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とは思ったものの、こちとら底辺プログラマ。異世界でチートできるような専門知識は持ち合わせていない。
PCは使えても作れない。自作PC組んだことくらいならあるけど、そもそも部品が売ってない。
「これからの日本は、異世界転生に備えて味噌と醤油の作り方ぐらい義務教育でやっとくべきだと思うの」
シスターたちに交じって清掃奉仕をしながら、わたしは自分の無学さに呆れていた。
この世界には一応魔法があるけど、魔法で何でも解決したりはしない。戦闘職が使ったり、学者が研究したりはするけれど、使える人もそんなに多くはないせいか、未だに未知数の部分が多い。
しかも修道院では作業自体が奉仕という考えがあるせいか、魔法はほとんど使われていないようだ。
──この生活も悪くはないけど、現代っ子としては、できれば衛生環境を整えたい。
わたしはなけなしの知識を求めて頭の中の引き出しをかき回した。
手始めに集めたのは、灰汁と油と桶。それだけあれば、アレが作れる。
「……って、ラノベに書いてあったわ」
灰汁は簡単に手に入った。修道院では暖炉や竈で出た灰を数日間水に浸し、上澄みを掬ったものを洗濯や清掃奉仕に使っているからだ。
灰汁を混ぜた水で揉み洗いや踏み洗いをするが、洗浄力は低く、アルカリは高いので手を荒らす。
温暖な地方とはいえ最近めっきり寒くなってきたこともあって、水仕事に慣れない令嬢の柔肌はあっという間にひび割れている。
わたしはそれを少し取り分けて使うことにした。
次は、油。
新品の油は高価なのでおいそれとは使えない。そこで目をつけたのが廃棄油だ。
修道院では野菜を炒めた時の油や、肉を調理した時の脂を壺に溜めて保管している。
蠟燭業者が幾ばくかのお金と引き換えに引き取ってくれるからだ。
わたしはそれをシスターに願って分けてもらった。
厨房係のエッタはこんなものを欲しがる公爵令嬢に首をかしげながらも、快く譲ってくれた。
「う……酷いにおい」
油壷の蓋を外すと、ツンとした臭いが鼻を衝いた。酸化した油の酸っぱい臭いと、食材カスの腐敗したようなまったりした臭い。わたしは嘔きながらも不純物を丁寧に漉し取り、廃棄油を一度加熱してから冷えて固まった油を掬って集めた。
「これで、やっと材料が揃っただけなんて」
材料集めの段階で、わたしはもう疲弊していた。ラノベで見たチートなスローライフとは雲泥の差だ。
「エルネスティーヌ様、何をしてらっしゃるのですか」
修道服に身を包んだアンヌが、手巾で鼻を押さえながら桶を覗き込んできた。
アンヌはメイドとして連れてこられたものの、神に仕える身でメイドに身の回りの世話をさせるわけにもいかない。結局アンヌもシスターの格好をして、同僚として行儀見習いに励んでいるのだ。
「古代メソポタミアでは、羊を焼いて神に捧げていたらしいの。その時に滴り落ちた油と焚火の灰が混じりあい、染み込んだ土は汚れを落とす不思議な力を持つに至った」
アンヌは、わたしが経典か何かの話をしていると思ったのか、指を祈りの形に組んでおとなしく聞いている。
「つまり、石鹸よ。油と灰で石鹸は作れる。英雄の灰じゃないけどね。まあ、なんとかなるでしょ。──修道院で最初に起こす奇跡にはぴったりじゃない?」
「石鹸ってあの、公爵家にあった、花の香りのする四角いあれですよね。これがそうなるんですか」
メイドとはいえ、アンヌも男爵令嬢。王都の上流階級に出回っている高価な石鹸と、この生ごみの臭いのするねとねとした液体が結びつかないようだ。
「あんなふうにはならないけどね。修道士らしく清貧に、でも灰汁で揉み洗いよりは楽になるはずよ」
問題は──どんなふうに、どんな割合で混ぜればいいのかまでは、ラノベには書いていなかったということだ。
「となれば、楽しい実験の始まりよ。アンヌも手伝ってちょうだい」




