第八、 砂に眠る契約 ― 胡原の影
胡原の密書が流出し、玲衡は再び疑われる。
帝は理道院を粛清し、玲衡を北方の寒州へ左遷。
だが、その夜、彼女の机にはサヒル(薩緋琉)の残した書があった。
――理と風は、まだ終わっていない。
「理道院の玲衡、謁見の間に。」
朝の鐘が鳴るより早く、伝令が駆け込んできた。
玲衡は机の上の報告書を閉じ、冷たい指で帯を締め直した。
昨日までは新法の立役者として名が挙がっていたが――
今日、呼ばれた理由は分かっていた。
廊下の先、官人たちの囁きが漏れる。
「胡原との風契文約に、密約が添えられていたとか……」
「その草案を起こしたのが、理道院の玲衡だと」
「胡原の密書が院の文庫から見つかった。封蝋は――璃国のものだったらしい」
玲衡の心臓がひとつ脈を打った。
(……まさか、あの夜の文が。)
謁見の間。
玉座の下で、丞相・暁修が冷たく言い放つ。
「玲衡、貴殿の執務室より、胡原の書簡が発見された。
理の名のもとに、異国と私通していた疑いがある。」
玲衡は深く一礼した。
「陛下、私は理を裏切ってはおりません。
書簡は確かに私が受け取りましたが、それは――交渉の証として。」
「証を隠すことが、理か?」
「陛下のお耳に入れる前に、真偽を確かめたかったのです。」
「ならば、その書簡の送り主――“サヒル”という者はどこにおる?」
沈黙。
玲衡は言葉を失った。
昨夜、彼は姿を消したのだ。
暁修が声を張る。
「胡原の密偵を逃がし、文を偽造し、国の理を危うくした。
その責を、どう取る?」
帝はしばし黙し、やがて一言だけを落とした。
「玲衡。理道院より除籍。寒州へ再配。」
周囲がざわめいた。
玲衡は頭を下げたまま、拳を握り締めた。
「……承知いたしました。」
夜、理道院の灯が消えたあと。
玲衡は荷をまとめていた。
机の引き出しを開けると、小さな木箱があった。
中には、香の壺と一冊の薄い書冊。
表紙には、胡原の文字でこう刻まれていた。
> 『理、風の上に立つ。』
開けば、サヒルの筆跡。
彼は、風契文約の影で密かに書き残していた研究書だった。
砂時計、香の化学、金属鏡の製法、灌漑の新理論……。
玲衡の手が止まる。
「……これが、あなたの理。」
窓の外では、春の風が吹いていた。
玲衡は箱を胸に抱え、静かに呟く。
「私は行きます。
あなたが始めた理を、凍った北で完成させます。」
その夜、文理庁の旗が下ろされた。
玲衡は再び雪の国へ――。




