第四話
夕暮れの空をよく覚えている。
学校帰り。そうだ、あの時はまだ自分は学生だった。
帰り道。どこにでもある平和な町。川沿いの道。
自分は寄り道をする。いつも。行く先は公園。遊んでいる子供達。
おぅい、と声をかける。そうすると、その中の一人が――小さな女の子が、妹が、走って来るのだ。
一緒に帰ろう。手を繋いで。
歩いて行く。
妹は笑顔だ。笑顔で今日の出来事をたくさん話してくれる。それを自分は微笑みながら聴いている。
夕方の長い長い影を目で追いながら。
何でもない日。
今日も何ら変わらない今日。
だった。
「お兄ちゃん、あれはなぁに?」
ふと。妹が空を指差したので。
見上げた。何だろう、と返した。
それは光だった。
ぽつんと。
だがそれはみるみる内に増えていって。
どんどん、どんどん、こっちに大きく迫って来て。
――危ない。
そう思って叫んで、視界が真っ白に染まり切った。
それから真っ黒。
黒。
黒。
黒。
……。
いくつの黒を見ただろう。
「お兄ちゃん」
妹の呼ぶ声が聞こえた。
「たすけて」
妹の助けを呼ぶ声が聞こえた。
目を開けた。
全身が酷く痛んだ。自分は倒れている。あちらこちらから血を流しながら。
気付けば周囲は火の海だった。燃えている。めらめら。町が人が全てが。
その中で躍り踊っているのは、あれは、悪魔の群――?
困惑。訳も分からぬまま視線を移す。
そこにはマリのランドセルが転がっていた。中身がブチまけられている。嗚呼、彼女のお気に入りの赤い柄をしたカッターナイフまで。
もう少し、視線を動かした。
そして――目の前に転がっていたのは人型をした真っ赤な何かだった。
悲鳴を上げる。何だこれは。血の滴る肉の色。もぞもぞ蠢くそれ。
「いたいよ……痛いよ……」
また声が。妹の声が聞こえる。
「マリ? マリ!?」
妹の名を叫んだ。そして、理解する。
目の前の、この、全身の皮を剥がれた人間が、妹なのだ、と。
いたいいたい、たすけて、たすけて。
そんな言葉を吐き続ける赤いそれ。ひたすら絶叫しながら妹の名前を呼んで、それへと手を伸ばそうとした。
だが、その手が届く事はなく。
視界の隅、突き下ろされたのは三又槍。それがマリに突き刺さり、次の瞬間あっけない程にその身体はバラバラに八つ裂かれてしまった。
嘘みたいな光景。八つ裂き死体と生きている己の間に立つ、脚。
そしてぬっくと手が伸びて、自分の顔面を掴んだのだ。
「君の皮、貰うよ」
その声一つ。それから何が起こったのか。痛い。訳が分からなくって。痛い。叫んだ。痛い。泣いた。痛い。喚いた。痛い。
痛い。痛い。痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
どうしてこんなに痛いのか。
掌が離されて地面に転がる。
真っ赤に染まる視界。絶叫。顔を押さえてのた打ち回る。
真っ赤に染まる視界。火炎。身体を包み込んだ灼熱。
ガムシャラに手を伸ばす。妹の泣き声が聞こえていた気がした。
そして、何かを、――つかみ取った。
真っ黒に染まる視界。
痛い。
痛い。
痛い。
苦しくて耐えがたくて。
もがいていたような気がする。
そうして目覚めて、天井。ベッド。病院だった。
顔が。
顔が痛い。
呻いていると、看護婦と医者が飛んできた。何かを言っている。
君のいた町は悪魔の襲撃を受けた?
奇跡的に撃退士に救助された?
唯一の生存者?
覚醒して一命を取りとめた?
何か覚えているか?
君の名前は何だ?
まだ安静にしていないといけない?
うるさい、と叫んだ気がする。
頭を抱える。その時に、自分の右手――包帯だらけの白い手――握り締められた赤いカッターに気が付いた。
これは。
覚えている。
マリのものだ。
「なぜかは分からないが物凄い力で握っていて離さなかったんだよ」
さとすような言葉。
――猛烈に顔が痛んだ。
この顔はどうなっている?
手をやった。包帯だ。どうして包帯が。息苦しい。
医者の制止を振り払ってベッドから落ちるように這い出した。
ふらつきながら、よろめきながら、隅の洗面台の鏡を目指した。カッターナイフの刃を、ぢぎぢぎ。出して。ぶちぶち。顔の包帯を切り裂きながら。
一歩の度に白い色が落ちる。止めなさいと誰かが言う。されど、覚醒した所為か。止める手もデタラメな力で振り払って。
ぶちり。
皮膚も浅く裂いて、最後の包帯が落っこちた。
鏡の前に立った。
目蓋を開けた。
皮を剥がれ焼き潰され、顔を失った顔がそこにあった。
絶叫。
――ファイル××番、『名前なし』
男。推定年齢15歳。
○月○日に悪魔の襲撃を受け崩壊した町の唯一の生き残りである。
顔が酷く損傷している上に心理的ショックで精神に異常が出ており、本名と素顔を始め記憶喪失状態。
また彼が居住していた町は完全に破壊されており、彼の身元を証明するものは既に存在していないと思われる。
致命傷を負っていたが、覚醒した事で奇跡的に一命を取り留めた。
非常に暴力的になっているので、要注意。
――○月○日。
彼は自らを『シロ』だと名乗り始めた。恐らく、包帯を始め白で染まった病院の印象からか。
傷は完治状態。この後は久遠ヶ原学園に引き渡す予定である。
――○月○日。
名前なし、もとい『シロ』が消息を絶つ。
正義のヒーローなんて現れなかった。
自分は誰でもなくなった。
……ならば自分が正義のヒーローになってやろう。
どんな悪<天魔>も許さぬ存在に。
全ての悪<天魔>を倒す正義の味方に。