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リルシャの森に住む人  作者: 喜多彌耶子
第七章 そして
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西の辺境伯

 リルシャの森は、元々、西の辺境伯の領地でもある。領地として認識はされているけれども、場所とその特性――迷いの森であるという――からだろうか、特に今までそちらからのアプローチがあったことはなかった。今回、ハッキリと森に人が住んでたという事実が(たぶん)発覚して、果たしてあちらはどう思っているのだろうか。

 だからといって、森に住んでいた事自体を責められることはないが、それでも、身分制のない時代に生まれ育ったという基礎が有る私は、学生だったこともあり、自分の住む街の町長さんや更に上の市長さんなんて人たちに会うことすらない生活をしていたから、改めてそういった偉い人に会うのだ、と思うと、どこか緊張をしてしまう。

 それに、そう、それに、今回の一件のこと、そして、私の持つこの、髪の色のこと、不安になる要因は、どこまでも多くて、じわりと迫りくるその焦燥は、なんとも言いがたい重いものだった。


 がらがらと、馬車の走り抜ける音が響く。結構音がするものだ、と、揺れる馬車の中で思う。馬での移動になるかとおもったが、私の体調やその他もろもろ、大人な事情もあったのかどうなのかわからないけれど、用意されたのは一台の馬車で、中にはひとり、女性の兵士さんだろうか、が、無言で一緒にのっていた。

 レイルはおそらく、他の人たちと一緒に、馬の上だろう。――馬に乗れるんだ、なんて、馬鹿なことを思ったのは秘密のこと。しかし、一瞬眉が動いたところを見ると、案外、私の思うことなんて、彼にはモロバレなような気がしなくもない。


 ――そういうところは、前のままだ、と、思えるのだけれど。


 あれから、彼とまともに話す機会は、殆ど無かった。交わした会話は、事務的ないくつかだけ。あの時、更に何かを告げようとした彼を、ちょうどそのタイミングで戻ってきたロナが、病人を疲れさせる気かとすごい剣幕で追い出した。その迫力にさすがのレイルも太刀打ちできなかったようで、そのまま去っていったのだが、その背中が微妙にしおれてみえたのはおそらく、私の目の錯覚だろう。



 ガタガタと車輪がなる。ここから領地まで、まだ暫く掛かる。間で数泊するらしい。沈黙したままの女性を見つめながら、前途を思って、深いため息が漏れた。――この重い空気、なんとかならないだろうか。



 旅は順調に進む。宿での部屋は、一人部屋が与えられた。レイルが話をしにくるのではないか、と、思ったけれど、彼はどうやら、この一団――といっても、数名程度の集団だけれど――のトップであるらしく、何かと忙しいようだ。特に危険があるわけではないということは、事前に聞いていた。そんなものなのか、と、納得していたけれど、そうでもないようだ。順調、といっても、彼らの中での順調で、やはり街道の一部には、野党や獣が出る。私は馬車の中にいるので、終わった後の報告をきくだけなのだけれど、剣戟や悲鳴が聞こえることもあって、心臓によろしくはなかった。当初、青ざめる私に、同乗している女性は多少呆れたような視線をむけていたけれど、次第にそれがなくなるに従って、微妙に空気が変化した。


 領地まであと少し、という頃、いくらか柔らかくなった空気に助けられて、私は口を開いた。


「西の辺境伯は、どのような方でいらっしゃるのですか?」


 女性は、一度、ぱちくり、と、驚いたように瞬いた。それをみて、あれ、この人、思ったより怖い人、というか、とっつきにくい人じゃないかもしれない、と、思う。第一印象と会話がなかったことで、そう思い込んでいたけれど、もしかしたら違うのかもしれない。そう思ってじっと見つめていれば、少しその視線に照れたように視線を彷徨わせ、それから、こほん、と一つ咳払いをして、教えてくれた。


 善政を敷いておられること。改革も行われて、辺境伯の領地は、元々肥沃ではあったものの、更に交易などで潤っていること、そして、少しばかり変わり者でいらしゃること。けれど、肥沃であるがゆえに狙われやすいこの領地を、しっかりと守ってくださるだけの力をお持ちであるということ。


 彼女が、どこか誇らしげに目をキラキラとさせながら語ってくれたのは、そんな内容だった。よほど辺境伯は慕われているらしい。そういえば、村でも、辺境伯のもとに呼ばれたという事実に対し、マイナスの意見をいう人が居なかったことを思い出す。唯一、苦い顔をしたロナも、辺境伯が、ということではなく、レイルに対してだったようにすら、思えた。


 本来ならば、ロナも、カインも、と、いう話もあったらしいのだけれど、村は今、復興の真っ最中であり、その男女の若い世代の中核である二人が、村から抜けることは厳しいだろうから、彼らには強要しないように、とのお達しだったらしい。いや、私は強制ですか? とちらりと浮かんだけれど、それは口にしない。人間、知らないほうがいいこともあるのだ。ロナもカインも、ギリギリまで一緒に向かいたいようなことをいっていたけれど、現状を鑑みてそれ以上は口にしなかった。逆に言えば、私は、これ以上村にいても手伝えることもなく、役にたたないだろうからこれでいいのだ、と告げれば、なぜか激しく叱られたけれど、未だにその意味はわからない。


 とにかく、辺境伯自体は、変わり者ではいらっしゃるようだけれど、そこまで非道な人ではなさそうだ。もちろん厳しい面もお持ちだろうけれど、きっと、大丈夫だと、自分に言い聞かせているうちに、馬車はやがて、西の辺境伯の領地の中心である街へと、たどり着いた。


 そういえば、私は、村から、いや、森から自体もあまり出ることはない。窓の外をちらちら気にしていたら、同乗者の女性は小さく笑って、そっとカーテンを開けてくれた。 ガラスの嵌った窓の向こう、見えるのは中世ヨーロッパのような街並みで。私はそれらを写真や絵でしかみたことがないけれど、何故だからすごくときめいて、静かに興奮してしまった。


 じっと外を眺めていると、横を通り過ぎていく一頭の馬がいた。馬上には、レイルの姿。思わず、声もなく名を呼べば、視線が絡む。通りすぎる僅かな時間だった。やがて馬は通り過ぎ、また町並みが見える。心臓が、激しく脈打つ。思わず胸を抑えて俯くと、もういいのですか? と問われる。なんとかそれに頷いて、ただ、その心臓の高鳴りを収めようと、深呼吸を繰り返すのだった。


 やがて馬車は、辺境伯の屋敷にたどり着く。開かれた馬車から、先に降りた女性に促され、そっと降りれば、横から差し出される手。レイルだ。どうしよう、と、思いながらも、飛び降りるのも無作法か、と、その手をとる。ぬくもりが伝わる。あれだけそばにいながら、彼に触れることはめったになかった。ゆっくりと馬車から降りれば、するりと離れていく手。名残惜しいと思ってしまう自分を戒めていれば、ざわと空気が揺れ、屋敷の方から人が現れた。


 初老の、どこかがっしりとした体つきの、男性が、そこに現れた。


 辺境伯です、と、女性がそっと告げて礼の姿勢をとるのを、見よう見まねで真似る。


 「よくこられた。黒き娘よ。――まずは、休まれるがいい。なに、心配することはない。森の賢者の養い子よ」


 無作法だとは、わかってた。けれど、それでも。はじかれるように顔をあげる。森の賢者の養い子、とは。私を養ったのは、ダロス老とよばれるお爺さんで、ならば、森の賢者、とは。

 目を見開いたままの私に、辺境伯は、ふ、とそれまでいかつかった表情を緩めて笑った。そして、私は、呆然としたまま、促されるままに、屋敷の中に連れてゆかれた。


 ――その背を、じっとレイルがみていたことなんて、私は知らない。

 そして。

 そんなレイルを、辺境伯がどこか楽しげにみていたなんて、しるよしなどなかった。


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