第三話
雨脚は変わらず。
されど、徐々に落ちる日に空は暗さを増していた。
ホテル――和束がいつの間にやら取っていた中々に良いホテルだ――その個室の窓から、灰色に雨煙る町の姿が見える。
硝子にぶつかった雨雫が、向こう側で静かに落ちていった。
「……シロさん?」
室内に響いたのは少女の呆れ声。個室内のコンピュータに勝手にアクセスした和束の、そのアバターがディスプレイの中で息を吐く。
「……」
ルームサービスのサンドイッチ――こちらも和束が「ちゃんとご飯食べなさい」と注文したものだ――を頬張りながら、着席しているシロが少しだけ振り返る事で言葉なき返事をした。覆面をわずかにまくっている為に露出している口が咀嚼をしている。嚥下した。
物凄く粗雑で粗暴でドラスティックで暴力的で無頓着で大雑把な彼だが、食事のマナーが徹底しているなど変な所で礼儀正しいのには毎度ながら驚かされる。
中々に育ちの良い子だったんだろうか……など、思いつつ電子の少女は言葉を続けた。
「うん……物を食べながら喋らないとか、そういうところはいいと思うんですよ」
でもね。にっこりと。
「お風呂入りましょうよせめて」
「調査が先だ。それに天使のそばで裸になんぞなれるか」
タオルで軽く拭いたし上着も脱いで干しているとそっけない。そのまま手を合わせて「ごちそうさまでした」と。
口元を拭いてスカルマスクを直しつつ――シロはバスルームの方を見やる。
聞こえてくるのはシャワーの音。それから、二人の少女の話し声。
「シロさん、気になるでしょうが覗きは駄目ですよ」
「化物に興奮する性癖はない」
即答。肩を竦めるアバター。柔らかな水音と笑い声を響かせるバスルームの中では、マリエルが湯浴みをしているのだ。
個室に入るなり尋問を始めようとしたシロだったが、流石に待てと和束が止めたのだ。天使とは言え女の子、それも(本人いわく)人類の味方をしたいらしい友好的な存在。濡れネズミのままなど殺生な、と。
シロは難渋の色を見せたが、髪や羽から雫をポトポト垂らして青い唇をしていた天使と相棒の説得には流石に折れた。
『何と! これは何ぞ! 風呂? 小さいな!』
『どう使うのだ? しゃんぷー? こんでしょなー? ほほう、面妖な……』
『ひゃわわわわわわわわ!! 冷たい! 冷た…… 熱い! あっつい!! シロ君ーーー!!!』
……等々、色々ハプニングはあったのだが。
流石にシロが一緒に入る訳にもいかず。仕方が無いので通信機を持たせ、バスルーム内で電子の和束がレクチャーする事となった。
「大の男が女の子をホテルに連れ込むってだけで犯罪臭がハンパないのにお風呂一緒はもうアウトでしょう」
シロと会話もしつつ、マリエルに人間式の風呂の入り方を教えている和束。その軽口を黙殺し、彼は問う。
「和束。お前、あの天使を信じるのか」
「あなたにはそう見えますか?」
「違うのか?」
「どうでしょう」
「お前な……」
「あなたが信じるなら信じます。信じないなら信じません。……な~んてね!」
おどけて笑い、アバターが画面の中でくるんと回った。長いツインテールが揺れる。大きな目が細められる。
「もしかしてシロさん、ヤキモチ?」
「アホか」
「もーツンデレなんだからー。私はあなたの味方ですよ、これまでもこれからも」
「……はいはい」
椅子の背もたれに身を預け、吐息の声。
一方のアバターも電子の世界でソファーを引っ張り出し、そこに腰かける。
沈黙。
黙したままのシロと、足をプラプラさせる和束。
聞こえるのは雨音、天使と和束がバスルームで笑い合う声。
「本音を言えば」
そんな間の後、和束が切り出す。
「信じる信じないはおいといて、興味があるんですよね。天使という存在に」
「興味、か。お前は本当、興味で心臓が動いてるんだな。俺に話しかけたのも、『興味本位』だったんだろう?」
「良く覚えてますね」
その通りですよ、と和束は微笑んだ。
今から少しだけ昔。
強力な天使を討伐した代償に重傷を負ったシロは入院していて。
そこへある日、突然届けられたノートパソコンと通信機。
『あなたが”顔無しフリーク”で”死神シロ”の撃退士さんですか?』
ディスプレイのにこやかな笑顔。二つ名を呼ぶ少女の甘い声。
いわく、自分は一般人だがどうにかして撃退士に協力したい、と。
いわく、なぜならば貴方達に興味があるから、と。
いわく、あらゆるサポートをするから相棒にしてくれないか、と。
「挨拶直後にノパソを閉じられたのは良い思い出です」
「あれには誰だって驚くぞ」
思えば奇妙なものだ。
「全く酔狂だよ。お前もお前の申し入れを承諾した俺も」
「えへへー。ありがとねん」
和束が向ける拳。応えるように、ほんの微かに笑ったシロも拳を向けた。
互いに触れる事は叶わないが、『心は一つ!』なんて青臭いのもたまにはいいだろう。とがめる者はいないはずだ。
「っと、そろそろマリエルちゃんが出ますよ。シロさん、本当にシャワー浴びなくっても?」
「後で良い」
「はいはーい。まぁ、あとちょっと待ってて下さいな」
と、和束の意味ありげな言葉。その間にシャワーの音は止まり、程なくしてドライヤーの音。驚く天使の声と、使い方を教えているらしい電子少女の声。
「……遅い」
「女の子は時間がかかるんですっ!」
頬杖を突きひたすら待つシロに即答するアバター。もう、とむくれたところで――ノック音。
「あ!」
それに表情をパッと変え、和束がシロに出るよう目で促した。
また何か注文したのだろうか……思いながら、徐に立ち上がったシロが部屋のドアを開ける。
そして。
「……」
戻ってきたシロが両手に抱えていたのは、二箱のダンボール。
差し出し人名は、和束。シロは薄々この中身が何なのか察していた。良くある事だから。
「小さい方はバスルームへ。あ、覗いてラッキースケベは駄目ですよ?」
「するかボケ」
呆れ半分、ノックもせずにドアを開けて言われた通りにダンボールをバスルーム内に入れておく。ドライヤーに夢中で気付かないとは、あの天使もいい度胸をしているものだ。
「……うふふふふふふふふふふふふふふ」
一名、物凄~く楽しそうにしている和束。戻ってきたシロに、さぁさぁ早く早くとダンボールを開けるよう急かしている。分かったよ、と肩を竦めてシロは愛用のカッターナイフでダンボールを開封した。
中に入っていたのは、服一式だ。
和束はたびたび、こうやってさまざまな道具や物を送ってくる。シロにとっては慣れた光景。
なのだ、が。
「じゃーーーん! ウサ耳ジャケットーー!!」
服を取り出したシロを指差し抱腹絶倒大爆笑。彼が持っている服は男が先程まで来ていたそれと同じものだが――フードに、うさぎさんのお耳。
「……」
そう、和束は時々こういう、『いらんこと』をするのだ……。
「あ、他のデザインやサイズは前のと全く一緒ですよ。繊維にネフィリム鋼とナノナハトニウムのハイブリットを配合し表面はダマスカス加工した特別な逸品です。その辺のヘヴィメイルよりうーーんと堅くて強いですよ。悪魔の多い所なので対悪魔用にと作った魔装なので冥界勢力の攻撃には強いですが天界勢力の攻撃には弱いのでご注意を。防御を重視したので若干前のものより重量がありますが誤差の範囲なので動きに支障は出ないでしょう。それから力を高める魔導式を――」
「あぁ、ありがとさん」
しかし、こいつは何故こうもポンポンと『普通の撃退士なら財布がスッカラカンどころか自己破産』になるレベルの魔道具を送る事ができるのか。
なんにしてもありがたい。……ウサ耳以外は。という訳で、カッターナイフでビリビリバリィと毟っておいた。
「ああああああああ」
悲鳴なんぞ気にしない。その辺の撃退士なら切り裂く事すら困難だろうが、生憎シロは果てしなくアタッカータイプなのだ。
しかしまぁこれも日常。ダンボールの底に入っていた特殊素材の糸と針が和束も『慣れている』証拠。全く、と呆れながらシロは先の椅子に腰かけ破いた所をつくろってゆく。
「いつも思いますけど、シロさんって器用ですよね」
「覚醒者だからな」
「つくろうなら破かなきゃいいのに……」
「ドアホ。この前はメイド服なんぞ送りやがって……」
「ほんの茶目っ気じゃないですかぁ、もう」
というよりシロの反応を見るのが楽しいだけだったり。今回も、シロの反応はバッチリモニターで保存してある和束であった。
それから程なくして、着替え終えたシロの視界に同じく着替え終えたマリエルが現れる。
すっかり温まったらしく、人界式シャワーにご満悦のようだ。ふわふわになった髪。湯上りで薄紅の頬。
そして、何より。
「どうですシロさん? 可愛いでしょ」
和束の声が見るよう促すのはマリエルの出で立ち。それはさっきまでの露骨に天使を思わせる白衣ではなく、現代的なそれ。くるん、とマリエルが服を見せるように回る。
「シロさんの上着とデザインが一緒なんですよ!」
「似合うか?」
嬉しそうな少女二人。マリエルの上着は確かにシロのそれと良く似たデザインだった。要所要所が女の子らしい作りで、可愛らしい黄色の生地で、そして――フードにはウサ耳。
お前、と和束を見遣ると「てへぺろ」と返ってきた。
「まぁとにかく、これでシロさんが上着を貸さなくっても済みますよ。それに可愛いでしょ? でしょ?」
「お揃いだな、嬉しいぞ!」
「あぁ……うん……分かった分かった……」
シロは片手で額を押さえ息を吐く他になかった。
さて――
「で、だ」
一段落の後。向かい合って座った人間と天使。間で見守る電脳存在。
マリエルは温かいココアのカップを両手で持ちながら、シロの双眸をじっと見た。
「お前、襲われて袋詰めにされた心当たりはあるか」
卓上に片腕を伏せさせた姿勢で男は率直に問う。天使は四白眼を一回瞬きさせるとそれに答えた。首を振りながら。
「無い。全く、分からない。
そもそも我は、天界のディメンションサークルを潜って地上に……とある廃墟に降り立ったのはつい昨夜の事だ。それまでは人間と関わりを持った事もなければ、人界の事は、恥ずかしいが右も左も分からないぞ」
思い返すのは、『我等を悪より救い給え』。廃墟に書かれた赤い文字。
人の世界。こんなにも、壊されていたのか。
我々が、壊してしまったのか。
そして、さまよい歩いて――見つけたのだ。遠くに町の光を。自分を取り囲む人間を。
次いだのは頭部への衝撃。暗転する視界。
「……しいて可能性をあげるとすれば。我の様な者を始末する為の存在、『堕天使狩り』の者達かもしれないが。我の頭を強かに殴って気絶させたのは紛れもなく人間だった。それに堕天使狩りであれば問答無用で我を八つ裂きにするはず……」
つまり可能性はゼロに近い。眉根を寄せてマリエルはココアを一口。
奇妙な縁だ。ほんの数時間、その時間差で彼女もあの廃墟に立っていたとは。だが今はその偶然はさておき――シロは思考する。
何故、あの男達はこいつを殺さなかった?
何故、こいつを生け捕りにした?
拉致? 少女失踪――何か繋がりが?
少女であれば覚醒者でも天使でも構わないのか?
「それで、お前が堕天した理由は人助けがしたいからだっけか?」
思考を続け――答えが出る気配はないが――カップを置いた天使に声をかける。
「ふむ……『人助け』とも言えるかもしれない」
聴いてくれるか、と見上げてくるので、沈黙を促す返事とする。
マリエルは一つ、深呼吸にて間をおくと真っ直ぐな目で語り始めた。
「――我は『天魔と人間が仲良く平和に暮らせる世界』を創りたい。
天魔も人間も仲良く平和で、誰も争い合ったり憎み合ったりしないで、虐げられる事もなくって……そんな理想郷を。現世にある楽園を。
我の思想は天界においては『異端者』だ。異端者はあまねく処刑されてしまう。だが、地上界ならば。そう思って天界を、生まれ故郷を、仲間を裏切って、命賭けで堕天したのだ」
静かな部屋に凛とした声。堂々と、臆さず驕らず放った言葉。
後悔はしていない、と。
「……、」
シロも、和束も、呆気に取られていた。シロは黙したままマリエルの目を見返しており、和束のアバターはポカーンと口を開けている。
……楽園?
あまりに突拍子もなく、壮大すぎて、想像もつかず。
想像してみた事はないか? と言う。それは、あまりにも、あまりにも理想的過ぎる『理想』。
まるで子供が描く夢の様な――夢、そう、まさに夢だ。
しかし天使の顔は真剣そのもので、真面目で、全くの本気だった。
「あー……」
どう返したものか。シロは椅子の背もたれに身を沈める。
確かに。確かに、それが達成されれば正に。素晴らしいだろう。だが……ああ、いや、止めておこう。
どうやらこの天使は、己が理想については一歩も譲る気はないらしい。
――平和。
皮肉なものだ。
人間の男は天魔を皆殺しにする事でそれを勝ち取ろうとしており。
天使の少女は天魔も人も仲良くなる事でそれを築かんとしている。
「……で、その為にお前はどうするつもりなんだ?」
「こうする」
と。マリエルがシロへ掌をかざした。白く光が宿る掌を――
「――!」
反射。攻撃される、と思った。
咄嗟。伸ばした手で少女の細い手首を掴んだ。
だが。
「だ……大丈夫だ、痛い事をするつもりじゃあない」
手を捻り上げられた痛みに顔をしかめながら、マリエルがさとすように言う。成程彼女の言う通り、攻撃の気配はない。
されどシロは天魔を嫌うが故に信頼できず、そのままの体勢で低く問うた。
「化物め、何をした」
「君、脇腹に傷があったろう」
「……」
「分かるんだ。傷の臭いが。我が力は『アストラルヴァンガード』……癒し治す事が専門なのだ」
言われて、空いた片手でそっとシロは己の脇腹に手を遣ってみた。昨夜、ディアボロに斬られた傷が……治っている。
和束が緊張の顔で見守る中、シロは静かにマリエルの手を離した。ただし目は変わらぬ敵意で睨ね付けている。天使はアザができるほどに握り締められた手首をさすりながら、シロの目を真っ向から見返した。
「君は、傷の臭いが酷い。……顔だ。覆面の下だ。傷の具合を、見せてくれないか?」
その言葉に。シロは微かな間を開けた後に目を閉じて、あらゆる視線を意識からシャットアウトして。
「……断る」
「どうして?」
「教える理由はない」
それはそれ以上の追及を許さぬ鋭い物言いだった。開かれた目が、髑髏の双眸が、天使を射抜き威圧する。
「俺がお前から知りたい情報はもうない。出て行け、俺に殺される前にな」
「断る」
「……はぁ?」
自分が言った言葉をこうも早く返されるとは。シロが聞き返す先では、マリエルは上着の長い袖を握り締め、向けられる殺意に震える膝を押さえこんで、奥歯を噛み締めて、しかし逃げる事を、目をそらす事をしない。
「我は……君と友達になりたいんだ」
「喧嘩を売っているのか?」
「違う。我が理想の為に、天魔と人は種族こそ違えど分かり合える存在なのだと、証明したいのだ。
その為に、先ずは百人。我は百人の人間と友達になってみせる。
勿論、君の邪魔はしない。君のやらなければならない事の手伝いもするし、傷を負ったならばすぐに治そう」
頼む、とマリエルは頭を下げた。
「どうか、連れて行ってくれ! お願いだ!!」
「……――」
シロの表情は誰一人も読み取れない。
だが彼は困惑していた。天魔とは、どいつもこいつも人間をゴミのように見ているゴミだと信じていたから。この様なイレギュラーな天魔に遭遇した事は初めてで――喉笛をカッターでかっ切れば済む話なのに、いまだそれもできていない。
「私はシロさんの決定ならば何も言いませんよ」
先んじて和束が言った。シロはまだ言葉を発しない。
だが、いつまでも沈黙している訳にもいかず。
「……俺は天魔を信用しない。化物を放置する訳にもいかない。
いいか、貴様は俺の仲間になるんじゃあない。俺の監視下に置かれるだけだ、貴様は人権のない捕虜だ、分かったな化物め」
突き付ける指と言葉。何処までも敵意剥き出しの台詞。だが――和束は苦笑と溜息を同時に、マリエルへ。
「OKですって。良かったですねマリエルちゃん!」
「! 本当か! ありがとうシロ君、感謝するぞ!」
「喧しい。精々部屋の隅で命乞いの台詞でも考えておくんだな」
「『今日はもう休め』ですって」
「おい和束貴様」
振り返り睨んだ髑髏に空々しく視線を逸らし、口笛を吹くアバター。その間にも「ありがとうありがとう」とマリエルがはしゃいでいるわで、シロは疲れた溜息を零した。
「お疲れでしょうシロさん」
視線を戻した和束が言う。
「ロクに睡眠もとってないでしょう、いくら覚醒者でも動き詰めは体に悪いですよ。……今日の所はもう、休まれては?」
「……」
「お風呂。好い加減に入りなさい。汚い男は嫌われますよ。ねっシロさん、良い子だから」
「だが――」
「はいはい、私がこの天使ちゃんを『監視』しときますから」
「……」
ようやっとシロの腰が上がる。バスルームへ――行きかけて、マリエルへと振り返った。
「よ――」
「――けいな事はしないぞ。ちゃんと良い子でお留守番してるのだ」
「……」
「なぁシロ君?」
「あ?」
「君はどうして戦っているのだ?」
「人類だからに決まっているだろうが」
ピンとした姿勢で座ったマリエルと、手をヒラヒラ振る和束に見送られ。言い終わる事には踵を返し。
それから、ドアの閉まる音。
「さて、と」
ややあってパソコンの中の少女が、上着のウサギ耳を弄る少女に穏やかな、そして申し訳なさそうな視線を向ける。
「ごめんね、シロさん、あんな心無い事ばっかり言うけど、本当は……誰よりも人類と平和と正義を愛する人なんですよ」
理想主義者の癖に現実主義者。本音を言えばきっと、マリエルの『理想』にだって賛同したい筈だ。完全な平和。完璧な楽園。人類にとってそれが最も有益であるならば。
だがその方法を知っていれば彼はもうきっと『そうして』いるだろうし、それ以前に彼は腹の底から天魔が嫌いだった。
「『奴等は奪い尽くして焼き尽くして殺し尽すだけだ』と、シロさんは口癖のように言ってます。理由は……分かりません。ですが」
あの顔。と和束は続ける。
覆面の下を見た事はない。眠る時もあれで。だがマリエルが言い当てた通り、酷い傷がある事は確か。
それと何か関係があるのでは、と和束は言うのだ。
「ふむ……」
マリエルは頷く。
「彼はおっかないけれど、良い人だ。天界にもあのような者がいればいいのに」
「いや~それはちょっと……人類と冥界が滅んじゃう、かな……?」
あんな天使――「人類は敵だ、悪魔は敵だ、天界の為に全て破壊する! ゴミのように死ね!」とか言ってカッターナイフを振り回す翼を持った髑髏面――がいてたまるか。
「そうだ和束君、シロ君とはいつ出会ったのだ?」
色々想像していた和束に声をかければ、「あぁ」と和束は懐かしむ様に遠くを見ながら語り始めた。
「あれはもう5年は昔じゃないですかね……」
――和束は撃退士になりたかった。超常の存在となって天魔と戦う存在になりたかった。
正義の使者。平和の戦士。希望の存在。まるで子供の頃に夢見たヒーローの様で、憧れだった。
だが、現実問題。彼女(あるいは彼)は常人で。ただの人間で。何年待っても覚醒する事はなくって。
それでも、諦めきれなくって。
憧れと夢の世界の、仲間になりたくって。
出した結論は、『ならば彼等を助ける存在になろう』。
そして和束は探した。『相棒』を。
「どうやって?」
「色~んな人に話を聞いたんですよ。なんか凄い人いません? って」
実に様々な人がいましたよ、と和束は続ける。
「でね、その時に耳に入った話が……『顔無しフリーク』と呼ばれる『死神』の存在です。オススメじゃなくって、逆に『あいつだけは止めておけ』ってね」
「それがシロ君?」
「そうそう」
曰く、撃退士の中でも異端。パラノイア染みた思想の男。正義の狂信者。一度標的にした天魔は何処まででもおいつめて必ず殺す。その為にはどんな手段も選ばない。故に死神。彼は進んで交流を持つ事もなく、誰からも敬遠されている。そしてその顔を見た者は居ない。常に不気味な覆面を被っているから顔が無い――Freak(怪物)。
「……直観でしたね。彼しかいないって。だって」
模範的なイイコちゃんじゃつまらない。怖いもの見たさ。どんな人なのだろう、と。興味。好奇心。
そんな時に丁度、彼の居場所を知ったのだ。戦いの後で傷を負って入院している、と。
チャンスだ、と思った。そしてコンタクトを取った。正体を伏せる自分にいぶかしみ警戒する彼だったが、遂には折れて『一度だけ』と。
そして――その『一度だけ』が、今でも続いているのである。
「あの人は本物のヒーローなんですよ。それも不完全で、強い癖に弱っちくて。人間なんです。誰よりも。
だからですかね、惹かれるのは。多分、あの人が完璧な人間だったら私は相棒になってないですよ」
ちょっと照れ気味に和束は笑った。次いでその照れを隠すように、マリエルへと真っ直ぐな眼差しをやってこう言った。
「シロさんってばしょっちゅう傷だらけになりますから。貴方の力はとても心強いですよ」
どうか仲良くしてあげて下さいね、と。直接彼を護る事が出来ないからこそ――ちょっとそれを羨ましいと思いつつも――天使に、託す。
「うむ。大丈夫だ、彼は我の友人だ。協力は惜しまないぞ!」
立ち上がる少女は胸を張り、しっかと頷くのであった。