第4話 職種変更いたします
灯里が案内されたのは、奥の座敷の更に奥。
襖を開けると白い花々が咲き乱れる春の野で、その中央には天高くそびえる樹。幹には様々な色の光の帯をまとっている。全体的にみれば白銀に輝き所々が虹色を帯びているかのようだ。それぞれの光の帯にはよくわからない模様が刻まれているようにもみえる。空を支えるかのように伸びた枝では、虹色を宿した様な輝く葉が風に揺れていた。
(近所の公園にある、大きいケヤキに似ている)
灯里はそんな場違いな感想を抱いた。だがその美しさを否定する気持ちなんて微塵もなく、見惚れてさえいる。
「こいつが、ここを動かしているコアシステム『ユグドラシル』だ」
落ち着いて話し合うことになり、灯里がここへ迷い込んだ経緯を話すと、ヌシ様も自らの事情を明かして彼女をここへ連れてきたのだ。
「私はこの管理区画の前任者がとばされた後、後任として配属された。……だが、見ての通りだ」
頭をガシガシと掻きながら、心底うんざりしたように言葉を継いだ。
「大雑把に言えば、これがこの管理区画の管理システムを担っている。ようやくここまで整えたんだが、前任者が適当すぎていてな。よくもまあ、運用が破綻しなかったと思うほど、コードが継ぎ接ぎだらけなんだ。修正が追いつかん」
目を細めてユグドラシルを見やるヌシ様の眉間の縦皺が深くなる。頭痛を抑えるかのようにこめかみに手をやっている。彼女にとっては美しいユグドラシルの何が悪いのかはわからないのだけれども、それでも彼の目の下のクマの原因はこれかと納得した。そうは思いもしたものの、なぜこの美しい樹木を忌々しげに見つめているのかは理解できなかった。
「私の仕事は、簡単に言えば天候や作物の豊凶などを決めるパラメーターの調整だ。ここでミスると真夏に大雪がふったり、水源が干上がったりする。前任者の残したゴミのようなレガシーコードが、ユグドラシルの根幹を腐らせている。私はここに来てから、その山のようなバグをデバッグする作業で徹夜続きだ。人間じゃなくなってるんで、問題ないんだがな」
黒髪を掻きあげ、深く項垂れる姿。その口から漏れる単語の数々に、灯里は聞き覚えがあった。社内のシステム部門にいるSEたちの話し方にそっくりだったのだ。
「前任者の残した精霊どもも、私のやり方を理解できないみたいで、旧形式のままでデータを放り投げてくる始末だ」
目の前の幻想的で美しい景色と隣に立つ美丈夫。それだというのに、会話の内容だけは世俗的で、灯里はどうにも戸惑いを隠せない。
「ようやく基本的な修正は済んだと思っていたのに、君が迷い込んできた。それはつまり、どこかにバグが潜んでいる証拠だ。せっかく、整いかけたと思っていたのに……俺の設定ミスか」
肩を落として大きく息を吐く。
「まずは謝らせてくれ。君をこちらへ迷い込ませたのは、私のシステムの不備だ。それで申し訳ないが、すぐに帰すことはできない。まだこの世界は安定していないのだ」
肩を落とすヌシ様の姿は、灯里には雨に濡れそぼる捨て猫のように見えてきた。彼女自身にも身に覚えがある。完璧に仕上げたつもりの資料に、土壇場で入力ミスが見つかり、全ページやり直しになったあの絶望。それも、前任者からの引き継ぎが杜撰だったせいで、自分のミスにされた理不尽。
「だから手伝いが欲しかったのだ。精霊の古い形式のデータを、私がすぐに処理できる形に変換する、翻訳家のような仕事をしてくれる助手が」
落ち込んでいる様子が痛々しく、疲れ切っているその姿は哀れでさえある。
「わかりました。私がお手伝いします。要するに、データ入力や集計の補助が必要ということですよね」
ヌシ様が驚いたように灯里の方を見た。その表情には、崖っぷちで藁をも掴むような切実さが滲んでいる。
(段ボール箱に入った捨て猫に見上げられたらこんな気分なのかもしれない)
「頼めるのか。君をこの世界に迷わせた張本人なのに」
灯里は笑って頷いた。
「ありがとう。本当にありがとう。君の話を聞く限り元の世界での時代も近そうだ。パソコンを触ったことがあるならば大丈夫だ。データの翻訳手順は、責任を持って教える」
灯里にとって、事務作業ならば役に立てるかも知れない。SEの経験はないが、データ入力やExcelのマクロ、あるいはプロンプト調整のような感覚なら、なんとかなるはずだ。何より、ブラック企業の社畜のような影を背負ったこの男を、放っておけなかった。
こうして灯里はヌシ様の花嫁から専属助手へと職種変更が決定した。
「それじゃ、このユグドラシルに関する必要な知識についてインプットする。データ変換に特化してもらうから、安心してくれ」
ヌシ様が近づき横に立ち、灯里の頭に手を添える。
「失礼、少し頭に触れるぞ」
少しひんやりとした手の感触に緊張したのも束の間、次の瞬間、脳内の歯車に無理やり油を注され、力任せに回転させられるような激しい圧力がかかった。錆びついていた回路がギシギシと音を立てて整理され、新たな部品を無理やりねじ込まれるような感覚。気が遠くなるその直前に見えたユグドラシルの美しい姿が、砂嵐を纏うノイズに翻弄され、それに脈動する赤い警告コードがぐるぐると何本も巻き付いて、燃え盛っているかのような姿に映った。
「あ、悪い。いっぺんに詰め込みすぎたか」
焦ったようなヌシ様の声が遠のき、灯里の意識は暗転した。
目が覚めると、頭の中が驚くほど整った感覚がある。知識を詰め込まれすぎて気絶したことを思い出し、灯里は上体を起こした。
「気が付かれましたか」
傍らには、あの能面のような女官が控えていた。
「お水を用意しております。お飲みになりますか」
頷いて受け取ると、切子細工の美しいグラスには程よく冷えた水が満たされていた。乾ききった喉を潤すと、ようやく人心地がついた。
「私、どれくらい寝ていたのかしら」
「二日ほどになります」
そんなに、と驚いた拍子に、お腹がクウっと大きな音を立てた。恥ずかしさで慌てて腹を抑えたが、女官は表情一つ変えずに立ち上がる。
「お食事の用意ができております。どうぞ、こちらへ」
促されるままに、灯里は食事室へと向かった。




