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メメントキラー  作者: ガンマ
テルテルボウズの首は在るか
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第五話



「……――、」

 緩やかに目蓋を持ち上げる。変わらない景色。見飽きた景色。何度も見た景色が、視界に映った。

 仄暗い電球に照らされたコンクリート。暗い灰色。うつ伏せた身体から伝わる冷たさ。音の無い世界。何も無い世界。

 かれこれ。どれくらい。シロはボンヤリとした頭で考える。酷い疲弊と身体の傷の所為で意識を失うように眠りに落ちて。短い目覚めを繰り返して。

 黙したままシロは肌で周囲の気配を感じ取る。ここは牢獄。それは最初に目覚めた時に理解した。この牢獄がどこにあるかは分からない。だが、おそらくは対天魔覚醒者部隊の管理下にあるものだろう。

 暗い――小さな電球が頼りなく周囲を照らしているだけ。四方は壁。一部の隙間も無い。天魔や覚醒者を閉じ込めておく特別なものだ。おそらく、壁の中には魔術式が書き込まれている。その所為で力が、気力が、出ないのだ。酷く眠い。身体が重い。上手く動かない。何もしたくない。目蓋が自然と下がってしまう。

 咳をしても一人、とは誰が遺した言葉か。咳き込めど、それは虚しく壁に吸い込まれていくだけ。

 顔がひやりと冷たいのは覆面がないから。当然だが武器などの装備品も奪われた丸腰状態。嗚呼、無力。無力だ。無力極まりない。

 ……だから土谷は死んだのだ。マリエルもきっと。救えない。救いようがない。マリを喪ったように。何も出来ない。

 悪魔に負けた。人々を護れなかった。呵責。自責。この手は何も。何も。何の為にある?

 いっそ子供のように泣き喚けば楽になるのだろうか。自暴自棄に全てを諦めれば心は軽くなるのだろうか。あれやこれやと言い訳を考えれば辛い気持ちも吹き飛ぶのだろうか。

 ここは冷たく、イキグルシイ。

「……」

 それでも、だ。

 シロは全てに『NO』を突き付け、立ち上がらねばならなかった。

 人間だから。撃退士だから。明日の希望。人類の戦力。屈するものか。屈してどうする。泣いてどうする。諦めてどうする。言い訳をしてどうする。

 何がどうなろうと、彼は『そうせねば』ならなかった。

「くそったれ」

 吐き捨てた。皮膚が痛むのも構わず拳を硬い床に叩き付け、無理矢理身体を引き起こす。

 外は雨だろうか。きっと雨だろう。奴は笑っているだろうか。笑っているだろう。

 くそったれ。再度吐いて、嗚呼。思う。殺してやる。

 よろめきながらも立ち上がった。これほど立ち上がる動作が辛かった瞬間があっただろうか。剥き出しの顔で天井を仰ぐ。電球。フィラメント。

 ただれた目蓋を細めて、正面へと視線を戻した。壁がある。ならば壁を壊さねば。これを壊せば外に出られる。

 では、どうやって壊す? ――簡単だ。シロは拳を振り上げる。

 どん。

 鈍い音が響く。

 どん。

 更に鈍い音が響く。

 どん。

 どん。

 どん。

 結果が出るまで繰り返す。どん。次第に湿った音が混じってきたのは、おそらく血が出てきたからだ。それが何だ。叩き付ける。削れた魔力と疲弊した筋力に無理を言わせて。どん。どん。目に映るのは赤い模様。すなわち血の拳を打ち付けた痕。

 ではもう一発。

 男は無表情のまま皮が破けた拳を振り上げた。

 その刹那である。


「待て」


 声が。

 壁の向こう、それは女の声だった。

「!」

 振り下ろした拳は寸での所で止まり、音も無く壁に触れる。その声を確かめるかのように。そのままシロは問うた。

「……誰だ」

「蓮寺。対天魔覚醒者部隊隊長だ。先日、お前の腹を殴った女だよ」

 シロには覚えがあった。スマイリー・ジョーの傍にいた赤い髪の女。疲弊状態だったとはいえ、その拳の一撃でこのザマだ。

 そんな彼女が、一体。そう思っている間に目の前の壁が動いた。左右に開く。分厚い壁だった。差し込む光に目を細めつ見遣れば――赤髪の壮年女。鋭い眼光。鍛え上げられた体躯。物々しい佇まい。引き締められた表情からは感情が読み取れない。

 呆気に取られたシロが何かを言う前に、蓮寺は彼の足元に布袋を放り寄こした。

「我々が押収したお前の装備品だ」

 拾え、と目が促す。シロは油断なく蓮寺を睨ね付けたままそれを手に取ると後退しながら布袋の中身をあらためた。

 中身は確かに、シロの装備品。和束が送った特別製の上着に、赤い柄をしたカッターナイフ、それから――髑髏の覆面。不揃い無く、全てがあった。

「そのまま聴いてくれ」

 シロの様子を見つ、手を組んだ蓮寺は口を開いた。

「Disは、この町は、あの悪魔に支配されている。お前も見ただろう。奴はな、かなり高度な魔法使いだ。奴は下水道を利用して町中に巡らせた巨大な魔法陣で一般人を操作していると共に、町を『監視下』に置いている。覚醒者も弱みを握られ、脅され、あるいは力で屈服されて……この有様だ。私自身も娘をスマイリー・ジョーに人質に取られてしまった」

「……何が言いたい?」

「私は正直、スマイリー・ジョーに対抗する撃退士が来てくれるなんて思いもしなかった。だから……あぁ、ハッキリ言おう。単刀直入の方が良い。

 これ以上、この町を悪魔の好き勝手にさせたくない。私はスマイリー・ジョーが大嫌いだ。あの気狂いにつき従い、護りたい町を目の前で滅茶苦茶にされる苦痛が分かるか? 殺す機会をずっと探していたんだ。私は娘を救いたい。そして私は『スマイリー・ジョーの本拠地』を知っている。

 ……撃退士シロ。どうか私に協力してくれ」

 真っ直ぐに目を見たまま、蓮寺は声を曇らせる事なく言い放った。

「一体……」

 どういう風の吹き回しだ。シロはそう言いかけたが、残る言葉を飲み込んだ。蓮寺の言う事が嘘だとしても、この状況で彼女に何のメリットがある? 欺く為にわざわざ檻に入れた獲物を逃がして奪った物を返したりするか? いや、自分をはめる為の精巧な罠かもしれぬ。

 探りを入れる為にも、シロは壁の暗がりの中から蓮寺に問うた。

「お前の言う事が真実だとして。……スマイリー・ジョーの手中にあるこの状況で、そんな事を話しても良いのか?」

「その点についてならばもう心配ない。心強いサポーターが現れてな、件の魔法陣は既に破壊した」

「サポーター?」

「あぁ。……もう良いぞ、入って来い」

 蓮寺が振り返りながら言うと、そろり。物影から姿を現したのは――ふわりと深緑の髪をなびかせた天使、マリエルだった。

「……マリエル!?」

「シロ君っ……!」

 心配げな顔をしていたマリエルだったが、彼の姿を認めるや泣きそうな顔で駆け寄りその胸に飛び込んだ。

「すまない、すまない」

 連呼する。潤んだ声だった。すまない。もう一度言う。土谷を救えなかった、と。それにシロは応えない。救えなかったのは自分の方だ。一体どんな言葉をかけるのが正解なのか。きっと正解なんて無い。

「……生きてたのか」

 相手は天使だけれども。シロは『彼女が生きていてよかった』という安堵の気持ちを認めねばならなかった。生きていてよかった。何か、重たい物が肩から下りたような感覚。傍にいる天使の体温。

「しかし、なぜマリエルが生きていたか不思議そうにしておるな」

 尊大な声。顔を上げれば、小さな火トカゲが炎の翼で宙に浮かんでいた。ベルンフリート。馬鹿な、とシロは目を見張る。術者が死ねば召喚獣は『召喚獣がいるどこかの並行世界』へ消滅する。だが、彼がいるという事は――

「おっと残念、あぁ、誠に残念ではあるが。土谷はいない。本当に、もう、いないのだ。死体すら行方知れずで。死んだのだ。我輩の目の前で」

 首を振る。トカゲの表情は良く分からないが、辛そうにしているのは明白だった。

 それからベルンフリートは言う。本来、召喚獣とは術者が死ねば元の世界へ戻るものだが、自分と土谷が結んだ契約は少々変わったものなのであると。その内容は『土屋が死した際は自分の好きなタイミングで元居た世界に戻って良い』という契約。

 当然、魔力供給源がいなくなれば力は怖ろしく衰えてしまうが――あの時。土谷が死に、悪魔の気が土谷の死体へ向いた瞬間。ベルンフリートは塵芥の力を振り絞り、命辛々マリエルを確保して床に開いた穴へ転がり込んだ。そのまま、己が傷付く事もいとわず壁を突き破ってホテルから脱出する。

 だが術者を喪った直後、つまり魔力も力も大幅に落ちている上に自身も重傷を負っていた状況。息をするのも難しかった状況。サラマンダーは意識を失い、マリエルと共に落下する――Disに流れる澱んだ川の中へ。

「そこを我々の部隊が確保した。危うく溺死寸前だった」

「我輩はサラマンダー、ウンディーネとは犬猿の仲であるぞ」

 蓮寺の言葉にベルンフリートはフンと息を吐く。それから、現在はマリエルを仮の主人として魔力供給を得ている事も伝えた。

「シロ君、心配をかけた。無事でよかった」

 ようやっとシロから離れたマリエルは彼の手を握る。壁を叩き過ぎて皮膚が破れた手。治癒の魔法で傷を消した。

「……和束は?」 それを見やりつ、シロは問う。

「いるんだろう。お前達がいるという事は」

「ピンポーン。その通りですよシロさん」

 蓮寺の懐から少女の甘い声。唐突な声に一瞬だけ目を丸くした蓮寺であったが、呆れたように通信機を取り出すとシロへ投げ寄こした。

「アッハハハハハハハハ。なぁにが『許せ』ですかシロさん! 私から逃れようなんて一万年と二千年と八千年ぐらいおっそいですよ! 靴の裏に付いた半乾きのガムぐらいしつこいんですから私」

 映ったモニターの中で和ゴスでロリロリのアバターがくるんと回る。高笑い。楽しげだ。相変わらず過ぎで安堵を通り越して、シロは片手を額に添えた。それから『顔がなかった』事を思い出し、通信機をマリエルに預けると蓮寺より渡された装備品を身に着け始める。

 その間に、と和束は事情の説明を始めた。

「もうお分かりの通り、蓮寺さんは味方ですよ。あれから私、ちょっと頑張ってですね。調べたんですよ――蓮寺さんの事」

 その結果。どう見ても、どう考えても、彼女は悪魔に従う様な人間ではなかった。この町で育った正義感がすこぶる強い烈女。一人娘を除いて、家族も夫も天魔事件で喪っている。

 だから和束は一か八かに賭けて彼女にコンタクトを取ったのだ。蓮寺の通信機へ、コール。持てる技術を全て尽くして。

 魔法は天魔の技術だが、科学は人間の技術。魔法が科学を征服したという例は聞いた事がない。

 だが常に非常識であるのが魔法だ。それ以前に蓮寺は完全に洗脳されているかもしれない。本当は悪魔崇拝者かもしれない。

 だからこそ、賭けだった。


 思い返す。

 蓮寺が通信機を開いた時、画面と視界一杯に移り込んだのは複雑怪奇な紋様、コードだった。

 何だこれは。目を見開いた瞬間、脳味噌へ直接雪崩れ込むのは情報の嵐。それは電子ドラッグの応用。

 脳に直接描かれた情報――座っている人物が言う。

「こんにちは、蓮寺様。私は……」

 制止も能わず。それは情報を蓮寺の脳に刻み込んだ。己の事。シロの事。マリエルの事。土谷の事。ベルンフリートの事。スマイリー・ジョーの事。シロの目的の事。彼を救って欲しい事。協力して欲しい事。その為の方法。etc、etc、ありったけ。

「どうか。どうか。私のヒーローを救って欲しい。彼の為ならば私は私の命を賭けよう。あらゆるものを投げ打とう。彼は私の生き甲斐――私の希望、私の夢、私の願望、私の全てなのだ」

 たった一瞬に凝縮された情報。気が付いた時には蓮寺は地面に片膝を突いていた。通信機の画面にはもう、何も無い。されど先程の刹那が白昼夢ではない事を、彼女の脳が確かに、告げていた。


 しかし、と蓮寺は表情を押し殺し思う。

(何で世界的大企業の超上役がこんな一撃退士とつるんでいるんだ……!?)

 あの時に告げられた名前に蓮寺は驚愕を覚える他になかった。マリエルの手の中にあるモニターの電脳少女がニッコリ、彼女へ笑いかける。人差し指を口元に。

『くれぐれも、私の事は内密に』

 ある種、人間は天魔よりも怖ろしい。

「さて、シロさん。さっき蓮寺さんが話して下さったように、件の魔法陣は破壊しました。ベルンフリートさんを主体にね。私は魔法の事は詳しくないんですが、魔法陣ってのは強力ですが一部分でも欠けるとダメになっちゃうそうで」

「下水道ごと我輩の炎でドッカーンよ」

 得意気にベルンフリートはマリエルの頭の上で顎をもたげて胸を張る。

「成程」

 その間、シロは彼等に背を向け着々と装備を続けていた。

「つまり。俺は蓮寺とスマイリー・ジョーのネグラに殴り込みに行けばいいんだな?」

「その通り。……魔法陣を破壊したのはつい先程。我々はお前が意識を取り戻すのを待っていた。やったからにはもう、後には退けない。私だって覚悟の上だ」

 戦力については安心しろ、と蓮寺は続ける。瞳の奥に烈火を宿して。

「特殊部隊を総動員させる。最初で最後のチャンスだ。ここで逃せば我々に未来はない。それに……」

 覚醒少女連続失踪事件。和束から知らされた事を、蓮寺は呟く。彼女の娘は覚醒者だ。それを人質に取られている。何か、何かあるかもしれない。スマイリー・ジョーの人の皮愛好という『趣味』を鑑みると嫌な予感しかしない。

 だからこそ今すぐ。今すぐ、行動を取らねばならなかった。

「未来はない、か。あぁ、良いな。絶体絶命。逆襲だ。天魔共に人間の恐怖を刻み付けてやろう。二度と日の目を拝めなくしてやるんだ。八つ裂きにして。奴等の命乞いを踏みにじってやる。奴等の首を太陽にさらしてやる。いいさ、いいともさ、天魔共は全部全部殺してやるよ」

 振り返ったのは髑髏の顔。わずかに見てとれる目元と部分は、薄く薄く笑っていた。

 と、それらを見守っていたマリエルはやや蒼い顔をしてそっとシロの袖を引く。

「……その『天魔共』には我も含まれるのか?」

「ドアホ。空気を読め」

 シロの低い声、そして和束が吹きだす声、マリエルの怪訝そうな顔。

「馬鹿な、空気は吸うものだぞ」

「もういい、もういいからお前は黙ってろ」

「っっッだはぁーーーマリエルちゃんマジ天使!!」

 和束は笑っている。蓮寺は視線を逸らした。

 ただマリエルだけはきょとんとしていて、シロを見上げている。じぃっと。目があった。「まだ何かあるのか」と低い声に、天使は言う。

「顔の傷……、治さなくても、良いのか?」

「あぁ。このままで、良い」

 この顔は復讐の証で、表向きの『顔』ならあるから大丈夫だと。シロは髑髏をマリエルへを向ける。

「なぜ、ドクロなのだ?」マリエルは首を傾げ問うた。

「顔が無いから。それに、『嫌』だろう?」

 シロは淡々と言う。髑髏。それに良いイメージを抱く者は、おそらくいないだろう。それは天魔に対する『死神』の象徴であり、心の奥底に燃える英雄願望。

「さて」

 行くか。シロは一歩を踏み出し、言う。

 もう退く事は出来ない。元より退くつもりもない。

 敗れれば死。未来は無い。

 ならば明日の希望として勝利する他になく。進む他に道はなく。

 正義は勝つとはどこの誰が言い始めた言葉だろうか。

「いいさ。勝ってやる。勝てばいい」

 シロは変わらぬ声音で言う。スマイリー・ジョー。自分の顔と、妹と、故郷を滅ぼした存在。この世で一番滅ぼさねばならない存在。上着のポケットの中に突っ込んだ手には赤い柄のカッターナイフが握られていた。

「土谷の仇である。必ず、奴等を滅ぼしてくれるわ」

 ベルンフリートは牙を剥く。土谷は彼の最高の主人にして、子供の頃より成長を見届けた子供のような存在であり、親友であった。無念で悔しくてやり切れなくって、荒れ狂う想いは心の底に。

(戦わねば、平和が訪れぬというのなら)

 マリエルは表情を引き締める。友達を失った悲しみ。目の前で何も出来なかった苦しみ。争いを無くしたいと願って、しかしその為に争う矛盾。その先に何が待つのかは、答えの出ない難題だけれども。彼等について行こう。彼等が行く先に、きっと何かがあるだろう。

「……」

 蓮寺は静かに目を伏せ、娘の事を思った。生きているだろうか。生きていて欲しい。娘を、この町を、この手に取り戻す。


 一歩。それぞれの想いを胸に、暗い地下牢獄から、外へ。



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