表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『文治の国、理道の世』― 文と理の境を越え、国を治める。  作者: 巡叶
第1部「理を立てる者、文と風のはざまで」
5/8

第五、 雪の郷、胡原の香(こげんのか)

 北の果て、寒州に左遷された玲衡れいけいは、

 氷のような地で“民を救う理”をもう一度探そうとしていた。

 そこに現れたのは、胡原こげん――アラビアの理を伝える商人サヒル。

 彼が持ち込んだ砂の香りは、玲衡の心の氷を少しずつ溶かしていく。


 「砂の上に書く理は、消えても残る。」

 「ならば、私の理も風に乗せましょう。」


 ――冷たい雪原に、理の花がひとつ咲く。

 寒州かんしゅう――璃国の北端、白い風が吹き荒れる地。

 玲衡れいけいは、薄氷を踏みながら新しい任地へ向かっていた。

 庁舎と呼ぶにはあまりに粗末な木屋。

 机も筆もなく、あるのは冷たい石と凍った井戸だけ。


 「ここが……理を封じた国の果て、ですか。」

 玲衡は空を見上げ、息を吐いた。

 吐いた息が白く昇り、光の粒になって消える。


 庁の者はほとんど逃げ出し、残るのは数人の村民のみ。

 そのうちの一人、若い娘が近づいた。

 「お役人様? ……手、冷たいでしょ」

「構いません。氷が溶けるには、熱が要りますから。」


 玲衡は寝ずに働いた。

 井戸を掘り直し、古い管に鉄を通して温泉を導き、

 夜には火炉を改良して蒸気で部屋を暖める。

 「ことわりとは、民を救うためにある」

 その言葉だけが、夜ごと灯の代わりだった。


 ある日、吹雪の中を誰かが叩いた。

 雪の中に、サヒル(薩緋琉)の姿があった。


 「……どうしてここに。」

 「香を売りに来たと言えば、通してもらえました。」

 懐から取り出した小さな壺。

 中には胡原こげんの砂が少し入っていた。

 「砂?」

 「アラビアの地では、砂は時間の器です。

  風が通るたび、音もなく過ぎる。

  だから私たちは、砂の上に理を書くんです。」

 「……書いても、すぐに消えるのでは?」

 「ええ。だからこそ、何度でも書ける。」

 玲衡は静かに笑った。

 「あなた方の理は、潔いのですね。」

 「あなたの理は、強すぎる。

  でも、それもまた、美しい。」


 二人の間に、炉の炎が揺れた。

 サヒルが壺を置く。

 「この砂を火炉に混ぜると、煙が柔らかくなる。

  香りが、風を遠くまで運ぶ。」

 玲衡は頷き、壺の砂を火に投じた。

 ふわりと白煙が立ち、花のような香りが広がる。

 寒州の氷が、ほんの少し溶けた気がした。


 「玲衡殿。風はあなたを捨ててはいませんよ。」

 「……風が戻るなら、理も息を吹き返しますね。」


 夜。

 雪原の上に、蒸気が立ちのぼる。

 村の子どもたちがその中で笑っていた。

 玲衡は筆を取り、紙に書く。


『理は、冷たきものにあらず。

  冷たきものを溶かすものなり。』


 その筆跡を、サヒルは静かに見つめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ