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私の護衛騎士、発言がNTR構文すぎる

作者: 森ノ宮蜜蜂
掲載日:2026/04/04

長編が重たいので、口直し的に軽い感じのお話です

たのしかったです

「イリス・ルヴァン! 貴様との婚約は、ここに破棄する!」


 ──はい、出た。


王立学園の中庭。昼下がり。無駄に整った噴水の前。

これ以上ないほど“それっぽい舞台”で、王太子殿下は声高らかにそう宣言した。


(テンプレすぎない?)


内心でため息をつく。


隣には、例の聖女様。

 ふわふわの派手すぎない茶髪に、守ってあげたくなるような潤んだ瞳。

 全方位に『自分ヒロインです』と名刺を紙吹雪よろしく撒き散らし回っているような存在感を放つ美少女を傍らに庇い、金髪碧眼のこれまたテンプレ美男子の我らが王太子殿下はイリスを睨め付ける。


「ユメノから訴えがあり、城の使用人たちからも証拠は上がっている。

ユメノが聖女として学園へ入学してからの君は、教育係の名目で聖女へと過剰な暴言、暴力を繰り返した。

再三注意があっても君は態度を改善せず、むしろ妥当な処置だと開き直りすらしたな。

そしてエスカレートした結果、聖女は君に突き飛ばされて2階から落下する事故にまで発展した。

君のような冷酷な女が、未来の王妃など務まるはずがない!」


「…………」


告げられた罪状に、思わず白けた視線を送りそうになる。


確かに、イリスは異世界転生してきた聖女の教育係になった。

だが、過剰な暴言も暴力も、イリスは一切行ってはいない。


強いて挙げるとすれば。


過剰な暴言とは、聖女が薬学の実習中に「え~?科学って料理と一緒でしょ?全部一緒くたに混ぜて煮れば簡単~」と宣い、

必ず聖水で成分を抽出してから混ぜる必要のあるデバイヤ草とデアンヤノカ液を直接鍋にぶち込んで水で煮ようとした時に「バカバカバカ何してんですの!?」と絶叫して教室ごと消し炭になりかけた事態を阻止した事だろうか。


過剰な暴力とは、何度も何度も注意していて尚直らない、手摺を滑り降りる癖や、ノックせずドアを開け放つ暴挙により、うっかり人を巻き込んで事故に発展しかけた際、ブッチブチにキレ散らかしながら全力ダッシュ後に腕をふん捕まえて都度衝突を阻止した事だろうか。

そういえば聖女が「いったぁ~い!」とか目うりゅうりゅになってほざいていた気はする。忘れたくても、あまりの不快さで記憶にこびり付いている。


そして突き飛ばしたとはもしや、自ら不注意ですってんころりんした事をイリスの過失と言うことにする気なのだろうか。

確かに、当時、イリスは聖女を守らなかった。

何せ、その時階段付近には誰もいなかったので。

そんな時まで自分の妄想劇に酔ってくるんくるんと周りも一切確認せずに廊下を踊って回る花畑女を諌める義理などない。


(集団幻覚でもキメてらっしゃるのかしら)


周囲の取り巻きたちもここぞとばかりに同調する様は、もはや一種のサイコホラーだ。

同じ屋根の下で、聖女のカス極まる奇行を散々見ているはずなのに。

都度、キレ散らかすとかいう次元を超えながら、学園崩壊(物理)一歩手前の凶行を阻止するイリスを見ている筈なのに。


どうやらこの局地的な感覚器官の著しい衰退は感染現象のようで、悲しいかな病原菌たる聖女様を中心に、皆々様口々に「イリスが悪い」と仰せになっていた。


……だが、まあ、いい。ここまではイリスの想定内だ。


ここはあくまでもゲーム世界。ゲーム世界は主人公が世界の絶対だ。

目の前でカチャカチャカチャカチャと剣を抜き差ししたりスクワットしたりを見せつけようとテンプレ通りの会話を続けるNPCのごとく、攻略対象というものは主人公を全肯定しヨイショし続けねばならない存在。

その一種の強烈な呪縛は、彼らの本意ではないだろう。多分、おそらく。


「……はい、かしこまりました」


故に、イリスは叩きつけられた沙汰を甘んじて受け入れるポーズを取った。頭を垂れ、洗練されたカテーシーを披露し、そして針の筵と化した中庭を去る。


元々、聖女が現れた時から察してはいた。

聖女が来た瞬間、王太子も側近も近衛騎士も隣国太子も、皆一様に目の色を変え、聖女の事になるとIQダダ下がりの恋する愚物に成り下がったのだ。

これを仕様という名の呪いと呼ばずになんとするのか。

そして、イリスは彼らをゲームで知っていた。

その界隈ではそこそこの知名度を誇った王道乙女ゲームの登場人物である彼等に対し、イリスは王太子の許嫁という立場を傘に着て横暴を働く悪役令嬢だった。


それに気付いたのは、イリスが物心ついてから。

イリスは生まれてからずっと前世の記憶と共に生きており、自分が物の見事な当て馬として散っていく未来も知っていた。

だから、この世界が乙女ゲームのそれそのものであると悟ってからは、イリスなりの抵抗として、本来の自分とは違う道を選んだのだ。

彼女は未だかつてゲームのように横暴を振りかざした事もなければ、立場を濫用したこともない。

品行方正、国の長たる王族の許嫁として、自分にできる事はどのような事でも努力してきた。


それでも駄目だったのだ。

システムによる決定事項の前では、イリスの努力など何の役にも立たなかった。

それならば下手に足掻いて更に冤罪を着せられた結果修道院行きになるより、潔く王妃の道は諦め、持て余された公爵令嬢として地方で隠居した方がいくらか生産的だろう。

元々こうなることも想定して、父親には『万が一王太子から婚約破棄を言い渡される事態になれば、彼へ献身的に愛を捧げてきた自分はどうなるか分からない。精神を病んでしまうかもしれないので、その時は地方にでも住まわせてほしい』とそれとなく打診している。


王太子殿下とはそこそこ付き合いも長く、許嫁としての情も芽生えていた。

だが、理知的でどこか冷たい印象ながら、誰より国や国民の事を想っていた未来の名君が、あのような愚かな駄犬に成り下がる様を見てしまっては、縋るような気持ちも失せてしまうというものだ。



「……お嬢様」


中庭を出て廊下を幾らか進んだところで、低い声が背後からかかる。

振り返らなくても分かる。それは、イリスの護衛騎士のものだ。


「お辛かったでしょう」

「まあ、それなりには。ですが、これが彼らの言うところの『運命』とやらであるのなら、私は従う他ございません」


 正直に答えると、彼は少しだけ沈黙した。寡黙で表情の変わらない彼は、イリスの三歩後ろを付かず離れずについてくる。


 そして。


「王太子様は、ずいぶんと厳しい方ですね」

(……ウワ、来た)

「俺なら、あんな思いはさせません」



 イリスはゆっくりと振り返る。その顔には、ありありとゲンナリとした色が浮かんでいた。

対峙する騎士は、相変わらずの真顔そのもの。二人は絶妙な距離感のまま、暫し見つめ合う。


「お嬢様を泣かせるなど、信じられません」

「…………」

「俺は、許嫁にまでなって何年も過ごした方に対して、一方的に離縁を申しわたす様な不義理はしないと言うのに」

「…………はぁ……」


 思わず口をついてため息が出る。その様子に、騎士はわけが分からないと言わんばかりの顔をする。ほぼ仏頂面から変わっていないが。


「その寝取り構文、どうにかなりませんの」

「……ネトリコウブン、ですか」

「“今なら俺空いてますよ”のような発言等々です。」

「……そういうつもりでは……」

「そうでしょうね、ええ、前にも聞きました。

貴方、既に婚約者がいるのでしょう?」

「はい」

「そうであれば、もう少し言い方を変えなさい。貴方の物言いは、まるで『自分に乗り換えろ』とでも言わんばかりで、誤解を招きかねません。

それでは、婚約者の方が不憫です。

発言の前に、貴方の言葉がどのように受け取られるか、考えてみてください」

「申し訳ございません、努力いたします」


(変わってねえじゃん、それで)


シラーッとした顔を向けてみるが、騎士はやはり真面目腐った顔のままだ。

いっそ主人をからかっていると言われた方が理解ができる。だが、この騎士はあくまで真剣だ。だからこそ始末に負えない。



イリスのもうひとつの悩みの種が、この騎士の存在だった。

イリスが7つの頃、『拾ってきたぞ!』と父親である公爵がワッハッハと笑いつつ、文字通り首根っこを捕まえて持ってきた同年代らしき少年が、長じて傍付きの騎士になった。

聞くところによると彼も厳密には貴族籍を持つらしいが、やんごとない事情により、その一族からは存在を一時的に隠されているらしい。

故に詳細は知らされないまま、イリスと騎士は、用心棒と主人の関係として今まで付き合いを続けていた。


そんな騎士は、隙あらば延々と鍛錬に勤しんでいるような、寡黙で真面目くさった男なだけだったはずなのだ。

だが、最近になってこの騎士に不具合が起きた。




不具合は、王太子殿下が聖女と邂逅し、イリスがあからさまな冷遇を受けるようになった頃からだ。


『お嬢様は、よくこの仕打ちを耐えておられますね』

『…………』

『俺なら、あのような思いはさせないのに』

『…………ン???』


自宅の庭園にて、ドタキャンにより王太子と二人で囲むはずだった紅茶を黙々消化するイリスに、黙って控えていた騎士がおもむろに口を開き、そのような事を言い出した。

思わず素の疑問符が口からまろび出たイリスに、騎士はいつも通りの真面目腐った顔を向けていた。

真面目腐った顔で、前世のSNSで腐るほど目にした構文を吐き始めたのだ。


『前々から思っていました。あの方は、お嬢様がどれだけ献身的に尽くされているか、分かっていない』

『ど、どうしました?』

『お嬢様は、本来もっと大切に扱われるべき方です。それなのに、今の態度は信じられません』

『いえ、』

『一人で抱え込む必要はございません。俺がいます』

『その、』

『お呼びくだされば、俺は何時でも応えます』

『ステイ。待て。いいですか?待ちなさい。一旦静かになりなさい』


淡々と織り成される、ザ・寝取り構文。

生真面目騎士のテイストが混ざっているため若干マイルドな気がしなくもないが、言わんとすることは「やば、彼氏さん厳し~(笑)」「俺なら恋人にそんな思いさせないよ?(笑)」のそれである。

イリスは咄嗟に止めに入り、騎士は何も分かっていない様子ながら渋々口を噤む。


『…………、どうしました?』

『どうしました、とは』

『自分ならそのような思いはさせないだの、自分がいますだの言うそれです。

貴方、そんな事今まで一言も言わなかったでしょう』

『はい。今までは、王太子殿下と良い関係を築かれていると思っていたので、言うこともないと思っていました。

ですが、最近の王太子殿下が為される、お嬢様への不義理な仕打ちや愛想もない態度については、俺の所感を抑えられませんでした』


騎士は真顔だった。

いつも通り、よく飼い慣らされた犬のごとく、寡黙に真面目に真顔で、イリスを見つめていた。

ドッドッド、とイリスの心臓が大きく拍を打つ。真面目一辺倒の冗談ひとつ通じない騎士から突然言い寄られた事に対するときめきでは無い。いや5パーセントはあったが、こと今はそれどころではない。

単純に、いやお前どうした?の動揺と、とりま、家の中でよかった~!!!というヒヤリハットによるものであった。


まずい。あまりにもまずい。

騎士の暴挙は、発動した場所が違えば、どうあっても『ワンチャン狙う騎士と王太子婚約者の特大スキャンダル』でしかなかったものを公衆の面前で公開する事態になっていた。

取り急ぎイリスは、第三者が入っていない今のうち、騎士の暴走について事情聴取を開始せねばならなかった。


『……そ、れは、つまり、……どういうつもりでの発言ですか』

『ドウイウツモリ』

『貴方のその言葉は、10人聞けば8人はお前が私に婚約関係を乗り換えろと囁いているように聞こえます』

『なるほど』

『いやナルホドじゃなく。

……貴方、そのつもりはなく、その発言を?』

『?、はい』


イリスが恐る恐る尋ねると、騎士はやはり『いやずっとそのつもりですが』と言わんばかりの顔で肯定する。

なるほど、なるほど、とイリスはその返答をまずは受理し、己の内で噛み砕き、そして、紅茶のカップをソーサーへと置く。


(…………いや、イヤイヤイヤイヤ……何……???マジで、急に、何?????)


表面上はスンと取り繕うイリスの内心は、冷や汗ダラッダラであった。


イリスの懊悩など露知らず、騎士は黙れと言われたので大人しく黙っている。

そうやって黙っていれば、騎士はイリスの知る騎士だった。

小さい頃から見続けていた、何か考えているようで基本的に何も考えていない、淡々と鍛錬に勤しみ粛々とイリスの護衛に徹する、若干機械的だが時たまド天然も発揮するような、なんだかんだ愛すべきイリスの弟分だった。


『…………、とりあえず』

『はい』

『王太子殿下の私に対する扱いについて、貴方なりに思う所があるというのは分かりました。

ですが、第三者のいる場では決して口にしないように』

『……承知しました』


イリスの命令に答える騎士もまた、やはり普段通りの彼そのものだった。




だがこの日から、イリスしかいない時でのみ、騎士は淡々と寝取り構文を吐き出す機械と化してしまったのである。


「お嬢様、この後は如何されますか」

「なんですか、その、この後空いてる?みたいな言い方は」

「ご予定が無いのは存じております」

「そうではありません。確かに予定はありませんが、今のはその意図で聞いてません」


私用馬車の中、騎士とイリスは最早慣れた応酬に興じる。

あまりに騎士が淡々とおかしい挙動をするために、最近のイリスは、騎士だけの前ではほとんど公爵令嬢としての厚い皮を脱ぎ捨てていた。


「……王太子殿下と、本当に許嫁としての関係が解消されるとすれば、お嬢様はどうなるのですか」

「…………まず、同年代との婚姻は厳しいでしょうね。

王太子殿下に匹敵する身分の方と婚姻する事になりますから、父と同年代……とまでは行かずとも、それなりに年嵩の方と、ということになるのが最も現実的です」

「お嬢様は、その様な扱いを受けるべき方ではありません」

「そうですね。あまりにも不義理な王太子殿下の暴挙により、私が辿るべきだったこれまでの道筋は絶たれました」

「……俺なら、やはりそのような不義理はいたしません。

誰がなんと言おうと、許嫁にまでなった方をこの様に切り捨てる、王太子殿下に非があると思います」

「……貴方がそう思うように、皆がそう思いはしないのですよ」



あまりに思わせぶり過ぎる構文の乱打にも、イリスは一切動じず冷静に返す。

いちいち騎士のNTR構文に動じていてはキリがないし、そもそも猫被りのプロであるイリスも、トンチキな心変わりの末に下された婚約破棄という仕打ちには流石に疲れ果てていた。



「……それとも、貴方が私を貰ってくれるの?

ちょうど、ここに誰の手も付かなくなった女がいますよ」



だから。

ほんの少し、イリスに魔が差した。

いつも通りに『妙な誤解を呼びかねない発言は慎みなさい』と諌めるのをやめ、騎士に自嘲的な笑みを浮かべる。


「…………、」


イリスから突然水を向けられた騎士は、想定外だったらしいその言葉に少し目を見開いてガチリと固まった。


よくよく見てみれば、騎士は王太子殿下や取り巻き達ほどの眩しい美貌ではないが、かなり整った実直な男らしい顔立ちをしている。

生真面目を体現した黒髪は癖ひとつなくイリスのお気に入りであるし、少々雑に切られている短めのショートウルフは彼の従順なイヌ科らしさを良い意味で引き立てていた。


何より、少し重ための前髪から除く少し濃い緑の瞳は、正直なところ、王太子殿下の持つ鮮やかなそれよりイリスの好きな色だ。


そして一番のポイントとして、騎士ならば性格も勝手知ったるものであるし、なんなら最近はイリスも色々さらけ出しちゃったので、気遣わないで末永く付き合えそうな相手としては100点満点ですらあるのだ。


「…………いえ、俺は…………そんな、」


だがこんな時ばかり、騎士はNTR構文を吐かず、イリスにあからさまな動揺を見せた。

分かっていた反応だ。なにせ、騎士は構文の本来の使い手達のように、本気でワンチャン狙ってNTR構文を吐いていないのだから。

あくまで忠誠心由来から、『俺なら(敬愛する公爵令嬢様に)そんな思いはさせない』『(公爵令嬢様の護衛騎士たる)俺がいますよ』とあまりに言葉の抜けが激しい敬愛を示しており、それらが奇跡的にNTR構文と合致しているだけなのだ。

ただ、それだけの話なのだ。


「…………ふふ。分かっていますよ」


それでも、イリスは流石に大分疲れていたので。

正直ちょっと『それでもいいかもなぁ~』などと血迷った妄想をしてしまったので。

ついでに毎度毎度悪気なく思わせぶりな言葉を吐き続ける騎士に、ちょっとだけだいぶとそこそこに、思うところもあったので。

ちょっと、からかってみただけなのだ。


「このように受け取られかねないので、言い方を考えるように言ってきたのです。分かりましたか?」

「…………」


返事はない。騎士は固まったままだ。

どうやら、いつもの処理落ちを起こしたらしい。


これも、この騎士によくある事だった。

ことイリスの護衛や戦闘においてはどのような状況にも冷静冷徹に対応できるが、人間の情緒面にはとことん疎いらしく、こうして自分の知らない会話パターンが飛び出すと5分はフリーズしてしまう。


(こういう所が、なんのかんのと言って好きなのだけど)


この男は、嘘だの騙すだのといった小賢しい発想がない。

腹芸が基本の貴族界において、それはある意味致命的な欠点であり、またある種誰より強いアドバンテージだ。

特に、『何かを守る』事を生業にする騎士としては。

暗君に仕えれば真っ先に使い潰されるだろう。名君であれば大成するだろう。愚物であれば共倒れだ。

とことん不器用な質ではあるが、とにかく嘘だけはない。


それが、こうして破局後も冷静に自分の身の振りを考えているようなイリスには、眩しく、そして救いですらある存在だった。


(……だからこそ、まあ、結構落ち込むわね)


とことん嘘がない男から散々思わせぶりな言葉を吐かれ、それでいてそのつもりはまるでないとハッキリ告げられる。

正直、王太子殿下にフられた時よりもイリスは落ち込んでいた。

騎士には元々婚約者がいる。それに、一介の騎士と公爵令嬢たるイリスが結ばれるのは、立場上限りなく不可能だ。

分かっている。


せめて、この真面目すぎる騎士が、今の発言を重く捉えすぎない事を祈るばかりだった。






「あ~、イリスちゃんの騎士クンね、実家帰ったよ」


騎士はどうやら、とことん真面目すぎたらしい。

呆然とするイリスに、イリスを執務室へ呼び出した、父親たる公爵閣下はガハハと笑う。相変わらず、世の中の全てに対して笑いのツボが浅い。


「実家、ですか」

「ホラあの子、ワシが拾ってきたって言ったでしょ?

アレ本当はね、とあるご家族からウチで面倒見てよって預けられてたんだよねえ」

「はあ」

「ちょっとお家騒動ゴタつきすぎてて、ご実家にいると命の危険もあったからね~。

それで帰省とかも今まで一切してなかったんだけど、騎士クン、急に『帰ります』って言い出したのよ」

「はあ」

「ワシとしても、ま~騎士クンもそろそろいい歳だし?あの騎士クンに力で勝てる人間そうそう居ないからいいかな?と思ってさ。

わかった気を付けてね~って言ったら、今日夜明け前に帰っちゃった」

「帰っちゃった」

「そうそう。帰っちゃった」


あまりにノリの軽い説明に鸚鵡返ししか出来ないイリスに、公爵はアッハッハと笑うばかりだ。

普段ならば笑ってんじゃねえと突っ込むところだが、突然与えられた情報と、何より騎士が危険な実家に戻る選択をする程にイリスを避けたという事実に打ちのめされて、そんなコントに付き合う余裕がない。


「……私が、」

「うん?」

「私が、彼のNTR構文にマジレスしたから……」

「なんて?」

「やっぱり、ワンチャン狙い定型文吐き出すような相手にまともに取り合っても、いい事ありませんのね……」

「イリスちゃん、たまにパパが全然知らない言葉使うよね~!

落ち着いて、パパにもわかる言葉で話してごらんよ~」


公爵に促されるまま、イリスはこれまでの騎士の奇行を全て話した。

騎士が、王太子殿下の心変わりに伴って、思わせぶりな言葉を吐き散らかすようになったこと。

イリスは王太子殿下の許嫁である手前ずっと取り合わなかったが、断罪劇の後、ちょっと魔が差して「じゃあ今フリーになった私を貰えよ」とノってしまったこと。

すると騎士は処理落ちし、そしてこの度実家に戻ってしまったことを。


「私は、少し期待してしまったのです。

王太子殿下との婚約が破綻してしまった私には、独り身か、あるいはどこぞのおじ様と婚姻する道しか残されてはいません」

「……………………」

「彼には婚約者が居るのでしょう。それに、今の私たちの立場では到底実現不可能である事は火を見るより明らかでした。

……だから、ちょっとだけ、叶わなくても……期待したのです」

「………………………………」

「流石に、あの真面目一辺倒の騎士でも、それくらいの冗談は通じると思ったのです、が………………」

「…………………………………………」


ふと見た時、公爵は床にのた打ちながら声もなく痙攣していた。

さながら電圧を流されすぎた機械仕掛けのからくりのように、爆笑が閾値を超え、笑い声すらも出せず痙攣してのたうち回る芋虫と化していた。


「……お父様」

「…………ッカハ!」


イリスは氷の眼差しで公爵を見下ろし、息すらも出来ず爆笑している結果、窒息状態にまで陥っている実父の背中を革製のヒールにて蹴り上げた。

愛娘の愛ある一撃によって公爵はなんとか息を吹き返し、よろめきながら再度ソファへ座り直す。それでも笑いの余韻は一切抜けないようで、時折ヒッヒッと呼吸が引き攣っていた。


「いや、あの、ホントにごめんね!イリスちゃんの不幸そのものが面白かった訳じゃなくてね」

「言い訳は結構です。どうぞ、娘の不幸を存分に笑いなさい」

「違うんだよ~!お願い嫌わないで!」


もはや絶対零度にまで進化しているイリスの視線にも一切怯まず、公爵はあまりに情けないゴマすりをイリスへ披露する。

公の場であれば誰より大貴族として立派に振る舞う父であるのに、家ではあまりにも情けないし、笑いのツボは水溜まりより浅い。


あまりにろくでもない姿を続けざまに披露され、次第にイリスも真面目にこの男へ怒る事が馬鹿らしくなってきた。


「……もういいです。私は僻地にでも籠って独り身になります」


完全にやさぐれたイリスは、はしたなくソファの背にぼふんと身を沈めた。

もう、何もかもが散々だ。

家のためと思い、国母としての教育も受けてきた。

公女として恥じない振る舞い、淑女の手本たらんとした。

聖女という絶対の主人公が現れるまで、懸命にそれらしく振舞っていた。

青春のほとんどを捧げ、自分のための人生も恋も諦めてきたのに、その結果がこれなのだ。


「うーん……いやでも、多分だけど、騎士くん帰ってくると思うよ?」


でろんとソファに溶けてしまったイリスを前に、公爵はそんな事を宣った。

イリスは応えず、ただちらりと視線を向ける。未だかつてなくいじけきった娘に、公爵はどこか微笑ましげですらあった。


「……何故ですか」

「いやぁ、こればっかりはワシのカンでしかないんだけどね?騎士くんほんとに自分の考え言えない子だから。

でも、騎士くんが誰よりイリスちゃんを大事に思っている事だけは、ワシも信頼してるからね。

きっとね、大丈夫だと思うんだよ」

「…………」


公爵の言葉に、イリスは何も返さなかった。

この男は、振る舞いが本当にろくでもない。

適当しか言わないし、無神経が服を着て歩いていると思う程度にはデリカシーが死滅している。

それでも、この老猾な男が「信頼」という言葉まで使って真実何かを断言する時、その言葉の信憑性は、忌々しい事にこの世界の並大抵のものよりずっと高いのだ。


「…………そうですね、そんな夢物語のような話になれば、どんなによいでしょうね……」






「お嬢様、お迎えが遅くなりました」


なった。


騎士が電撃帰省を果たしてから、およそ1ヶ月後。

公衆の面前で断罪劇を披露されてから学園にも行かず、大抵ぼんやりと飼い犬を撫でて過ごしていたイリスの元に、今までと何ら変わらない真面目くさった真顔の騎士がやってきた。


「……………………」

「おっ、騎士く~ん!」


公爵が呑気に手を振り迎える傍らで、イリスは最早ツッコミをするような気力も失われ、騎士が馬から降りていそいそと此方へ来る様子に、呆けた顔を一切隠さず迎える事となった。


「公爵閣下、お嬢様、お久しぶりです」


出迎えた2人の元へ参じた騎士は、1か月前と何ら変わらずに綺麗な所作で膝をついて頭を垂れた。

その服装が、まず違う。

平素の騎士は、何時でも公爵家が用意した使用人としての制服か、あるいは学園の制服を規則通りにカッチリキッチリ着こなすのが常だったが、今はやけにグレードアップしている。

彼の黒髪に合わせてか、重ための上等な藍色のベストに真っ白のブラウス姿で、同じく控えめに組み合わされたズボンも品質がよく、一つ一つが騎士のため採寸されたオーダーメイドであることが分かる。

見た目だけ見れば、どう考えても騎士の出で立ちではない。寧ろ、上流貴族にも引けを取らない大進化を遂げていた。


「お嬢様を伴侶としてお迎えするため、準備をして参りました」

「はんりょ」

「はい、伴侶として。お嬢様が、俺に伴侶となる許可を与えてくださいましたので」

「きょか」

「はい」


完全に話についていけないイリスは出来の悪い九官鳥と化していたが、騎士はそれすら一切意に介さない。

力強く頷く騎士の真面目くさった熱視線を前に、イリスはただアホ面を晒すことしかできない。


「いや、いやいやいや……」

「?」

「おかしいでしょう。だって貴方、私に言い寄られたから、婚約者に操を立てるため、わざわざ危ない実家にまで戻ったのでしょう……?」

「……お嬢様、その事なのですが。

申し訳ございません、本当は、俺に婚約者はいません」

「……はっ???」

「お嬢様にお仕えするにあたり、婚約者もいない不詳の身では何かと角が立ちますので、『いるという事にする』ようにと、公爵閣下より厳命頂いておりました」

「アハハ、そうなんだよね~。一応ジェーンちゃんって名前とか、いざと言う時の影武者も用意してたんだよ?でも、騎士くんの性格のお陰で疑う人居なかったんだよね」


あっけらかんと笑う実父と真顔の騎士を前に、イリスはへたりと地面に崩折れる。

つまり、イリスは実父の謀と騎士の愚直な任務遂行により、すっかり騙されていたというわけだ。イリスの感情は差し置いて、理由自体にはそれはそうと納得するしかない。

だが。


「……っ、で、でも、あなた、ずっと思わせぶりな事ばかり言っておいて、私にその気は無いと断言していたでは無いですか……!」


座り込んだ膝の上でぎゅっと拳を握り、イリスは血反吐を吐く思いで訴える。

そうだ、そうなのだ。

婚約者がいるにしろいないにしろ、そもそも騎士はハッキリと『そのつもりはない』と回答していた。

だからこそイリスはマジでなんだこいつと思いながらもスルーしていたし、頑張って勘違いしないよう務めていたのだ。

これだけは、嘘などという言い分だけで片付ける訳には行かなかった。


だが、そんなイリスの叫びにすら、騎士は一切動じない。

真面目に、真剣に、真摯に、白むほど強く握られたイリスの拳へ、自身の手を重ねる。


「お嬢様は、その時はまだ婚約者でした。そのような折に、貴方から王太子殿下へ婚約破棄をさせるようなつもりは、ありませんでした」

「…………貰ってよって言ったら、あー……いやー……とか、めちゃくちゃ渋ったじゃない…………」

「それは、まさかお嬢様から、あの時あのように言われると、思わなかったので。

それで、急ぎお嬢様をお迎えする手筈を整えるために、実家へ戻っていました」



「………………、……なによ、それぇ……いくらなんでも、口下手すぎるのよぉ~……!」


聞けば聞くほど出てくる真相に、イリスはいよいよ感情が決壊した。

うわぁん!と小さな子供のように号泣しだしたイリスに、騎士も公爵も流石に慌ててあやしにかかる。

だが、イリスは泣き続けた。

泣いて泣いて、意地でも泣いて、少しでもこの許されざる二人を狼狽えさせて手を焼かせてやるという確固たる信念の元、青空の下でグズを捏ね続けた。





騎士──正体・王太子殿下の異母兄は、現王が気まぐれに手を出した娼婦が偶然身篭った庶子なのだという。

卑しい身分の女から生まれたが、確かに王の血を持つ子。

直系の一族とは似ても似つかない彼を王族と証明たらしめたのは、王族にのみ代々伝わる特殊な遺伝の痣だった。


何処に遣っても角の立つこの子供を、王家は一先ず、辺境伯の子とした。

この国が目下火花を散らす、隣国の最前線に領土を構える辺境の地。

平民として放逐するよりはやんごとなき身分を与えておけば、この子の出自が発覚しても、マアまず王家の沽券に関わることは無い。

加えて、絶えない争いの渦中に放り込んでおけば、どうにかして勝手に死んでくれるのではないかとの打算も多分に含まれていた。


だが、そんな王家のろくでもない期待を裏切り、子供は大変逞しく、すくすくと育った。

与えられる厳しい訓練を愚直にこなし、天性の戦いの才能を遺憾無く発揮し、どのような苦境に立たされようと生き延びたのだ。


そうしてその内、王家にまたひとつ問題が起きた。

この子供の存在を嗅ぎつけた敵対勢力が、王国簒奪のため、この子供を次期国王として祭り上げようと画策を始めた。

一個の軍事組織として完成されていた辺境伯の領土へおいそれと忍び込めるネズミはそうそう居なかったが、それでもネズミには数の暴力がある。

例え1匹では論外だろうと、何百匹がじわじわと牙城を削れば、どのような要塞も崩れるのは時間の問題となった。


建国以来のクーデターを阻止するため、王家は最終手段に出た。

生かしておいた子供を、内々で『処理』することとしたのだ。


だが、人の道を外れたその決断は、イリスの父、公爵により阻止されることとなる。


『わざわざ手を下さずとも、死んだ事にして、一切の身分を剥奪すればよいのですよ。

そうすれば、王家は身内殺しの汚名を被ることはない。


私が責任を持って、哀れな子供を飼い殺してみせましょう!』


こうして、子供は書面上であっさり死に、そして別の身分を得た。

そして迎えられた公爵家にて、天涯孤独の子供はイリスの傍付き騎士と相成ったのだった。





「おそらく、一目惚れだったのだと、思います」


そう言って、騎士は紅茶の液面に視線を落とす。

公爵家の中庭、丁度騎士が初のNTR構文を披露したその場所で、騎士とイリスはテーブルを挟んで向かい合っていた。


「俺は、自分の生まれとか、命を狙われてるとか、そういうことに興味がありませんでした。

母親がすぐ死んで、城に連れられて、今の実家で、暮らすことになって……

そういうもの全部、飯にありつけるなら、どうでもよかったんです」


それは、騎士が自らを守るための処世術だった。

心を鈍化させ、何も考えず、ただ目の前だけを考えて生きていた。


「……初めて、だったんです。人間のことを、綺麗だと思えたのは」



『あなたが、わたしのそばづかえになるのですね』


出会った時、10にも満たない齢で、イリスは既に完成していた。

舌足らずながら、上品な言葉遣い。

背筋は常に凛と伸ばされ、少しも身じろぎしない。

幼い未来の女王殿下を前に、騎士はただ圧倒された。


『どうぞ、よろしくおねがいします。

わたしのいのち、あなたにあずけますよ』


微笑んだイリスは、びしりと固まったままの騎士にそう言ったきり、さらりとその場を去ってしまった。

時間にして、およそ3分にも満たない邂逅。

だがそれだけで、騎士は自分の生涯が彼女のためにあるのだと確信した。


それから、騎士はひたすら鍛錬した。

あの、あまりに美しく尊いイリスを、この世のありとあらゆる害意から守れるように。

強さだけでなく、知識や礼儀、所作に至るまでの全てを磨いた。

美しいものを損なわない、彼女に相応しい剣となるように。



聖女が現れた、『あの日』までは。


聖女はまさに嵐のごとく、学園内の秩序を破壊して回った。

王侯貴族が、学院の役員が、見る間に彼女の毒牙に堕とされた。

それはイリスの婚約者たる王太子も例外でなく、あまりにも不自然に、そして劇的に、王太子は聖女に侍る愚かな狗に成り下がった。


物事に疎い騎士でも、異常事態だとは分かった。


聡いイリスは直ぐに公爵や王へ陳情を上げたが、既に王も聖女の傀儡と成り果てており、公爵にも為す術はなかった。


イリスは、聖女の手により貶められた。

許嫁を奪われ、今まで築き上げてきた未来の王女たる威厳もも尊敬もすべて剥がされて、それでもイリスはひとり、凛と立っていた。


うつくしいひとが、毒婦によって汚される。

許されるならば即刻あの悪魔を切り伏せてしまいたかったが、それは即ち、自身の主人たるイリスにも責が及ぶ。それはいけない。


そんな八方塞がりへ陥った折、騎士はふと思い出したのだ。


『そう言えば俺王子じゃん』と。




「……動機は、わかりました。

そして貴方は辺境伯の地位を得るための話を進める傍ら、父上に私へアピールする手段を相談し、

そして父上から『俺ならそんな事しない』とでもアプローチすればよいと言われ、愚直にそれを遂行していたと……」

「はい。ですので、公爵閣下に非はありません。

そろそろお許しになってください、一週間おはようとおやすみの挨拶がないと仰って、公爵閣下が見た事もないほど消沈されています」

「駄目です。あの人も、たまには本心から懲りるということを味わえばよいのです」


イリスがつっぱねると、騎士はそれ以上食い下がれずにおずおずと紅茶へ視線を落とす。

それが叱られた犬のようで愛らしかったが、甘やかすようなことはしない。なにせ、イリスはまだへそ曲がりを続行中だからだ。


騎士が随分と喋るのも、イリスから与えた罰の一環である。

『私と結ばれたいのなら、これまでの気持ちを洗いざらい自分の言葉で説明しなさい』と言い渡され、あまりに貧困な語彙を絞って犯行動機を供述させられているところだった。


「……お嬢様。俺は、辺境伯の正式な後継者となりました。

王族と完全に無関係となる事を条件に、貴女を迎えるため、十分な地位を得ました」


「あんな男より、俺の方が余程、貴女を幸せにできます」


「俺なら、貴女を絶対に後悔させません」


そう言い放った騎士は、やはり何処までも真面目くさった真面目な顔で、イリスを見据えた。

だが如何せん、こんな時も出力されるのは絶妙にいかがわしい構文を彷彿とさせる言葉の節々である。

最初の適当極まる公爵の例文から騎士なりに知恵を絞り出した結果なのだと分かった今も、やはりNTR構文みが迸るのはなんの呪いなのか。


だが、まあ、いいだろう。

ほのかに耳元を赤くしながらも視線を逸らさない騎士に、イリスは微笑む。


「……そうですね。貴方と落ち着くのも、いいかもしれません。

ですが、今の口説き文句ではあまり気が進まないのも、私の本音です。


ちゃんと、誰かの借り受けでない貴方の言葉で、私を口説いてみてください。


時間はまだまだあります。

お待ちしていますから、私のために、私のことを、沢山考えてくださいね」

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