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リルシャの森に住む人  作者: 喜多彌耶子
第七章 そして
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招待

何かに必死になったことなんて、今までにあっただろうか。

何かのために必死になったことなんて、今まで、あっただろうか。


あの世界で、子供の頃から、それなりに生きてきて、それなりに過ごしてきた。


けれど。


その生活の中で、私は、必死に、一所懸命に、本気になったことなんて、あっただろうか。


――力の限りを尽くし、命の限りを尽くす。


そんな言葉を、そんな生き方を、心のどこかで、泥臭くカッコ悪いとすら、思っていなかっただろうか。

自分にはそんなことできない、と、そんな風にどこかで、侮ってはいなかっただろうか。

どうせなにもかわらない、と、ぶつかり戦う努力すら、してなかったのではないだろうか。


日々を精一杯生き、そして、命の限りを尽くして生きている人たちの姿を見て、私は。



――私、は。





倒れてからの記憶は、どこまでも曖昧で、まるで霞かかったもやの向こう側の出来事のようだった。


時々ふわりと浮き上がる意識の中で、そばに、見たことのない薬師のような人の姿があり、そして、ロナが、カインが、そして――レイルの姿が、みえた気がした。


他にも、村の人達、女将さんや、店主さん、それに村長さんや一時期私を罵倒した人たちの姿すらみえた気がして、ああ、レイルはいないはずなのに、それに、こんなに世界が優しいなんて、と、夢に違いない、と、そんな風に思っていた。


何日たったのか、わからない。


私にしてみれば、すぐに目覚めたつもりだった。けれど、意識がハッキリと戻った時、体の奥にはまだ酷い倦怠感が残っていで、疑問に思う。起き上がろうとすればぎしりと体がきしんで、その強い違和感に、思わず顔をしかめる。


軋む体をおして、ゆっくりと起き上がる。窓から差し込む陽の光が、今は朝だと教えてくれた。気をつけて体を起こしたつもりだったけれど、その眩しさも相まってか、軽く目が回る。額に手を当て、ぐらりと揺らぐ視界をこらえる。


「っ、ミーオ! 気がついたのね!」


弾けるような声が聞こえて、ゆっくりと視線をあげる。ロナがこちらに駆け寄ってきていた。この厄災の前に比べればやつれてはいるけれど、あの最後にみた時に比べると、いくらかは元気になっているように思えた。


「……ロナ。だいじょう、ぶ?」


倒れかけた時の彼女の状態が思い起こされて、そうといかければ、呆れたような泣き出しそうな顔でロナは数度首を左右に振った。


「もう、バカ、本当にバカね。私は平気よ。病にかかってはなかったし、結局は疲労だけだったから、休めばおさまったわ」


そう告げられて、しかし、その疲労がとてつもなく酷いものだったんだろうにと、苦笑する。それでも、病にかかったわけではなかったことに、今こうしてロナが元気であることが、とても嬉しく思えて、ほっと、安堵した。


けれど。


「それよりも貴方よ。もう、1週間も眠ったままだったんですもの。お願いだから、人のことより自分の心配をして頂戴」


畳み掛けるように告げられた言葉に、愕然とする。


「い、っしゅう、かん?」


呆然と言葉がこぼれ落ちる。たった一晩かそこら、眠っていただけのつもりだったというのに、どういうことだろう。いつの間にそれほどの時間が過ぎたのか。


そんな私に気づかぬ風に、ロナは頷いて、まだ横になるように促してくる。

だいじょうぶだと起きていようとする私を、ロナは半ば無理やり、しかし、そっとベッドに横たえさせてくれた。

柔らかな寝具に体が受け止められて、深くため息が漏れる。――やはり、かなり体が参っているようだ。1週間というのも、嘘ではないらしい。


けれど。

現状はどうなっているのか、みなは、村はどうなっているのだろうか。

浮かんだ疑問から、焦りが沸く。それが表情に出たのか、静かに微笑んだロナが、そっと、布団を二度、叩いた。


「とにかく、もう少し休んでいてちょうだい。――あとから、必ず説明するから」


優しいほほ笑みであり、どこか決然としたその表情は、とてもロナらしいものでありながら、わずかに不安を覚えさせられた。


けれど、不意にロナの表情がいたずらっぽいものに摩り替わる。


「貴方が会いたい人にも、後できっと会えるわ。だから、おやすみなさい」


とろりと、再び意識が眠りへと落ちてゆく。次第に遠くなる意識の中で、小さく、ありがとう、と、呟くロナの声が聞こえた、気が、した。




その言葉たちの意味がわかったのは、私が再び目覚めた、2日後の事、だった。


普通に起き上がることができた私に、詰めていた医師――薬師ではなく、辺境伯のもとから派遣されてきたらしい――は、いくつかの質問をし、大丈夫だとお墨付きをくれた。

ほっとしたようなロナの顔を見て、食事を渡され食べていると、ふいに、ロナが口ごもって視線をずらす。なんだろう、と、ゆっくりと用意された食事を食べながら、様子をみていると、とにかく食べ終わってから、と、言われ、それ以上は問い詰めずに食事に専念した。


あまり多くはないはずの、野菜を柔らかく煮込んだスープは優しい味で、久しぶりの胃にも優しかった。


食べ終えて、食器が片付けられて、一息をついた時、ロナが少しばかり硬い表情になる。


「――ミーオ、あのね。レイルが、貴方に話があるそうなの」


その時の私の顔は、もしかしなくとも見ものだったかもしれない。ぽかん、と、してしまうというのは、こういうことだろうか。

レイル。レイル、が、話? そういえば、気を失う寸前、レイルの顔をみたような気がしなくもない。更には、夢現の中でレイルの姿があったように思えなくもない。

けれど、それらは夢だと――夢だと、思っていたというのに。


「レイル、が、いる、の?」


動揺が声に出て震える。あの時、あの状況の中で、私は、何を思っただろう。彼に対して、何を感じたのだったか。――瞬時に顔が赤くなりそうで、少しうつむいて誤魔化す。


それをロナはどう受け取ったのか、視界の端に痛ましそうな表情を浮かべたのが目に入る。


「ええ。――レイルが、辺境伯に連絡をしてくださったの。おかげで助かる命は増えたわ。そして、貴方に会いたい、って。――話が、あるそうよ」


話。なんの話だろう。激しく心臓が鳴り響く。思い起こされるのはあの夜のこと。いつか、必ず、と、言い残した彼の、その、いつかが来たということだろうか。


戸惑い、不安。意味もなく逃げ出したいような気持ちになりながらも、けれどそれが、ただの羞恥からだと気づいて、苦く笑う。


ロナは、そんな私をいたわるように、優しく声を掛けてくれた。


「会えないならまだいいのよ? ありがたいけれど――ムカつくから」


ぼそり、とつぶやかれた最後の言葉は穏やかではなく、ぎょっとして顔をあげれば、なにごともないように微笑むロナの顔。聞き間違い? と内心首をかしげつつも、首を軽くふる。


「いいえ、会うわ。聞きましょう、彼の話を。――なんの話なのかは、検討もつかないけれど」


そういって微笑めば、困ったように、ロナは微笑み返してくれたのだった。



扉が開く。


聞こえた音に、窓の外に向けていた視線をゆっくりと移動させれば、そこにはレイルがいた。――違和感。 なんだか最近、レイルに関しては、違和感ばかり覚えている気がする。それほど長い間を彼と過ごしたわけでもないのに、彼の何をしっているわけでもないというのに、違和感、だなんて、思えばなんて傲慢だろう。


しかし、それほどに、彼の風体は今までと違っていた。


森で暮らす間は、どこか野卑な風合いすら漂わせる、よく言えば野性味あふれる雰囲気の服装であった彼が、今はどこかすっきりとした品の良い服に身を包んでいる。似合わないわけではない。むしろ、どこか良い所の出身であるという雰囲気で、それもまた彼の魅力をひきたてている。

それでも、違和感を覚える。――私の知っているレイルは、こんなふうじゃない、と、そんなワガママな思いが、ふわりと浮かんでは消えてゆく。


視線が合う。そらすことなく絡む瞳は、変わらず常緑の森の色。常磐色とでもいうのだろうか。無表情のその顔の中で、その瞳がただ、じっと、こちらをみていた。浮かぶ感情は、なんだろうか。揺らぐその目は、何を伝えようというのか。


沈黙が続く。


「――無事で、何より」


短い言葉に、ただ、頷く。頷くことしか、できなくて。


再び落ちる沈黙。それは、あの森の中で感じた心地良いものではなくて、どこか居心地の悪い、収まりの悪いような空気をはらんでいて、ふいに、森の中に逃げ帰りたいようなそんな気分に陥る。

そう、許されるならば、森の家にすぐに帰りたい。あの、緑に囲まれた狭く美しい空間に。――ひとり、で?


はっとしたように、一瞬、彼の顔がゆがむ。けれどそれはすぐに消えて、再び無表情に戻った彼は、静かに、告げた。


「この度の功績と労功に報いるため、西の辺境伯が一度、領地に来て欲しいとのことだ」


「――ありがたいこと、です、が。お断りする、ことは?」


沈黙が、その答え、だった。


帰りたかった。

あの森の中へ。あの優しい空間へ。


――何も恐れることなどなかったのだ、と、わかるまでの間、私の心を締めたのは、ただ、その思いだけ、だった。







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