第13話
ユウナが寝ている部屋に戻ると、そこに丁度父親が戻ってきていた。眠り続けている娘と機屋の惨状について母親から聞いたところらしい。
「アカリさん」
呼びかけをしたものの、後の言葉が続かない。なにをどう選択すべきか、灯里は青白い顔のユウナをこのままにしてはいけないと考えた。この村の医者を呼んだところで、意味はないだろう。これは明らかに歪みによるものだろうから、普通の医者では手の打ちようもないだろう。灯里は精霊の一人に、ヌシ様への伝言を託した。
「ユウナを社へ連れていきます。彼女に何が起きたのかは、今はまだわかりません。でも、ここにいては二度と目覚めない気がするんです」
戸惑いながらもユウナの両親はそれを了承し、父親が社まで連れて行こうという事になった。彼女の冷えた体温に二人共不安そうだ。だが息はあるし心臓も動いている。口を引き結んだ父親が動かないユウナを背負子に乗せ、帯でしっかり結びつける。
そんな状態で社に向かったのだが、境界まで来ると女官が一人立っている。
「よかった。連絡がちゃんといったのね。あの、ユウナを社に連れていきたいのだけれど」
灯里が彼女に話しかけると、女官は灯里の方を見て丁寧に一礼する。それから徐ろにウギョウの父親に向き直る。
「男、その娘をここに置いていきなさい。その娘は祟られものとなった」
その言葉を聞いた途端、父親の顔から血の気が引く。
「そ、そんな」
呆然として立ち尽くしたままの様子に業を煮やしたのか、女官がふいっと手をかざす。すると、抱えられていたユウナが白い玉へと変化した。彼女を結んでいた帯紐がするりと下に落ちる。不可思議なその塊は下に落ちることなく中空に留まったままだ。女官がまた手首を手前に振ると、今度は白玉が女官の側にふよふよと飛んでいく。
「ユ、ユウナ」
その場に崩れ落ちた父親は、呆然としたままでその真珠のような球体をしばらく見つめていた。それの大きさは人の頭ぐらいで、黒い筋が所々に入っている。父親はその場に蹲り、娘の名を呼びながらハラハラと涙を流している。それからよろよろと立ち上がると、灯里の存在すら忘れたかのように、虚ろな表情ですごすごと戻っていった。
真珠のような球体と化したユウナをみて、灯里は絶句していた。一体何が起きているのかがわからない。灯里は何をどうすればよいのか混乱していた。ユウナが白い玉になったのを眼の前で見て思考停止していたのだ。女官はどこから取り出したのかその玉が入る程度の木の箱を取り出して、それを入れる。
「一体、何をしたの! ユウナをどうしたのよ」
灯里は女官を問い詰めたが、彼女の表情はいつもと変わらぬ無表情だ。
「灯里様。お急ぎください。ヌシ様がお待ちです」
まるで機械的にそれだけを繰り返す。
ぐっと唇を噛む。多分、ここで女官を問い詰めてもどうにもならないのだということも分かりはする。女官の無表情さに、改めて自分とは違う存在なのだと感じるしかなかった。
(ユウナ、ユウナ。きっと大丈夫よね。ヌシ様に聞けば、きっと、きっと手があるのよね)
ぎゅっと手を握る。聞きたいことは沢山あったが、「ヌシ様がお待ち」だという言葉と、自分が持っている大量の黒い虫のことを思い出す。ユウナの事もヌシ様ならばなんとかしてくれるだろうと無理やり思い込む。深呼吸を一つ。今自分がするべき事はなにか、何を優先するべきか灯里は判断する。
「わかった。行きます」
奥座敷の奥、春の野は相変わらず温かな風がそよぐ。だが、中央にあるユグドラシルに黒い筋が幾筋も入りヒビ割れたかのようだ。枝は萎れたかのように下を向き、樹皮もその艶やかな色をくすませている。その側には必死に作業をしているヌシ様がいるが、その姿までもがどこか瑞々しさが失われたように見えるのは、気のせいだろうか。
「ヌシ様」
声をかけるとこちらに振り向いた彼の顔色は土気色をしていた。その肌も艶がなくなり、皺、いや小さなひび割れのようなものが表面に走っている。そのひび割れにノイズが走ったかのように細かな光の粒子が走る。そのことからかなりまずい状況だと判断できた。灯里はカバンと袋を抱えて駆け寄った。
「ここに、黒い虫があります。ウギョウの家の機織り機がユウナによって破壊されたんです。この黒い虫が機織り機の残骸です。ユウナには黒いムカデがついて、別人みたいで。破片は全部ここにあります……」
灯里が袋を開くと、ヌシ様は迷わずその中に手を突っ込んだ。刹那、鮮やかな光の筋が放出され、幾重ものリボンのようにユグドラシルへと巻き付いていく。はたから見れば幻想的な光景だが、その中心にいる彼の消耗は激しかった。脂汗が滴り、目の下には濃い隈が刻まれている。黒曜石のようだった髪色からは輝きが失われ、色の抜けた白髪が一房、力なく揺れていた。
(一体、どれだけの負荷がこの人にかかっているのか)
一袋目が終わる。次の袋の封を開けて差し出す。躊躇いもなくそこにも両手を突っ込むと同じくリボンがふわりと舞う。美しい風景と緊張した空気、そんなアンバランスな状況の中で灯里は鞄の中の黒いムカデを思い出す。あれをこのまま混ぜてしまっては駄目な気がしたのだ。あの匂いを纏わせるものをこの状態で一緒に作業をしてはいけない気がする。
2つ目の袋を彼が修復作業を進めている間に、鞄の中からムカデだけを取り出し、開いた袋の中に入れ直す。ムカデにはあの匂いが付いている。その匂いに吐き気を感じて急いで詰め込む。フラッシュバックのように喫茶店のあの時の映像が浮かび、最後のコーヒーの苦みが口の中に広がり、指先が冷たくなる。
少し心配になってムカデを取り除いてからカバンの中の匂いを嗅いでみたが、中に大人しく入っている黒い虫には移り香はないようだ。そう言えば、このカバンはそれぞれ入れた物が干渉し合わない形式になっていると聞いた事を思い出す。黒い虫同士が干渉しあってよりおかしなことにならないようにそうした処置を施したものだと。
バグを処理しているその作業の方を見ると2つ目の袋も半分ぐらいはすんだのか少し小さくなっている。その顔色は、先程のやつれた様子から少し持ち直したようにも見える。2つ目の袋の隣にカバンを置く。
「残りはこのカバンの中にあります。あと、ユウナについていた黒いムカデはこの袋に入れました。きっと対応は別だと思います」
1つ目の袋は灯里が抱え込む。ヌシ様は一言も言葉を発しなかったが軽く頷いた。次々と発生するリボンがユグドラシルに巻き付いていく。徐々に、本当にゆっくりとだがユグドラシルの色調がもとに戻りつつある。垂れ下がっていた枝々も元のように天空へと伸ばしつつある。
どれだけ時間が経っただろうか、ようやくカバンの中の分も含めて機織り機の成れの果ての処置は終わった。だが、ユグドラシルの黒い筋はそのままだ。ヌシ様はまだ肩で息をしている。
「詳しい話を聞かせてくれるか」
「はい」
ようやく、話ができる状態になったのだろう。声が聞けてホッとする。黙って作業をしていた彼の姿を見て、多分話しかけられる状況ではないと判断したのは正しかったのだろう。ヌシ様は処理するのに精一杯だったのだ。それでも、あの虫が何だったのかは把握できているようだ。




