譲り合いと怒号のあいだ
都市の雑踏の中で起きた、小さな感情の断面を、そっと記しておく。
職場の近くに、来客数が尋常ではないコンビニがある。
理由は明白、立地だ。大通りに面し、
すぐ近くでは大規模な工事が進んでいる。昼時ともなれば、
作業着の男たちが津波のように押し寄せ、
そこに外国人観光客の集団が混ざり合う。
レジの前には常に蛇行する列ができ、
店員たちは一種の修羅場を生き抜いてきたような、
酷薄でタフな顔をしていた。
「あそこは警察がよく来る」という噂は、
通い始めてすぐに腑に落ちた。過密な人口、
交差する言語、そして「急いでいる」という共通の焦燥。
これらが揃った場所で摩擦が起きないはずがないのだ。
ある昼下がりのことだった。 レジの列に並んでいると、
私の前にいた初老の女性が、ベビーカーを押した若い母親に、
自分の順番を譲った。声までは聞こえなかったが、
「どうぞ」という明確な身振りが、
張り詰めた店内の空気を一瞬だけ緩ませた。
だが、直後、女性の後ろに並んでいた50代か60代の作業員の男が、
遮二無二に声を荒らげた。 「なんで譲るねん!」
凄まじい怒号だった。しかし、譲った側の女性は微塵も怯まなかった。
「何が悪いのよ」と言い返す。大阪のオバチャンと呼ばれる人種の、
こういう場での堂々たる佇まいには目を見張るものがある。
自分は1ミリも悪いことをしていない、
という絶対的な確信が声の芯を支えていた。
男はさらに激昂し、「なにを勝手なことしとるんじゃ!」と、
判子を押したように繰り返す。 見かねたレジの若い店員が、
感情の消えた声で静かになだめた。
「お客様の順番は変わりませんよ」と。
それは道理だった。女性が譲ったのはあくまで「自分の順番」であり、
後ろの列の人間が損をするわけではない。私は心の中で、
男の背中に向かって毒づいていた。
*(あなたのその無駄な怒号こそが、
私たちの順番を遅らせているんですよ)*と。
もちろん、声には出さない。出すべき場面でもないし、
そもそも私は、こういう摩擦の渦中に、
自ら飛び込むような性分ではなかった。
男の怒りはついに沸点を越え、「警察を呼べ!」と叫び出した。
そして、本当に警官がやってきた。このコンビニにおいて、
それは決して誇張ではない、日常の延長線上にあるリアルだった。
二人の警官が男を店外へと連れ出し、なだめるうちに、
ようやく店内に元のざわめきが戻ってきた。
オフィスへの帰り道、あの男の怒りの正体について考えていた。
男が怒ったのは、実質的な不利益を被ったからではない。
現に彼の順番は変わっていないのだ。彼はただ、
自分の目の前で、見ず知らずの他人が、
「善意のやり取り」を行うこと自体が、
我慢ならなかったのかもしれない。あるいは、
「自分にはこれまで誰も、何も譲ってくれなかった」という、
もっと根深く、もっと古い人生の呪詛のようなものが、
あの瞬間に決壊したのだろうか。
本当のところはわからない。レジの列とは、
見知らぬ人間が一時的に便宜上の順序を共有するだけの、
希薄な空間だ。そこに持ち込まれた個人の「感情の来歴」まで、
他人が推し量ることなどできはしない。
騒ぎの間中、ベビーカーの母親は頑なに前を向いたままだった。
彼女は淡々と会計を済ませ、静かに雑踏へと消えていった。
順番を譲った女性も、その後は何事もなかったような顔で、
財布を開いていた。
私もまた、自分の分の会計を終えて店を出た。
外に出ると、相変わらず鋭い重機の音が、
都市のノイズの中に溶け込んでいた。
読んでくださり、ありがとうございました。




