第二話
天気予報が外れる事はなく、空模様はやはり雨だった。
新しい一日。灰色の空、灰色の町。
人が、車が、喧騒を奏でながら往来する大通り。
今日も髑髏の男は傘も差さずに歩いている。
「――で、あれから一睡もせずにですか?」
欠伸交じりに和束の声。仮眠から目覚めたばかりの様で、時折コーヒーを飲む音が通信機から聞こえてくる。
「何か問題でも?」
返すシロは相変わらずの物言いだった。「別に問題は無いですけど」と少女の声は息を吐く。
あれから――昨晩から、シロはDisの悪魔を時間と能力の許す限り探し出しては滅ぼしていた。滅ぼしまくっていた。一晩中。雲の向こうで太陽が昇るまで。
そしてようやっと街に人間の賑わいが色付き始め、魔が息を潜める頃になって。
まだ悪魔の気配は完全に消えていないが、一旦シロがカッターナイフを収め。
おやすみなさいと和束が仮眠に就き。目覚め。
今に至る。
今何時か。もうお昼過ぎ。どうりでお腹が空く訳だ。
和束は甘いメープルシロップをかけた焼きたてトーストをほおばりながら言う。
「ねぇシロさん?」
何度目かの溜息。たしなめるべく重い溜息。
「まさかとは思いますけど、あのまま聞き込みとかやったんですか?」
「それがどうした」
「うっわぁ……」
流石の和束もモニターの前で顔をしかめて頭を抱えた。
あのまま。
即ち、雨にズブ濡れで、悪魔との戦闘後のままの出で立ちで、返り血や汗もそのままで、汚い地面を転がったりしたその姿で。
「汚い流石シロさん汚い。物理的な意味で」
「シャワーなら浴びてるだろうが」
「ねーぇシロさん? 雨水はシャワーではないんですよ? 全く、風邪をひいても知りませんよ。私の看病なんて、精々『頑張れ頑張れ治れ治れ!!』っていう応援程度なんですから」
「我々覚醒者はそれぐらいで音を上げん」
覚醒者は飛びきり頑丈なのだ。文字通り人を超えた彼らの身体能力は凄まじく、実際、昨晩の傷もほぼ治りかけている。
とは言え。
とは言え、だ。
「折角お名前が『シロ』なんですから、身形は毎日奇麗にしときましょうよ。いつもみたいにまとめてパーッとやるんじゃあなくって。驚きの白さでビフォーアフターですよ。それに撃退士なんですからお国からいっぱいお金貰ってるんでしょう?」
「……今夜は宿を取る」
「言わなくともそうさせるつもりでしたが、あぁ、良かったホント。そゆわけで近くの宿ならもう取ってあるんで、一休みしたらどうです?」
分かった分かった、とシロの生返事。
しかしこれでも随分マシになった方だ、本当に――和束はやれやれと呆れる他に無い。この男は自分の為に時間を使おうという気が無いのだ。一分一秒でも『人類の為』。聞き込み調査。てんまぶっころ。
その内過労死するんじゃないかなぁ、なんて。
「宿先でかたっぱしから聴き込みと行こう。ひょっとしたら他に天魔撃退士がいるかもしれん」
あぁ思った矢先にこれだ。「お好きにどうぞ」と応えておく。ブランチの暖かいパンを飲み込みながら。
一方で、和束が眠っている間に何処ぞで買ったのか、シロは覆面を巻くって器用にカロリーブロックを食べていた。
本当にわずかしか捲くらないから彼の顔はほとんど見えないが。少しだけ。覗く顎先。そこにある皮膚に酷く焼けただれた痕がへばり付いているのを、和束は知っている。
今まで彼がその話をしてくれた事は、ないけれど。
「わりと賑やかな町ですねぇ」
「あぁ」
「チョコ味?」
「メープル」
「あ、お揃いですね。私も今トーストにメープルかけて食べてます」
なんて、他愛もない日常会話。言葉は和束の方が圧倒的に多いのもいつも通り。覚醒者はメープルフレーバーのブロックを噛み砕いて飲み込んだ。そのタイミングで和束は問う。
「で……シロさん」
「何だ」
「聴き込みの方は上手く行ったんですか?」
「全く駄目だ」
「全く?」
「一言で言えば、この街の人々は『我々に協力する気が皆無』だ」
それって、といぶかしむ和束の声に頷きながらシロは全てを説明する。
「この少女に見覚えはないか」
その時彼はそう問うた。失踪した少女達のデータ一覧を見せながら。あらゆる人に、何回も。
そして返ってきた反応は、誰も彼も全く同じだった。
「いいえ、知りませんね。なんせこの町はとっても平和で治安が良いですから!」
と。ニッコリ人良く微笑んで。その後は何を言ってもこう言い続けるのだ。
「良い旅を、撃退士さん!」
「良い旅を、撃退士さん!」
「良い旅を、撃退士さん!」
「ヨイタビヲ、ゲキタイシサン」
――そう、誰も彼も。大人も子供も、男も女も、警察もチンピラも。
「……俺は一度も、自身を撃退士だとは先んじて名乗らなかった」
いっそ不気味な人々の笑顔を思い出しつつ。奇妙だ。おかしい。おぞましい。
「な、何ですかそれ」
「俺が聴きたい」
一見すればただの汚い町。往来する人も何も変な様子は見当たらないのだが。
「天魔共の仕業だ。違いない。必ずそうだ」
悪い事=天魔の仕業、という暴力的な理屈。下手をしたら人間が起こした凶悪事件までも『天魔の仕業だ』と言い出しかねないほどの天魔殺戮思考の男である。
異常な執着心とどこまでもドラスティックな言動。
「こうも露骨だと、むしろ挑戦状を叩き付けられた気がして……忌々しい。天魔共め。悪魔共め」
覆面の下で歯列を剥く。
悪魔共め、と言ったのは昨晩から下級悪魔ばかりを見かけた故。おそらくここは天界ではなく冥界勢力のテリトリーなのだろう。
「本当に天魔の、悪魔の仕業なんでしょうかね?」
「当然だ。ここまで下劣な。徹底した。……人間の領域に穢れた土足で踏み入って来やがって。殺してやる。殺してやる。クソ共め。人類の敵め。あいつ等は敵だ。くそっ。くそが……」
本当にこの男は天魔の事となると……和束はただ黙している。雨で良かった。雨音に紛れず、この殺意に満ちた呟きを一般人が聞いたら通報されても可笑しくない。
苛立ちを見せるシロだったが、その脳内では猛烈に思考が巡っていた。
少女の失踪。奇妙な住民。
治安が悪いのと何か関係しているのか?
なぜ治安が悪い?
いつからだ?
悪魔の目的は?
本当に悪魔の仕業か?
いいや悪魔の仕業だ。絶対にそうだ。そうに違いない。
だとするならば相当に厄介な悪魔だ。少なくとも、中の上以上のクラス。
ならばそれを滅ぼせばいい。絶対に見つけ出して八つ裂きだ。
その為の、この力。
(殺せば解決って思ってるんだろうなぁこの気狂いは)
モニターを前に頬杖を突き、和束はシロが落ち着くのをのんびり待っていた。彼は気が立っている時は全く返事をしないタイプだからだ。
まぁそんな所がどうしようもなくって可愛いんだけども。
さて――和束は暇潰しに近くの携帯電話に干渉できないか試してみた。そしてそれはアッサリ成功し、暇潰しにこの携帯電話の持ち主が今どんな状況なのか、所謂盗聴を開始する。
ざざ、ざ。ノイズの後に、聞こえてきたのは男の声。
『……しっかり運べよ、落とすんじゃねぇぞ』
『分かってますってば……』
おや、引越し屋さんかな?
『で……これ、どこまで運ぶんでしたっけ』
『その先までだ。そこからは知らん。さっさとしろウスノロ、変なヤツがこの町を嗅ぎ回ってるらしいからよ』
『へいへーい』
……これは。
和束は瞠目するや、すぐさま彼らの位置を補足しながら相棒に話しかけた。
「シロさん、今通り過ぎた路地に入って、2番目の曲がり角を右に行って下さい」
理由は、と先程の音声を再生する。
「……!」
「ね?」
何かは分からない。されど、何かある事は分かる。
「でかした和束」
「そりゃ、あなたの相棒ですから」
行きましょう、という和束の声と同時に、シロは雨粒が横たえたアスファルトを蹴って駆け出した。
足音と水の跳ねる音。
再び路地裏の暗い中。
障害物を飛び越え、壁を蹴り、シロは常人にはありえぬ速度で和束が告げた目的地へと急行する。
ばしゃり。
靴裏が水溜りを叩き、汚れた路地に水が跳ねる。
髑髏の暗い眼窩に映るのは2つの人影。
「……あ?」
振り返る男二人。一人はやけに厚着の男。もう一人は死体袋を担いだ男。
視線が合った。そしてすぐさま彼等が見せた表情は言葉なくともこう言いたげなのが理解できた――『げっ、面倒な事になった』。
「作業中恐縮だが」
ややの間の後、覆面でくぐもった声のシロが問う。逃げ場をふさぐように、狭い路地の真ん中にて立ち。
「その袋の中身は何だ? 死体か?」
「誰だお前。質問すんなら先ず名乗ってから、下手に出るのが常識だろうが」
一歩進めば、一歩後退。凶相をしかめ、厚着の男が言う。シロは浅く息を吐いた。
「……俺は国家公認天魔撃退士だ。国家権力には全力で協力するのがお前達の役割だが?」
「税金泥棒め……」
「それを10倍返しにしたいからお前達に『調査協力』を申し出ている」
厚着の男は舌打ちを飲み込み、努めて笑顔を作るとこう答えた。
「そうかいそうかい。あぁ、じゃあ言うよ。俺達はしがない清掃人でさぁ。『誰かさん』のおかげでオカネが無いから死体処理をやってその日暮らしをしているんですよ~」
なぁ? 厚着男が死体袋の仲間へと振り返る。……が、そこに仲間の姿はなかった。死体袋を置いて全力で走って逃げていた。
「あっテメェ!!」
「奴等がグルだなんて聞いてねぇよう!」
「待ちやがれこのボケ――」
と、手を伸ばしかけて。その背後にシロが居る事に彼は気付かなくって。
突き抜けた衝撃の後に意識暗転。
「……うわぁ」
どさりと生き物が倒れた音の後に和束の声。
「出会って数十秒の人に子孫滅ぼし残虐キックとかシロさんってホンット容赦ないですね」
「手加減はした。いや、この場合は脚加減か」
白目を剥いて倒れた厚着男を見下ろす。シロに金的蹴りを喰らってくずおれた可哀想な人を。
「こいつ」
爪先でつつく着膨れた脇腹。
「俺の質問に『良い旅を、撃退士さん』と言わなかった」
「そう言えば……逃げてった男もそうでしたね」
「ふむ」
しゃがみこむ。手を伸ばし、胸倉を掴んで上体を起こし上げて。
「おい」
「……」
「おい」
「……」
「和束。こいつ死んだのだろうか」
「シロさん、あのね、男の人はね、必殺一族撲滅鬼畜蹴りを喰らうと大変な事になるんですよ。まぁ私は女の子ですけどねー!」
「さっきと名前が違うぞ」
「まぁそういう日もありますよてへぺろ。で、起こさないんですか?」
「ドアホ、起きないんだよこいつが」
「おばか、あなたの所為でしょうが」
「逃げられると面倒臭い。……生爪でも剥げば起きるだろうか……」
言いながらシロが視線を男の手へとやった瞬間。ハッと目覚めた男が声なき悲鳴を上げた。
「う、うわぁぁ止めろ! 離せ! 何が目的だ? 金か? 金ならある! いくら欲しい!? いいいい命だけは! 俺には年老いた両親が居るんだ!」
「っはー分かりやすい死亡フラグ立てますねこの人」
和束の呆れた声の先で、厚着男はシロから逃れようと暴れている。が、ガッチリ掴んだその手は一度噛んだら獲物を離す事の無い獣のアギトの如く。
「お前、さっきは金が無いと言っていただろうが。嘘を吐いたな」
「ほ、本当は金は無い……です」
「そうか。で、話してくれるんだな? 色々と」
「まずは離してくれませんか?」
「断る」
「……」
それで? 促すように胸倉を掴む手に力を込めれば男の顔が更に蒼くなる。見開く目に髑髏の顔。
「『この町を嗅ぎ回っている変な奴』『奴等がグル』……どういう事だ?」
「し、知りません、俺は『召喚獣を連れた召喚獣使い(バハムートテイマー)の撃退士がこの街を探し回っている』って事しか……それだけしか知らないんだ。
そっその代わりに知ってる事を話しますよ。あの袋の中は天使っす。俺達のボスから命令されて捕まえたんですよ。何でかもどこに運ぶのかも知りません。……さっきのバハムートテイマーの事も、ボスから」
早口でまくしたてる男にシロは質問を投げかけようとしたが、その前に「あっ」と彼が言葉を続けていわく。
「ボ、ボスの事は何も知りません。顔も声も居場所も、なんにも知らないんです。ただ差し出し人も分からない手紙がいつの間にか届くだけで……。今回は『外の廃墟に行って天使を捕まえてこい』って……。
俺はほんの下っ端なんです、本当に、本当に何も知らないんです信じて下さいよ! ねっ! ねっ!」
全部話しましたから、と引きつった笑みを浮かべる。
シロは無言で情報を脳内で整理していた。この厚着男がこれ以上は何も知らないのは本当らしい。そして他人をいたぶる趣味は持っていない。手を離しつ、問う。
「……その死体袋を運ぶ予定だった場所は?」
「この辺りです」
「ふむ……」
ならば受取人が現れても良さそうだが――と思って見渡してみたものの。自分達以外の気配はない。
視線を戻せば、早々に立ち上がった厚着男は既に愛想笑いで後退を始めていた。
「それじゃ俺はこのへんで……」
「……色々ありがとよ。で、逃げたあいつとお前は覚醒者か?」
「へ? そうですけど何か」
「覚醒者は『変』にならないのか?」
「……知りません。でも、俺の知ってる覚醒者連中は皆、『変』にはなってませんね。
さぁ俺は知ってる事は全部話しましたよ。あと教えられるのって言ったら、俺の好きな女の子のタイプぐらいですからね」
「じゃあ好きな女の子のタイプは?」
すかさず問う和束。シロが溜息を吐く中で、男は走り去りながらこう答えた。
「黒髪ショートのボブで巨乳!!」
遠退いてゆく足音。再び雨音だけに包まれる路地。
「男ってほんと、オッパイスキーですね」
呆れたような和束の物言い。その間にも彼女の発言をスルーしたシロは置いていかれた死体袋の傍にしゃがみ込んでいた。
ぽつ、ぽつ、と雨粒を受ける黒いそれ。シロは用心深く、片手にカッターナイフを持つともう片手で死体袋を開け始めた――。
天使。それは名前に反して悪魔に負けず劣らず凶悪な連中。欲望に忠実で破滅的な性質を持つ悪魔とは違って、彼等は酷く傲慢で自らこそが至高の存在だと狂信しており、『下等な悪魔や人類は滅びた方がこの世の為』と本気で信じている者達だ。
あの男いわく、この袋の中にはそんな存在が収められている。
和束も固唾を飲んで見守る中。
かくして、死体袋の中から現れたのは――少女だった。
「……!」
少女。歳の頃は13、4程か。目を閉じている。気を失っている。あどけない顔立ち。長い長い緑の髪。人形のような見た目。
だが、人間ではない。少女が身に着けているのは明らかに人類が着ている物とは異なる衣服。如何にも天界を思わせる白く薄いそれ。
そして何より――背中に生えた白い翼。それが、彼女が天使である何よりの証拠であった。
「ほ、本当に天使ですね……」
どうします、と意味合いを込めて和束が問う。
「……」
シロは無意識的にカッターナイフを握り直していた事に気付く。それほどまでに、彼は天魔が嫌いだった。
天魔を見ていると、『古傷』が痛む。ズキンズキンと鳴り止まない。そしてその痛みは、彼の憤怒を一層かきたてると共に際限なく殺意を呼び起こすのだ。
目の前に居るのは、見た目こそ少女。だが凶悪な化物。気を失っている今がチャンスだ。しかし情報を持っているかもしれない。それでも天魔は人類の敵だ。だが。でも。殺すか生かすか。どうする。
「――」
記憶の何処かで少女の声が『男の名前』を呼んだ気がした。遠い遠い何処かで。
と、その直後。
「……う、ぁ……?」
天使が緩やかに瞼を開けた。海色の深い青。その視線が、自分を覗き込む髑髏の顔に辿り着く。
目が合った。
見る見る内に、天使の双眸が見開かれる。人間に恐れたのか、状況を理解したのか、目の前に凶悪な髑髏顔があったからか。
否。答えは、それの全てに当てはまらなかった。
「……凄い! 本物のヒーローだ! やはり地上にはヒーローが居たんだ!」
上体を跳ね起こしながら見せたのは、驚きと喜び。
「地上の本で読んだ通りだ、『覆面を被って危機を救ってくれる者』……間違いない!」
感動感激。きゃあきゃあと興奮気味に天使はシロを眺め回す。一方のシロは無言で、呆気に取られていた。
何だこいつは。
立ち上がって半歩下がり、突き付けるカッター。
「貴様……何のつもりだ」
「は。すまない、どうか恐れないでくれ人の子よ。我は天使だが、人間を襲う心算は無い。むしろ人間の味方だ」
害は無い、と両掌を見せながら天使はさとす様に言う。
「……誰が、貴様を恐れている、だと?」
「君の目、天魔を嫌う気持ちでいっぱいだ」
「人間だからな」
「頼む、どうか。我は戦いが嫌いだ。いがみ合うのはもうたくさんだ。だからこそ堕天使となったのだ」
「堕天使、だと……!」
堕天使。冥界側でははぐれ悪魔。撃退士であるシロも知識としては知っていた。
彼等は、己が目的の為に天界・冥界から離反し、人類側にくみした者達。堕天・はぐれる事は冥界天界双方においては第一級の重罪である――当然だ、仲間を裏切ったのだから――大抵の場合、離反しようとした者は即刻殺される。運良く地上に逃れても、追手に殺される。
故に堕天使やはぐれ悪魔の数は非常に少なく、シロですら現物を見るのは初めてであった。
「申し遅れていたな。我が名はマリエル。堕天使だ。……君には感謝している。命の恩人だ。
そして、出逢えた事をとても嬉しく思う。平和をもたらさんとする存在よ、天鋼が如き正義の使者よ、我がヒーローよ」
立ち上がって嬉しそうに、口元に抑えきれぬ笑みを浮かべて。
ヒーロー……恐らく、偏った人界知識。本が云々と言っていたが、多分、漫画か何かだろう。
嗚呼、呆れてものも言えない。カッターナイフを持つ手を下げて、もう片方の手でシロは額を押さえた。
「あのな……」
「何だろうか」
「俺は天魔撃退士だ。知っているだろう、撃退士。お前達を殺す人間だ」
「知っているぞ」
「そんな奴に。そんな事を言ってもだな。言い逃れにしか聞こえん。信じられると思うか?」
「……そうだろうな。我は、我々天使は、人間の敵で。我々天使にとっても、人間は敵なのだから……軽々しく『信じろ』と言うのは、君達にとって侮辱に近いそれに聞こえてしまうやもしれぬ」
柳眉を寄せて天使は言う。しかしその物言いから力強さが抜ける事はなく。
「だが我は何度でも言おうぞ、『信じて欲しい』と!
その為には何だってしよう。不安であれば我が指を落とせ。我が目を刳り貫け。我が翼を引き千切れ。それで君の信頼を勝ち取れるのであれば、安いものだ。
そしてその覚悟が我にはある! その程度で屈するのであれば堕天した意味がない!!」
張り上げた声、真っ直ぐに見る目。
沈黙。雨音。
「……」
和束は黙って二人の様子を窺っていた。それでもやはり横たわっているのは沈黙。
それから、ややあって。
「……保留だ」
シロの声。
「お前を信じるか否か。お前がどれだけわめこうがそれは俺が決める。貴様の目的だとか信念だとかにはこれっぽっちも興味はない。
……いいか、妙な気を起すなよ化物。俺は貴様の持つ情報が得たいだけだ。妙な事をしたら、即、殺す。殺してやる。徹底的に残虐に殺してやる。生まれてきた事を後悔させてやる。二度と笑う事も出来ないようにしてやる」
底から響くような低い声。その剣幕と殺気は、脅しではない。背骨にゾクリとしたものを感じながら唾を飲み込んでマリエルは頷いた。
「それから。……俺はヒーローじゃない。ただの人間だ」
吐き捨てるようにしめくくって、シロは上着を脱ぐやマリエルに投げ寄こした。黒いそれは見た目以上に丈夫な素材でできているにも関わらず、見た目に反して非常に軽かった。
「着ろ」
「あ……濡れているが別に寒くは」
「お前は馬鹿か? 脳にウジでも詰まってんのか?」
マリエルの姿はあからさまに天界の者である事を示す出で立ちであった。そんな格好で往来を歩けば嫌でも目立つ。トラブルが起きる。それを防ぐ為。
決して女性をエスコートだとかそういうロマンチックな意味合いはカケラもない――それは和束が一番良く分かっていた。同時に、「いいから着とけ」とか言っておけばポイント高いのになぁ、と。
「……なんて言ってますけど、本当は良い人なんですよ。頑張り屋さんのヒーローです」
思いながら。苦笑交じりで和束はマリエルに話しかけた。どこから声が、とキョロつく天使に「こっちこっち」と声をかける。
「和束、お前余計な事を――」
「あはは。はいはい、ごめんねシロさんあいしてるよちゅっちゅ。……マリエルちゃん、私は和束。こうやって通信機越しにシロさんの――この人の、サポートをしているんです。よろしくね!」
「うむ! よろしく頼むぞ和束君」
シロの上着を着終えたマリエルが元気よく返事をする。しかし、と和束は思った。ちっちゃい子にでっかい男のだぶだぶ上着。うん、アリだわ。この場面キャプって保存しとこ。
「しかし、時に和束君よ。『あいしてるちゅっちゅ』と言ったが、君達は恋仲なのか?」
「え~~~っ いやーんどうなんですシロさぁ~~ん? うふうふうふふっ!」
「…… 殺 す ぞ ボ ケ 共 ……」
「「正直すまんかった」」
目で殺されそうだったのですぐさま頭を下げたマリエルとモニターの前で同じく頭を下げた和束であった。
「まぁ、いつまでも雨の中にいるのも寒いでしょう。近くのホテルを取ってあります、マリエルちゃんの分も追加しましたし。話の続きはそこでやりましょうよ……温かいものでも飲みながら」
苦笑のまま和束は二人へ言う。シロも、マリエルも、疲れているだろう、と。
全く、傘も差さないで――無言のまま踵を返して歩き始めた男と、その後をついていく天使と。
一見すれば親子か兄妹か。