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まずは反故紙の裏に縦横の線を引いて表を作り、分量と反応をメモしていくことにした。
計量カップも時計もない世界で、どうやって再現性を持たせるか。それは予め前提条件を定義することだ。
苦労して作った材料を無駄にしたくないので、柄杓1杯を1として、油10に対して灰汁を1ずつ投入していくことにする。そうすればどこかで最適な分量に辿りつくはずだ。
問題は、どれくらい混ぜれば出来上がるか。
このクソみたいな現実では、混ぜたらハイ出来上がり、なんて期待できない。とりあえず、灰汁1杯入れたら次の鐘が鳴るまで混ぜ続ける、と決めて、わたしは実験を開始した。
・教会の鐘が鳴ると同時に最初の灰汁を投入。変化なし。
・次の鐘が鳴ると同時に2杯目の灰汁を投入。変化なし。腕が限界。
「うぐぐ……。腕が、腕が痛い……。腱鞘炎になりそう」
「エルネスティーヌ様、お代わりしましょうか?」
アンヌが申し出てくれたので、有難く交代し、3杯目の灰汁を投入。
「エルネスティーヌ様……。心なしか、余計に臭くなったような」
たしかに、廃棄油の生臭さが強まった気がする。
「で、でも、なんかとろみがついて白っぽくなったような気もしない? けん化? 乳化? そういうやつかも」
アンヌを励まして混ぜ続けてもらったが、それ以上変化することもなく次の鐘が鳴った。
「とりあえず今日はここまでね。そろそろ奉仕に戻らなきゃ。続きは明日にしましょう」
「ええ~、まだ続けられるおつもりですか……?」
わたしは3杯目の欄にさっとメモをすると、アンヌを労いながら夕刻の奉仕に向かった。
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「エルネスティーヌ様! 石鹸が固まっています!」
翌朝、アンヌが声を弾ませて桶を覗いていた。
「本当? 一晩寝かせたのが良かったのかしら……」
わたしも一緒に桶を覗き込んで、溜息をついた。
「……だめね。これは石鹸じゃなくて、油が冷えて固まってるのよ。今朝は特に寒かったから」
白く固まった油を柄杓でつつく。これでは混ぜられそうにない。
「仕方がないわ。暖炉の側に置かせてもらって、少し溶かしましょう」
「これをですか……。臭いって怒られませんかね?」
「怒られたら、祈りましょう。石鹸ができて手荒れが治まったら、お釣りがくるわ」
わたしは桶をカレファクトリウムに移動した。
暖炉の側でしばらく見守っていると、白く固まっていた表面がゆるりと艶を取り戻し始めた。
柄杓でつつくと、中心部はまだ固いが、縁のあたりは少し沈む。
「……溶けてきました」
柄杓を差し入れて、ゆっくりとかき混ぜる。
「ええ。これで、また混ぜられる。このまま少し置いておいて、朝の奉仕が終わったら、また始めましょう」
火の近くは怖いので、炎の熱が直接当たらない、けれど暖かい場所に油と灰汁の桶を置いて奉仕を済ませ、実験を再開する。
「……朝とは手応えが違うわ」
明らかに「もたっ」とした手応えになり、混ぜるのに力が要る。色も白みが強くなり、暖かい部屋に置いただけでは
説明がつかないくらい熱を持っている。
「温度が重要だったっていうの? そんなの、ラノベには書いてなかったけど」
その後もシスターたちに不審がられながら数日かけて灰汁を混ぜ合わせ、油10に対して灰汁13になったところで、桶の中は白濁したカスタードのような質感に変わった。
ヘラを引き抜くと糸を引き、生クリームのような跡が残った。
「やりましたね、エルネスティーヌ様! でも、全然石鹸っぽくないですね」
液体洗剤とも違うもったりしたテクスチャのそれは、油の生臭いにおいが残っている。それでも、少し掬って布巾を揉み洗いしてみると、スカスカした粗い泡が出て汚れを洗い流してくれた。
「うう、やっぱりピリピリする……。でも、汚れが落ちる分灰汁だけよりマシなのかな? よく分からないわ」
わたしは慌てて石鹸の付いた手を念入りに洗った。あかぎれのできた手に石鹸のアルカリが染みて涙がにじむ。
「確か、固めるのは塩か何かを入れるって聞いた気が……。海が近ければ塩炊きもやってみたかったけど、さすがに貴重な調味料を実験に使うのは気が引けるわね。自然乾燥で乾かせば、少しは固まるかも」
早く乾くようにせっけん液を平べったく移し替えていく。実家から持ってきたティーサーブ用のトレイを使おうとした時はアンヌから本気で怒られてしまったため、いろいろな容器に少しずつ流し込んで、風通しのいいところに保管した。
「これでしばらく様子を見ましょうか。さすがに……ちょっと疲れたわね」
わたしは実験メモをまとめなおしながら、石鹸液が乾燥するのを待った。




