第18話 再び村へと参ります
村とヌシ様の社の境界域。セイジュが佇んでいる。彼の手には一羽の折り鶴が握られていた。なんとか向こう側に行くすべがないかと画策していたのだが、術なき身ではどうにも手が打てない。諦めて戻ろうとしたその時、スルリと境界が開いて灯里が現れた。それと同時に握りしめていた折り鶴が手元を離れ飛んでいく。その軌跡を目で追いながら、セイジュは胸を撫で下ろした。
驚きで硬直するセイジュに、灯里がいつものように笑いかける。彼女の頭の上には一匹の小鬼がちょこんと乗っていた。顔の半分ほどを占める巨大な一つ目が、澄んだ青い瞳でセイジュを見つめている。その頭上から一本角が鋭く突き出していた。
「あら、セイジュさん。会えて良かったです。今の村の様子を教えてもらえますか?」
彼女の変わらぬ雰囲気に毒気を抜かれ、張り詰めていた緊張がバカバカしくなるような、心地よい脱力感に襲われる。
「あ、アカリさん……」
まるで迷子が無事に親をみつけたときのような、感極まった表情をセイジュが浮かべる。それを見て、灯里は慰めるようにセイジュの肩を叩いた。
「大丈夫。ヌシ様はこの村を見捨てたりしないから。ごめんね。来るのが遅くなって。色々と準備があったの」
セイジュはしばらく、じっと動かない。そんな彼の背中を撫でながら灯里は明るく話をする。
「きっと、もとに戻るから。もとに戻ったら、またアケビのある場所を教えて。他にも美味しい実があるのなら、それも取りに行きましょう、三人で。ね」
セイジュが落ち着いたのを見計らってから、歩き出す。道すがら状況についての情報のすり合わせをしていく。セイジュはポツポツと灯里に村の現状について話した。だがその視線は、チラチラと灯里の頭の上を気にしている。自分は精霊が見えるようになったのか、それともあれは別物なのか。それで気になっているのだ。
「そんなことになっているんだ。あのね、セイジュさん。前に話をしていた禍津者、それが村を跋扈して、今の状況を作り出しているみたいなの。それで、ヌシ様はその禍津者を滅するための道具を作ってくださったから」
その言葉を聞き、セイジュの表情が険しくなる。
「それは、灯里さんの頭上にいる、その方のことですか? それから、禍津者はどうして村に入り込めたのでしょうか」
「そうね。村人の誰かが、中央の社から白羽の矢を抜き取ってウギョウの家に立てたことで、禍津者を引きずり込んだそうなの。それで、その人物は禍津者に取り憑かれてしまったらしいわ」
セイジュが絶句する。彼らにとってはヌシ様からの神託である白羽の矢を動かすなど、恐れ多くて考えも及ばない所業だ。灯里が自分の頭の上に乗っている小鬼の正体については移動中ということもあり、深くは言及しなかった。
(あらあら、この小鬼くんは強力なのね。でも精霊とは違うから、何も見えなかったセイジュさんでも見えるのかな。それだけでもないか)
灯里はそんな事を思ったが、今は口を閉ざした。
「それでね、セイジュさん。あなた、私が護符を渡してから今まで会えなかった人っている? ユウナ以外でね」
灯里の言っている言葉の意味が分からなかったので、首をひねっていると灯里が苦笑いをする。
「あのね、護符を渡して家に貼っておいて欲しいとお願いしたでしょう。それ以外に実は精霊の一人にお願いして、あなたに付添ってもらっていたの。だから、私が村に入る前に待っていてくれたんだと思う」
セイジュは、何故かこの場所に来なければならないという気持ちに突き動かされ、ここに来たことを思い出した。それは、そういうことだったのだろう。
ごめんなさいね、と灯里は気不味げに言う。歪みがどんな存在かは分からなかったため、もしもの時の村の安全地帯になるように、一番大きな村長の家に護符を貼ってもらったのだ。
「あとね、あなただけなんだけど、村の禍津神の系列にはあなたが認識できないような仕掛けを私が勝手にしたの」
セイジュは精霊によって、歪みからは存在そのものを読み取れなくするようにされていたのだ。
「そんなことができるのです、一体、どうやって」
これはヌシ様から提案された手法で、灯里自身は「彼を村のシステムから隠蔽する」という理屈自体はあまり理解できておらず、上手く説明できない。
「ごめんなさい。仕組みは私からは説明できないの。だけど、あなたが会えなかった人は、ユウナに良くない感情を持っていて、禍津者により濃く染まってしまった人のはずよ」
言われて、セイジュは一人の人間の名前を上げた。村を回っている時に、ここしばらく一度も会っていない人間だった。彼自身が極力会わないようにしていた人物でもあった。
「そう、やっぱり彼女が一番怪しいか」
灯里はそういうと息を一つはいた。
「なぜなの」
彼女はずっと村を回っていた。ユウナがいなくなってから村は彼女の思う方向性に向いている。溜まった鬱憤を晴らすようにウギョウの家の者達への嫌悪を焚き付けてみれば、面白いように上手くいった。
だが、セイジュに全く会えなくなった。村長宅に入ろうとしても見えない壁に弾かれる。それならばとセイジュを探しても、どうしても彼に行き当たることができない。稀に視界の端が陽炎のように歪むときがあるが、目を凝らしてもそこには誰もいないのだ。
チチチッと右腕から音がする。その音は、彼女の耳にしか届かない。今はなんとか落ち着かせているが、禍々しい黒ずみは右半身まで浸食しようとしていた。ユウナが織った布地を巻いてからはその勢いは落ちたように感じるが、それも気休めに過ぎない。
(悔しいけれど、あの女の織った布は特別なのね)
だからこそ、ユウナの織った布地の花嫁衣装を纏い、セイジュの隣に座るのを夢見ていた。だが、セイジュが選んだのは自分ではなくて、ユウナだった。それが悔しかった。切なかった。あの日の夜、家を抜け出して村の中央にある社に行ったのは偶然にすぎない。ただ、社に行って自分の願いを聞いて欲しかっただけなのかもしれない。そして見つけたのだ。社の御扉の前に刺さった白羽の矢を。矢には書状が結びつけられていた。
(花嫁様よ、久々の花嫁様よ)
囁くようなそんな声が聞こえたのは、気の所為だったのだろうか。だが、白羽の矢の意味は知っている。それを見て、その声を聞いて、彼女の中で何かが過った。本来ならば村長しかその矢と書状は触れてはならぬはずだ。村長しか近づけないはずだ。だが、花嫁という言葉に、この場所の地下から何かが反応したかのように空気が少しだけ歪んだ。それは、かそけき赤い糸を伸ばしてカガリにスルリと結びつく。一歩進む度に、その微かな細い細い糸が次々とカガリに絡みつき、その太さを重ねる。
(欲シイノ? 何ガ欲シイノ)
ザラザラと雑音混じりの音がカガリに囁きかける。そうして、どうすればよいのかを語りかける。
(アレ、アレヲ手二入レレバ)
引かれたかのように、その白羽の矢に近づく。それから書状を矢から解いて懐に入れた。ついで矢を右手で掴んで抜く。その瞬間、何か赤い光が散った気がしたのは気のせいか。呆気ないほど簡単に抜けたのに少し拍子抜けしながらも、矢を抱えてウギョウの家まで走り周囲に人がいないのを確認してから門に突き刺した。
書状は家に帰ってから炉で焼き捨てた。その時、炎の中に何か文字が浮がんだが、カガリは見ていなかった。誰にも気が付かれることなく、炉から小さな羽音を立てて何かが幾つも飛び立っていった。灯里がそれを見ていたら、気がついたかも知れない。あの小さなテントウムシだと。
それは選ばれなかった者の、捨てられた者の共鳴のようなものだったのかもしれない。
矢を抜いた時に、掌にピリッと軽い痛みがあった。掌には赤い痣が浮かんで消えた。それからずっと弱い鈍痛となって残っていた。それがいつの間にか右掌に小さな黒い筋がつき、徐々に広がっていき、より強い痛みがカガリを襲った。同時に、自分の中に何かが染み入ってくる感覚があったのだ。
家の御神前にはユウナの織った布地があった。以前、ヌシ様へ献上する刀を打つ際、直垂として使用したものだ。なぜかその布が手近にあるべきだと思い、右手に巻きつけた。すると痛みが和らぎ、じわじわと広がる黒い染みの悍ましさも鈍った。何より、周囲にその黒ずみを気づかれることがなくなった。それでも、侵食を完全に抑えることはできなかった。
(これは一度使われたものだから、力が弱くなっているのではないかしら)
確証はなかったが、そう感じたのだ。だから新しいものが欲しかった。
「カガリ、そろそろウギョウのところに頼んでおいた布地が出来上がると話が来た。申し訳ないが、それを受け取って仕立て屋のサザンカのところへ持っていってもらえないか」
父からそう聞いた時は天啓だと思った。自分に必要なものが下される状況に、自分の行いが正当化された気がしたのだ。
「ソウダ、オマエハ正シイノダ」
心のなかで彼女を肯定する声がする。
「オマエハ、コノ地ノ中心二イルベキダ、ソウダロウ?」
その言葉にカガリは頷く。そうだ、自分はこの村で村長となったセイジュの隣にいるべき存在であり、ユウナなどいらない。ヌシ様への生贄にするのは失敗してしまった。なぜか同時期に現れた迷い人と入れ替わってしまったからだ。だが、それはそれで良かったと今は思っている。
「だって、ユウナがヌシ様の花嫁となっても村を徘徊するなら、やはり邪魔だったもの」
彼女を罪人に仕立て上げればいい。そうすれば、誰も庇い立てできなくなる。心の声が囁く。
「ぬし様トヤラヲ怒ラセル程ノ事ヲサセレバ良カロウ。簡単ダ」
カガリは、右腕の力を注ぎ込む術を教わった。そうすれば、相手は勝手に堕ちていくのだと。
「そうね、罪人として無様に裁かれればいいのよ」
実際、事は驚くほど簡単に運んだ。右腕で掴んでやれば、ユウナは狂ったように機織り機を破壊してくれた。望み通りに新しい布地も手に入った。
真新しい真っ白い布を手に取る。指先に触れるユウナの気配が疎ましく、カガリはわずかに眉を顰めた。だが背に腹は代えられない。それを右腕にかけ、身体に幾重にも巻いていく。吸い付くように馴染む感覚。心が安らぎ、力が安定していく。布の下で、何かが蠢いた気がしたが、カガリは気が付かなかったふりをして目を逸らした。
だが、どうしても。あの日以来、セイジュだけが見つけられない。




