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月見酒

掲載日:2026/02/21

「ほいじゃ旦那。仕事も終わったし、あっしはここいらで失礼しやすよ」

「おお植木屋、ご苦労さん。どうだい、一献やっていかないかい」


 呉服屋の旦那に雇われて、植木の剪定どころか簡単な雑事も片付けて、すっかり日も落ちている。お空にはお月様が鎮座ましましており、お天道様の居場所にすっかり収まっていた。


「いえいえ、あっしみたいなものがそれはさすがに」

「なんだい、いつもは酒に眼がないのに。どこか悪いのかい」

「へぇ。旦那の家は腰のすわりが悪くて」

「失礼だね。まぁまぁ、こっちへおいで。良い酒も肴も、用意してあるってもんだ」


 部屋の障子は開け放たれ、月の光が庭を照らす。風情のある風景だ。ただ、腕は良いのだがのんびりしている植木屋にはいまいち、ぴんと来ないようだ。


「ごらんよ、植木屋。月を見ながらの酒は風流なものじゃないか」

「へぇ、そんなもんでやすか。まぁ確かに。これで月が食えたら、言うこたねぇが」

「やれやれ、お前はまだまだ粋ってものを知らないね。こうやってね、盃の酒に月を写して、飲むのさ。これを月見酒という」


 植木屋は興味を持った。


「それに、なんの意味があるんです?」

「月を飲むと、うけにいるわけだ」

「おっ。旦那、ついに花魁を身請けにいくんですかい。で、どんな子で?」

「あたしにそんな予定はないよ。『有卦に入る(うけにいる)』だ。つまり、運が良くなるとか幸運になるってことだ」


 それから旦那は、植木屋にさんざん粋とはなにか。風流とは、侘び寂びとはなにかを語ってきかせる。


 最初は興味のなかった植木屋も、いつの間にかその話に引き込まれ、家に帰るころにはいっぱしの風流人になりきっていた。


「いや、いい話が聞けたぜ。これは明日、大工のやつにも教えてやんねぇとな。無粋な野郎にものを教えてやるのが、粋ってもんだ」


 すっかり勘違いしてしまっている。そして次の日。まだ朝のころから、植木屋は徳利を持って、大工の長屋を訪ねた。


「おう、大工。どうでぇ、これから一杯。今日は休みだろ」

「なんでぇ植木屋か。別にいいぜ、どうせ暇だし」


 棒手振りから少しの肴を買い、準備が整った。植木屋がごほんと咳払いをひとつ。


「さて大工よ。お前は風流というものを知っているか」

「お、なんでぇやぶからぼうに」

「失礼だね。まぁまぁこっちにおいで。良い酒も肴も用意してあるってもんでぇ」

「おめぇが持ってきた安酒と、さっき棒手振りから買った芋じゃねぇか」


 なんか違うなと思いつつも、そこは『風流人』たる植木屋。こんなことではへこたれない。


「やれやれ、お前はまだまだ粋ってものを知らねぇなこのすっとこどっこい」

「あぁ?」

「こうやって、月を盃に写して飲むんだよ。これを月見酒という」

「太陽しか出てねぇじゃねぇか」

「うるっせぇな。こうやると、運が良くなるんだよ。こう、なんつったっけか」

「知らねぇよ」


 うまくいかなくていらいらしてくる植木屋。


「ああ、思い出したぜ。『有卦に入る』だ」

「あ? 『けうにいる』だぁ? そりゃあ今はまだ朝時分だ。『今日に入る(けうにいる)』だろうさ」

「いや、『うけにいる』だってんだ」

「まぁまぁ、いいじゃねぇか。月見酒でツキを飲むのもいいが、お天道様も出てきたばっかだ。今日に入って、今日をいつも通りにうまいこと暮らしていくのもまた、乙ってもんだ」


 これはしてやられた。植木屋は頭をかき、こう言った。


「なんでぇ。これじゃ、俺が飛んで日に入る夏の虫じゃねぇか」

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― 新着の感想 ―
面白かったです。 やっぱりわかばさんは「小噺職人」ですね。落語を聞いているようにスラスラと読み、場面が頭に浮かび上がりました。 なんか植木屋さんも大工さんも「月だろうが太陽だろうが、酒呑めればいい…
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