第5話 初仕事です
「大丈夫か。悪かった」
灯里の向かいで御膳を前にしたヌシ様が、申し訳なさそうに言った。
「気が急いていたようだ。無理をかけた。もう、体は平気なのか?」
心配そう覗き込んでくる。こうして接していると、灯里には彼が恐ろしい存在だとは到底思えなかった。むしろ、仕事に追い詰められた誠実な人間に見える。彼女は「大丈夫です」と微笑むと、ヌシ様は心底ほっとしたように顔を綻ばせた。
「ご飯を食べたら、早速仕事を始めましょうか」
生真面目な灯里の言葉に、彼は嬉しそうに目を細める。
「ありがとう。だが、そんなに急がなくても明日からでいい。もしよかったら、今日は私が行なっている作業の見学でもしてみるか?」
その穏やかな笑顔に、灯里の心もほっこりと温かくなる。
(それにしても、本当にきれいなお顔だわ。見ているだけで目が癒やされる)
何か特別な存在だからだろうか、顔の造形は神像の様だ。灯里は彼の美貌もおかずに加え、並べられた朝食を美味しくいただいた。焼き魚に煮物、お豆腐とお揚げのお味噌汁、お新香、胡麻和え。丁寧に行儀よく並べられた献立は、どれも絶品だった。
「美味しい。このお新香、浸かり具合が丁度いい」
「ここには食事専属の者がいるんだ。後で紹介しよう。食事番は前任者が残した良いものの一つだ」
「前任者っていうのは、どんな人だったのですか?」
村で聞いた「多くの花嫁を娶った」という噂が頭をよぎり、灯里はふと疑問を口にした。すると途端にヌシ様の顔が苦虫を噛み潰したように歪んだ。
「それは前任者だ。ここに来る前に神から聞いたが、どうしようもない女癖の悪さだったらしい。呆れたロクデナシだよ。あー、犠牲になった女性たちは、今はもう転生していると聞いているが」
ボソボソと顔を背けて答える様子に、灯里はそれ以上深入りしない方がいいと察した。なにか嫌な感じがしたからだ。ただ、その話しぶりからしてここにはその女性たちがもういないことが伺えた。申し訳ないが、これだけの美丈夫を中心に多くの女性たちが侍っているような職場環境というのは、難しい。例え自分自身に恋愛感情が無かったとしても、人間関係が複雑になるだろうことは想像に難くないからだ。それでもやっていく覚悟はあったのだが、楽になったことに否やはない。
(だからこその、人手不足というのもあるのかしら)
食後、二人は再び奥座敷の春の野へと向かった。相変わらず幻想的なユグドラシルの姿をみて、あの時一瞬だけ見えた姿ではなかったことにホッとした。
知識を得た今の灯里には、ユグドラシルを取り巻くそれぞれの光の帯が持つ役割が、うっすらではあるが理解できていた。ヌシ様が言葉を寿ぎ、指を動かすたび、様々な模様の織りなされた帯が形成されて、幹へと吸い込まれていく。その模様は、まるで高次のプログラミング言語のようだ。しばらく作業を続けていたヌシ様が、ふと眉根を寄せ厳しい表情で考え込んだ。何かあったのだろうかとユグドラシルの方を見れば、幹の根元に、何か嫌な雰囲気がする真っ黒い虫が張り付いている。
「ヌシ様、あそこに大きな黒い虫がいますけど、アレは何ですか?」
灯里がそちらの方を指さしても、彼は首を傾げるばかりだ。
「虫? いや、赤のポップが点滅しているだけだろう。そんなものなどは見えないのだが。またCRITICAL ERRORか」
最後の呟きは灯里には聞こえなかった。どうやら対処が必要なようで、彼は重い溜息を吐きながらもそちらへ向かうようだ。一緒に向かった灯里は見えないのなら、掴まえて見せれば良いとばかりに先行し、迷わず根元の虫へ歩み寄ってその虫を引っ掴んだ。大きさは手のひらほどで、カブトムシのメスとカメムシを混ぜたような奇妙な外見だが、子供の頃から虫好きで虫取りが得意だった灯里には造作もない。その固い感触は甲虫と何ら変わりがない。余談だが、Gなども問題なく叩き潰せる。だが、素手では遠慮したい。奴ら、衛生害虫だから。
「これです。ほら」
灯里が差し出した手の中には、蠢く黒い物体がいた。それを視覚で捉えた瞬間、ヌシ様の視覚内で激しく点滅していた赤い警告ログが、霧散した。灯里は物理的にバグを捕捉したのだ。それによってシステム上の座標が確定したのだろう。
「あ、ああ」
ヌシ様の手が震えている。彼が恐る恐るその虫に触れると、指先から白銀のコードが流れ込み、黒い異物を虹色のデータへと変化させていく。それは糸状に解けてユグドラシルの中へと消えていった。
「なんてことだ。NULLポインターが実体化しているというのか。」
ヌシ様の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。彼は先の見えないデバック作業によって打ちのめされ続けていた。
震える手が灯里の肩をそっとつかむ。まるで壊れ物を扱うように、けれど必死に抱きしめた。
「ありがとう。君はこの世界の再構築のための鍵だ。この世界の、私にとっての唯一の福音だ」
ぎゅっときつく抱きしめられて灯里は慌ててしまう。
「ヌシ様、ギブ! ギブです。く、苦しい」
背中を叩いて呻くと、彼はハッと我に返って腕を解いた。ヌシ様の瞳にはまだ涙が滲んでいる。
「本当に、君は素晴らしい。女神だ」
取り憑かれたようにユグドラシルに向き合い、作業に没頭し始めた。放っておかれる形になった灯里だが、彼の表情が晴れやかになったので、悪い気はしなかった。
(どうやら、お役に立てそうね)
安堵する灯里の周りに、今度は精霊たちがわらわらと集まってきた。
「はなよめ様、ねえ、聞いて」
「あのね、サラの水路はね、今、水がたっぷりなの」
「鍛冶屋のザンギの釜の火付けは上手く行かないのよ。あれはねぇ」
「サヤマの畑はね、うんとね、すごく成長がいいのよ」
精霊たちが一斉に、ダダ漏れのように語りかけてくる情報。彼らの話を聞いていてなんとなく、それぞれがどういう存在なのかについて理解が追いてくる。
彼らの話は、それぞれ違う場所についてのようだ。どうやら、担当があって、それぞれが村の場所、家、物を司っているようだ。整理されずに雑然としたまま、ダラダラと整理されていない生のログが、おしゃべりという形式でいっぺんに流れ込んでくる。これがヌシ様のいう前任者によるレガシーな形式のデータなのだろう。
「わかった、わかったから! 順番に聞くわ。いっぺんに話されると聞き落としちゃうから、まずは並んでちょうだい」
灯里はインストールされた知識を頼りに、精霊たちの整理を開始した。
「はいはい、土地の子たちは村の場所と同じ配置に並ぶ、並ぶ。その土地の上層に家や畑の子は位置してね、ほら、道具の子、ちゃんとお家の上層でお行儀よくして」
イメージはレイヤー形式の電子地図。頭の中でディレクトリ構造を組み立てるように、精霊たちを立体的に配置していく。
それぞれの精霊の形で、何を司っているのかが異なっている。例えば家を司る精霊は子鬼の形。田畑の精霊は稲穂や作物の形。土地を司るもの、山の木々を司るものなどもそれを象徴する形になっている。それぞれがディフォルメされた形をしていて、愛嬌がある。フィラーを重ねず、余計な長話をしなければ、もっと可愛いのだが、となどとも思う。家の中の道具にも精霊がいて、その道具と同じような形をしているそうだが、今は道具の精霊の数が少ない。これは何かが起きない限りはここには来ないと他の精霊が教えてくれた。




