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メメントキラー  作者: ガンマ
テルテルボウズの首は在るか
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第二話



「流石に雨も降ってる夜の町を女の子に歩かせるのは忍びないからね」

 シロと別れた間もなく、土谷はマリエルに振り返って微笑んだ。大変だっただろう、と。


 そうして今は雨も無く冷たくもないホテルにいる。

「――はい。ありがとうございます。よろしくお願いします」

 部屋の中。土谷は通信機で久遠ヶ原学園の者と通話していた。他でもない、マリエルの事である。

 内容を簡単にまとめると『一段落ついたら学園に行くので、マリエルという堕天使を生徒として迎えて欲しい』だ。

 堕天使やはぐれ悪魔は元いた天界や冥界の者達にとっては処刑対象。彼等が単独で人間界をうろついても、追手に殺されてしまうか――『天魔全殺主義』の撃退士に問答無用で殺されてしまうか。どっちにしても良い事はない。絶望的に。

 故の学園である。堕天・はぐれに人間界の知識を教えつつ、追手から護る。その代価として彼等は天界や冥界の事を人類に伝えるのだ。人類の神秘技術が大きく進んだのはひとえに彼等のおかげとも言えよう。

 ふぅ。通信を終えた土谷は息を吐く。座った椅子の、彼の膝上にはベルンフリートが丸くなっている。鱗の背中を指先で撫でれば、灯火のような温かさが伝わった。

「ベルン」

「何か」

「マリエルちゃんの所、行こうか」

 火トカゲを抱き上げ肩に乗せながらそう言ったのは、彼女がずっと何か考え込むようにほとんど物を言わなかったからだ。堕天理由は訊ねたら教えてくれたはしたのだが。気落ちしているのだろう。『理想』故に、シロが離れてしまった事が。

 だが、任せられた以上――それ以前に、『仲間』を放置する理由はない。

「故郷も仲間も捨てて、本来なら『敵』の住処に寝返るのって……どんな感じなんだろうね」

 ドアノブに触れて。相棒とは異なる冷たさ。人間が呟いた。彼には想像もつかないからだ――家族や友人や故郷を全て全て捨てる事なんて。

「ふむ……一つ言うならば、『お前とあの子は違う』のであるぞ土谷」

 フンと火の粉混じりの鼻息を吹いたベルンフリートが言う。ドアが開いてゆく。

 それもそうだ、その通りだと土谷はドアを開けながら思った。我ながら自分本位な考え方をしてしまった。捨てる事が辛い――それは『捨てるものが無い』者には理解できぬ苦痛であろう。

 多分、と召喚師は思う。

 マリエルはおそらく、天界で辛い思いをしたのだ。だからこそ人の世界に希望を抱き、天魔も人も仲良く平和に暮らせるような楽園エリュシオンを望んだのだろう。

 廊下を行く。すぐに着くのは彼女の部屋が隣の部屋だからだ。

 ノック音。

「土谷だけど……お邪魔しても良いかな?」

「我輩もいるぞ。開けたまえ」

 二人の声に、ドアの向こうで「はぁい」と返事が聞こえた。駆けてくる音。

「いらっしゃいだ!」

 開いたドアの間から覗いたマリエルの顔は元気な笑顔だった。笑顔――てっきり凹んでいると思っていた故に土谷は心中で瞠目する――促されるまま人間は室内へ。ドアの閉まる音が背後で聞こえる。「そこに座ってくれ」と天使に言われるまま手近な椅子に座った。

「湿度が高い困った夜であるな。いかがお過ごしかね?」

「折角だしちょっとお話ししようと思ってね」

 そう言って微笑む土谷の肩から飛び立ったベルンフリートが天井を緩やかに旋回する。その眼下には土谷と向かい合うように座るマリエル。カーテンがかけられた窓の外では雨の気配。

「うん、良く来てくれた、一人でちょうど暇だったところで……もう少し君が来るのが遅れていたら我の方から赴いていたかも」

 マリエルはニコリと笑む。が、その青い目に少し呆気に取られたような人間の顔が映ったので、少女も目をぱちくり。

「む……我の顔にお米粒でもついているだろうか?」

「あ、いや、いや。お米もパンもついてないよ。ほら、マリエルちゃん、さっきあんまり元気がなかったから……ちょっぴり心配してたんだ」

 土谷は苦笑を浮かべる。安堵の息。されど……ひょっとして強がりではないか?

「何か困った事があったら、何でも言ってね。僕で良ければ力になるよ」

「土谷君は優しい人だな」

 膝上に降り立ったベルンフリートを撫でながらマリエルは柔らかい表情で言う。偽りはなく、土谷の予想とは違い彼女のそれは『強がり』ではなかった。

 だがしかし、『何でも言って良いよ』と言われたのであれば。

「少し話を聞いてくれても構わないか?」

 真っ直ぐな目。元よりそのつもりだった事を土谷が伝えれば、一つ間を開けた天使は語り始める。少しだけ顔を俯けた拍子に長い緑の髪が揺らいだ。

「あれからずっと考えていたのだ」

 堕天してから。シロと出会ってから。別れてから。

 理想について。

 思考していた。


 我々は分かり合えるのだろうか?


 天魔も人間も仲良く平和に暮らせる楽園を創りたくて、その為に堕天して。

 突き付けられた現実の味を知って。

 それでも尚、自分がここにいるという事実。

「逃げたくはない。諦めたくはない。だが……難しい。『どうしたらいいのか』結論が出ない」

 具体的な。現実的な。

 伏せられた視線は火トカゲの瞳。緋色の目が、海色の目をじっと見上げている。迷って、悩んで、それでも希望する目を。

「そうだね」

 ややあって、土谷の言葉。その声音に顔を上げるよう促された気がしてマリエルは顔を上げた。目の前にあったのは真摯で優しい表情。

「……でも、今すぐ決める必要はないんじゃないかな。きっと考える時間やその為の経験も必要だと、僕は思う。

 だからこそ君には久遠ヶ原学園の生徒になってもらいたいんだ。そこで色んなものを見て、知って欲しい。他の堕天使や、はぐれ悪魔や、人間の事を」

 急がば回れという言葉があるように。目的へ進む事は大切だが、暗中模索はきっと良くない。結果が欲しい気持ちはひしひしと伝わってくるけれど――だからこそ、だからこそなのだ。

「あと……少なくとも僕は賛成するよ、君の夢に。素敵だ」

「我輩も興味があると言ってやろう。誇りたまえ天使よ、この我々の賛同が得られたお前さんの『夢』を」

 人間はにっこり笑い、召喚獣は尻尾をくねらせ言い放つ。

 本当に――優しい人達だと、マリエルは思った。

 優しい。優しい――直後に思う。なぜこんなにも優しい人が戦っているのだろう、と。

 故に彼女は彼の名を呼んで、問うてみる。

「土谷君はなぜ撃退士として戦っているのか?」

「うーん……理由を訊かれると何とも言えないね。僕は代々撃退士の一族で、生まれつき覚醒していたから。何ら疑う事なく撃退士の道を選んだ。それ以外なんて思い付かなかった。

 決められた人生、と言われてしまえばそれまでかもしれないし、人によってはこれこそ『つまらない人生』と思うかもしれないけど」

 微かな苦笑。されど次いで発した言葉には、その目には、決然とした色が確かにあった。

「僕は撃退士である事に誇りを持っている。その誇りの為に、僕はこうして戦っているんだろうね」

 彼は確かに優しく、争う事は好まない。けれど、『争い』が大切なモノを巻きこんでしまうのであれば。彼はそれに立ち向かう事に躊躇しない。平凡な理由かもしれないが――平凡だろうと理由は理由だ――『護る』為。

「土谷は数代稀に見る天才でな、我輩を初めて召喚した時はまだ学校にも入っていない年齢だったのだぞ」

「でも僕の召喚に応えてくれたのは君だろう?」

「いやぁ、青二才なら喰ってやろうと……」

 冗談か本気か、天使の膝の上で丸くなったベルンフリートがくつくつ笑う。

 そこにある確かな絆をマリエルは強く感じた。そして我知らず口を突いたのは、

「……我とも友達になってくれるか?」

 そんな、言葉。

 二つの視線が天使へ向く。

 それから、「くすり」と。

「「もちろん」」

 友達というものは、口約束で成り立つものような代物ではなく自然になるものであろうが――そうであろうと、既に土谷とベルンフリートはこの純朴で前のめりな天使の事が気に入っていた。NOと言う必要もない。

「改めてよろしくね」

 微笑む土谷は手を差し出した。マリエルも頷き、握手せんと手を差し出し――


 暗転。


「……!?」

 真っ暗闇。なぜ。驚いたマリエルは目を丸くして周囲を見渡してみたが、果てしなく暗い。これは一体。

「電気が落ちた……!? ベルン!」

 反射的に立ち上がっていた土谷は召喚した魔法杖と魔法式が組み込まれた防具を装備しながら相棒へと即座に声をかける。「任せたまえ」と暗闇の中から声、直後に闇を明るく照らしたのは明るい灯火――その光源は『臨戦態勢』である本来の巨大トカゲへと姿を転じたベルンフリートだった。火の爆ぜる音。

 ぐる、とドラゴンの様な見た目の召喚獣が低く唸った。彼が放つ火の光の中、覗いた牙が鈍く光る。

「土谷。マリエル。……油断するでないぞ、少々マズイ事になったようである」

「あぁ。ハメられたみたいだね」

 表情を引き締め、ベルンフリートと己の間にマリエルを護りながら土谷は魔法杖を握り締めた。

「い、一体……?」

 一方のマリエル状況が飲み込めず、ただ「離れないで」と土谷の言葉に従う事しか出来ない。だが、これだけは分かった。


 なにか、良くない事態。


「悪魔の匂いがするぞ、あちらこちらから」

 サラマンダーの言葉。ああ、と土谷は頷きつつ思った――夜襲か。どうする。ホテル内に他の利用客がいる以上、窓から一時離脱して体勢を立て直す等は行えない。

 どうするか。


 その時。


「ひぃひひひひひひひひひひひひひひィイひヒひひひひひひひぃぃいいいいい」

 鼓膜を掻き毟る啜り泣きのような笑い声のような。

 ガタンとロッカーが震えたかと思いきや、それを突き破って飛び出してきたのは――上半身に幾つもの頭部を持つ人の形をした不気味な化物だった。飛び散る木片と暗闇の中で爛々とギラつく目。赤い目だ。それが土谷達を捉えたかと思った瞬間、衝撃波を放ち彼等を強襲する。

「――!」

 壁に叩きつけられたような痛み。手痛い先制攻撃。土谷は奥歯を噛み締め這い出てきた異形を睨ね付ける。

「中級悪魔か……!」

 視線の先。フラフラ、悪魔が垂らした腕には鋭い刃が突き出ている。頭部の数の二倍ある目がじっと見ている。

「ワープ。できた。うれしい。ころす。ばんざぁああああああああああああい」

 うわ言の様な発音で。踏み出す。わずかな距離、故にたった刹那。

 しかし振り下ろされた凶器を弾いたのはベルンフリートの炎の尾だった。

「吹っ飛ばすぞ!」

「合点である!」

 召喚獣と魔力をリンクしブーストさせ、召喚師は命を下す。

 攻撃を弾かれた拍子に二歩ほど後退した悪魔が、その目に映したのは牙の並ぶ口が大きく開けられているという光景。迸るは閃光。先の衝撃を上回る衝撃波が吐き出され、悪魔を強かに吹き飛ばした。それこそ、ドアを壁ごとブチ破って廊下に転がってしまうぐらいに。

「行くよ、はぐれないでついて来てマリエルちゃん!」

「あ……うむ、了解だ!」

 走り出した土谷達と共にマリエルも走り出す。彼女は兎耳パーカーに取り付けられた缶バッジ型通信機――和束から贈られたものだ――から件の電子人間へ話しかけようと思ったのだが、いくら呼びかけても返事はない。繋がらない。

 どうして。思いながら。廊下。相変わらず電気のない暗闇でベルンフリートの火が頼りだ。

 闇のかなたは何も見えない。されど気配、胡乱な雰囲気。蠢いている。何かが。

 ゾッ、と。マリエルは息を飲み込む。何だろう。『悪意』をそのまま濃縮して空気中に垂らし込めたような。


 ケラケラケラケタケタケタケタ。


 笑っている。笑っていた。そんな気がする。

 うぞ。うぞ。暗い暗い先から、かくして飛び出して来たのは先の中級悪魔だった。形容し難い寄声を大量の口から発しながら、刃の両手を振りかざす。だが。消える、その姿が。

「!?」

 補足は直後。なぜなら土谷の文字通り『眼前』に現れたから。振り払われる凶器は飛び下がる撃退士の身体よりも速く、その肩口を切り開く。

「ぐ――」

 ワープ能力か。恐らくはこの力で先程も室内に侵入したのだろう。脳内で舌打ちしながら、傷口から赤い色を奔らせながら、土谷は更に肉薄せんとした中級悪魔の追撃を辛うじて杖で受け止めた。顔をしかめているのは、傷の痛みと杖を圧す悪魔の力が強烈だから。

 そこでサラマンダーの咆哮が闇をつんざいた。牙を剥いたベルンフリートの燃える牙が中級悪魔に喰らい付いて土谷から強制的に引き剥がし、そのまま噛み砕かんと顎に力を強く込める。

 悪魔の悲鳴がやかましく降り注ぐ中でマリエルは震える手の平を土谷にかざした。

「楽園の祝福よ、来たれ――!」

 治す為の魔力が煌めき、土谷の傷が癒えてゆく。ありがとう、と礼を述べながらも彼の視線は敵の方を向いていた。

 一方で本来なら噛み砕かれていただろう中級悪魔はワープ能力でトカゲの牙から中空へと緊急脱出し、落下しながら口から放つ衝撃波でベルンフリートの頭部を仰け反らせる。

 着地して飛び下がる悪魔。その周囲には、暗闇の向こうから現れた人間が――虚ろな目をして、おぼつかぬ足取りで、何人も。

 あれは一体。疑問を感じる前に答えは出た。

 めきり、と繊維と骨が軋む音がする。質量保存だとかそういう諸々の『人間的常識』を凌駕して、人の皮を内側から切り裂き下級悪魔がはち切れるように現れる。現れた人間の数だけ。

 おぞましい唸り声の合唱。広くはないホテルの廊下に溢れる異形達。挟撃。

(これは……!)

 土谷は包囲網を狭める悪魔達を見渡し息を飲む。人間に擬態していたのか。異様な人間しかいないこの町では『おかしくない人間』の方がおかしいのであり、擬態しても多少言動が変な者でも見破り難い――いや、そもそも『人間に擬態』なんてそこいらの知能の低い中・下級悪魔になんて出来る訳が。

 おかしい。明らかに、『偶然悪魔に遭遇してしまった』という出来事ではない。悪魔達がただ群れているだけという状況でもない。

 この化け物共は、何か目的を持って動かされている。指揮されている。誰かに。何かに。

 ――思い当たる名前があった。


「こんぐらっちゅれーしょーーーん!! どんどんぱふぱふ!!」


 声が。

 遠くから、エレベーターの到着音の直後に。

 この場には余りにも不釣り合いな上機嫌声。男の、癖のある声。

 喋っている。何か。ずっと、楽しそうにおかしそうに。クスクスゲラゲラ笑いながら。

 その声は近付いてくる。徐々に。少しずつ。悪魔の呻き声の中から途切れ途切れに。されど時折、妙に明朗に。

 暗闇のどこか――目を凝らそうとしたその瞬間、周囲の悪魔達が土谷達へと一斉に襲い掛かって来た。

「マリエルちゃん、絶対に離れないで!」

 土谷は声を張り上げると共に召喚獣へ魔力を送り込み、ベルンフリートは増幅した魔力によって口から紅蓮の火炎を吐き出した。灼熱は軌跡を赤く照らしながら一直線に迸り、廊下の悪魔達をまとめて飲み込み薙ぎ払う。

 それに作動したスプリンクラーが雨のように水を降らせ始めた。雨。雨。外でもないのに。

 炎が走ったもう片側では数の暴力。人海戦術。雪崩れ込むそれを一瞬でも食い止める為に土谷は簡易ながらも攻撃魔法を繰り出し、同時にベルンフリートへ炎をまとう尻尾でそれらを叩くよう指示を送る。

 更にそこへ追撃と言わんばかりに放たれたのは。

「落ちて堕ちよ、星屑の欠片……!」

 詠唱と共に練り上げる魔力。マリエルが頭上に構築した魔法陣より小さな隕石が現れ、床をブチ破りながら悪魔達へと降り注ぐ。その侵攻を押し留める。

 されどそれをものとせず間合いを詰めてきたのは、件の中級悪魔。

「うああああああウワアアアアアアあああああああひひゃああああ」

 奇声そのもの。空間を飛んでショートカットして一瞬でベルンフリートの背後へ。振り下ろされた腕の刃が深々と火トカゲの背に突き刺さる。

「ぐッ、小癪な無礼者めがァ!」

 首を振るって弾き飛ばすと同時に、召喚獣が中級悪魔へ吐き出すは火球。再度悪魔を大きく吹き飛ばす。

「ベルン、大丈夫かい?」

「くそっ……狭くて動き辛くてかなわん」

 案ずる土谷にベルンフリートは苦々しそうに牙を剥く。巨体の彼にとって狭い場所ほど面倒な場所はない。だが広い場所へ行く為にはこの悪魔の群を、今この瞬間も進撃し続ける化け物共を、退けねばならない。

 数が多い。

 マリエルが傷を癒してくれるとはいえ、じわじわ、じわじわ、削れてゆく。体力が、精神力が、魔力が。それらは有限、決して無限ではないのだ。

「大丈夫、大丈夫だ、我が治す――頑張ってくれ!」

 天使の息が荒いのは魔力消費が激しい為に他ならない。白い頬を伝うのは、スプリンクラーの雫と、汗と、裂けた頬から垂れる鮮血。

 再度サラマンダーの火炎が廊下を走り、悪魔達を消炭に変えてゆく。土谷はベルンフリートに指示と魔力を送りながら無尽蔵の悪魔達と戦いを繰り広げていたが――その間にも、彼の耳に届くのは『あの声』と『足音』だ。嫌に陽気な声。

 それは随分近い所までやって来ていた。

 嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な予感。

 土谷の心臓が早いのは息が上がっているからだけではない。

 悪魔の角に突かれた腕を押さえながら、土谷は見た。悪魔の群の向こう側を。

 白い高い帽子が見えた。

 異様な風体がそこにあった。

 妙な通信機を持っていた。


「そのホテルには土谷ちゃんとマリエルちゃんが泊まっています早く行かないと我輩達がぶっ殺しますので急いで来てね以上」


 けらけらけらケタケタあはははははははははははははははははははははは以下省略。

 土谷には思い当たる名前があった。

 追っている悪魔。

 最悪の悪魔。

 災厄の悪魔。

 剥いた眼に映るそれは、白い異様な姿だった。漂白されたツギハギ皮で作られた帽子に外套に手袋に、覆面。顔の代わりに赤い文字で大きく、(笑)と人をコケにしたような文字。

 上背のある人の形をしたそれには、羽があった。尻尾があった。どれも『悪魔』と言われて思い浮かべる様なもの。

 悪魔。

 悪魔だ。

 これが、あの。

「……スマイリー・ジョー……!」

「はぁい御名答ナイスナイス。お待ちかねのスーパースター、スマイリー・ジョーおでましーっ」

 アニメのヒーローがやってそうな決めポーズで、白いそれ――上級悪魔スマイリー・ジョーは驚愕している土谷にそう答えた。それからそのポーズを早々に止めると通信機をポイっとその辺へ投げ捨ててしまう。

「あ~ぁ『きれ』ちゃった二つの意味で……シロちゃんったらヒドイワ!」

 悪魔の波に抗う人間と天使と召喚獣をのんびり眺めながら、スマイリー・ジョーは傍にワープして甘えついてきた中級悪魔の咽をごろごろ撫でていた。顔は見えないが、その素顔はきっと――不気味なほどにニヤついている事だろう。

「シロちゃんにはあぁ言ったんですけどぉ~、やっぱゲームはズルしまくりのアンフェアな方が面白いでしょ? でしょ? 希望をひっくり返すのが悪魔の醍醐味的な? かけっこなんてなかったんや!!!」

「ナカッタンヤー」

「おぉヨシヨシしがないモブ悪魔Dよ、めんこいのう」

 自分の口調を真似した悪魔を猫可愛がりして、スマイリー・ジョーは不意に片方の手の平を土谷達へとかざした。召喚されたベタに悪魔的な三又の槍がその手に握られる。人間達へ向けられる切っ先。

「まぁそゆわけで死んでくらはい、ちちんぷいぷいカミサマノイウト~リ」

 刹那。

 土谷達の脚元に不吉な赤色をした魔法陣が浮かびあがり――「避けろ」と土谷の叫びは放たれる前に、魔法陣から吹き上がった激しい闇の奔流に飲み込まれた。

「うぐぁッ……!?」

 天井に叩きつけられ、衝撃に穿たれ。

 床に落ちる。血を吐いた。マリエルは意識を失ってしまう。戦闘などほとんど経験のない彼女だ。うつ伏せのその手の近くには、スマイリー・ジョーの魔法攻撃によって砕かれてしまった缶バッチの欠片が。

 しかし一方の土谷はよろめきながらも起き上がり、辛うじて下級悪魔の一撃を杖で振り払う。

「ベルン!!」

「任せぃ!」

 声を張り上げれば、応えた相棒の咆哮が大きく力強く轟いた。それは彼等を鼓舞し、弱った体に力を与える。戦う為の。勝利する為の。

 ここからだ。

 ここからが本番だ。

 男の目には決然と戦意が燃えていた。

 倒れた少女を背に護り、背後からの敵は相棒に預け、杖を強く地に突いてあくまでも真っ直ぐに立つ。

 命令を召喚獣に下せば、荒れ狂う火の奔流が力の限り周囲の悪魔を叩き薙いだ。悪魔の呻きを切り裂くのはサラマンダーの勇猛な咆哮。人間の鬨の声。

 正直、土谷とベルンフリートの限界は近い。怖ろしい程の悪魔の猛攻に魔力と体力は削り取られ、全身に傷を刻まれ、今も尚溢れる血が滴っている。されどその代償に、悪魔達の数もかなり減っていた。

「おぉ、おぉ~~見事なモンですねぇ」

 拍手ぱちぱち。スマイリー・ジョーの視線の先では瀕死の下級悪魔を踏み潰す召喚獣と、尚も凛然と立つ召喚師。

 彼等の周りの壁はすっかり崩れ、瓦礫と悪魔の血とで汚れきっている。

 スマイリー・ジョーの傍らにいた中級悪魔がけたたましい声を上げながらワープ能力を使い、撃退士との間合いを一気に詰めた。

 しかし振り下ろされる刃が土谷を捉える事はない。合わせるように振るわれた杖が中級悪魔の腕刃を往なし、その体勢を大きく崩した。

「一芸に頼り過ぎだ……!」

 言い放つ。確かにワープの力は厄介だが、単調。この中級悪魔には肝心の『脳直を使いこなす頭脳』が足りていなかったようだ。

 よろめいた中級悪魔へすかさず襲い掛かったのはベルンフリートの大顎。灼熱の牙が迫る。

「ハハッわろす」

 同時に一笑。一方で肩を揺らすジョー。

 刹那だった。

 中級悪魔の肉が膨れ上がったかと思いきや――炸裂。爆発。爆風と衝撃と。

 土谷は壁に叩きつけられ、ベルンフリートは頭部に直撃した爆発に重い音を立ててくずおれる。

 爆発四散した中級悪魔は死体すら残っていない。飛び散った血肉の痕。あの悪魔にはジョーが自壊魔法を仕込んでいたのだ。階級が上の悪魔は、下の悪魔を文字通り『好き勝手』使う事が出来る。単純明快にして不条理な力。

 ごほ、ごほ。咳き込む土谷の吐息と共に血が漏れる。肉は裂け、骨が折れ、臓腑は軋み。うつ伏せた身体の手が、虚しく床をひっかいた。

 霞む視界で見上げれば倒れているベルンフリートとマリエルが映る。その先には、一歩一歩と、まだわずかに残っている下級悪魔を下げさせて歩み寄って来るスマイリー・ジョー。カッコで閉じられた『笑』の文字。

 それは笑っている。一歩の度に、それから発せられる『嫌な気配』がより濃厚に人間の肌を舐める。

 ゾッとした。強い強い魔力。ただそこにある『悪意』。

「土谷ちゃんや。撃退士や。人間や。君はきっとこう思っているでしょう。『なぜこんなことを?』えぇ、あぁ、まぁ、そりゃあもう、きっと、おそらく、理由が欲しいんでしょう」

 一歩。悪魔の歩の度、それが手にした三叉槍が地を突く鋭い音。

「……だが! 残念! そんなものは! なァい! 強いて言うなら『かっとなってやった、むしゃくしゃしていた、反省はしていない』、かな? 明確な理由が簡潔に30文字以内で欲しいとか言うテンプレートなイイコちゃんはおまるに座ってクソでもひり出してなさい」

 悪魔はただ笑うだけ。

 ひたすらデタラメでメチャクチャだった。

 それはおよそ『普通』に理解できるシロモノではない。

 これが。

 これこそが。


 ――悪魔。


「Requiescat in Pace.せめて笑顔で逝くが良い……」

 嫌に荘厳な声でスマイリー・ジョーは三叉槍を指揮棒のように軽く振るった。展開するのは巨大な魔法陣。その禍々しい光が倒れた土谷の目に映る。

(死ぬ……?)

 自分は死ぬのだろうか?

 悪魔に負けてしまうのだろうか?

 やられてしまうのか?

「……、」


 否。


 死んでたまるか。

 負けるものか。

 やらせるか。

「僕は……撃退士だ!!」

 力を込めて、痛みを堪えて立ち上がる。

 負けられない。

 逃げられない。

 明日を護る為。

 人類の戦力として。

 誇りを賭けて。

「人間の怖ろしさってのを、見せてやるよ悪魔ァッ……!」

 尽き果てた体力を、『使いきったハズの魔力』で無理矢理奮い立たせる。

「……お?」

 スマイリー・ジョーが驚くような声を上げたのは、土谷が『己の生命力を魔力に変換』していたからだ。

 それは文字通り己の命を削る最終奥義。その危険性ゆえに禁じられている高等な技。

「ベルンフリート!!」

 増幅させた魔力を召喚獣に送りながら呼びかける。倒れていた火トカゲの爪先がピクリと動く。

 その同時に発射されたのはスマイリー・ジョーの魔力砲撃。魔法陣から一直線に破壊が迫る。

 が。それは首をもたげたサラマンダーが口を開き放った劫火と真正面からぶつかった――暴走する火力が荒れ狂う。炎は易々と悪魔の魔法を飲み込み、控えていた悪魔も焼き払い、そのまま一気にスマイリー・ジョーへ。

 紅蓮。

 太陽を走るプロミネンスの如く。

 赤い。

 建物を半分近く吹っ飛ばすほどの威力。

 一面が燃え上がる。

 赤い。

 土谷は目を細めた。

 その視界には誰も居ない――半身を焼かれながらも立っているスマイリー・ジョー以外は。


 あぁ。


 人間は呟いた。尽き果てた魔力。力を失い倒れるサラマンダー。

 万策尽き果てた。

 もう土谷には戦う力も立っている力も無い。

 それでも膝を突かず、彼は立っていた。真っ直ぐに悪魔を見澄まして。

 死など恐くはない。

 だが。だが――死にたくない。

 あぁ、死にたくないなぁ。

 まだやりたい事もたくさんある。家族や友人も悲しむだろう。

 あぁ。

 あぁ。


「畜生」


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