物語っていた。

 そのとき背後から物音がして大きなものが床に落された鈍い音が響いた。彼らは開かずの間を後回しにして、とりあえず物音のしたエントランスに向かった。すると、そこにはスーツ姿の男性が倒れていた。唖然としている勇兎を遠ざけると現場を確保した。そこに部屋から出て来た真奈美が通りかかり悲鳴を上げて地面に尻餅をついた。

 そこで階段の奥の掃き出しサッシ窓から朝日の光が伸び始めた。そして、倒れた男性はその光で照らされ始めた。

 「髪や顔は濡れているのにスーツは濡れていない。脈拍や呼吸は停止している。それにこんな時間に外から?絨毯が濡れているし。スーツ姿も気になる」

 翔のその遺体を前にしているのにも関わらず冷静な行動に勇兎も真奈美も息を飲んで見守った。

 すると、玄関のドアノブがゆっくり回り始めた。階段の踊り場の上にあるアンティークの掛け時計はそのとき5回鈍い、そして懐かしい暖かい音を響かせた。



                    謎の畏怖の手

 男性の遺体の発見された時から少し時間を遡る。真奈美は寝ている唯華の子供のようなあどけない寝顔を横目に荷を解いていた。すると、葵はすくっと立ち上がって真奈美に笑顔を向けた。それが何故か真奈美には不自然に感じられた。

 「ちょっと、ここを探検して来るね」

 彼女がそう言って部屋を出ていった。そこから数分して瑞穂も荷を解いて落ち着いたのか無言で部屋を出ていった。彼女の目的も屋敷の探検だろうか?真奈美は上着を羽織りながら彼女の後ろ姿に視線を送った。

葵は全員が部屋に入り閑散とした廊下を進む。好奇心は次第に膨らんでいくのを肌で感じながらエントランスに舞い戻った。先程の老人の姿はすでに見ることはできなかった。ホールの中央に立ち、辺りの壁を見回した。数々の絵画に圧倒される。その中で気になる絵があった。フランス人形が憂鬱そうに足を伸ばして座っているものである。

 しばらく見学した後にふと、階段の奥の掃き出し窓が気になった。そちらに足を進めると背筋に寒気が走った。あの皆で撮ったビデオに映っていた白装束の女性の霊でもいるのだろうか。

 葵は急に独りで探検に来たことを後悔し始めた。ガラスの外の中庭は雨と暗闇でよく見ることが出来ない。サッシを開けると風雨が吹き込んで来て身震いをして上着を握り締めた。外にある傘立てにあった黒い傘を拝借して芸術的な中庭の造形を楽しむことにした。

 手前に気のベンチとテーブルがあり、中央には天使の像の噴水のある池が広がる。その鉛色の水面は雨に激しく叩かれ騒いでいる。池の周りには数体の像が散らばっていた。

 彼女は瞳を輝かせて各部屋の窓から漏れる光に照らされるアートを堪能していると畏怖に近い感覚が再び襲い始める。目で周囲を探るが何も不信なものを確認することはできなかった。中央まで行き池近くの天使の像に身を隠すように影に入った。

 像を見上げる。凛々しい、でも優しい姿の天使はまるで今にも動き出しそうである。台座に手を触れると冷たい感覚が伝わって来た。と同時に手を触れた場所に違和感があり、何かが奥で動き出す音が響き渡った。

 次の瞬間、葵の体は空を切った。彼女自身、自分に何が起こったのか理解できなかった。全身に衝撃が走り、その後、口に布が不意に宛がわれて意識が次第に遠のいていった。


 瑞穂はエントランスまで一直線に来るが、絵には関心を示さずすぐに葵の行った中庭の方を見た。サッシが開けっ放しなので彼女が中庭に出たのは確かだと思われる。

 外を覗くがやはり彼女の姿はない。

 ―――人の気配がする。

 瑞穂は周囲を見回すが誰1人見つけることが出来ない。

 ドクン、ドクン。

 異常に鼓動が早まり空気中からでも鼓動の音が響いて耳に届く程であった。背後から何かが近付く感覚が迫った。急いで振り向くが何もなかった。

 ―――何かがおかしい。

 息が荒くなり喉がやけに渇いた。中庭からホールに戻り誰かにいるところへ行こうとした。葵のことを気に掛けながらもまずは安全な場所に行こうと思った。幽霊などは信じていない彼女もこの時だけは目に見えぬ存在を体中で感知していた。毛穴が全て開いている感じが緊張感をさらに高める。

 エントランスから廊下に出ようとしたそのときに後ろから誰かに服の裾を掴まれてしまった。息が止まり心臓に大きな衝撃が走った。時間がその時に止まってしまったように感じられた。


 それからすぐにエントランスで何かが割れた音が聞えたが厚めのドアが他の者達にそれを気付かせることはなかった。彼らに何者かの手が迫りつつあるような畏怖が屋敷に満ちつつあった。

 しばらくして、全てが終わり何もなかったかのようにエントランスホールに静寂が戻り異変を見つけることはできない程になっていた。そこに翔達は横切り、そこへ玄関のドアから何者かが雨に濡れながら入って来た。

 そう、そのすぐに彼は殺害されることになったのだ。全てが歪に動き始め、見えない力が徐々に発揮されていった。


 老人はコックと話をしている。その側に聞き耳を立てて潜んでいる謎の男性がいるとも知らずに。

 「この前の道の先に○○号線があるだろう。ほら、国鉄と交差している」

 「国鉄じゃなくて今はJRだよ、じいさん。それで?」

 「ああ、それであの道に大きなショッピングセンターができるらしい」

 「そうだな。その先に新興住宅街があるんだよ。それでだな。その近くではゴルフ場や開発事業の為に山を切り崩しているんだ。爆薬を沢山使ってな」

 彼はうむと唸って考え込んでしまった。コックはそれを見て笑い飛ばした。

 「そんなに深刻になるなって。いずれにしてもここから距離がある場所でのことなんだから」

 「まぁな」

 そして、すぐにドアの方に顔を向けて叫んだ。

 「誰かいるのか?」

 ドアの外の男性は息を飲んで忍び足でその場を去って行った。足元の絨毯がそれに好都合であった。老人が顔を外に出した時には誰もいなかった。


 浩次は隣りのベッドの耕平に話を始めた。

 「知ってますか?この屋敷は月夜見の館ってかつて呼ばれていたんですよ」

 「どうして知っているんだ?」

 「ここに来る前にネットで少し調べたんですよ。ほら、女性の霊の出る陸の孤島。何かいわくつきじゃないですか。で、色々分かったんです。例えば、この屋敷に白装束の女性の霊が出ることとか、ヨーロッパの屋敷をそのまま持ってきたものとか」

 耕平は荷物を整理しながら視線を浩次に向ける。

 「それでこの屋敷は向こうでは何だったんだ?」

 「それが、皇族の屋敷で宝を隠す為に作られた別荘だったんです。そして、ここに移築されてからは、誰ともなく月夜見の館と呼ぶようになり、当初はそう名付けられていたけど、いつしか今のホテルの名前になったそうです」

 「どういう意味なんだ?月夜が見える屋敷っていうことかな」

 「さぁ、そこまでは書いてませんでした」

そこで、ソファに座って本を読んでいた京介がさっと立ち上がりドアをおもむろに開けた。しかし、そこには誰もいなかった。屈んでドアの前の絨毯に手を当てる。長い間誰かがいたように毛長の絨毯の毛が少し沈んでいた。京介は周囲を窺い再び部屋に戻った。


                    人形の館

 電話をもらってから2ヶ月前後も過ぎてしまった。多神(たがみ)龍久(りゅうく)は月代連牙の依頼で彼の失踪した友人を探していた。もともとルポライターという割りと動きの取れる職業柄、彼の頼みも安易に引き受けた。そうでなくとも根っからの楽天家で深く物事を考えない性格であった。全てはなるようになる。果報は寝て待て。それが彼のモットウである。

 それに好奇心旺盛で好きなことをすぐに行う子供みたいなところがあった。欲求に忠実というのだろうか。

 そんな彼はやっと連牙の友人、工藤(くどう)(かい)の家を突き止めることができたのだ。その母親に訪問の了解を得て早朝から家を後にしたのであった。連牙は電話で魁はインターネットが趣味と言っていた。彼のパソコンを探ると手掛かりが得られるだろう。閑静な住宅街の極一般的な1件屋。インターホンを鳴らすと弱々しい女性の声が聞えた。顔を出したのは魁の母親であった。

 「魁君の友人の多神です。彼の行方を調べる為にお邪魔したいのですが」

 「まぁ、そうですか。どうぞどうぞ」

 彼女は60歳前後のはずであるが見た感じでは70歳ぐらいに老けて見えた。リビングに通されるとガラスのテーブルにケーキとハーブティが並べられた。サイドボードいっぱいに並べられた写真立てを見ていた龍久に白髪の多い彼女は憂いを込めた瞳で声を掛けた。

 「これはあの子が初めてのお給料をもらったときに私を温泉に連れていってくれた時のですよ。あの子は小さい時から優しくてねぇ。母一人子一人でも全然苦じゃなかったですし、幸せでした。…あの子が黙っていなくなることなんて今までなかったんです」

 彼女の瞳に涙が浮かべられていた。龍久は困ったように頭を掻くとケーキに手を付けずに立ち上がると、

 「魁君の部屋を見てもいいですか?」

 「ええ。でも、前にも警察が見て行きましたけど、何も手掛かりは見つかりませんでしたが…」

 「大丈夫、俺は勘だけは誰にも負けないっすから」

 「はぁ、あの子の部屋は階段を上がって右の部屋です」

 「どうも」

 失踪した友人の捜索にしては気持ちが軽過ぎる龍久に魁の母親は少々訝しげに階段を上る彼を見上げていた。

 部屋は生活観があり割と片付いていた。おそらく、彼が姿を消して以来、そのままにして掃除すらしていないのだろう。彼は椅子に跨るとデスクの前のパソコンを立ち上げた。

 インターネットをつなげようとしたが、パスワード画面で指を止めた。そして、少し考えるとデスクから少し離れた本棚の前に屈むと『初めてのインターネット』という冊子を取り出した。案の定、ペラペラと捲るとある紙切れが顔を見せた。プロバイダー契約のページである。

 『CODESNOW』

 それをパスワードに打ち込むとログインした。ブラウザ―の履歴ボタンをクリックして最後に魁が見ていたサイトを眺めた。

 『怪奇フリークの部屋』

と、いう題名のホームページの中のコンテンツの『心霊スポット:館編』というところであった。そこにはある屋敷が紹介されていた。2つの連なる館の写真の下の説明文を読んだ。

 『この屋敷は山奥に孤立して存在し、イギリスより移住したケート・スチュワートによりホテルとして建築された。ある雨の日の深夜に1人の女性が訪れて1晩宿泊した。次の日、彼女は部屋にはいなく、荷物でさえ存在しなかった。確かに様子がおかしかったが、まさか、宿泊費を払わずに逃げてしまったのでは、周りの森のどこかで自らの命を断つ為にここに来たのでは、と従業員に噂されたが、結局、屋敷のどこにも、周りの森の中にも女性の姿を見つけることはできなかった。

 その直後よりケートは様子がおかしくなり、従業員が次々とやめていった。そして、約1年後に彼女は西の屋敷に篭ってしまい、オーナーをその娘が引き継ぐことになった。

 それから、この辺りに白装束の女性の霊が出るようになったとのこと。なお、ケートの夫、北条(ほうじょう)(こう)(のすけ)は彼女の錯乱をきっかけに家を出て、行方をくらませてしまった。その後、彼が移り住んだ東京の某区の事務所兼住居の古いビルには、何故かケートのホテルで神隠しにあった女性と思われるの霊が出るようになったという。彼はその後すぐに謎のビル転落死でこの世を去った。以降、ここには少女の霊が出るようになったという。なお、この話は割愛することにする』

 早速プリントアウトをすると電源を落して龍久は次の行動に移ることにした。魁の母親に礼と別れを告げて家を後にすると、携帯電話を取り出した。

 「ええ、編集長。そうです、今度の初夏に向けての心霊特集の一貫である心霊屋敷を取材しに行きます。え、東北のある山奥のホテルです。…違いますよ、サボりの訳ないじゃないですか。後は取材の後で報告します。原稿と写真を待っていて下さいね。それじゃ、そういうことで」

 一方的に電話を切ると駅への大通りを人の並に逆らって歩いて行った。次に行動することはネットの内容、東京の心霊スポットであった。割愛された内容は定かではないが、その場所の地図は載ってあった。

 新宿西口はいつ来ても人ごみでごった返している。その中を掻き分けてビジネス町の方に足を向ける。そして、ある細い路地の建物の前に立ち止まった。そこは改装中の建物であった。そこでしばらく眺めていたが中にまで入る気にはなれずに大通りまで戻るとコンビニに飛び込んだ。手をズボンのポケットに入れたままで周囲を見回しながらレジまで行き店員の女性に話しかけた。

 「ちょっとちょっと。あの裏の建物って幽霊出るんだって?」

 口に手を当ててわざと小声を出すとアルバイトの女性は表情を強張らせた。

 「お客さん、誰から聞いたんですか?最近もサラリーマンがあそこに入って姿を消しちゃったらしいですよ。でも、その幽霊の噂ならこの先の喫茶店のマスターが詳しいですよ。その人、私の叔父さんなんですけど」

 「ありがとね」

 煙草1箱を買うと笑顔で手を振って次に喫茶店を探した。それは彼女の口振りから近いかと思ったが、そこは3キロ先の場所であった。

 そこは落ち付いた空間であった。全てがアンティークで薄暗く雰囲気たっぷりである。客は3人でカウンターにスーツ姿の男性。仕事をサボっているのか雑誌に視線を落している。1番奥のボックス席には若い男女が話込んでいた。

 カウンターのど真中に軽く腰を下ろすとマスターに指で招いた。

 「ご注文は?」

 「えーと、エスプレッソに幽霊話」

 意味ありげな龍久の表情にマスターは表情を崩した。

 「そうか…。悪いね、上辺だけの礼儀のようで敬語は苦手なんだ」

 「いいよいいよ。で?」

 「ああ。あのビルをお調べで。かつて、あのビルには探偵事務所があった。白地に蒼い文字で『香住探偵事務所』とね。そこであるお客さんが人探しの依頼に来たんだ。親子連れで若い母親と小学生か中学生くらいの女の子だった。勿論、探していたのは父親で彼は失踪するような人ではなかった」

そして、マスターは視線を遠くの小さなテレビに向ける。そこには現在起こっている失踪事件が報道されていた。

 「あれと同じ地域だったなぁ、あの親子が住んでいたのは」

 「で、何で知っているんだい?」

 「こういう商売をしていれば情報が勝手に集まってくるものさ」

 「若いように見えるけど、マスターってそんな歳?」

 すると、彼は思った以上に大きな声で笑った。

 「お前、おかしな奴だな。気に入ったよ。俺は33だ。あの事件が新しいんだよ。そんなに昔のことじゃない、7年前のことだ。で、話の続きだが、その親子はその数ヶ月後にさらなる悲運に見舞われることになる。ただでさえ、彼らは悲劇の中にいたというのに」

 「芝居掛りだねぇ、マスター」

 マスターはカップを龍久の前に置くと彼は悲哀に満ちた表情で奥のガラス窓を眺めた。

 「その女の子は産まれ出る運命ではないはずだった。その一族は代々1家族に女の子は1人しか産まれないという言い伝えがあった。だが、初めてそれは覆された。彼女には姉が先に生まれていたのだ。母親は実はその前に1人流産していた。そして、その言い伝え。あの子を産む母親の不安の気持ちは誰も想像はできないだろう」

 「そして、産まれた彼女は両親から溺愛された、ってところかな」

 「まぁな。体も小さく弱かったから。彼女は単純だがとても素直で純粋な子だった。無邪気で信じ易いところがあり母親の性質を受け継いだものであった。現に母親も全く同じ性格だった。彼女の姉も同様でもあるけど。幼稚園の先生がハンカチを右耳から左耳に通す手品も本気で信じたし、耳が悪く言葉もうまく発音が出来ない友人も普通の友人と同じように仲良く接した。まぁ、彼女は理解が苦手なのか、無知がそうしたのか、それとも鈍感なのかハンディキャップを持った人間を身体障害という認識をできずに、単に数々の人間の特徴の1つとして捉えていたのだ。それは、身体障害と理解し腫れ物を触るように気を使うよりも彼にとってもよかったのかもしれない。ただし、そのために腹部の補聴器を「これラジオ?」と訊いてしまって、他の友人より耳の聞えの悪い為に使っている補聴器であることを教わった。しかし、このときは彼女はそれを理解できなかったが。しかし、それは悪気がなく飾りけのない素直さは誰も傷付けることなく、逆に心を通じ合わせる結果になった」

 「ちょーっと、話が宇宙まで遠回りしてるんですけど」

 「すまんすまん、久々に人と話をしたんでね」

 壁の古臭い壁時計に視線を持っていき空になったカップに無言で注いだ。

 「私の奢りだよ」

 「サンキュー」

 「で、話だが。元に戻すが、その親子がその探偵事務所を訪れ依頼をしているときのことだった…」


 時は7年前の6月のことであった。梅雨に入ったばかりであの親子も鬱蒼とした気分を過ごしていた。地村(ちむら)波子(なみこ)は愛娘の逸子(いちこ)(かえで)と病院に来ていた。診てもらうのは妹の楓であった。最近になって、酷い腹痛と吐き気を訴え何も食べられなくなってしまったのだ。しかも、その腹痛は尋常でなく眠ることさえままならなかった。

 「これは自荷中毒ですね。寂しさから来る症状です」

 それは母親と姉だけに告げられた。楓はブドウ糖の点滴をされてベッドに横たわっている。精神的な病のため体に異常はないので治療法はなく、栄養補給しか手はないのだ。

 「そう言えば、小さい頃から指しゃぶりを今だに止めないんです」

 母親は懇願するように次々と思い当たる限りを医者に伝えた。

 「爪を噛む癖もあるし、耳も突然、聞え難くなったりして。耳掃除してあげてもそれは収まらなくて。何か、耳の中に水が入り込んだみたいな違和感があって気持ち悪い感じらしいんです。でも、自然に回復しました。その後、腹痛も含めて何回か繰り返されましたけど。…でも、あの子は私達両親と姉、そして小学校の友達に囲まれて孤独を感じることなんてないはず」


 マスターは溜息をついてグラスを握りそれを眺めた。

 「それはお嬢さんも同じ気持ちだった。しかし、意識下ではそうではなかったんだ」

龍久は欠伸をして、今だ本題に行かぬマスターをまったりとした視線で眺めている。それに気付いたマスターは話の展開を変えた。

 「で、その彼女は母親とともにその探偵事務所に訪れたんだ。姉はその時友人の家に遊びに行ってしまっていたんだが。探偵事務所の主、香住(かすみ)龍人(りゅうと)は――この男はまた極端に楽観的、いい加減、子供地味た人で――半分真面目に聞いていた。

 そして、父親捜索がのんびり開始した。

 楓の心の方もより衰弱していき、ある日、彼女は全ての人間に疑念と不安を感じるようになった。人間恐怖症。で、親兄弟さえも拒否して引き篭りになった。自分で自分を追い込んでいき、と同時に思春期の――彼女はまだ10歳で思春期と言うには早過ぎるかもしれないが――精神的不安定が重なっていき、諦観主義、厭世主義へと陥り希望、幸せという言葉を見失っていった。母親は心配が極限に達していたのもそんな時だった。

 その数日後、香住は楓の父親を見つけ出した。死に自らの幸せを見出していた楓の心境は揺れ動き始めたんだ。

 父親の居場所を直に伝えたいと、楓と母親は事務所に呼び出されてあの建物に足を踏み入れようとした。 あのビルの目の前に来たその時、暴走したトラックがあの狭い路地を突っ込んできたんだ。親子は跳ねられてしまった。

 その運転手はかなり急いでいて近道のあの裏道をスピードを上げて走っていたらしい。まさか、人が歩いていると思わなかったらしい。普段は人通りが滅多にないからね。

 で、楓は数々の悲劇を向かえながら短い運命の終焉の場面が訪れた。そこに物音に飛び出した香住は緋色に染まった楓の前に屈んだ。すると、彼女は、

 「死ぬんだから、私はやっと幸せになれるよね…」

 精一杯の声はやっと聞えるほどであった。香住は涙を僅かに滲ませた瞳でゆっくり頷いて無理に微笑んだ。楓は安らかな表情を久々に取り戻したんだ。母親は彼女を庇うように倒れてすでに事切れていた。トラックは側の電柱に激突して半回転してボンネットから煙を吹いて止まっていた。前半分は原型を留めていなかった。

 それからすぐに楓の父親がその事件現場に訪れて悲哀に暮れることになるんだが。結局、その父親は愛人の元に行っていたらしい。その日、香住は楓達と父親を呼び出して話し合いさせることにしていたんだ。

 そして、それから香住探偵事務所はすぐにあの建物から去っていったよ。

 それから2ヶ月後からそのビルに楓とその母親の霊が目撃されるようになってテナントは空になっていった。

 …彼女は生まれる運命じゃなかったんだ。死ななければいけなかったのか。寂寥に包まれた運命だよ」

 そして、マスターは潤んだ瞳を乾かしながらグラスを磨き出した。

 「私は思うんだよ。この世には善悪に関わらず死ななければならない運命を背負った人間が存在するのだと。彼女がそうだったんだ。勿論、人は皆必ず死ぬ。私の言っているのは極端に寿命より早く死ぬ者という意味だ」

 龍久は話が終わる頃にはすっかり飽きて頬杖をついて目をとろんとさせていた。マスターは冷めたコーヒーを下げて新しく入れ直して龍久の前に出した。

 「その他に自殺事件があったと思うんだけど、その話をしてくれるかな?今度は手身近にね」

 すると、彼は難しい顔をして後ろをむいてグラスを1つ取り出した。

 「これはあるお客さん専用のものでね」

 「へぇ、自分でグラスを持ち込んだんだ」

 「こいつだとどんな酒もうまいってね」

 それを拭きながら思い出すように視線を空中に向けた。

 「北条光ノ介だね。…ここってアルコールも出すんだ」

 「ああ、元々ここはショットバーだったんだよ。喫茶店となった今もそのレパートリーは名残として残している。…ところで、北条さんの話だね。彼は探偵事務所が移転して数年後にやってきた。そのときはテナントは空でしかも幽霊騒ぎでかなり安く借りられたからね。どっちみち彼には幽霊は問題じゃなかったし。そう、あそこに来た理由は自分の死に場所を求めてのことだったのかもしれない。詳しい理由は分かってないが、ある人は本人の口から「悪魔が目覚める。この世は終わる」とうわ言のように言っていたらしい。まぁ、発狂していたんだろうね」

 「大体分かった。ありがとう」

 残ったカップの中身を一気に飲み干すと龍久は1万円札をカウンターに置いて後ろ手で手を振って出口に向かった。そして、振り返りざまに、

 「つりは話代ね」

 そう言い残して去っていった。


 車に乗り込んだ龍久はオールドフォレストホテルに向けて車を走らせた。すっかり闇が辺りを包んだ大分経た頃に山奥の道に辿り着いた。その時には雨がどしゃぶりになっていた。そのまま快調に調子に乗ってスピードを上げていると、突如左にそびえる斜面から土砂が雪崩落ちて来た。なおも彼は冷静に右の対向車線に移り重い切りアクセルを踏み込んだ。

 車はけたたましい音を上げて土砂とガードレールの隙間をぎりぎり滑り込み次の急カーブの手前で車体を横に滑らせて止まった。龍久は何もなかったかのように口笛を吹いてサイドブレーキにしっかり握られた手をゆっくりと解いた。車を出て雨のシャワーを浴びながら後ろを振り返ると土砂が道路を封じていた。

 ふと、ガードレールの側に何かが目に入った。歩み寄ってみると、そこには白い服を着た人形が足を投げ出していた。龍久は軽く人形を押すと心を突き刺す悲鳴が響いた。それをも軽く受け流すと、その寄り掛かっているガードレールの下を覗き込んだ。そこには男性が1m下の傾斜の底に倒れていた。

さっとガードレールを跨いだ龍久は土剥き出しの斜面を滑り降りてその男性を抱き上げた。彼はゆっくり息を荒げて瞳をゆっくりと開き龍久を見た。まだ、衝撃が取れていない為か視界の下半分が真っ白だ。立ち上がろうにも平衡感覚が掴めず龍久に倒れ込む。それを受け止め背負ったまま彼は崖を這い上がりアスファルトに腰を下ろした。

 雨の中、煙草の煙は奇妙に広がって溶けていった。

 「貴方は、…多神たつ(・・)ひさ(・・)さん?」

 彼は無言を破り無気力な表情を笑顔に戻した。

 「あれでりゅう(・・・)く(・)って読むんだけどね。井波創生さんだったっけ。大分前のうちの出版社 の対談ぶりだね。でも、どうしてあそこで寝てたんだ?」

 彼は自分がここに来た事情を全て語った。

 「へぇ、あの館がねぇ」

 龍久も自分の調査したことを話した。お互いに情報交換をして色々と分かってきたと龍久は思った。

 「全ては月夜見の館にあり、だな」

 創生は落ち付きを取り戻して目の前の道路に目をやり愕然とした。

 「私の車がない!」

 彼が気絶していた間に人形を置いた誰かが車を奪ったのだろう。

 「俺の車で送るから」

 彼らは龍久の車でホテルに向かうことにした。時はすでに5時を回っていた。

 大雨の中、やっと屋敷に辿り着くと創生は思わず大声を上げた。何と駐車場に創生の車が乗り捨てられていた。すぐに車を降りると駆け寄ったが、とりあえずは無傷で何も盗られていないようだった。

奇妙なことに創生は気付いた彼は思わず息を呑んだ。西の屋敷の入り口が開いていた。車を降りた創生は追い駆ける龍久を構わずにスチュワート一家の住まいの屋敷の中を覗いた。そこには至る所に人形が沢山飾られていた。

 「隣りは絵画の館だと、こっちは人形の館だな。それにしても気持ちの悪い場所だよなぁ。やたらこれだけリアルな洋風人形が並んでいると胃の辺りがむかむかする」

 龍久が表情を歪めると創生は玄関から足を踏み入れずに踵を返した。

 「行こう。ここは私達のいるべき場所じゃない…」

 「賛成。よくこんな所に住めるよな。行こう行こう。俺、疲れて体中痛いし」

 ホテルの建物に2人が向かってすぐ後に人形の館はその口をゆっくり閉じた。



                  もう1つの事件

 連牙から頼まれて龍久が親友の失踪捜査をしていることを聞いていた、同じく高校の同級生、節草凛(ふしくさりん)は起きたばかりでぼうっとしている時にあることを想い出していた。2年前の出来事だった。 大学時代のテニスサークルの先輩の石神(いしがみ)(まこと)は凛と待ち合わせをしていた。大学近くの喫茶店で1時間は待っただろうか。それがとうとう現れなかった。おかしいと思い彼のアパートに掛け付けた。玄関のドアは何故か鍵が掛かっていなく簡単にノブは回った。恐る恐る中を覗いたが彼はどこにもいなかった。彼の机の上にはただカメオのブローチだけが残されていた。


 彼は凛と親しくなったのは凛がサークルに入って1週間が過ぎた頃である。誠が部室で小説を読んでいた。練習が終わり親友の菊元(きくもと)靖也(せいや)を待っている時はいつも愛読書の井波創生の小説を読んでいた。それを最後まで片付けを終えて部室に入って来た凛が見て驚いた。その作家の著書を持っている者は周りで見たことがなかったからだ。それでうれしくてつい彼に話し掛けた。

 「それ、井波創生ですよね。大ファンで全てのシリーズ持ってますよ」

 それから色々話をするようになり、何でも話を交わす仲になっていった。


 しばらくブローチを眺めていると、誠の親友の靖也が大学卒業以来、連絡さえ取ってなかったのに凛の携帯電話に突然連絡をしてきたのだ。凛は不思議そうに彼の声を待った。靖也は動揺を隠し切れずに震える声をやっと発した。

 「ま、誠が死んだ…」

 凛にはそれが冗談のように聞えた。体が強張り心臓が夢の中のようにぼんやり、しかし激しく動いている。


 靖也の話では、誠は車で靖也とその他のサークルの後輩の小高(こだか)早太刀(さだち)と埼玉の秩父地方に旅行に行った時のことだった。ある採石場で早太刀は車を急に止めた。

 「どうしたんだ?」

 誠の質問にゆっくり岩肌を眺めながら答える。

 「ここは昔、海だったんだ。秩父湾で隆起してこの山々が出来たんだ。で、あの岩肌は海底が隆起してあの岩壁ができたんだ。あれは海底にできた波の痕、リプルマークの化石。この山は無化石層で砂泥互層なんだ」

 「それで、この採石場はそれで放棄されたのか」

 「まぁな。ちなみにこの層を発掘することは犯罪になる。あまり触らない方がいいぜ」

車を止めて3人は山道から採石場に入る。道路の反対側には崖があり、その下には川が先日の雨で早い水流を表わしている。

 「どうして知っているんだ?」

 靖也の質問に彼は煙草に火を付けて答えた。

 「俺、高校の時に地学部だったんだ。しかも部長でね。で、そんな研究で国展までいったんだぜ」

 肌寒い空気に身を震わせて早太刀は大きく息を吸った。

 早太刀の親戚の別荘に泊まり掛けで遊びに行く途中であった。車に戻るとエンジンを掛けた。すると、路地にある女性が歩いて来て車の前に立ちはだかった。駅から歩いて20分程の場所でこの近辺には店すらない。

 「誰なんだ?」

 靖也がそう口走ると誠が言う。

 「そんなこと訊くなよ。知っている奴いる訳ないだろう。変質者だろう」

 確かに様子がおかしい。朦朧としているというか、夢遊病者のように目が虚ろである。意志さえあるかどうか疑問である。早太刀はバックさせて女性を避けようとするがなおも車の前に駆けて来る。

 「何なんだよ、どけよ」

 堪らずウィンドウを開けて靖也が叫んだ。女性は不気味に微笑み持っていたカバンを抱えた。誠は不安そうに隣りで汗をかいた手でハンドルを握る早太刀に視線を移した。

 「サダ、振り切れるか?」

 「やってみる」

 バックのままアスファルトに出るとそのままバックしていく。この道は滅多に車は通らないし、歩行者も見ることはない。それに早太刀はそれなりのドライブセンスがあった。彼はウィンドウだけで正確なバックをすることができた。素早く正確に車庫入れも可能でそれなりの空間把握能力があった。感覚80%で走っていると言っても過言ではない程である。

 だが、不運にもこんな時に限って後ろから車が来ていた。Uターンが苦手な早太刀は意を決して車を止めた。前からは謎の女性が走って来ている。避けて先に行く勇気はなくハザードランプを付けてエンジンを切った。

 「それしかないか…」

 諦め交じりに誠はそう呟いて恨めしそうに前方の人物に目をやった。

 「それにしても足が早くないか?本当に人間なのか」

靖也の言葉は的を射ていた。異常な素早さで一気に車に追い付く。後方の車が追い抜いていく。女性がドアの所まで来ると誠はドアを思い切り開いた。彼女はそれに当たることなくあっさり避けた。彼女の抱えるカバンには奇妙な人形がちょこんと顔を見せている。

 「何が目的だ?」

 彼女は何も答えることはなかった。ただ、無表情で感情のないように手を伸ばした。それを避けて車から降りると駆け出した。その女性も後を追う。その女性はすぐに追い着き力強く誠を押した。彼はガードレールを乗り越えかなり急な崖を転がっていった。靖也達も車から飛び出し崖下を見たが、すでに木々に彼の姿を隠されてしまった。

 川面に何かが飛び込む音がした。誠が落ちたのだ。

 「誠!」

 少し離れた橋の所まで行った早太刀は下に乗り出すように覗き込んだ。しかし、水面には何1つ見ることができなかった。下に下りられそうな所を探すが、河原に下りられる場所は近くにはなかった。

靖也は早太刀とは別に先ほどの女性を探した。誠を崖下に突き落した後に姿を消してしまった。早太刀が橋の方から駆け戻って来ると靖也と呆然と顔を合わせて少しの間金縛りに遭ったように動かなかった。しかし、すぐに車を下流に走らせ、靖也は携帯電話で警察に連絡をした。


 凛は靖也の話を頭の中で整理した。現在、世間を騒がしている失踪事件とは関係ないようだ。あれから2年も時を経ているのに彼が無事なのは考えにくかった。あれから警察は犯人の女性も誠も発見することはできなかった。遺体でさえも。

 ―――何故、先輩は狙われたのだろうか。女性の動機は。

 全てが闇の中であった。でも、自分に何かできないだろうか。凛は溜息をついて机の上の手帳に目を落す。誠が襲われてから彼を探す為に捜索した情報を書き込んでいる。しかし、そこからは答えは現れなかった。

 秩父に誠に関係しているものは何1つなかった。誠に恨みを持っている者も見当たらない。結局、秩父まで行った甲斐もなく大して手掛かりを得ることはできなかった。

 いくら机上の空論を脳裏に巡らせたところで何も始まらない。手帳をバックパックに放り立ち上がった。すると、机から1枚の紙切れが舞い落ちた。それは自分が持っているはずもない、見たこともない古紙である。それには文語体の英語が満たされていて異様な雰囲気を発している。

 何故かそれが誠の事件に関係しているような気がしてそれを摘み上げた。すると、机の下に紙袋が落ちていた。

 自分宛の宅配便。しかも、振る臭い大きな書籍である。包装を乱暴に破ると仲には中世のスコットランドのものであった。表紙には著者の名前が記されている。ALLAN STEWART。見たことも聞いたこともない人物であった。

 送り主の名前は北条恭子とある。…やはり知らない人物であった。何故、この本を送って来たのだろうか。本の内容もよくわからなかった。そして、よく見ると伝票は2重に貼ってあることがわかった。上の伝票を剥がすと凛は驚愕に身を震わせた。

 送り主が北条恭子で受け取り人は石神誠であった。北条恭子が彼の事件の鍵を握っているに違いない。でも、彼女は何故1回誠に送られたものを凛に送ったのか。

 訳が分からなくなってきたのでしばらくぼうっと本を眺めて気持ちを落ち付かせることにした。筆記体の英語は大学を卒業した凛でさえうまく読みこなすことができない。しかし、挿絵から何かの人形を作る方法が書かれているらしいことが推測できた。その合間に出てくる儀式の印や絵が気にはなったが。

 これが何を意味しているのだろうか。

 ―――恭子と自分は誠でつながっている。自分は誠と親しい。現に大学を卒業してからも連絡を取り合いよく遊びに行っていたのだ。すると、彼女は誠に渡した本を誠が活用できなくなったので自分に送ってきたのだろうか。

 考えていてもしかたない。凛は首を横に振って北条恭子と連絡を取ろうと伝票に書かれている電話番号に携帯電話を掛けてみた。

 ツーツーツー…。

 通じない。話中なのかそれとも通じていないのか、それとも…。

 次に伝票に書いている住所をメモすると、とにかく家を飛び出した。近くの漫画喫茶でインターネットをして、その北条の住所の検索をした。東北の某県某村の山奥である。とにかく、その近くまで行ってみることにした。


 最寄の駅まで辿り着くが、そこからはバスになる。バスの終点のバス停まで行く頃には夕暮れになっていた。バス邸の時刻表を見ると1日2本であることに唖然とした。

 そこから、どこへ行けばいいのか途方に暮れていると山肌に石階段が姿を現した。きっと、社には誰かがいるだろう。長い段を見上げて息を飲むと思い切り走り上った。苔だらけの歪な石段は足を取られそうになる。脇の林が行き先に影を落し心細くなる。

 凛は不安を感じることがあった。パニック症ではないが畏怖というよりは極度の緊張に近い心の病である。しかし、不安剤で安定させていた。それがこの空間が凛に畏怖に近い不安の影を落し始めていた。

 頂上に辿り着くと胸を掴んで息を荒くして立ち尽した。みぞおちに空気を吸い入れるように足掻き近くの石に腰を下ろして地面を見つめた。落ち付く頃にはすでに鮮やかな星空が頭上に広がっていた。再び足元に顔を向けて息を無理やり整えようと努めた。

 しばらくすると乾いた足音がゆっくり近付いてきた。視線を上げると見なれぬ男性であった。神主かと思い凛は深々と頭を下げた。

 「綺麗な星屑ですね」

 彼は凛の隣りの石に腰を掛ける。

 「この辺りに民家か建物はありますか?」

 「そうですねぇ。昔は民家がぽつぽつとありましたが、今はホテルだけですね」

 「ホテル?」

 彼は石段の左の方に手を差し向けた。

 「こちらの方に2つの屋敷が繋がった形の建物があります。そこへの道はわかりにくいですが、まぁ、手前の道からでも明かりが見えるので分かりますよ」

 そして、立ち上がると腰を叩いて彼は言った。

 「覚えて置きなさい。火を手元に忍ばせておきなさい」

 それが何を意味しているのか分からなかった。

 凛は礼を何度もして石段を下りていった。星が1筋涙のように流れていった。凛の姿が見えなくなると男性は振り返って言った。

 「これでいいんだね」

 すると、木陰から1人の青年が現れた。彼は真剣な顔で頷いた。

 「あいつは自分で何とかするだろう」

 星達でさえも知りえない運命の歯車の動きが歪に回り続けているのだった。


                   隠し通路

 翔は視線を上げて玄関のドアに凝視した。すると、2人のずぶ濡れの男性が入って来た。そして、死体を前にした翔、勇兎、そして真奈美のいる現状を見て一瞬で状況を把握して動き始めた。2人の男性の1人、龍久は倒れた男性を確認する為に屈んだ。

 「この死後硬直の様子から死後30分というところかな」

 彼らの冷静な行動に面食らっていると次々と処理が事務的に進んでいった。もう1人の男性、創生が帰ってきてエントランスにいる全員に次のことを告げた。

 「警察はこの大雨の土砂崩れでここに来れないらしい。道路の復旧には明日いっぱい掛かるらしい」

「とりあえず、現場確保だ」

 だるそうに龍久はロビーの奥の倉庫から蒼いビニールシートを出してきて、仕事の都合上いつも持ち歩いている自分のカメラで現場写真を撮った後に、遺体にさっと被せた。

 「これからどうする?」

 龍久が創生に訊いた。すると、創生は悩み始めた。そこに翔が立ち上がって言った。

 「とりあえず、奥のレストランに全員を集めるんだ」

 食堂は階段の右手、中庭に面したところにあった。外からは朧げな朝日が静かに差し込んできた。


 香住(かすみ)愛香(あいか)はエントランスの階段の奥の掃き出し窓から望める中央部に位置する中庭で幼馴染の細波(さざなみ)明日馬(あすま)と木製のテーブルを挟んでベンチで早朝の空気をだらだらと会話もなく眠たそうに過ごしていた。

 昨晩の雨はすでに止んでいて曇り空から2本の日のスポットライトが、幻想的に地に注ぎ立っている。ベンチとテーブルはまだ濡れていたが明日馬が持って来たハンドタオルで拭き取っていた。

 すると、突然アンニュイな愛香は頬杖をして庭の中央部の子供の天使のラッパから噴き出る水を眺めている明日馬を見つめ始めた。噴水から視線を愛らしい愛香の大きな瞳に移した彼は頬を紅くして目を反らした。

 「何だよ」

 すると、彼女は悪戯っ子の表情で歯を見せた。

 「照れてるぅ」

 「五月蝿いなぁ」

 ころころと笑って愛香はウェーブのかかったショートヘアをいじり始めた。

 「それより、こんなところでのんびりしてていいのか?レコーディングは?」

 「1週間前に終わりましたぁ」

 彼女は明日馬を見ずにそう軽く鼻にかかった声を放った。

 「取材は?」

 「来週だもーん」

 「もしかしたら、お前仕事が厭になって逃げ出したんじゃないか?お前、そういうところあるし」

 「だったら、明日馬を誘ったりしないもん。それに今度のオフは2日ももらったからね」

 そう言って舌を出しておどけて見せた。明日馬は大きな溜息をついて呆れた視線を愛香に注いだ。それは憂いの色を含んでいた。彼女は鮮やかなネールアートを眺めている。

 「変な奴。これが世間に話題の女子高生のカリスマねぇ」

 「変じゃないよぉ」

 そして、彼女は甘えるように顔を近付けて突然次の言葉を放つ。

 「何か、喉乾いちゃった。ジュース持ってきて」

 その様子に明日馬は溜息をついてあえて言いたい言葉の8割を押し殺した。

 「それって僕に色目使っているつもりか?お前のファンならともかく僕には無駄無駄」

 そして、中庭の中央の池を右手の親指で後ろ手に差した。

 「あんな水飲めないでしょー」

 「分かってやってるんだよ。本気にとるなって。…そう言えば、どうしてお前はボーカリストになろうって思ったんだ?昔っから一緒にいたけどそんな気配見せなかったのに。しかも、お前って熱しにくく冷め易いし。流れるままって感じで積極的じゃないだろう」

 すると、急に真面目な話に面食らった愛香は妙な間を置いて面倒くさそうに前髪をいじりながら思い出話を始めた。

 「最初は話す声、言葉を話す為の声でしか歌えなかったから、今みたいに普通にカラオケでさえ歌えなかったんだよぉ。でも、ある歌手の真似を始めてから安定した声で歌うことができたの。声を引っ掻けるような感覚をものまねで身に付けてから歌声に安定と大きな肺活量を持ったの。それを歌い込んでもっと安定出来るようになったら、今度は広い音域を歌えるように練習したの。今ではかなりのオクターブも裏声も操れるようになったよ。そして、鼻に通す歌声も喉を少しも引っ掛けないで歌うことも、何パターンも歌い方ができるようになったんだぁ。ちょっと普通と違うのは、喉で声を反響させたり体や頭を振動させるような歌い方だから、1通りの音じゃないのよ。音楽に近い歌ね。だから、声によっては喉や頭がすごく振るえることがあるよ。シャツの襟が振動で揺れるのを感じることもあるし。きっかけって些細なのよ。最初カラオケで歌えなかったじゃない。それ以来、歌うことが嫌で避けてたんだけどぉ、ある日、歌のうまい親友に指摘されてそれがくやしかったから。」

 彼女は今までのことを思い出しながら語り始めた。さらに話を進める。

 「歌って楽器演奏の延長なの。言葉という音の出る楽器ね。だから、声は安定してないと駄目。ハモリ・コーラス・ボイパ・スキャット・ハミングがいい例ね。リズムに乗って楽しく波のようにね。詩や言葉の意味は二の次なの。でも、言葉も大切よ。歌は演奏と違うのは言葉の意味でもっと歌い手や作詞家の気持ち、心を運べるし伝えられる。より多くの気持ちを詩で運べるしね。でも、忘れちゃいけないのは歌は音楽なの、演奏の1種なの。だから、詩に重さを置いちゃ駄目。詩のリズムのいいように区切り、言い回しも文法を無視してもいいの。極端な話、意味のない歌詞でも音楽として韻を踏んだりリズムがよかったりすればいい曲よ。日本語より英語の方が音楽はよく感じるのは、英語がリズムのいい流れるような、音楽のような発生だからだって」

 「お前がそんなに理屈を語るとはな。それに文法的で固い文語英語じゃなくて、今の話言葉の英語は文法できっちりしてないから、音楽の音、詩にしやすいの。ぷつぷつの日本語よりも滑らかだし。民族的違いであまりそう感じないかも知れないけど。…そういうことだろう」

 明日馬がそう口を挟むとむすっとしたが、すぐに彼女は舌をちょっと出した。

 「まぁ、今のはお母さんの受け売りなんだけどね」

 「英語は喋り言葉から文字ができたけど、日本やアジアの言葉は書き言葉から喋り言葉ができたけどね。…え、勿論作り話だよ」


 すると、明日馬は気配を感じて振り向いた。屋敷から砕牙が中庭に足を踏み入れてきたのだった。彼は愛香を護るように立ち上がると砕牙は腕を伸ばした。

 「俺はミーハ―じゃないし、歌姫などと持て囃されているヴォーカリストに興味はない」

 そして、噴水のところまで行き館を見渡した。全体的にシンメトリーの台形の底辺のない形であり、西の館もおそらく同じ形であろう。背後の開いた方には森が広がり山道に至る。

 明日馬達は不思議そうに砕牙に視線を注いでいる中で、彼は煙草を吹かし始めた。すると、屋敷の方から心を突き刺すような女性の悲鳴がエントランスの方から響いた。砕牙は煙草を噴水の中に投げ入れると急ぐ様子もなく悲鳴の方に向かっていった。


 砕牙が駆けつけるとエントランスでは見知らぬ男性達が遺体の周りから階段下の中庭入り口の方に歩いて来ていた。そして、翔と真奈美がそれに続いていく。砕牙が近付くと真奈美が真っ青な表情で手身近に説明した。そして、一緒にレストランに向かった。

 レストランはコックが1人、ウェーター1人の洋風食堂といった感じであった。彼らは空いていた中央のテーブルを囲んだ。翔だけは奥の席で腕を組んで目を閉じている。勇兎が遅れて仲間を連れてやってきた。 彼らは各テーブルについて創生は手短に話しをした。ウェーターは話を理解して老ホテルマン清三を連れて来た。と同時に明日馬と愛香も合流する。

 すると、レストラン内は騒然となった。今、注目されているヴォーカリストが入って来たのだから無理もない。寄って来ようとする者達を妨げるように耕平が注意して、愛香達は少し離れたテーブルについた。ガラス張りの向こうには中庭が望める。曇っている為に淡い光で薄暗く全景を見せていた。

 「で、勇兎。葵と瑞穂は?」

 砕牙の質問に勇兎は首を横に振り視線だけで真奈美に尋ねる。彼女は髪を掻き上げて重い口を開いた。

 「昨日、着いてから2人の姿はなかったよ。葵ちゃんはこの屋敷を探検するって言ってたっけ。みずっちゃんは何も言ってなかったけど、気分転換かな」

 浩次は勇兎の向こうの孝一の顔を見た。彼は知っていたのだ。孝一と瑞穂が深い信頼関係の親友であることを。案の定、孝一は落ち込んで真っ青になって俯いている。2人は殺人鬼のいるこの屋敷で無事なのだろうか。もしくは、彼女達のどちらかが殺人鬼なのだろうか。

 油脂のついた眼鏡を上げて浩次は次にここに持って来た愛用のノートパソコンを取り出した。これは新古で買ったものでA4サイズで重かったが画面の質と大きさを拘った結果である。パソコンはPC98でベーシック言語で簡単なプログラムを組んで遊んでいた頃からパソコンが好きであった。彼のホームページでさえ、かなりのプロテクトの為に重くなっている。大学ではワークステーションがかなりの量存在して、学生1人1人にパスワードとIDが与えられていた。しかも、彼の所属していた学科は学部の他に学科のID、パスワードも持つことができた。

 大学で彼は授業の他にも暇があれば電算室に入り浸っていた。勿論、空調や清潔さが完璧で過ごし易いところでもある。その所為で部室には仲間の中で1番過ごす時間が短かった。

 パソコンにモデムケーブルをつなぎ自分の携帯電話に取り付けてインターネットに接続した。ブラウザ―を開くと彼は色々探り始める。

 それを横目で見ていた勇兎は熱中している浩次に質問をぶつけた。

 「え、この屋敷について調べているんだ。これだけ古いからそれなりにネットに載せている人もいるかもってな」

 すると、あるサイトに奇妙な情報を見ることが出来た。それはCGI、それもチャットで語られていた。屋敷系のオカルトサイトの掲示板である。


 デビル:失踪事件はホテルに集約する。

 カルト:例の話題の事件?

 ジン:犯人の居場所は東北の山奥の屋敷。

 デビル:失踪じゃない。拉致だ。巧妙に幽霊騒ぎを盾にしてね。

 カルト:何で知っているの?

 ジン:3日前、カジノとドールの話をしていたんだ。

 デビル:ドールは半年前頃かな。カジノ達の話を聞いて逆上していたことがあったんだ。

 ジン:カジノ達は数年前にある人物を死に落し入れた。直接、手を下してないがそう仕向けたらしい。

 デビル:それがドールはカジノが自分の姉を殺したと思い込んだんだ。

 ジン:そして、3日前にドールはカジノ達を失踪事件に見せ掛けてある屋敷に誘き寄せたらしい。幽霊騒ぎを利用して。


 浩次はそのチャットに参加することにした。

 探偵:その話、詳しく教えて。


 すると、ジンというハンドルネームの人物はチャットルームから抜け出した。

デビルという人は最初は疑念を抱きあまり話してくれなかったが、自分がその屋敷にいるかもしれないと告げると興味を持ってくれた。

 彼、或いは彼女の話ではその誰かを死に追いやった話の時にチャットの裏でメッセンジャーでドールとカジノは話をしてドールはカジノから詳しい話を聞き出したんじゃないかとのことだった。

 「でも、正体が分からないカジノをどうやって見つけ出したんだろう?」

 すると、浩次は自信ありげに瞳を光らせた。こうなるともう彼の独壇場である。パソコンを仕舞うと語りが始まった。

 「チャットのコメントの後ろに4つの数字が並んでいただろう。あれはIP、つまり、コンピューターの住所なんだ。少し技術のある奴なら自分のサイトに入って来たもののIPをも突き止められるんだぜ。そして、IP、電話線でそのパソコンのある場所、下手すれば個人情報まで手に入れることができる。ある女性がネットで反感を買った者に家まで来られて殺されそうになったこともある。ネットは犯罪と耐えず隣り合わせなんだ。

 それにハッカーはホームページの書き換え、タグによる掲示板やチャットの荒らし、カウンタークラックから、メッセンジャーやメールの内容も見ることが出来る。例え、何重ものプロテクトをしててもね。官庁のファイアウォールでさえ抜ける者も存在する。

 ネットやってて知らない人から変なメールが届いたり、メールの内容を知られていた経験はない?」

勇兎は理解できずに首を横に降ることしかできなかった。更に彼の話は続く。

 裏の世界、アンダーグラウンド、UGって言うんだけど、そこでは犯罪依頼も平気で行なわれている。ホームページの破壊の目標に掲げられたり、襲うこと、殺人の依頼までね。警察もやっと動き出したばかりでサイバー犯罪を捜査し始めているけど、到底手が回ることはない。しかも、例え力をつけてもイタチごっこになるのがオチさ」

 「荒木さんってハッカー?おたく?」

 「馬鹿言うなよ。ただ、ちょっと知識があるだけだって」

 しかし、勇兎は分かったことを整理した。ドールとカジノがこの屋敷の中の誰かである。そして、ドールは殺人犯でカジノとその仲間はドールの姉を死に追いやって、今は死のターゲットとなっている。息を飲んで現在レストランの中にいる人達に視線を巡らせた。一連に関係している人達の共通点は何だろうか。この中の人物に共通点はあるのだろうか。顔見知りがいるのだろうか。自分達、サークルの仲間以外で…。結局、彼の脳裏に結論は浮かばなかった。彼は救いを求めるような視線を少し離れた場所にいる翔に注いだ。


 従業員はあの老人風見清三のみらしい。よくこれでやっていけるものだと創生は感心した。まぁ、宿泊客もそれなりに少ないのだろうけど。彼は清三に他に客がいないのか尋ねた。

 「はぁ、あと3人いらっしゃいますが、今はどなたもお部屋におりませんでした」

 「ちょっと、宿泊リストを見せて下さい」

 老人は頷いてロビーに向かい1冊の冊子を持って来た。すると、気付くと翔も側の席についている。

 あとの葵と瑞穂の他の3人。

 今井(いまい)修平(しゅうへい)。清三の話では彼は20代後半らしい。1人で訪れている。

 樫崎(かしさき)舞子(まいこ)。彼女も20代後半から30代前半くらいらしい。彼女もまた1人で宿泊している。

 君島(きみしま)定明(さだあき)。詳しい年齢は想像つかないそうだ。どうも、見た目が老けているらしい。会話の内容から小説家らしいがなかなか掴みどころのない人らしい。彼は意外に大きな荷物を持ってきていたとのことだ。

 いずれも本名か偽名かは分からない。しかし、彼らはどこに行ってしまったのだろうか。何故1人でこんなところに来ているのだろうか。隠れて誰かと待ち合わせをしたのだろうか。それとも…。

 翔は清三に真奈美の姉について訊いたが、彼女らしい人物は過去も今も訪れていないらしい。ここに来る前に姿を消したのだろうか。それともこの老人が嘘をついているのか。誰にも知られずにここに来て消えてしまったのか。

 いずれにしても謎が謎を呼び深まっていく。創生は頭の中を整理した。

 失踪事件、屋敷の秘密、殺人事件。どう考えても何1つ解明できなかった。


 欠伸をしてその光景を見ていた龍久はさっと愛香と明日馬のテーブルに移って愛香に笑顔で話し掛けた。

 「俺、ライターなんだけどぉ。取材させて」

 すると、明日馬はあからさまに表情を歪ませたが構わず意外に愛香は頷いた。そして、不躾に遠慮や配慮を無視して質問を放った。

 「で、歌手になろうとしたきっかけは?」

 愛香は少し考えたがすぐに言葉を並べ始めた。

 「始めはよくカラオケでみんなによく驚かれたの。話し声と歌い声が違いすぎるでしょ。でも、それは発声方法が違うから当たり前なんだけどね。私だって違って聞えるもん。それに、自分の話し声って実際に聞くのと話をしているときの自分の声と違うじゃない。でも、私の歌声って自分に聞こえる声と実際の声が一緒なの。体の響きで聞える声より発声して耳から聞える声の方が大きいからかな。で、みんなによくうまいって誉められるのよ。最初は自分では下手だ、音を外してるって思ってたんだけど、その内調子に乗ったって訳。元々耳から聞いた音楽を再生できてよくキーボードで弾いていたくらい音感はある方だったけど。で、親友と一緒に共通の友達の音楽事務所の人とカラオケに行った時に誘われたの。ほら、お母さんの影響で業界の知り合いに小さい頃から囲まれていたから。あの子も結構カラオケが上手くて調子に乗っていたからね。で、2人で事務所に所属したんだけど、プロって甘くないのよねぇ。心構えとか根性とかも必要だし。で、あの子はやめちゃった」

 すると、明日馬は堪らず口を挟み突っ込みを入れた。

 「お前だって心構えどころか根性なんてないだろう。ただ、愛には天性があって愛夢にはなかったんだ。実は僕はあいつから相談されたことがあったんだ。親友にも相談できないってね。で、そのことを相談された。結局、僕は本人に判断させた。その結果、あいつはやめた」

 遠くでその話し声を聞いていた唯香は耳を傾けた。確かに『愛夢』と聞えた。あの自分達の知っている愛夢だろうか。

 「君は随分その親友に好かれていたんだね。信頼と言い変えた方がいいかな」

 明日馬は龍久の言葉に何も答えなかった。彼は構わずに次の質問に移した。

 「デビュー当時ドラマに出てでしょ。メインキャラじゃなかったけど」

 「光山(こうやま)の彼女役だぁ」

 明日馬がつい口を挟んでしまう。それも気にしないで龍久は配られて来た朝食を1口放り込んでから言う。朝食はホテルのサービスでレストランにいる全員に配られていた。

 「ドラマ?そう、初めて演義をしたのは中学生の学園祭の劇だったよ。主役の親友、準主役に推薦されて一番台詞の長い役なの。体育館に500人以上もお客さんが入っちゃってね。流石に緊張しちゃった。いくら私が目立ちたがり屋でも、本当は私って恥かしがり屋なんだもん。1度しか客席を見渡せなかった。で、しかも劇のクライマックスで主人公に10何行も台詞を話すシーンで緊張のあまり頭の中が真っ白。でも、口から独り手に正確に台詞が出て来たのよ。あれは自分でも不思議だったなぁ。でも、それから劇は慣れたよ。もともと、自分の人格に別の人格を持って来たり、自分の意志や心境、感情を無視して行動することもできるし」

 すると、地獄耳の龍久は取材した手帳をジャケットのポケットに納めて降り返った。聞き耳を立てた方には、1人じっと沈黙を続け何か怯えていた青年が勇兎にある言葉を囁いていた。

 「これは呪いなんだ。皆殺される…」

 砕牙は謎の青年の側に来て鋭利な視線でやっと聞える声を上げる。

 「何か知っていることがあるなら、はっきり言え。お前だけじゃなく皆殺されるかもしれないんだろう?」

 「そんなに強く言っちゃ駄目ですよ」

 勇兎は宥めるように青年の顔を覗き込むが、彼は畏怖に囚われそれ以上言葉を吐くことはなかった。龍久は興味を持ち、取材を打ち切って愛香に愛想を振り撒いて勇兎の側に寄って来た。

 「ねぇ、君。何か知っている?」

 しかし、見ず知らずの怪しい男性に説明をする気分には誰もなれなかった。砕牙は遠くに離れて勇兎は人見知りを発揮して首を横に振った。溜息をついて龍久は窓の向こうの噴水を眺めて呟いた。

 「あらあら、嫌われちゃったようだねぇ」


 「で、オーナーとその母親は?」

 創生の質問に清三は慌てて口篭もってしまった。そして、西の屋敷に視線をやって呟く。

 「西のお屋敷だと思います。でも、こちらとあちらの屋敷には玄関を通らないと行き来はできません。どちらにしても、ケート様、恭子様には関係ありません」

 それを訝しげに思い、清三もオーナー一家も何か犯罪に関係していると思った。

 ――あの部屋だ。密室で人の出入りのあった、そして連牙の消えたあの部屋なら西と東の屋敷を繋ぐ秘密の通路があるに違いない。

 創生は視線で龍久に意図を伝えた。すると、寄って来た龍久は全員の前でこのもやもやしたレストランの空間に打開の口火を切った。

 「こんな所で皆で肩を寄せ合っていても仕方がない。だけど、1人になることは危険だ。そこで、数人に分かれて行動をしようと思うんだけど」

 すると、砕牙が大声を上げて立ち上がった。

 「何をしようっていうんだ。外部犯か内部犯かも分からないし、俺達の知らない奴の仕業かもしれないんだぞ。歩き回って無事な保障はない」

 「確かにここで皆でいれば安全かもしれない。しかし、何の解決にもならない。それにここにいない人の安否は。数多い謎は。解決を求めないで本当に全てが終わるのだろうか。極端な話、ここに訪れた皆が犯人のターゲットにんっていたらここから抜け出せてもいずれ狙われる。どちらにしても犯人のターゲットは分かっていない。君達の誰もがターゲットでもおかしくない。今、ここで犯人を突き止めることは我々の安全にもなるんです」

 創生がそう演説に浩次も賛同する。立ち上がって独特の低い声を上げた。

 「今、話題の失踪事件とここの殺人は同じ犯人で同じターゲットだ。さっきネットで調べたから間違いない。今、ここで解決に乗り出さなければ、犯人は野放しだぞ。あの失踪事件でさえ警察は犯人を未だに見つけることはできないじゃないか。この屋敷に関係して、この殺人ゲームに関係していることさえ手掛かりすら見つけていないんだ。ここを脱出できてもまた狙われる。警察は当てにできない」

次に珍しく唯華が質問をぶつけた。

 「ここで犯人が見つかるって保障はないんじゃないですか?」

 すると、創生は頷き全員を見回した。

 「このホテルの周りに人の潜める建物、場所は?」

 清三が首を横に振ったのを確認して創生は確信を持って更に続ける。

 「つまり、人の潜める空間はこのホテル。そして、ターゲットを閉じ込めているこの空間に潜んでいるはず。外部から来るには封鎖された道路を通らなければならないし。そして、決定的なのは内部犯です。それも我々が把握している人間の中にいます」

 「どうしてそれが言いきれる?」

 鋭い眼光の砕牙に創生は穏かに答えた。

 「それは、この犯罪を行うのには都合がいいから。犯人はこの屋敷の中にいるはず。しかも、動き回って犯罪を行う。姿を誰かに見られても、自由にこの中を動き回るのもその方がいいでしょう」

 「それに」

 龍久が立ち上がって創生に続いた。

 「少なくても、俺達は複数いて厳重に警戒していれば犯人は迂闊に手を出せない」

 そして、翔、創生、勇兎、龍久は姿を消した者達の捜索を開始することにした。残った者達はお互いを護り、見張りながらレストランで待つことになった。

 創生はエントランスまで来ると早速連牙の消えた部屋の話をした。そして、そこに西と東の屋敷の今は塞がっている隠し通路があると推測した。

 彼らは2階に向かう。突き当たりの部屋に入ると全員で部屋を見渡した。

 「なぁ、もしここで連牙が消えたなら、あのじいさんは連牙が出ていったって嘘を言ったことになる。ホテル関係の人間全員が怪しくないか」

 龍久の言葉も全くその通りである。清三、コック、ウェーター、そして今は姿を見せていないケート、その娘の恭子とこの5人が何かを握っているのかもしれない。龍久は1点を見つめ始める。それはアラン・スチュワートのものであった。その絵画を捲りの裏を見た。一見何もないかのようだが彼は見逃さなかった。指をなぞり壁クロスの小さな段差を見つけると躊躇いもせずに押した。すると、大きな物音が響きソファの後ろ、絵画の掛かる壁が開き戸のように口を開いた。全員息を飲んでその光景を見つめていた。



                     続く

今回は長すぎてこの中に入らなかったので、前編、後編になってしまいました。今回の登場人物の探偵は昔に僕が書いていた小説から登場させました。

登場人物は既に次の世代になりつつあります。

後編も最後まで読んで下さいね。

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