森で出会う
「……あら?」
思わずそんな声が漏れてしまった。だって、それは、普通ならありえないことだったから。
リルシャの森は迷いの森。私が住むあたりまで来るのは、ごく僅かな狩人たちのみだというのに。
そんな場所で、見かけるはずのない人間見かければ、思わず声も漏れてしまっても仕方がないことだろう。
「ミオ」
木々の生い茂る視界の悪い道の向こう。
ゆっくりと馬のような生き物、もう馬でいいことにする、を引きながらこちらにやってくる人影がみえる。
かさかさと、草を踏み分ける音があたりに響く。
その足音が、目の前で、とまって。
「……カイン。どうしてここに?」
訝しく思いつつ、20cmほど自分より高いだろう身長の持ち主を見上れば、彼は、晴れやかな笑顔を向けてきた。
「今日は村に来る日だろう。だから迎えに来て、ここで待ってた」
荷物を受け取ろうとしてか、こちらに伸びてくる手を見ながら、ため息を漏らす。
「……森に入るなんて」
仕草でその動作を断りつつ、告げた言葉がどこか口調が非難めいたものになってしまったのは、しょうがないだろう。
リルシャの森は迷いの森。道をきちんと知らないものが、一歩道を外れれば、森から出られなくなることもあるというのに。
かくいう私だって、いくら2年の間、薬草をとりにおじいさんと森を巡っていたとはいえ、油断すればいつ森に囚われるかわからないというのに。
「大丈夫だよ。森の家にいく道だけは、間違わないから」
穏やかに微笑みながら、彼はそう言うけれど。
村の人は、私の住む家を森の家、と呼ぶ。
はじめて来たくせに自信満々に言い切る彼の、どこに根拠があるのか。呆れた心持になりつつも、それはぐっと飲み込んで。
精一杯、微笑み返す。
「そう、でも気を付けてね。迷っても助けてあげられないから」
本音半分、建前半分。そして幾許かの嫌味成分が混じっていたのも、否定できない。
けれど、それを言葉通りの意味に受け取ったらしい彼は。
幸せそうに、笑った。
「心配してくれるんだ。ありがとう――森の娘」
森の娘――これが村の一部での、私の呼び名らしい。
勘弁してほしい、と、つくづく思う。ただ森に住んでいるだけなのに、まるでなにか特別な存在であるかのように、一部の人間はその言葉に畏敬の念を込めてくる。
――その森が迷いの森だとか、私の容貌がこの世界では異端だとか、色々な要素が絡みあってるのだろうけれど。
――私はただの小娘にすぎないというのに。
呼ばれたその名に、微笑みは苦く歪んだ。
馬への同乗を進められたが、カインと密着して馬にのるなど、どんな拷問だとばかりに――さすがに彼にはそうは言わなかったが――穏やかに微笑みながら、遠慮した。
ゆえに、今現在、馬を引くカインと、並んで道をあるいているわけだけれども。
楽しげに、話を続けるカインに、笑みだけは絶やさぬまま、けれど適当に頷きながら足を進める。
確かに、カインは美形である。10人中9人までは美形だと言うだろう。1人位はひねくれていていわないかもしれない。私はその、1人かもしれない。金色の髪、青色の瞳。短く刈りそろえられた髪はキラキラと光を跳ね返して輝いている。
村でも人気の若者だ。
そう。
村で人気の若者なのだ。
勘弁してほしい、と、再び思う。
カインは22歳、村で雑貨屋を営む家の息子であり、このあたりでは一番大きな町であるシュトレックへと村の品々を売りにいっては仕入れてくる、そんな村ではどこか垢抜けているといわれる部類の男である。
その雰囲気と、商家の次男というステイタスからか、村の娘達には人気者で、美形なこともあり、以前はなにやらシュトレックの花街で浮名を流したとか色々と噂を聞いた。ちなみに、村で唯一の酒場兼食堂の女将さん情報である。
そんなわけで、人気者の彼なのだが、以前より私と生活を共にしていたおじいさん――ダロス老が、森でとれる薬草をカインの父親へ買い取ってもらっていた関係で、ダロス老がなくなった後、私が取引することとなったときに、紹介された。
私の持ち込んだ新しい商品――香草茶とサシェ――は、街で売ったほうがいいだろうということから、街へといくカインと引き合わされたのが最初だ。
そう、ただの取引相手。の、はずなのだけれど。
なぜか、出会った当初から、色々と気にかけてくれるらしく。
街にいったら何かしらのお土産を私に買い、月に1度の村訪問のたび、それを渡しては一人でなにか困ったことはないのかと声をかけてくれる。
その様は、どこか懐かしい人を思い起こさせて――そしてどこか深い所から暗い何かが呼び起されるような気がして――正直、切なくなる。
だから、いつも困惑するしかないのだけれど、困るのはそれだけでは、なくて。
人気者には、ファンがいるわけで。
村の娘さんの一部からは、私は気に入らない存在と見られているようだ。
カインは、私を子供扱いしているにすぎないのに。お土産だって、飴だったり干菓子だったり、どこの子供に渡すつもりだというようなものばかり。
いや、女扱いされても困るけれど、どうやら彼の目には、14・5の娘に映っているようで。
子供が一人、森で暮らすなんて危ないよ、という空気なのだ。
それを、恋愛沙汰だと勘違いして巻き込まれるのは、本当に勘弁してほしいのだけれど。
隣で楽しそうに語る彼は、そんなことにはこれっぽっちも気づいたりしない。
その鈍感さは、長所かもしれないけれど――もう少しだけ、空気読んで欲しい、なんて思わなくもない。
「ミオ?」
深々と漏れてしまったため息を、聞きとめてか声をかけられて。
なんでもない、とかぶりを振ると、力なく笑いながら、村へと向かうのだった。