第2話 本能のまま、猫とともに歩む道
「すみません、どなたかいらっしゃいませんか~?」
周りに気配がないのを承知で誰かいないかと声を張り上げる。
「ウニィ~!」
「いや、コムギさんのことじゃないんだ、ごめん」
だが、誰からも返事がない代わりに、コムギさんが返事をしてくれただけだった。
異世界らしきのどかな農村、それも馬も人もいない馬小屋厩舎。無人の厩舎をすぐに離れ、コムギさんと一緒に村の人を探して歩いている。
見渡す限りの広大な草原に点在するコテージテントをしらみつぶしに尋ねてみても、そこに人の姿はなく、辛うじて放牧された馬の姿と小さな魔物だけが確認出来るくらいだった。
異世界という確たる証拠もないものの、炎を吐きながら闊歩するトカゲが草原にいたのを見てしまったので、明らかに違う世界なのだと瞬時に理解。
……と同時に、俺を異世界に招いたコムギさんが同じ言葉を話してくれるのかもと期待した。
だが、今のところ相変わらず毛並みのいい丸顔で美人な猫を維持しているだけで、人の言葉を話す兆候は全く見られない。
俺が途方に暮れるのは簡単なのだが、猫であるコムギさんからは哀愁漂う気配は感じられないだけに、何事が起きようとも前を向いて歩くしかないのである。
「コムギさん、どこかに俺と話せる人がいるような場所はないですか?」
言葉が通じない以上駄目で元々、コムギさんに根気よく話しかけて助けてもらうしかない。
異世界に来たのは仕方がなく、そうかといって猫のせいでもなければ自分に何らかの願望があったでもないので、受け入れるだけなのだ。
「コムギさん。俺の言ってる言葉の意味は……分かりませんよね?」
足下にいるコムギさんを抱き上げ、顔の前でコムギさんをじっと見つめてみた。
やはり駄目なのかと思いながら可愛い顔を眺めていると、コムギさんはもにょりと口を動かしたかと思えば、俺の目をじっと見つめてくる。
コムギさんに負けじと夢中で見つめていると、晴れていた空が急に暗くなり弱いながらも雨が降ってきた。
「突然の雨だなんて、参ったな。コムギさん、どこか隠れるところを探そうか?」
今のところ雨をしのげる場所は人のいないコテージテントか馬小屋厩舎くらいだが、すでにそうした場所から離れて何もない草原を歩いている最中。
ずぶ濡れ状態になる心配は無いにしても、猫は水に濡れるのを嫌うはず。
どうするべきかコムギさんを見ると、
「――ウニャ! フゥゥ〜!!」
抱っこする俺の手から離れたと思ったら、コムギさんはどこかに向かって走り出していた。
「やっぱり濡れるのは嫌だよね。それとも、もしかして他の場所へ?」
俺は疑問と期待を持ちながら、どこかに向かうコムギさんの後を必死に追いかけることに。すると案内してあげると言わんばかりに、駆けていたコムギさんが急に動きを止める。
その場所は、大人ひとりがギリギリ通れる幅の一本道で、そこを進むからついてきてと言っているように見えた。
草原から一転。
進みまくった先は木々に囲まれた狭路で、人間が通るには物理的に窮屈で困難な幅だった。
そこは猫であれば四足を使って簡単に通り抜けられるのに対し、二本足で避けながら動かなければいけない人間にとって慎重に進まなければならない至難の道。
これから行く先は、きっとコムギさんが俺に希望を与えてくれる場所に違いない。
そうして腕や足にダメージを負わずに気を付けながら進み、ふと腕時計を見ると一時間くらい経過していた。
……というか、アナログ時計は関係なく動き続けているみたいだ。
先の見えない木々からようやく抜けだした先に見えるのは、石なのか宝石なのか不明な何かで敷きつめられた街道。俺とコムギさんは街道沿いの脇の森林部分から抜け出てきたらしい。
コムギさんは機嫌よく、
「ウニャ〜」
……などと、俺を見ながら鳴いている。
「ここがどこに繋がる道なのか分からないけど、でもコムギさん。連れてきてくれてありがとう!!」
「ウニャ」
おそらく俺が言ってる言葉は理解していてそのうえで返事をしてくれている。ここまで連れてきてくれたのも、だだっ広い草原にいたくなくてあえて狭い道に行きたかっただけかもしれない。
それでも、新たな場所へ導いてくれたのは確かだ。
猫の本能は基本的に単独を好むので、俺以外に見えていた動物から距離を置きたかった可能性もあるし、そもそも突然雨が降ってきたからその場から離れたかったという考えになっていたかもしれない。
街道に出た時点でいつの間にか雨は上がっていたものの、代わりに白くて厚い雲に覆われた空になっていた。
街道へ足を乗せると、材質は石のように思えるもかなり滑りやすいものになっている。数百メートルごとに松明を燃やして照らす外灯が設置されていて、夜になっても極端に暗くならないような整備がされているようだった。
この世界の年代がどれくらい昔なのかは分からないが、魔物が炎を吹き出していたのを見る限り、魔法を使う者がいても何ら不思議はない。
そう思いながら調子よく歩こうとすると、
「――う、うわっ!?」
石で出来た道かと思っていたら、バランスを崩してその場に滑って転んでいた。
「ニャフ?」
「あれ、コムギさんは何ともないの?」
何かがおかしい……そう感じつつも、気を取り直して一歩ずつ足を進める。
「す、滑る……」
単なる滑りやすい石じゃないんだろうか?
石材は詳しくないものの、その場にしゃがんで石に触れてみた。
「……って、氷だ……まさか氷の道!?」
猫のコムギさんが氷で出来た道に苦戦している様子はなく、首を傾げて不思議そうに俺を見つめているだけで何かしている様子もない。
俺の気のせいかな?
呼吸する吐息が白くなることもなければ、周辺の大気が冷え込んでいるわけでもないのに、俺だけが足を滑らせて前に進むことが出来なくなっている。
その謎すらつかめないまま根性でゆっくりとした歩幅で歩きだすと、数十メートル先で何の問題もなく歩けるようになった。
……なんだったんだろうか?
「ウニャ~」
俺だけ異世界の洗礼でも受けたのかは不明だったが、どこかに通じている石畳みの街道を進んでいると、コムギさんが進む先を見ながら鳴き声を上げる。
草原の時と違い、駆けだすことはなくとにかく先へ先へと指しているかのように。
そうして魔物や動物に遭遇することなく進むと、街道の先に見えてきたのは遠目からでもはっきり見える王宮らしき巨大建築物を奥に控えさせた大きな街だった。
その手前にあるのは、外からの訪問者を簡単には入らせない強固そうな門。
「最初は小さな村とか町でコミュニケーションを取りながら……って思ってたけど、まさかいきなり王国クラスとか。コムギさん、大丈夫かな俺……」
「ウニャ!」
自信を持てよと言われているような、そんな返事をしてくれたので、緊張状態を保ちながら俺とコムギさんはゆっくりと門に向かって進んだ。