第17話 花嫁の意味とは
「では、ヌシ様。情報を共有していただきたいと思います」
灯里は切り替えることにした。これからするべきことはまだ多いのだから。
「情報共有とは」
「はい。私、助手ですよね。何を手伝えばいいのか把握するために、必要な情報を教えて下さい。まずマルウェアに対する認識はウイルスと同等と考えてもいいですか」
両手を腰に当て胸を張って灯里はヌシ様に宣言するかのように言った。
「私が知っているのは、会社のネットワークにウイルスが侵入した場合の対処くらいです。LANケーブルを抜いて、情報システム部に連絡してあとは丸投げ。でも、ここではどんな対処法をするんですか。私の役割は?」
灯里の勢いに完全に飲まれてしまったヌシ様は、少し言い淀む。
「そのマルウェアっていうのへの対処方法は、どうするんですか」
畳み掛けられ、少し考え込んだヌシ様が口を開いた。
「村とここの接続は今は一旦切ってある。ユグドラシルまで侵食されては敵わないからな。本来なら村はスリープモードにしたかったが、それはできなかった。これからワクチンを作成する。村内のマルウェア本体をプロセス凍結、隔離するものだ。凍結後、村を一度シャットダウンする。その後、修正プログラムを一斉デプロイする形だな」
「了解しました。マルウェアをワクチンで固定して、電源を切って、修正データを一括送信するという理解でいいですか。それで、私は何を手伝えば良いでしょうか」
灯里は言葉のそれぞれの意味を全て的確に理解しているとは思っていなかったので、自分の理解の範疇で確認した。
「その理解で、まあ、大丈夫だ」
そう言いながらもヌシ様は思案顔のままだ。そこへ女官が口を挟んだ。
「僭越ながら、お時間がかかるようならば御内室様の血で、村を浄化すればよろしいのでは」
いつもの能面のような表情でのたまう。ヌシ様の顔が忌々しげな色が浮かぶ。
「差し出口を挟むな。そんな古い方式を採らんでも、論理的に解決できる。そんな非論理的なパッチを当てる必要はない。根本的なコードの修正で解決できる」
苦々しげに吐き捨て、女官を睨めつける。先程も同じようなやり取りをしていた。灯里は自分の血の効能に疑問を抱く。地中の黒いミミズのようなものが近寄ってきていた。
「あの、差し支えなければ私の血の意味というものを教えてもらえませんか」
「前のヌシ様は、この地域で異変があれば、花嫁の血をもって贖《あがな》っておられました」
ヌシ様が遮るより早く、女官が灯里を見つめて淡々と告げた。
「だから、そんな旧式な方法は必要ないと言っている。何度言えば分かる!」
乱暴な口調でヌシ様が制すが、女官は構わず続ける。
「花嫁を娶るというのは、そういう意味でございまする」
灯里は腑に落ちた。前任者の話はそういうことだったのか。仕組みはわからないが、一つの結論に至る。なるほど、犠牲者は転生したというのはそういうことかといつかの言葉に納得もした。
「それならば、マルウェアに引っ張られてここにきた私は、とっても美味しい囮になるのでは」
「冗談でも、そんな事は言うな」
先程、灯里は自分の血を使ってレガシーコードを引きずり出した。しかも彼女は察しが良い。このまま下手に隠し立てをしては、かえって危険な行動に走りかねないとヌシ様は判断した。あるいは、諦めたとも言う。
「君についての仮説を話しておこう。それから、今後の手順についても」
立ったままで落ち着かないだろうと、春の野にガゼボとティーセットを用意させた。白磁のティーカップに紅茶が注がれる。紅茶を注ぐのが着物姿の女官というアンバランスさはあるが。
「こんなこともできるんですね」
いつもはヌシ様は立ったままで作業をしているし、灯里は上敷きに座布団に座って精霊の話を聞いている。このセッティングは初めてだ。しかもヌシ様の出で立ちが、いつもの着物姿から、青いシャツに黒いジーンズの姿へと変わっている。
「たまにはいいだろう」
そう言って、すこし表情が和む。彼自身の中に押し込められてしまった郷愁の表出であるとは本人も気がついていない。そして、こうした洋式めいた設えは、和式を好む女官に対する彼なりの意趣返しであることを灯里は知らない。
「まずは、君自身についてだ。君は白羽の矢が抜かれたことによる次元の歪みによって、この世界へ引きずり込まれた」
半ば夢の記憶のような、あの時の黒い円との邂逅。
「何か黒い紐みたいなものに絡まれました。あの時、電源コードかなにかが焦げたような甘ったるい匂いがしたんです」
こぼれ落ちた言葉に、ヌシ様が頷いた。
「なるほど。そうした経緯を考えれば、君はマルウェアとの親和性が高いと考えられる。君自身がマルウェアと同じ署名を持つオブジェクトだと認識されているんだ。君はマルウェアを感知しやすく、マルウェア側も君を同種のリソースとして認識している可能性が高い」
それを聞いて灯里は自分の体を抱え込んだ。予感はあったが、改めて言葉にされると恐怖に身がすくむ。
「だが、君はこの世界の存在ではない。異質な存在だ。だから、マルウェアに完全に乗っ取られることはないし、負の影響も今のところは受けていない。それと、早い段階でここに来たということも大きいだろう」
安心させるように、ヌシ様は微かに微笑んだ。
「君はマルウェアがその力を増す前に、社を経て花嫁という存在となった。要するにこのシステムにペアリングされたわけだ。それによって君の存在は助手として安定している。多分、君の中のマルウェアに由来する部分は凍結状態にあるはずだ」
「花嫁。そういえば、そうでしたね」
驚く灯里の前で、ヌシ様の顔が耳の先が赤く染まり、少しきまり悪そうに視線を逸らした。
「ああ。花嫁というのは、前任者の野郎が人間をこの世界に馴染ませるために用意したインターフェースだ。あの野郎は、強い感情、特に女性の情念を、そのままシステムを書き換える強力な命令文として実行するような、感情駆動型のエンジンで世界を動かしていたんだ。まあ、それだけでなく色々と流用していたらしいが、そんな旧弊な方式は現在のユグドラシルには合わない」
苦虫を噛み潰したような顔でヌシ様が言う。現代的なエンジニアの感覚からすれば、人身御供など非効率の極みだろう。何より、自分の管理する世界にその旧弊なロジックを持ち込む必要性を、彼は微塵も感じていないのだ。
「君の存在は、両方のネットワークセグメントを繋ぐ唯一のブリッジだ。そう考えれば、女官が言うような使い方は、あまりにも勿体ない。さっきも言っただろう。君は有用なリソースだと」
そこで一旦言葉を切り、彼は苦渋に満ちた面持ちで言い淀んだ。
「だから、やって欲しいことがある。君に、かなり負担を強いることになるのだが」
彼は困ったように呟いた。伏せられた目の先、テーブルの上の拳は白くなるほど強く握られている。
「私はここから離れることはできない。だから、君にやってもらわなければならない事は多い。まずはマルウェア本体へのワクチン投入をお願いしたい。物理的に接近して、本体のプロセスに直接流し込む形になる」
「だが、ワクチンに関しては特定のマルウェアに最適化したシグネチャを緊急作成することになる。だから、汎用性がないために再構築に時間がかかる。申し訳ないが予備まではつくれない」
一発勝負になるということだ。彼は淡々と、しかしどこか申し訳なさそうに指を動かした。
「それから村の中心にある社に行って、村全体をシャットダウン、起動停止状態にするためのトリガーを引いて欲しい。内部からの強制停止は、ここからでは権限が届かない。そして、これが最も君に負荷をかける作業になる。君の身体を配信サーバーとして、村全体へ一斉デプロイを行なう必要があるんだ」
ヌシ様の様子から、かなりキツイ仕事になるんだろうということは、想像ができた。
「マルウェアを固定して、村を一時停止状態にしてから村全体にセキュリティソフトを一斉インストールするという理解でいいですか」
まっすぐにヌシ様を見て確認をする。
「そうだな。その一斉インストールの際に君にはかなり負担がかかる。一村分の全データを君の脳と体を介して流し込むため、意識は混濁するかもしれないし、最悪、君の記憶にも支障が出る可能性がある」
リスクを示す眼差しは強く灯里を見つめる。
彼女は、失敗したらどうなるのかという怖さを感じながらも、それをなんとかねじ伏せる。これは、自分にしかできない事なのだろうから、断る理由はない。
「わかりました。やりましょう。マルウェアを叩き潰しましょう!」
灯里ははっきりと答えた。
(記憶に、支障か。忘れていい思い出なんて……。いや、大丈夫。可能性って言ってたじゃない。決まったわけじゃない。きっと、なんとかなる)
テーブルの下の指先は震えているがそれを相手に見せはしない。
「ありがとう。君は、そこで待っていてくれ」
そう言ってヌシ様は席を立つ。ガゼボから出る。背中を向けてユグドラシルへと向かっていく。シャツとジーンズ姿が歪み、するりとまたいつもの様相へと変化していく。
「こんなバグだらけの世界に、迷い込ませてしまってすまない。できれば、無事にすんで、君を元の世界に戻せればよいのに」
小さな呟きは、灯里の耳には届かない。それから作業台の上の木の箱を見る。その目には哀れみがあった。ジジッとかすかな揺らめきが生じて箱の中の白い玉にノイズが走り、少しだけだが黒い筋が伸びている。
「早いほうが良いだろう。あの木箱の中身が変質してしまう前に」




