第四、文を以て理を封ず
冬の初め、環京に冷たい風が吹いた。
文理庁の前庭の池が薄く凍る。
玲衡は、その氷の上に映る自分を見つめていた。
——理とは、こんなにも脆いものだったか。
朝議の席で、彼女の「市場均定法」は突如中止を命じられた。
“女官が異国商人と結託した”との密告があったのだ。
提出された証文には、玲衡の筆跡を模した偽文が添えられていた。
「心当たりはあるか?」
霜遼の声が、氷を踏むように冷たい。
「ありません。」
「胡原の商人。名は……サヒル。彼と会ったな?」
「市場で一度。理器の説明を受けただけです。」
「女が“理器”に惹かれ、“商人”に惑う……。この国では詩では済まぬぞ。」
庁舎にざわめきが広がった。
玲衡は唇を噛み、頭を下げた。
「職務を離れ、潔白を証明します。」
「理を信じる者らしく、潔いな。」
霜遼は笑いながら、筆で命を書き記した。
その一筆で、玲衡は寒州への左遷が決まった。
夕刻、玲衡は文理庁の裏門から静かに出た。
門の外に、旅衣をまとった男が立っている。
サヒルだった。
「理官殿、風が荒い日ですね。」
「……あなたが吹かせた風でしょう。」
「風は吹くものではない。立つ場所が変わるだけです。」
玲衡はその言葉に答えず、通り過ぎようとした。
サヒルが一歩、前に出た。
「この国は、あなたを閉じ込めようとしている。
ならば、外に出ればいい。」
玲衡は振り返る。
「逃げろと?」
「旅を、です。
風は止まれば腐る。理も、ここではもう腐り始めている。」
玲衡の瞳に、一瞬だけ涙が滲んだ。
「……あなたの言葉は、いつも甘いですね。」
「砂漠では、甘い言葉がなければ喉が焼けます。」
沈黙。
夕陽が二人を赤く染める。
玲衡はそっと微笑んだ。
「あなたが神を信じるように、私はこの国を信じます。
もし理が敗れるなら、私ごと滅びればいい。」
「信じることは、戦うことですよ。」
「ええ。だから、あなたとは行けません。」
サヒルは目を伏せ、短く息を吐いた。
「あなたの理が風に乗る日が来ることを……祈っています。」
風が、二人の間を切り裂いた。
玲衡は振り返らず、北へ向かう街道へと歩き出した。
夜。
文理庁の屋根に雪が舞う。
霜遼が机の上の灯を見つめ、独り言のように呟いた。
「女官一人、追いやったところで理は止まらん。
だが……“理に愛を混ぜた者”は危険だ。」
その言葉が、煙のように消えていく。
遠い北の空では、玲衡が書き残した草稿『理道開章』が、風に揺れていた。




