エピローグ
神聖帝国との一年に渡る激闘から、およそ三ヶ月。復旧に向けて動き出していた世界は、ようやく以前の姿を取り戻し、一年前となんら変わらない穏やかな日常が、ゆっくりと進行しつつあった。
とある日曜の朝、世田谷区にある火刈家では、休日とは思えないほどの慌しさを見せていた。
「ちょっと博士ぇ! テーブルはそっちだって言ってるだろー!」
「あ、おおう! 済まん済まん!」
奇跡的にあの世から復活した武者小路博士を交え、火刈一輝、火刈勇輝、大城光の一家三人は、バタバタと荷物を外に運び出していた。
それは、引越しや模様替え―――などではなく、
「もうっ、勇輝! もたもたしないでよ! みんな来ちゃうでしょ!」
「大体、十時からパーティ始めるのに朝六時から準備する方が間違ってるんだろ!」
いつもアンニュイな空気を漂わせている勇輝ですら、苛立ちを隠せない様子だ。
そう、この日、火刈家では、神聖帝国打倒祝賀会の、記念すべき1928次会が開催される予定であった。火刈家は世田谷の一軒家とは言え、そこまでスペースが広いわけではなく、一番広いリビングルームの空間を少しでも確保しようと、こうしてドタバタと駆け回っているわけである。
ちなみに光は豪勢な料理を作るのに余念がなく、台所で踊るように立ち回っては、ときおり男連中に喝を入れる役回りだった。
その時、いきなりインターホンが押された。
「ああっ! ちょっと一輝か勇輝、出てよ!」
「いやオレ今テーブル持ってるから無理! 兄貴出てよ!」
「知らん、俺が手を放したらお前一人でテーブル持てないだろう!」
やいのやいの騒ぎ立てる三人を見て、武者小路博士は苦笑しながら玄関に向かう。
「はいはい、今出ますよっと……」
博士が扉を開けると、そこにはゴリラが、一頭の雌ゴリラと二頭の子ゴリラ、そして青い作業服の爽やかな青年を伴ってそこに立っていた。
博士は驚いたように目を見張る。
「おお、ゴリラ。早いじゃないか。遠藤さんまで」
「いやぁ」
飼育員の遠藤さんは、白い歯を見せてキラリと笑った。
「ゴリラの奴が、どうせ準備が出来て無いんだから、一緒に来て手伝ってくれと言うもんですから」
図星だった。
「なるほど、流石に鋭い洞察力だな。ゴリラ」
「ウッホイ」
わざわざ家族と飼育員を連れてきてくれたのだから、感謝せねばならないだろう。とは言っても、子供二頭はまだ遊びたい盛りだ。雌ゴリラがしっかり見ていてやらねば何をしでかすかわからないから、実質戦力になるのはゴリラと遠藤さんだけになるが。
それでも類人猿の膂力と大人の力が加わるのは無駄ではない。博士は五人に中に入るよう促した。
ゴリラ達が中に入ったとき、ちょうど一台のバイクが、火刈宅の前に停車した。
「博士博士、俺もついでに入れてよ!」
雷斗だ。
「もちろんだとも。ヴァルサンダーチームの結束力で、早いとこ準備を整えてくれたまえ」
博士がそう言うと、雷斗は両手にビンのいっぱい入った袋を持って家の中に入ってくる。おそらく、ワイン蔵をやっている実家から何本かくすねてきてしまったのだろう。今、家の中にいるのはほとんどが未成年か動物なので、まだ飲ませるわけにはいかないが。
ゴリラと雷斗、そして遠藤さんを加えて後は、作業は驚くほどスムーズに進んだ。チームの結束力はさすがといったところで、特にゴリラの怪力をもってすればどんな家具も瞬く間に隅に追い遣られてしまうのだから、楽なものだ。勇輝がひとり、寂しそうに立っていたので、光が『まぁまぁ』と慰めていた。遠藤さんは終始ニコニコしていただけで働かなかった。
そして驚くことに、九時半になるころには光も料理を完成させ、火刈宅は豪華なパーティ会場へと様変わりしていた。
「スゲーな光。こんな料理どこで覚えたんだよ」
一輝がそう言うと、光は「ふふん」と胸をそらし。
「十年くらい前にねぇ、パリでねぇ」
「十年まえって俺が生まれた頃じゃねーか。光パリにいたのかよ」
ちなみにテーブルに乗っているのはパラグアイ料理だった。
十時になる頃には、徐々にパーティの参加者が、火刈宅に集まりつつあった。一輝達は1925次会の時点で一旦抜け、こうして準備をしてきたのだが、ほとんどのメンツが1927次会からハシゴしてきている。1次会からブッ通しで参加しているダニエルなどは相当グロッキーになっていたが、残りのメンツは元気そうだ。
「カズキーッ!」
一番乗りはシャオだった。嬉しそうに突撃してきたところを、一輝は足を引っ掛けて転ばせる。『くぺっ』などと言う奇声を上げてもんどりうったシャオは、立ち上がるや否や『ええええ、なんすかそれー。えええええ』などと言いながら、鼻血を拭こうともせずに猛然と抗議を開始した。
一輝とじゃれあっているシャオを尻目に、ドイツ土産のソーセージを持ってきたバロンが上がり込む。
「光、楽しそうだな」
「すっごくね」
太陽のような笑顔と共に、ブイサインを見せる光。バロンは、少女の笑みに対して明らかに何か言いたそうな表情をしていたが、それを飲み込み、『これもあとで焼いてくれ』と言ってソーセージをあずけると、部屋の隅で壁に背を預けた。
続いてシャルロッテが上がり込む。家族と飼育員に囲まれているゴリラを見て一瞬怖気づくも、『ボンジュール、今日こそは決着をつけよう』などと言いながら、懐からバトル鉛筆を取り出していた。ゴリラとシャルロッテの間に不可視の火花が飛び散り、熱いバトエンバトルが始まってしまう。遠藤さんはやけにニコニコしながらそれを眺めていた。雌ゴリラはおろおろしていた。
絡む相手であるはずのダニエルが生ける死体と成り果てているので、雷斗は寂しそうにダニエルの口に醤油をたらしてた。二秒間隔でビクン、ビクン、と痙攣を繰り返す屈強なアメリカ人を気にする者は、この場には誰もいなかった。
「愉快な状況になっているな」
黒のスーツに身を包んだサキュバスは、いつの間にか部屋に入り込み、妖艶な笑みを浮かべている。
「まったくだ……」
勇輝は、ようやくマトモに話せる相手が来たと、溜め息をつく。
「ヒカリユウキ、お前は混じらなくて良いのか?」
「俺はもともとそう言うキャラじゃないしな」
「そうか」
サキュバスは面白がるような笑みを浮かべるが、勇輝はあえてそれを無視した。
「……父さんのことにはいつから気づいていた?」
勇輝が話題を変えるように切り出すと、サキュバスは瞳を閉じ、腕を組んだまま『最初からだ』と答える。
「聡い者は勘付いていたぞ? あのバロンという男もな。ヒカリユウキ、お前もそうだろう?」
「……まぁ、な」
そう言って勇輝は頬を掻く。
世界中の仲間達が次々寄せ掛け、家の人口密度は加速度的に上昇していった。イグアナマンやテラコアラ、ミハエル、パス太、マタドールなどが挨拶と共に談笑に加わり、賑やかな輪が広がって行く。
「フッ、手を貸すのは今回だけジャネイロ」
そう言って右手を差し出してきたアフロの男を無視し、一輝は部屋を見渡した。
今、間違いなく世界は平和だ。この一年の長きに渡る戦いで、一輝が勝ち得てきたものだ。自分が精一杯努力して掴んだものを、全身で満喫できるというのは、なかなか良いものだと、一輝は実感していた。
この一年、自分は様々なものに支えられてここまでやってきた。そしてこれからも、ここにいる素敵な仲間達と一緒に、明日へ向かって進んでいくのだろう。
足元でかじりついてなにやら喚いているシャオも、踊るような足取りで料理を運んでくる光も、ダニエルの死体を突付いている雷斗も、シャルロッテと火花を散らしているゴリラも、突然影が薄くなった武者小路博士も、ニコニコしている遠藤さんも、口元についたケチャップをセクレタリスに拭いてもらっている神聖皇帝ネメシスも。
ここにいる総ての愛しい仲間達と一緒に、進んでいくのだろう。明日へ。
この10年、様々なことがあったのだ。きっとこの先、一輝の身に降りかかる困難も、ひとつやふたつではあるまい。だが、仮にそうであるとしても、
一輝は顔をあげて、三ヶ月前に言い損ねた言葉の続きを口にする。
「オレは絶対ここでくじけるわけにはいかない……。なぜなら!」
<完>