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──そもそもの事の起こりは、数か月前のあの日。
滴る赤い血に前世の記憶を取り戻した時には、すべてが手遅れだった。
そこは断罪の真っ最中だったのだ。
リーンハルト殿下は、皮膚が破れ血が流れるのも構わず、その薄い唇を噛みしめてわたしを見据えていた。
謁見の間には多くの貴族たちがひしめき、彼を守るように配置されていた。
つい先日まではその隣にいたはずの私は、まるで罪人のように肩を押さえられて、それを見ていたのだ。
銀髪をなびかせた絶世の美男子と、豪奢な衣装に身を包んだ貴族男性たち。
ここにヒロインさえいれば、まるで乙女ゲームのエンディングのようだ。突如思い出した前世の記憶でパンパンになった頭で私は思った。
「殿下」
殿下の傍らの男が、促すように声をかける。
「殿下、ご決断を」
また別の男が畳みかける。
殿下は返事もせず、ただ私を鋭い目で見つめていた。溢れた血のひとしずくが、唇の端を、意志の強そうな顎を、喉を伝い、白い襟を汚した。
皆がただ壇上の役者のように彼を急かした。仮にも一国の王子が血を流しているのに、誰ひとりそれに触れないのが、三文喜劇のようで不気味だ。私はつい手巾を差し出そうとしたが、届くわけもなくただわたしの足元に落ちた。
──ぽたり。
遂に銀色の睫毛が震え、薄い唇が開くと、白い装束に高貴な血が落ち、紅い花を咲かせた。
「──アルヴァン公爵が娘、エルネスティーヌ嬢との婚約は……白紙とする」
その声もやはり震えていた。
それで茶番は終わったとばかりに、私は引き摺られるようにその場を辞した。
拙い刺繍の刺された手巾だけが、踏まれて、蹴られて、私の代わりにそこに残った。
殿下は唇を紅く染めたまま、いつまでもそれを鋭い目で見つめていた。
そんな衝撃的な幕開けだったせいか、「わたしたち」は朦朧としたまましばらく自室に引き籠っていた。
──デバッグばっかりやらされていた底辺プログラマの ’わたし’。
──国母となるべくつま先立ちで生きてきた公爵令嬢の ’私’。
──ラノベと映画と乙女ゲームが生きがいだった社畜の ’わたし’。
──こっそりお菓子をつまむのが生きがいだった少女の ’私’ 。
──私が胸の中でひっそり温めていた、五分咲きぐらいの恋心。
いろんな思い出が、混ぜて伸ばしてパン生地みたいに捏ね回されて。
’前世のわたし’ と ’今世の私’ がすっかり馴染んで、ひとつの ’わたし’ になったころには、追放される準備は万端に調っていた。




