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リルシャの森に住む人  作者: 喜多彌耶子
第七章 そして
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森の賢者

 与えられた部屋は、豪奢でありながら、品が良いもので、派手派手しくないその様子にほっとしつつも、どこかの高級ホテルのような雰囲気に、尻込みしてしまう。子供の頃、一度だけ何かのお祝いで、高級ホテルに宿泊したことがあったけれど、その際、周囲への気遣いと壊したらダメだというおもいからか、普段の2割増し強く叱られたことを思い出し、そして、苦く笑う。記憶は、薄れることがないんだろうか。けれど、昔ほど苦しくない自分に、少しは成長できたのだろうか、と、そんなふうに思う。


 同乗してきた女性は、侍女であろう女性に幾つかの引き継ぎを済ませたら、お別れになった。あまり会話をすることはなかったけれど、それでも、最後の方は話すこともあったし、女性特有の不便さも彼女のお陰でいくらか軽減されてきたから、お礼を告げると、再びあのときのようなきょとんとした表情のあとに、くしゃりとやわらかな笑顔を向けてくれた。苦手だ、なんておもってごめんなさい。もっと会話すればよかったな、なんて思いながら、引き継がれた侍女らしきひと――少し年配の、優しげな風貌の女性だった――にすすめられるまま、体を清め、着替えをする。

 

 与えられた服は、華美ではないけれど、今まで森で来てきた服とは段違いの着心地で、これをきていいのかと、戸惑う。そんな私に笑いながら、服を着るのを手伝い、そして食事の用意をしてくれた彼女に、ふと、ある人の面影が重なる。優しくしてくれた人がいた。そうだ、あの世界にも、確かに、私に優しい人は存在した。こっそりと、母の逆鱗にふれないように、気付かれないように気遣ってくれた隣人を思い出し、ふと涙がにじむ。不思議そうにこちらをみるその女性に、なんでもないと首を振って、暖かな食事を、いただいた。


 今日はゆっくり眠るように、と、言われて、ベッドに入る。これもまた、やわらかなものだった。なんだか寝付けなくて、ベランダに向かう。よぎるのは、今日、辺境伯から告げられた言葉。それから、それから――レイルの姿と、そして、彼が森に現れた時のこと。繋がりそうではっきりとしないそれは、どこかモヤモヤとして心が落ち着かない。


 ベランダへの扉は、思ったより簡単にあいた。そっとおしてベランダへでる。ふく風がまだ涼しい。これからこの世界でも熱い季節に向かう。雨季が終わり、そして続く季節は、元の世界に似ていて、なんだか懐かしいような気がする。


 街灯のない夜空は、輝く星と月がくっきりと見える。星座には詳しくはなかったけれど、それでも、いくつか知っている星座を考えても、つくづくと違う世界にきたのだと思わせられてしまう。薄く青く光る月の色は、あたりをしんみりと照らして、なんだか切ない気持ちになってくる。


 ふと、視界に何かを感じて、したを見下ろす。下は中庭になっているようだけれど、と、みつめれば、そこに人影がひとつ。薄暗くてみにくいそこに、目を凝しているうちに、声を上げそうになった。


  ――レイル。


 唇が、名前を紡ぐ。

 まっすぐにこちらを見つめる彼は、いくらかラフな格好になっていて、どこか森の中での彼を思わせた。森の中で過ごしたあの時間、そして、今の彼。それがひとつに結ばれる。月の光が、あの日を思い出させる。

 

 ――いずれ、かならず。


 その約束は、いつ果たされるのか。少なくとも、まもなくで有ることは間違いない。


 そう、思っていると。


 す、と手を持ち上げたレイルの指が、掲げられる。なんだろう、と見ていれば、その指がゆっくりと、レイル自身の唇を辿る。


 心臓が早鐘を打つ。頬が熱くなる。間違いなく、それは、あの時のことを示唆しているのは間違いなくて。思わず数歩後ずされば、うすくらい中でレイルがにやり、と笑うのがわかった。


 ……かっ、と、頭に血がのぼる。からかってるのだろうか。そういえば、そういう人だったじゃないか、と、ムカムカして、ふん! と勢い良く頭を逸らしてそのまま、部屋へと駆け込みベッドへと飛び込んだ。


 ドキドキと、心臓の音がうるさい。知らない、知らない、あんな男、知るもんか! と繰り返し唱えているうちに、気がつけば眠っていたらしい。


 差し込む朝日が眩しい部屋で、私は、その自分の行動を思い返して、その幼さに頭を抱えるのだった。


 その日の朝食を終えたあと、辺境伯が会うという。朝食の時にそう伝えられて、うなづく。森の中にいた頃には考えられないほど、いうなれば洗練された朝食は、パンにしろ添えられたサラダにしろ、元の世界と遜色ないように思えた。素朴な村の料理も大好きだけれど、こういう料理もたまにたべるととても美味しい。ゆっくりと味わって食べ終えれば、湯浴みをすすめられる。え? と思うまもなく磨かれ着替えさせられ、少し朝からぐったりしてしまう。


 与えられた服は、やはり着心地は抜群で、しかし、昨日のものよりもドレスのようだった。けれど、動きにくいこともなかったから、これがこの国の特性か、それとも、この領地の性質なんだろうと、何となく思う。

 やがて扉が叩かれ、女性が応対に出る。あいた扉の向こうにいたのは、レイルだった。彼が迎えに来たらしい。つまり、彼は辺境伯直属なんだろうか。わからないなりに考えていれば、昨日のことなど何もなかったかのように、どこか慇懃な彼に、こちらもなにか言うことも出来ず、つれられるまま、会話もなく部屋を出た。その後ろで、世話をして下さった女性が、なんだかくすくす笑っているような気がしたけれど、気にしない事に、した。


 部屋までの移動の間、会話はなかった。聞きたいことがないわけじゃないけれど、聞ける感じではなかった。それに、彼は話すといったのだから、それを待つのもいいだろうと、そう思いもした。ゆっくりとあるく。その、無言は、あの村で再会した時と違って、穏やかで優しくて、その距離は、あの森の中で暮らしていた時のようで、あまり苦にはならなかった。

 石の廊下を通り、いくつかの扉を過ぎた時、あるひとつの扉の前で彼が止まる。ノックの音。低い許可の声。ここに辺境伯がおられるらしい、と、深く息を吸う。

 開かれる扉、どうやら執務室らしいそこは、広い部屋の奥に一つの大きな執務机があり、その手前にソファだろうか、応接スペースのような場所がある。執務をしていたらしい伯は、こちらをみると、手にもった書類を机に戻し、ソファの方へと私達を進めてくれた。


 「さて、何から話そうか」


 やがて侍女によりお茶が用意され、座った私の目の前に、伯が腰を下ろす。その後ろには、レイルがたっていて。緊張から少し硬い私に、そっと伯は微笑んでから、そう、口を開いた。


 「まずは、お礼を言わせてもらいたい。ありがとう、森の娘。お陰であの村は、壊滅することなく済んだ」

 

 首を振る。何度も振る。私ができたことなど、殆ど無い。諦めなかったことだけだ。そう思って首を振れば、伯はそっと笑ってくれた。


 「そういうが、村に派遣した医師たちは口をそろえて、指示が的確だったと言っていたぞ。空気を入れ替えること、清潔であるように保つこと、その他もろもろ、細かなことでそれでなんになるのかと思われるようなことだが、病の蔓延を防ぐには最適なのだと。――流石、森の賢者の養い子、その知識は彼からのものか?」


 くっと息を呑む。森の賢者。また出てきたそのフレーズに、少し身を乗り出してしまう。


 「違います。この知識は違いますが――森の賢者、と呼ばれる方がもし、私を拾い育てて下さったダロス老のことであるならば、彼によって私は生かされました。生きることが出来生きることを覚えました。彼は――いったい」


 ふむ、と、うなづいた伯は、しばらく思案するように首をかしげて、それから、そっと窓の外をみた。


 「昔、我の教育係であった博識な男がいた。その男は博識であったが、どこか人嫌いの気があり、その才能と功績にもかかわらず、年を取ると引きこもるように迷いの森と呼ばれる森の中に住むようになった。かのものの知識は深く、彼の薬草の知識に助けられたものは、未だに多い。そんな彼を、いつしか人は森に住む賢者と呼ぶようになった。――まあ、彼もその呼称をきらっていたので、面と向かって呼ぶ人もいなかったけれど、な」


 私の知らない、話だった。そうか、だから、聞いたことがなかったのか。――そして、だから、私は森の娘とよばれたのか。少しずつ、パズルのピースがはまるように、理解していく。納得顔の私に、伯はおかしそうに微笑む。


 「そんな有る時のこと、だ。連絡すらよこさなかったかの老人から、初めて一通の手紙が届いた。娘を拾ったので育てる。よしなにたのむ、と、そんなことだけのかかれた、手紙が、な」


 ……私のこと、だ。お爺さんは、そんなこともしてくれてたのか。驚いていれば、更に楽しげに笑って、そして、表情を改め頭をさげた。


 「黒き髪の、異世界の娘よ。その知識で、我らを助けてくれたこと、感謝する」


 「……っ!」


 驚愕に顔がこわばる。顔から血の気が引くのがわかる。知られていた。私がこの世界の人間ではないことを。


 あまりに青ざめた私に、少し慌てたような様子で、伯が言葉を紡ぐ。


 「いや、心配することはない。その事実を知るのは、私とレイルだけだ。――何もかわらぬし、替えさせぬ。それが、かの老人の最後の願いであり約束なのだから」


 「や、くそく、です、か?」


 「ああ、送られた手紙には、異世界から来たらしき娘を保護したこと、黒き髪をもつ娘であること、そして、自分に何かあったあと、ことがあれば助けてやってほしいこと、と、最後の願いだとして書かれてあった」


 目頭が熱い。泣きそうだ。いや、もう、涙腺は決壊寸前だろう。

 誤魔化すように鼻をすすって、ゆっくりと深呼吸をする。おじいさん、おじいさん。ただ拾っただけの私を、得体のしれない私を、保護してくれて生きていくすべを与えてくれただけじゃなく、そこまでしてくれていた、なんて。


 そんな私を、伯は優しく、みつめていた。






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