第21話 対決です
社に帰ると本殿の中ではセイジュが待っていた。一度、様子伺いに家に行っていたのだが戻ってきたという話だ。ウギョウの夫妻も村長も問題はないと教えてくれた。
「アカリさん、どうでしたか」
灯里はカガリの様子と自分の考えをセイジュに話した。その脇にはちょこんと小鬼が座っている。
パカリと小鬼の小さな口が開いた。
『あの織り手の布は特殊だからな。おそらくは、一種のカプセル化、あるいは抑制器として機能していると考えられる。歪みの気配を外側から包み込み、無害なデータとして偽装しているということだ。だから、ただ手で引き剥がそうとしても、システムの防護層に弾かれるだけだろうな』
小鬼から、ヌシ様の声がする。この小鬼は通信機にもなっているのだ。セイジュはその言葉をどれだけ理解できたのか、かしこまったままだ。多分、ヌシ様の言葉は自分ごときが理解できるものだとは思っていないからかもしれない。そんなセイジュに対して灯里は説明しておこうと思った。
「セイジュさん。ヌシ様はカガリの正体が私に見えない理由は、ユウナの織った布地によって偽装されているんじゃないかって話です。それで無害に見えるのだと。またその能力でカガリは力を制御できているとか。あなたの言うように、ユウナの織り手としての腕はすごいんですね」
「そうですか。こんな状況になっていますけど、そうなんですね」
灯里にそう言われて、彼の顔は綻び鼻の横をこする。でもそれは一瞬で、またもとの顔に戻る。
「でもカガリがやっていることって、ヌシ様が公的使用するためのものを私的流用しているってことですよね。それならばその布地が本来の役割を果たしていないということを認識させることって、できますか? それで力が弱まるとか。う~ん、例えば色とか重要だったりしますか」
灯里が尋ねる。
小鬼がまたパカリと口を開く。
『その布は純白と言ったな。潔白を示す色でもあるので、より効果が高いのだろう。色がつけばその効力は発揮できなくなるが、あの布自体が色を寄せ付けないようになっている』
そう小鬼が説明するのを受けて、灯里は何か考え込んだ。
「ヌシ様。何か切れるものってここにありますか?」
そんなことを聞く。ヌシ様に関わるものならば、傷の一つぐらいつけられるかも知れないと考えたからだ。傷つければそれが突破口になるのではと。
『社の中にこの境内の守り刀があるはずだ。それを使って布地を切ってみるのか? それなりに力を持つものではあるから、可能性はなくはないが……』
中央奥の祭壇の下が引き出し式になっていて、そこには祭事に使われる物が用意されている。その中に短刀があった。小鬼に見せると。
『うむ、それだ』
三頭身の大きな頭を縦に振る。色々と話をしていったが、どう考えてもカガリに近づかなければならないことだけは必要そうだ。隠蔽は近寄りすぎれば解けてしまう。灯里は申し訳なさそうに、セイジュを見る。
「カガリが近くに寄らせる人間、か。護符はあるのだけれど、どれだけ大丈夫かはわからないわ」
セイジュは真っ直ぐに灯里を見つめる。
「やりましょう。カガリのことに決着がつかなければ、ユウナは戻らないのでしょう」
その声に躊躇いはなかった。そこで、境内の結界内に空間をつくり、そこへカガリを誘き寄せようということにした。
翌日、セイジュは社に再びやってきた。境内には入らず、鳥居の前で立っている。
「セイジュ」
離れた場所から呼びかける声がする。カガリはセイジュがここにいることを誰かからか聞いたのだろう、走ってこちらに向かっている。セイジュはカガリを認めると、すいっと鳥居をくぐって境内に入った。カガリは、鳥居まで来るとそこで立ち止まった。
「セイジュ。あなたに話したいことがあるの。ユウナのことで。だから、そこから出てきて私の話を聞いて」
セイジュは静かにカガリを見つめる。
「カガリ、話があるのならば境内でも良いだろう」
境内に入ったセイジュは出てくる様子を見せない。カガリは躊躇っていた。彼女は村長宅に入ろうとしたのだが、何故か弾かれて入れなかったのだ。村人たちが敷地内に入ればもとに戻ってしまうのと、何か関係があるのだろうということは感じていた。それがヌシ様に関わる力なのだとすれば。未だ自分はその力にまで至っていない。それがヌシ様の力が強いであろう境内に入るのが憚られた。敵地に無防備に入り込むに等しいからだ。
「どうした、カガリ。入ってこられないのか」
セイジュが冷めた声で告げる。ここしばらくずっと会えないでいた彼を前にして、カガリは引くことができない。彼に触れさえすれば、自分に傅いてくれるはずなのだ。ユウナのことなど忘れて、自分だけを見てくれる。心の中のもう一つの意識が止めるが、目の前の彼に触れたいという思いが勝った。一歩、足が前に出る。何か薄い膜をくぐり抜けたような妙な感覚が一瞬だけしたが、カガリは境内に踏み入った。
(なんだ、問題なかったじゃない)
喜びがカガリの表情を彩る。あとは触れさえすれば、いいのだから。簡単なことよ。
「セイジュ。あなたに教えてあげたいことがあるの」
境内の中央に立っているセイジュはカガリをじっと感情のない瞳で見つめたままだ。一歩ずつ彼の側に近づいていく。カガリは右手をセイジュに伸ばす。もう少しでセイジュに届くところで、突然セイジュの後ろから別の人間の手が伸びてきてカガリの右腕を斬り上げた。
「なにっ!?」
布から火花のような光が散った。着ていた衣服は切れたが、纏った白布には傷がついたようには見えない。
「ふん。無駄よ。この布地をたかが短刀ごときで切れるはずがないでしょう」
短刀を手に現れた灯里の姿を認め、勝ち誇ったようにカガリが言う。奉納されていた守り刀とは言え、機能が高いユウナの布地に綻び一つ入れられなかったのだ。
「これはね、特別製なの。残念だったわね」
勝ち誇ったように口角を上げ、カガリは灯里を見下した。特別製、だから染料すらも弾くと言っていたことが頭をよぎる。
(ならば逆に、布地に色をつけられれば、エラーを起こすんじゃないかしら)
一瞬の思いつきだ。加えて一つだけ色を付けられそうなものに灯里は思い至った。咄嗟に右手で持っていた短刀で自分の左掌を切るとそのままカガリの右手になすりつけた。
「なにするのよ」
カガリが怒鳴ったが、触られた部分が真紅の色をつける。本来ならば染料も汚れも一切受け付けない布地がその血を受けて染まっていく。それは、灯里《花嫁》の血だからだ。
刹那、カガリの思考は真っ白になった。纏う布に色がつくなど思ってもいなかったのだ。赤く染め上がった部分を灯里は再び切り裂いた。
すると、そこからボロボロと布地が崩れていく。その崩れた布地の隙間から、赤い火花を散らして黒いタール状のなにかが、どろりと溢れ出す。その一部は紐状に伸びてセイジュを絡め取ろうとするりと伸びる、だが灯里の短刀に切り落とされる。布地の切れ目から大量の黒い奔流が迸り、こぼれ落ちる。布は染められた場所からハラハラと千切れて、霧散してゆく。まるで布地で形を保っていたものが、その戒めを解き放たれたかのように黒い流れがデロリと形を崩していく。ごぽりっと音を立てるかのように溢れ、それはカガリの体から溢れて地面を伝ってカガリを中心として広がろうとしている。カガリの右半身は身体を立ててはいるものの、今や黒く崩れた粘液の塊にしか見えない。地に広がる黒い黒い澱からは赤い筋をもつ黒い索条が幾筋も生じるや、うねうねと伸び、後方に下がったセイジュを捉えようとする。
「何故、何故なの、セイジュ。ねえ、私のもとへ来て」
カガリがセイジュを見つめる。右半身がどす黒く染まっているようになりながらも、黒い紐で再構築されたかのような歪な右手をセイジュに伸ばす。
(あれは、私を取り込んだものだ)
灯里はあのカガリの歪な右手の中に本体を見極めた。あの夜見た光の文字の粒はもう見えないし、黒曜石のような透明さも失っている。赤い火花をバチバチと纏い、所々が赤黒く筋が描かれている物体。それでも確かにアレだと感覚が叫ぶ。なによりも、周囲に漂う匂いがあの夜を彷彿とさせていた。セイジュの前に立ちふさがる灯里を忌々しげにカガリは睨みつける。それとともに愛おしげにセイジュを見つめる。
「ユウナなんて、もう罪人じゃない。何故、何故、私を見てくれないの」
悲痛な叫びが黒い塊からほとばしる。灯里の脳裏に拓馬の顔が過ったが、それだけだ。そこに未練も何も感じなかった。灯里は懐に入れておいた銀色の箱をぎゅっと握りしめる。
黒いタールの様なもの半身からどくどくと流れ出し、境内の中に拡がりだす。だが、ある範囲まで拡がるとバシュッと青白い火花が上がり、そこ崩れてそれ以上は拡がれない。だが、それでもそれは広がろうとし、幾つかの筋はセイジュの足に縋るように絡みつこうとしている。だが、セイジュを絡め取ろうと触れるもののそこでもやはり青白い雷のような光が幾筋も周囲に走って拒絶されている。青白い光に打たれたタールは黒い砂粒のように、粉塵となって消えていく。それでもなおも黒い索条はセイジュの元へとうねりながら伸びていく。
その矛先は灯里の動きも止めようと絡みつき、黒い粘液が視界を覆おうとする。それを短刀で切り裂き強引に振り払い、灯里はカガリの懐に飛び込む。右手の短刀を放り投げて銀色の箱を取り出し、それをカガリの右腕だった場所に叩きつける。そこだと、灯里には理解できていた。匂いを発するのはその場所だと。右腕のその場所に触れた瞬間に、指先から全身を焼くような衝撃が走る。
「いけ!」
絶叫とともに、灯里は全体重を右手に乗せた。金色の光が弾けて大きなスパークが飛び散る。辺り一面を焼け焦がすかと思わせるような火花が散る。灯里の中からも何かが抜ける感覚があった。
カガリに触れられても侵食されないように、護身用の残りの防御札は全部をセイジュに付けていた。そのセイジュを背にしていたために、爆発にも近い衝撃を灯里はまともにくらい吹き飛ばされ、その煽りを食らってセイジュが灯里を支える形になった。彼女の衣服に焼け焦げが所々に生じている。カハッと灯里が咳き込む。
「アカリさん、大丈夫ですか」
心配するセイジュに灯里は頷く。二人がカガリのいた場所を見る。二回りほど大きくなった銀色の箱が転がっている。
「凍結、できたのかしら」
灯里が不安そうにそれを見つめる。黒いタールの様なものはもう見えない。辺りはまるで何もなかったかのように静まり返っていた。




