第四話
今までの鬱々とした雨が嘘のように、Disの上に広がっていたのはどこまでも青い空であった。
町は、人は、酷く酷く傷付いた。それでも彼等は生きており、日々と共に力と元気を取り戻し。
賑わう町にはもう、胡乱な気配は欠片も無い。誰も彼もが復興に大忙しで活気付いていた。同時に治安も向上し、お世辞にも『凄く良い』とは言えないけれれど、もう人間が怯える必要はどこにもなかった。
「そこのチンピラ、止まりなさい。直ちに止まりなさい」
「止まれって言われて止まるバカがいるかってんだボケがぁあああ!!」
そんな大きな声と大きなサイレン。警察の車に追いかけられるゴロツキが猛然と駆けてゆく。厚着の男と、その取り巻き。必死こいた形相で。
そんな喧騒を聴きながら、蓮寺は町の隅にある墓地にいた。あの戦いで殉職した部下達に花を供える。一人ずつ、一人ずつ。その中の墓碑の一つには、『土谷』という文字が刻まれていた。彼は彼女の部下ではないけれど、この町の為に戦って散って逝った者に貴賤はない。ありがとう、と告げた。
顔を上げた蓮寺の頬を優しい微風が撫でる。赤い髪が揺らいだ。彼女の愛娘であるエミは久遠ヶ原学園が預かる事になった。悪魔となってしまった以上、人間の町にいる事は危険だ。それに人間にとっては様々な未知が集う所にいれば、もしかしたら――人間に戻る方法が見つかるやもしれぬ。
なんにしても、エミは蓮寺の大切な家族。離れるのは寂しいけれど、娘が元気そうならば。毎日が楽しいというのであれば。母としてこれほど嬉しい事はない。
見上げる空は、雨も無く。青の中で白が泳ぐ。風に流され、たゆたって。
「……」
周囲をビルに囲まれた小さな教会、その屋根の上にマリエルはいた。座り込んでいる。隣には十字架。肩の上にはベルンフリート。
あれからマリエルは沈鬱とした状態が続いていた。久遠ヶ原学園から招待は来ていたのだが、そこに赴く活力も無く。
あれからシロの死体は見付からず、生存はほぼありえないと。シロはいなくなったのだと。伝えられた。
シロが死した。その現実が、重く深く突き刺さる。
もっと出来る事があったのではないか、自分の考えは甘かったのだろうか。
「マリエル……斯様な顔をするでない、我輩まで悲しい気持ちになってしまうであろう」
励ます様にサラマンダーは温かい身体を擦り寄せる。黙したままの天使は溜息を押し殺す。
ベルンフリートとて、悲しい気持ちは同じだ。半身にも等しい主人を喪ったのだから。結果として憎い敵は滅びたものの、結局一矢報いる事は出来ず仕舞い。無念だった。
それでも、後ろばかりを見ていてもどうにもならず。きっといつまでも悲しんでいる事を主人は良しとしないだろうから。
だからこそ彼は、マリエルに笑顔になって欲しかった。キューンと小さく鳴いて――ふと。火トカゲは十字架の麓にある物を発見する。
「?」
ぱたぱた羽を広げて、その傍へ。拾い上げてみる。それは――
「……マリエル!」
思わずベルンフリートは新しい主人の名を呼んだ。振り返った彼女の手の中に落とすのは、赤い柄のカッターナイフ。
「これは……!」
ボロボロで、刃はなく。だが、マリエルには見覚えがあった。これは。これは。間違いない。
シロが使っていた、カッターナイフ。
マリエルはただただ目を見開く。その目に、映った。赤い柄に、小さく文字。
『進め』
それはシロが彼女に遺したものか、そうでないものなのか、そもそもどうしてこんな所にあるのか、爆発に吹き飛ばされたのだろうか。分からない。だけれども。マリエルは心から温かい感情がこみあげて来るのを確かに感じた。
進め。そう。進まねば。進まねばならぬ。彼はいつだってそうだった。進まなくては。いつまでも立ち止っていても、何も始まらないのだ。
マリエルは涙を拭って顔を上げた。ビルの底だけれども、青空は確かにそこにある。その目に見える。
彼の『意志』を強く強く、握り締め。
「――行こう、ベルンフリート!」
「了解である!」
天使は雲より白い翼を広げ、夢をその手で掴む為に――進む為に、ふわり空へと飛び立った。
「で。本当にあれで良かったんですか?」
白い羽が一片。路地の物影に紛れる男の靴先に、落ちた。
「何度も言っているだろう。小守は趣味じゃない」
答えた男に、少女の声が立て続けに質問をする。
「蓮寺さん達に頼んでまで?」
「あくまでも『いなくなった』と伝える様に頼んだだけで、『死んだ』と言うようにはしていない。そもそも、奴には一人でどうにかする力が必要だ」
「本当は?」
「……。マリが傍にいると集中できん」
「成程ねぇ~」
くつくつ、画面の中の電脳少女、和束が悪戯っぽく含み笑った。見上げる先にいるのは髑髏の男、シロ。
彼は生きていた。だが、本当なら死ぬつもりだった。死んでいる筈だった。あの時。爆発と共に。
それでも生きていたのだ。カッターを握っていた手はボロボロになってしまったけれど、死んではいなかったのだ。
『よう、生きてる心地はどうだい髑髏の旦那』
あの時。気が付いた視界。笑んだ美崎が、覗き込んでいた。
あの瞬間。美崎が渾身の力で魔法の氷を作り出し、シロを包み守り通したのだ。それでもシロのダメージは尋常では無く、文字通り生死の境をさまよった。本当に、紙一重であった。
「何故助けた」と問うたシロに、「命を救って貰った恩を返しただけだ」と、美崎は言った。自身もシロの攻撃に巻き込まれて酷い傷を負いながらも。
因みに、やっと回復したシロの下へ「これは金的の恨みだ」と美崎が殴りかかってきたのだが逆にシロにコテンパンにされたという後日談があったりするのだが。
シロは長く息を吐いた。未だ服の下は包帯に包まれている。静かな路地の中。殺戮少女部隊と名付けられ人生の幕を閉じた少女達の遺族への報告は、既に和束が手配してくれた。
終ったのだ。
全て。
……終ったのだ。
「お疲れ様でした、シロさん」
和束が微笑んだ。もし、彼があの時死んでいたのなら。自分も後を追って死んでいた。「貴方を一人にはしませんよ」と言った通りに。
生きていてよかった。だからこそ、心からの労いを。
「そうだな。だが」
シロは言う。これはあくまでも、一つの事件が終わったにすぎないのだ、と。
静かに足元の羽を拾い上げる。白い羽。天使の羽。彼女とシロが願うのは同じ、平和だ。だがシロは暴力を以て、マリエルはその逆を以て、それを目指している。
カッターナイフをマリエルに託したのは、血に汚れた平和ではなく、幸せに満ちた平和を『マリ』に見せたかったから。
それが叶うかは分からない。だが、それでも、進まねばならない。
正義の為に。
「新しい武器が必要ですね」
「ナイフ。センスはお前に任せる」
「おっマジですか! じゃあ――」
「下らねぇ事しやがったらぶっ殺す」
「――はぁ~い。でね、シロさん。さっき天魔の動向についての情報が欲しいって仰ってたじゃないですか。良いニュースです。南方で天界の勢力が動き始めたらしいですよ」
「成程。では、今からそこへ向かう」
「傷の具合は?」
「人間と我々覚醒者の治癒力を比べるな」
「はは、了解。では、政府やらへの手配はお任せ下さいね。あと、ナビゲーションから衣住食から武器防具の調達から話相手から人生相談までなんでもかんでもこの和束にお任せあれ。応援してますよ、ヒーロー。準備はよろしいですね?」
「勿論だ」
少女の楽しそうな声。低い声と共に歩き出す靴音。
響いて行く。遠退いて行く。
だが、その歩みは、決して、決して――止まらない。
『了』




