コンビニ店員とヘビースモーカー
私は恐れていた。毎日同じ時間にタバコを買いにくる黒いスーツの男を。
私がコンビニでアルバイトを始めたのは、紅葉の色づき始めた10月後半の頃だったと思う。最初は前の仕事を辞めてから、次の仕事が見つかるまでの繋ぎのつもりだった。
しかし世は「不景気だ」「就職難だ」で職に就きたくても就けない人間で溢れかえっていた。私も、その例に漏れることは無かった。
アルバイトをしながら就活をこなし、就活こそが本職みたいな生活を続けて5カ月が過ぎようとしている。母からは「いっそ嫁ぎ先を見つけて玉の輿にのったら?」などと諦め半分の半笑いで言われる始末だ。
私の不器用さなど私が一番理解している。
齢24にして、いざ面接となると歩行時に右手と右足を同時に出すことなど朝飯前であるし、第一声で声が裏返ることなど茶飯事だ。このアルバイトに就けたのも、母親のコネによるものが大きいと思う。確実にそうだろう。
グチグチと考え事をしている間に、チキンが見るも無惨な姿になってしまった。大いに反省せねばなるまいと固く心に誓いながら、若干色味の黒くなったチキンを保温器に並べ、私は壁に掛かった時計を確認した。
時刻は午後4時になろうとしていた。私の勤務時間が5時までであるから、終業までのカウントダウンが始まった事になる。しかし、私の意識はもっと違うところに向けられていた。
店のガラス張りの壁から見える駐車場に、黒いステーションワゴンが停まり、中から夕方にも関わらずスーツを隙無くビシッと着こんだ20代後半くらいの男が姿を現した。
長くバイトを続けていれば、ある程度お客さんの顔は覚える。店の立地により使用する客層が限られるからだ。しかし、この男は別の意味で私の印象に強く残っていた。
容姿に特徴があるわけではない。とびきりイケメンでもなければ、ブサメンでもない。失礼ながらもランク付けをするならば〝中の中〟といったところである。ではどこがそんなに気にかかるのか、それは彼との会話の中にある。
男は店に入るなり、他の商品には目もくれず、まっすぐレジの前に立ち。
「セブンスター……」
男は、低く短い声で告げるのだ。
それだけであるならば何の変哲もない、タバコを買いに来ただけの人だ。
しかし私は内心で首を傾げていた。
(この間はメビウス、だったよね?)
昨日は〝マルボロ〟で、そしてその前は〝キャスター〟だった気がする。
男はいつも同じ時間に現れ、毎日違う銘柄のタバコを注文するのだ。タバコを吸わない私にとって、タバコを銘柄だけで注文されることは迷惑千万な行いだ。しかし相手はお客様。私は笑顔でそれに応じ、5カ月間の経験値を活かしながら、英字でセブンスターと書かれた白と金の色で構成された箱を即座に見つけ出す。ふっふっふ、これで私がいくら泣かされたと思っているのですか。いくら泣かされたと思っているのですか……!!
軽くタバコを見下しながら私はバーコードを機械で読み取った。しかし、年齢確認の表示を相手にタッチしてもらい、値段を告げたところで私は気付いた。
無言で袋に詰めようとした私の手に握られたタバコには〝セブンスター〟の他にも〝ミディアム〟と書かれていることに。ミディアムってなに? 同じ、同じだよね?
私は思わず男の顔を見た。幸いと言うべきか、男は気付いた様子も無く、窓の外の自分の車を所在なさげに眺めている。私はどうするべきか迷った。そして迷った事が行けなかったのだろう。単純に、男にことわりを入れレジを操作し直し、正しい商品を取り出せばよいのだが……。
「500円からお預かりいたしまして、40円のお釣りになります」
私は誤った商品をそのまま袋に詰め、釣銭を男に手渡していた。手を包むように両手を添えることを忘れない。どうだろう。今すぐ数秒前の過去に戻り、自分の頭を引っぱたいてやりたかったが、不幸にもタイムマシンはどこにも見つけられなかった。短く礼を言って去る男の背中に「ありがとうございました」と白々しく声を掛けた私は、男の開けた扉が閉まると同時にカウンターに突っ伏していた。私の胸の内を占める罪悪感と脱力感。
アイスを持ってきた小学生くらいの男の子が私の頭をポンポンする。慰めてくれるな。今はその優しさが私には辛いのだ。
それから翌日の事。昨日の失敗を引き摺った私はハローワークにも顔を出さず、昼近くに起きて手早くメイクを済ませ、そのままバイトへと向かった。よくよく考えてみれば、これまではいつも通りだ。
いや、普段はちゃんと就活しているよ? 新聞の求人情報とかマメに目を通しているからね。就活こそ本職と言っても過言では無いよね?
そんなわけで私は落ち着かない気持ちで仕事に挑んだ。昨日の男が怒鳴りこんでこないかビクビクしているのだ。この不安をどこかに打ち明けたい。そんな衝動に駆られた私の瞳に映るのは、私の焦がしたチキンを保温器から撤去している真紀子店長(47歳)だ。真紀子さんならなにかアドバイスをくれそうな気がする。
きっとこの悩みにも「そんなタバコ一つで怒る人なんていないわよ」と、快活に笑って私の心に安らぎと平穏を与えてくれる筈だ。だから相談してみた。
「アンタ、またミスしたの……?」
メチャクチャ怒られた。
タバコ一つでそんなに怒るものではないだろうと、私は唇を尖らせた。
と、真紀子さんの小言を真剣に聞き流しているうちに時計の針が午後4時を示していた。
ヤツが来る……!
扉が開くと同時に流れ出すメロディーが私を凍りつかせる。真紀子さんの言葉など耳に入らないほど、私の心音は跳ねあがった。
案の定、ドアを潜り現れたのは黒いスーツに身を包んだ〝あの〟男だ。
男の衣装が私にとっては喪服にすら思えるほどに、精神は切羽詰まっていた。男は真っすぐ私の立つレジへと足を運ぶ。きっと怒っている。目を見ればわかる。男の目には強い決意のようなものを感じるのだ。男はしきりに周りを気にしている。きっといつ大声を出しても周囲に迷惑をかけないための配慮だろう。ナイス気遣いだこんにゃろう……!
私は覚悟を決めた。
男が求めるならば、私は真紀子さんと共に土下座も辞さない覚悟だ。
男はきつく結んだ唇を何度か動かすと、絞り出したような小さな声で言った。
「……てください」
Why? 謝って下さい?
首を傾げる私に、言葉が通じなかったと感じたのだろう。男は何度も首を振ると、苛立ったようにカウンターに両手を着いた。ドンという音が響き、冷蔵庫からお茶を取り出そうとしたお爺さんがペットボトルを取り落とす。そのままそれを冷蔵庫に戻すのは勘弁してほしい。
しかしそのペットボトルの行方を気にしている余裕など私には無い。なぜなら男が身を乗り出し、真っ赤になった顔を突き出していたからだ。見るからに頭に血が昇っている。思わず私は身を引いた。握った両拳を胸の前に持ってくればどうだろう? 可愛いだろうか?
男が火山の噴火の如く叫ぶ。その内容は私にとって、想像以上ではあったが、とても衝撃を受けたという事実には変わりなかった。
「俺と……、俺と! 付き合ってください!」
男が高速で頭をカウンターに打ちつける。突き出された右手を茫然と眺め、私は助けを求めるように視線を泳がせれば、目があった真紀子さんがらくらくフォンを取り出し、どこかに電話を掛けだした。十中八九、電話の相手は母だろう。
あんにゃろう、あとで絶対イジる。 ケータイの着信音をジョーズのテーマにしてやる……。
なにはともあれ、私は男の形の良いツムジに視線を落とす。放っておけばカウンターにそのままめり込んでしまいそうな勢いだ。営業妨害も甚だしい。私はどうしたものかと悩み、悩んだ末に、
「は、はい……」
自分でも驚くほどに女の声だった。家で過ごしている時よりも2オクターブ程高かったと思う。そして自分の選択に一番驚いているのは自分であることも自覚している。敢えて理由をつけるならば勢いに押されたと言うべきか。押しに弱いな、私は。
私は無意識とも言える動作で男の手を握っていた。
自然と、店内には謎の拍手が起きる。フラッシュモブでも体験しているような心情だった。帰宅途中の学生や、残業に備えて食糧を調達に来たサラリーマンやOLがいつの間にか野次馬と化していた。どうしたものかと真紀子さんを見れば、ケータイをこちらに向けてバシバシとフラッシュを焚いていた。おそらく画像の送信先は母だろう。
あんにゃろう、ケータイの壁紙を蝋人形にしてやろうか……!
状況を呑みこめないのは私だけではないようで、手を握ったままの男は不思議そうに顔を上げる。半ば茫然としながら、私を見つめる男は右を見て左を見て、現実味を噛みしめると共に、私の体をカウンター越しに抱きしめた。感極まったのだろう。周りの状況が彼のテンションを上げたのかも知れない。私は彼の胸に抱かれ、一つの事実に気付いた。
彼の体からは、タバコの匂いなど、一切しなかったのだ。
それから時は過ぎ、私は彼の部屋のベッドと布団の隙間に一冊の本を見つけた。大事に保管されていたそれは、裸の女がくんずほぐれつしている代物であったが、正座して熟読してみれば中に興味深い記事を見つけた。
『女性がキュンとくる仕草、第一位はタバコを吸う仕草』
ふむ、とページをめくれば、
『気になるコンビニ店員と仲良くなる特集』
バイブルのように何度も読み返された形跡の残るソレを、綺麗に整頓して机の上に置いておいた。
今夜は彼氏の土下座が見られるかもしれないと、頬を緩ませながら。
楽しく勢いだけで書きました。
半分実話で、半分フィクション。
主人公である、店員さんのキャラが濃く、黒服男のキャラが奇妙さが際立たなかったのが残念ですが、これはこれで、……良いのかなぁ。