第二、胡原より来たる風
市場の風が、香を運んでいた。
桂皮、没薬、乾いた果実の匂い――どれも璃国では珍しい。
玲衡は足を止めた。
布を張った屋台の奥で、男が金属の円盤を磨いている。
金線の刻まれた盤面が、陽光を反射してきらりと揺れた。
「璃の国の方ですね?」
低く落ち着いた声。
男は旅塵をまとった衣のまま、穏やかに頭を下げた。
「胡原のサヒルと申します。風と香、それから理を売る者です。」
「理を……売る?」
玲衡は思わず聞き返した。
「風は誰のものでもない。だからこそ、運ぶことができる。理もそうです。」
玲衡の瞳がわずかに揺れた。
「あなたの道具、それは……天文盤?」
「そう。星を測り、砂の道を知るためのもの。夜に使えば、神の指先がどこを指すかが分かる。」
「神、ですか。」
「あなたの国では“理”と呼ぶのでしょう。呼び方が違うだけですよ。」
その一言で、玲衡の筆先のような心がわずかに震えた。
「あなたの理は……どこから来たのです?」
サヒルは口の端で笑った。
「遠い海の向こう。人の言葉も、星の道も、同じ風が運ぶ。
理を閉じ込めるのは、井戸に星を映して空を知るようなものです。」
玲衡は息を詰めた。
「……あなたの国では、理を信仰と同じに扱うのですね。」
「違いますよ、麗しの理官殿。理は信じるものでなく、歩くものです。」
ふと、庁の使者が駆けてきた。
「玲衡様! 宰輔がお呼びです! 異国人と接触したと――」
玲衡の顔色がわずかに曇る。
サヒルはその目を見て、声を落とした。
「風は壁を恐れません。けれど、壁はいつも風を恐れる。」
「……あなた、よく喋りますね。」
「商売人ですから。沈黙では、香も理も売れません。」
玲衡は小さく笑った。
「あなたの言葉は、理よりも詩に近い。」
「詩は、砂漠の理ですよ。熱を残して、言葉を干す。」
庁に戻ると、霜遼宰輔が待っていた。
「胡原の商人と話したそうだな。」
「視察です。彼の理器は調べる価値があります。」
「理を輸入すれば、文が死ぬ。民が理で裁かれる国など滅ぶ。」
玲衡は静かに頭を下げた。
「理は冷たくありません。冷たく扱う者が、理を誤るのです。」
夜。
玲衡の窓辺に風が触れた。
そこには一本の紙筒――胡原の詩が入っていた。
「風は壁に問う。お前は神の声を遮るのか。」
玲衡は筆を取り、そっと返した。
「壁は風に問う。お前は誰の声を運ぶのか。」
遠い砂の国と璃国の都を、
一本の風が結びはじめていた。




