月見酒
「ほいじゃ旦那。仕事も終わったし、あっしはここいらで失礼しやすよ」
「おお植木屋、ご苦労さん。どうだい、一献やっていかないかい」
呉服屋の旦那に雇われて、植木の剪定どころか簡単な雑事も片付けて、すっかり日も落ちている。お空にはお月様が鎮座ましましており、お天道様の居場所にすっかり収まっていた。
「いえいえ、あっしみたいなものがそれはさすがに」
「なんだい、いつもは酒に眼がないのに。どこか悪いのかい」
「へぇ。旦那の家は腰のすわりが悪くて」
「失礼だね。まぁまぁ、こっちへおいで。良い酒も肴も、用意してあるってもんだ」
部屋の障子は開け放たれ、月の光が庭を照らす。風情のある風景だ。ただ、腕は良いのだがのんびりしている植木屋にはいまいち、ぴんと来ないようだ。
「ごらんよ、植木屋。月を見ながらの酒は風流なものじゃないか」
「へぇ、そんなもんでやすか。まぁ確かに。これで月が食えたら、言うこたねぇが」
「やれやれ、お前はまだまだ粋ってものを知らないね。こうやってね、盃の酒に月を写して、飲むのさ。これを月見酒という」
植木屋は興味を持った。
「それに、なんの意味があるんです?」
「月を飲むと、うけにいるわけだ」
「おっ。旦那、ついに花魁を身請けにいくんですかい。で、どんな子で?」
「あたしにそんな予定はないよ。『有卦に入る』だ。つまり、運が良くなるとか幸運になるってことだ」
それから旦那は、植木屋にさんざん粋とはなにか。風流とは、侘び寂びとはなにかを語ってきかせる。
最初は興味のなかった植木屋も、いつの間にかその話に引き込まれ、家に帰るころにはいっぱしの風流人になりきっていた。
「いや、いい話が聞けたぜ。これは明日、大工のやつにも教えてやんねぇとな。無粋な野郎にものを教えてやるのが、粋ってもんだ」
すっかり勘違いしてしまっている。そして次の日。まだ朝のころから、植木屋は徳利を持って、大工の長屋を訪ねた。
「おう、大工。どうでぇ、これから一杯。今日は休みだろ」
「なんでぇ植木屋か。別にいいぜ、どうせ暇だし」
棒手振りから少しの肴を買い、準備が整った。植木屋がごほんと咳払いをひとつ。
「さて大工よ。お前は風流というものを知っているか」
「お、なんでぇやぶからぼうに」
「失礼だね。まぁまぁこっちにおいで。良い酒も肴も用意してあるってもんでぇ」
「おめぇが持ってきた安酒と、さっき棒手振りから買った芋じゃねぇか」
なんか違うなと思いつつも、そこは『風流人』たる植木屋。こんなことではへこたれない。
「やれやれ、お前はまだまだ粋ってものを知らねぇなこのすっとこどっこい」
「あぁ?」
「こうやって、月を盃に写して飲むんだよ。これを月見酒という」
「太陽しか出てねぇじゃねぇか」
「うるっせぇな。こうやると、運が良くなるんだよ。こう、なんつったっけか」
「知らねぇよ」
うまくいかなくていらいらしてくる植木屋。
「ああ、思い出したぜ。『有卦に入る』だ」
「あ? 『けうにいる』だぁ? そりゃあ今はまだ朝時分だ。『今日に入る』だろうさ」
「いや、『うけにいる』だってんだ」
「まぁまぁ、いいじゃねぇか。月見酒でツキを飲むのもいいが、お天道様も出てきたばっかだ。今日に入って、今日をいつも通りにうまいこと暮らしていくのもまた、乙ってもんだ」
これはしてやられた。植木屋は頭をかき、こう言った。
「なんでぇ。これじゃ、俺が飛んで日に入る夏の虫じゃねぇか」




