第10話 村の秘密ですか?
「俺はユウナと世帯を持つとはっきり言ったのですが、カガリは聞く耳を持たなくて」
この村は小さいけれど他にも若い男はそれなりにいるのだから、いい加減自分の事は諦めて欲しいと言ったこともあるそうだ。実際にカガリを気にかけている男をセイジュは何人か知っているという。
「彼女が本当の意味で俺が好きなのかはわからないですよ。俺が村長の息子で、次期村長になるからじゃないかって思えるのですよ」
次期村長になるセイジュの隣にいるのは自分が相応しい、と言ったのだそうだ。自嘲気味に言うセイジュを見て、灯里は会社の給湯室の会話を思い出していた。出世をしそうな男性社員はそれだけでも人気になったりするものだ。
(橘さんが拓馬に告白したのも、彼が出世頭だったからかな)
そんな事が心をかすめる。拓馬と灯里が付き合っている事は拓馬に口止めもされていたから、自分から言うこともなかった。
「一文字さんて、経営戦略部へ移動になったんですって」
「すごいわね。大きな取引を成功させたって噂があったものね。あの人、見目も良いし行動もスマートだし、狙っている女性も多そうよね」
そんなやり取りが耳に入って、周囲に対して優越感を感じていたのは確かだ。馬鹿みたいだとその時の自分を嗤う。あれから色々とありすぎて、灯里は今の今まですっかり拓馬の事など忘れていた事に気がついた。冷静になってみれば、今更そんな事を思う自分は我ながら随分と薄情だ。
(でも、あのカガリには同情できないわね)
灯里は思考を切り替えた。
「父はアカリさんには言わなかったようだけれど、あなたが村の中を回るのは良くないことだと言う人間もいるみたいなんだ」
どうも、ヌシ様の花嫁になった迷い人が社の外へ出られるのをいいことに、ご指示ではなくただ遊び歩いているのではないか、という噂らしい。ヌシ様だけでは飽き足らず、村の他の男にもコナをかけているという声まであるとか。
「はあ? 村長さんには皆さんへ通達してくださっていますよね。ヌシ様から村を見回ってくるように言われていること。ヌシ様からの書状も渡していますよね」
灯里は村の男衆とは殆ど口を聞いたことがないのに、どうしてそんな話がでてくるのか。眉間にシワを寄せてそう灯里が言うと、口角を下げて腕を組んでセイジュがため息混じりに答える。
「通達はきちんとしていますし、最初は皆、納得していました。でも、この頃、なぜか不穏な話をする連中が増えてきたのです。父も説明を重ねているんですが」
押しかけてきた人にヌシ様からの書状を見せれば、その場では納得して帰っていく。それでも、ポツリ、ポツリと邪推をする人間が後を絶たないとのことだった。
「不思議ね。そうか、もしかしたらその噂の原因が、今回の歪みと関係するのかも」
灯里はそう独りごちた。人々の負の感情を増幅させるバグが、どこかに潜在しているのかもしれない。まだ表面化していないものが、何か人々の心を揺さぶる力が働いている予感がした。そこには悪意しか感じられない。
「ねえ、セイジュ。あなたにお願いしたいことがあるの」
灯里は心配性のヌシ様に渡されている護衛用の護符を、セイジュに手渡した。
「あなたの家にこの護符を貼っておいて。それで、何かあったらウギョウの家の人達を守ってほしいの」
今日もユウナは仕事でこちらには来られなかった。しばらくは忙しいようだ。それで今日も二人で村を回って、黒い虫を回収していく。この頃は正常に見える場所でも、小さなテントウムシが飛び回っているのが目に付く。それはデータの微細なズレだと、前にヌシ様が言っていたものだ。歪みはあちらこちらに、小さな綻びを発生させているのかもしれない、と灯里は感じた。
ばら撒かれているように飛び交う小さなテントウムシが何を意味しているのかはまだわからない。歪みなのか、それともユグドラシルの問題なのか。何故ならばまだ全ての精霊の話を聞き終わってはいないからだ。彼らは一人ひとりがお喋りで、全域のデータ収集を完了するにはあと数日はかかりそうだ。どうも、ヌシ様の方もユグドラシルにかかりきりで、精霊たちが持って来るデータの解析が後回しになり、溜まりに溜まっていたらしい。だからバグの回収も後手に回っている感がある。
(だから助手役がほしかったんだろうな。本当なら全体を見通してから細かな不具合に取り掛かりたいところだけれど、今はそんな余裕もないみたいだし)
灯里は精霊の話を聞きながら、そう思っていた。それでも、土台となる土地に関連する精霊を優先している。せめて基盤の部分だけでも先に把握しておきたいと考えてのことだ。
今日の見回りは、5つほどの黒い虫を捕まえた。サイズも様々で、小さいものが大量に見つかることもあるため、最近は虫をいれる大きめの背負い籠一つと、予備の袋を二つほど持ち歩いている。
「あ、あの紫色の実、きれい」
林の奥、大きめのカメムシのような黒い虫を見つけた時に気がついた。
「ああ、アケビの実だ。美味しいよ」
セイジュはそう言うと、その紫色の実を摘んでくれた。
「この透明なタネの入った部分はそのままでも甘い。皮の部分はアク抜きをすれば食べられるよ」
手渡されたアケビを口にしてみる。ほんのりとした甘みが広がった。周囲を探せば、アケビはあちこちに実っている。これをお土産にしたら、ヌシ様は喜ぶだろうか。ふと周囲を見回した灯里は、奥へと続く道に目を留めた。
「ねえ、この林の先はどこへ続いているの?」
そう言って、自分はこの村の外に出たことのない事実に気がついた。問いかけに、セイジュは少し意外そうな顔をした。
「いや、この道は先に行けないよ」
「行き止まりなの?」
セイジュは首を振った。
「村から外に出ることはできないんだ」
村の境界から先へは進めないのだ、と彼は続けた。
「この道は一里ほど進めば、また元の場所に戻ってしまう。場所によっては山頂まで登れるけれど、やっぱりその先には行けない。俺の生まれた頃からずっとそうだ。だから迷い人でもない限り、他所から人が来ることもない」
淡々と語るセイジュにとって、それは呼吸をするのと同じぐらい、自明の理であるようだった。
「でも、村の中だけでやっていけるの? 足りないものとかもあるでしょう」
灯里の驚きが、セイジュには理解できないようだった。
「鍛冶屋の小屋には、各種の鉱物や石炭が尽きない箱がある。機織り小屋には、糸の尽きない籠がある。すべてヌシ様から下賜されているものだ」
村長が言っていた恩恵とは、このことだったのか。そして、村の境界という意味。それならばヌシ様に逆らおうなどと考えないのも頷ける。
「どうしても必要なものがあれば、社に願い出ることになっている。もちろん相応の代償は差し出すことになるから、誰でもというわけにはいかない。村長だけが、その窓口になれるんだ」
灯里は、自分がこの場所を少し楽観的に捉えすぎていたことに今更ながら気づかされた。
(ここは、ただの村じゃない。ヌシ様が資源を供給し続けることで維持されている、閉じた箱庭なんだ)
戻り際、灯里の足取りは重かった。 セイジュが当たり前のように語った「尽きない箱」や「ループする道」は、灯里の知る世界の物理法則ではない。それはまるで、定められたパラメータの中でしか動けないシミュレーターのようだった。
「ヌシ様は、何を管理しているのだろう」
疑問が膨らみ、胸の奥をざわつかせる。灯里は社の奥座敷へと急いだ。




