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リルシャの森に住む人  作者: 喜多彌耶子
第七章 そして
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――カインの動揺


「辺境伯、の、むす、こ?」


 唐突に告げられたその言葉に、呆然と繰り返す。まさか、という思いのままのそれに、ロナが苦々しい顔でうなづいた。


「ええ、そうよ。三男なんですって。お貴族様よ。――まったく、とんだ食わせ物だわ」


 忌々しいとばかりにふん、と、鼻を鳴らす彼女に、もし、本人が目の前に入れば、これは不敬になるのだろうか、と、そんな意味もないことを思ってしまう。

 わかってる。自分の脳みそが、さり気なく現実逃避しようとしていることくらいは。

 街でお偉いさんとあったことはある。それなりに商売している家で、それなりに実績を上げてきた。それなりの立場の人間とも交流してきた。でも。それでも。


 さすがにお貴族様の、それも男爵子爵レベル以上の存在と関わることなど、この辺鄙な村の商家であり、また跡取りではない以上、今までにはなかった。


 唖然、とする以外に、何が出来るだろうか。


 あまりに呆然としていると、こちらをみたロナが呆れたようにため息を付く。


「何その顔。もう。……まあね、一応、私も、今までの行動とか、態度とかまずかったかしらと思って、お詫びしたのよ? さすがに不敬罪なんていわれても、仕方がない状況だったもの。でもね、そしたら、そしたら、そしたら――っ!」


 何か癇に障ることでも言われたのか、きぃっと、拳を握るロナ。ハンカチでもあったら噛み締めたのだろうか――街で一度付き合いで見せられた恋愛芝居の女優の演技をぼんやりと思い出す。しかし、彼女がこれほどまでに感情豊かに行動するのをみるのは、互いに何もわからなかった幼い頃以来の出来事のように思う。そう、年頃になって以来、どこかよそ行きの、娘らしい態度ばかりを見せられてきた自分にはそれがどこまでも新鮮に感じてしまう。――そう、彼女が、婚約者候補ということを意識し始めた時から、どこかおとなしい、女性らしい姿の彼女ばかりを、みてきた気がする。


 す、と、目を細める。

 あのとき。ロナが倒れるほどに疲労を抱えた、あの時。いま思えば、あの時間違いなく、ミーオも同じくらいに、疲れ果てていたことだろう。けれど、頭にはロナのことしかなかった。ロナのことしか、考えられなかった。彼女が病にかかっていたらばどうすればいい、と。彼女が倒れてしまったらどうすればいい、と。彼女の命が消えてしまったら、どうすればいいのだ、と。――彼女を失いたくない、と、浮かんだのはそればかりで。

 今思えば、ずっと、彼女はそばにいたのだ。傍らにいたのだ。それが当たり前だと思いすぎていたのだと、思い至ったのはその時で。もしかして気づくのが遅すぎたのかと、失ってしまうのではないかと、その不安に恐怖した記憶もまだ、新しい。


 それまで、あれほどミーオに対して意識していた気持ちなど、そこには微塵も浮かばなかった。

 その理由も、考えるまでもなく、自分のうちに確かにあるのだけれど。


 じっと彼女をみていれば、ひとしきり憤慨して落ち着いたのか、こちらを勢い良く振り返える。そして、そのまま、びしり、と、指を突きつけてきた。


 思わずのけぞる。

 

 そして。

 すう、と息をすった彼女は、指を突きつけたまま――今までそんな無作法を彼女がしたことはなかった――きっぱりと告げた。


「いいこと、カイン! ミーオを落としなさい! あの男になんか、渡しちゃダメよ!」


「……は?」


 言葉が耳を素通りする。今、彼女はなんといった? あまりに理解しがたい、否、脳みそが理解を拒否するような言葉に、間抜けな声が漏れる。

 彼女は、いま、なんといったのか。まさか、ロナは、なんといった?


 ――ミーオを落とせと。勘違いでなければ、そういったのか。


「んもう、しっかりしなさい! ミーオをモノにしなさいっていったのよ! 分かった?」


 腰に手をあてて、強く迫る彼女。ダメ押しのように告げられた、聞き違いではなかったその言葉に、激しく動揺する。


 どういうことだ。ロナは婚約者候補であり、本人もそのつもりで育ってきた。そして、長い間、自分よりも彼女のほうがそれに乗り気だったんじゃないか。彼女は、ロナは、ずっと慕ってくれていたのでは、思っていてくれたのでは、なかったか。


 傲慢を承知で言えば、彼女は、自分を、愛していてくれたのでは、なかったの、か。


 それが、なぜ。いったいどういうことなんだ。


「ど、どういうことだい。君は僕の、婚約者だろ」


「候補、よ」


きっぱり、と、ロナは告げる。あまりにハッキリとした言い切りに、愕然とする。


ロナは、くっと顎を上げて艶やかに微笑んだ。


「私はあくまで、候補なの。つまり、候補でしかないから、貴方は自由。だから、そう、だから――ミーオを幸せにしてあげて」


 どうして、と。言葉は口から出なかった。言葉にならず、喉の奥でうめき声が漏れた。


 気づいてしまった。優しく微笑む彼女の目に、ちらりとよぎったのは、突き刺さるような悲しみの色。そこにあったのは、間違いなく恋慕の色。勘違いではない、それはそこに確かにあって。けれど、彼女は、それを押し殺してまで、そんな言葉をつげるのか。――その理由すらも、想像がついてしまって。


 どうして。

 どうしてこうなった。


 今まで確かに、ミーオに惹かれていなかったか、と、いわれれば、否定は出来ない。あの艶やかな黒髪に、肌に、その深い茶の瞳に、魅了されなかったとは言わない。その小さな体に、その様子に、庇護欲をそそられなかったとは言わない。けれど、ああ、けれど、それが恋ではなかったのだ。そう、簡単なことだ。珍しさに惹かれその存在を弱いものと誤解して、庇護欲をいだきそれを恋慕と勘違いした、そんなミーオに対しては失礼であり、愚かな感情であったというのに。その事実に、想いの意味が違ったのだと気づいた今になって、どうして、こんなことになってしまうのか、と、頭を抱えたくなってしまう。


 ――わかっている。


 愚かなのは、この自分だ、と。

 今までの自分の行動が、彼女にそう思わせたのだ、と。

 振り返れば、そう思わせるしかない行動しかして来なかった上に、その後の思いなどまだ一言も彼女に告げていなかった。

 

 ――ずっとそばに居てくれて当たり前だ、と、勝手に勘違いしてロナを顧みなかったのは、この自分なのだ、と。


 いま、ただ思うのは、君ひとり。

 ロナ、君が、君だけがほしい、と。


 告げることすらしていなかったが自分が、情けなくて。


 何も言えず、ただ、静かに、拳を握りしめた。


 





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