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リルシャの森に住む人  作者: 喜多彌耶子
第六章 訪れる災い
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差し込む朝日

理由なんてわからない。

原因なんてわからない。


何が原因で何が起こったのか。

何が要因でなぜそうなったのか。


わからないことばかりで、頭の中が混乱して。


うずくまって、耳を塞いで、目をつむって。

ただひたすらに逃げたかった――なにもかも、から。


この、どこまでもリアルでけれど信じたくない「世界」という現実から。


――でも。


目の前に広がる、光景が。

目の前に広がる、現実に。


このまま、逃げつづけたくない、と、心のどこかがきしむから。

このまま、見ないふりなんて出来ない、と、心が叫ぶから。


今できることは、目の前の現実に立ち向かうこと、だけ。





――その届いた第一報に、村は絶望に近い感情に支配された。


あの日、私たちの前に姿を表さなかったカインは、村に病が広がり始めると同時に動いていたらしかった。

まずは薬草や食料の手配、その他、必要となる備品の手配。

さらには、隣の街まで、救援を依頼しにいっていたらしい。

薬師の手配、更には、人手の要請。上へと直に掛け合ったらしいそれは、けれど、芳しい答えはなく。


言葉だけは穏やかではあったけれども、その内実は厳しかった。


――すぐに救援することはできない、という、こと。

――病が収まるまで、行き来を控えるという、こと。


それはとどのつまり、どれだけ言葉を飾った所で、中身は、全く手助けできないということでしかなかった。


村を助けたいと思うように、街を守らなければならないのだ、といわれて、それ以上押せなかった、と、搾り出すように告げたカイン。


救いの手はないのだ、と、その通達を聞いた人々の目に、薄く絶望に近い色が浮かばせるには、十分なものだった。



けれど、それでも、なにもしないわけには行かない。

どこか力なくうなだれ、気力を失う人々が増える中、声を掛けできることをする。

看病、という行動は、予想以上に気力と体力を使う。だけれども、泣き言をいう余裕なんて、これっぽっちもなかった。

――言える相手すら、いなかった、ともいえるのだけれど。


周囲にいるのは、同じように必死に看病に当たる人々と、病に倒れる人々。

――そして、その家族。


向けられる視線は、優しいものだけじゃない。優しい視線がないわけじゃない、けれど、人は弱いから。人は、怖がりだから。だから、抱え込んだ暗いものを、これと見定めた相手に向けて叩きつけてくる。


――ひとは、よわいから。


しょうがないことだ、と、言い聞かせながら、たたきつけられる八つ当たりに近い思いを、ただ、受け止める。受け止め続ける。


――出来ることは、ただ、ひたすらに働くことだけ。言い訳も、なにも、必要なかった。



ただ。

ひとり、また一人と。

気がつけば櫛の歯が零れ落ちるように、看病にあたっていた人が倒れていく。肉体的な疲れと、精神的な疲労。その両方から苛まれて、限界を超えてひとりひとりと抜けていく。

じり、と、心に焦りが湧き上がる。どうしよう、どうすればいい。

出来ることなんか、何もない。解決策なんて見当たらない。でも――だけど。


「……っ、ロナ!」


ふらりと倒れこむロナの姿に、叫びながら駆け寄る。

壁に持たれるようにうずくまる彼女は、もうすでにボロボロで。やつれた顔に掛かる紅の髪も乱れ、呼吸も荒い。


――限界、なんだ。


ぎゅ、と唇を引き結ぶ。

ロナは最初から、ずっと、先頭にたって働いていた。村長の娘として。一人の、若い娘たちの統率者として。

そうだ、彼女はもう、限界だ。そっと額に触れれば、熱を帯びている。発病の可能性にぞっと背筋が凍る。


「……ロナ!?」


ちょうど薬を届けに来たらしいカインが、ロナに気づいて駆け寄る。その表情は青ざめて、いて。


「だい、じょうぶ。すこし、やす、めば」


とぎれとぎれに、けれど、うっすらと苦しげにではあれど微笑みながら呟くロナの声に、カインが苛立ったようにまゆを寄せる。


「馬鹿な! もう休むんだ」


そのままカインに抱き上げられたロナに、疲れからこわばる顔を笑顔に変えて向ける。


「ロナ、休んで。だいじょうぶ、頑張るから。――おねがい」


ゆらりと絡んだロナのエメラルドの瞳が、不安に揺れて。それから、静かにひとつ、頷いた。


頷き返して、見送る。


――彼女も、わかっているのだ。


急に息ができなくなったような苦しさに、は、っ、と、息を漏らす。


ああ――がんばろう。


ふらりと、再び看病に戻る。

今は、それしか、出来なかった。



現実は、厳しい。

どれだけ逃げ出そうとどれだけ拒否しようと、そして、どれだけ努力しようと、現実は変わらない。

看病することのできる人員が減ったことは、そして、ロナというリーダー格の人間が抜けたことは、この上なく残りの人たちへの負担となった。

それでも。

――それでも。

諦める、ということは、出来なかった。

諦めるということは、つまり、人の命が消えてゆくということだったから。


それでも。

まだ、みなが生きようと頑張っていた。

まだ、みなが助けようと頑張っていた。


みなが必死で、みなが無力で、けれど、微力であっても全力で尽くしていた。


これが、現実で。

苦しくて苦しくて、切ないけれど。


――とても、暖かいものでもあるのだと。


だからこそ、フラフラになりながらも、働いた。


それが、今、私に出来ることだったから。

それしか、今の私には、出来なかったから。



日が昇り、日が沈み。また、日が昇る。


何度それを数えただろう。


助けの手が来るかどうかもわからない中で、何度泣き叫ぶ人を慰めただろう。

たたきつけられるように向けられる怒りの声に、何度身を震わせただろう。


明けない夜はないのだ、と、信じたかった。

こんな、ばかみたいに苦しい現実だからこそ、救いの手が全くありえないなんて、考えたくなかった。


くらり、と揺らぐ視界を、頭を振って払う。


――誰か、たすけて、と。


心の中でつぶやいたとき、不意に浮かんだ面影は。


「……レイル」


つぶやいた声は、小さくて。

誰にも聞こえずに、空気に混じって消えていった。




「ミーオ、っ、もう、もういいんだ!」


声が聞こえる。

誰の声?

ああ、カインの声だ。


いいってなにが?

手を休めれば、私が倒れれば、命が消える。

だったら、どうして休むことなんてできるだろう。


いいわけなんかないじゃないか。

なにを言ってるんだろう、と、視線を向ければ、なぜかかなり高い位置にカインの顔がある。

なぜだろう、と、自分を見下ろせば、いつの間にか壁にもたれかかるように、座り込んでいて、いけない、と、立ち上がろうとするのだけれど、体はピクリとも動かない。


どうしたんだろう、と、首を傾げれば、泣き出しそうな顔のカインがいて。


「ミーオ、だいじょうぶ、もうだいじょうぶだ! 辺境伯が、助けを送って下さった。だから、だからもう、っ」


ああ、だから、朝から、どこかざわざわしてたんだ。


助けが、きた。


すっと、その言葉が頭に染み渡る。


たすかる、の?

みんな、たすかる、の?


じわり、とこみ上げる思いのまま見つめれば、カインが何度も頷く。

意識を失いかけるのを必死で押し留め、立ち上がろうとすればカインが支えてくれた。


ゆっくり、ゆっくりと、立ち上がって見渡せば、どこか鬱々とした室内に、人が増えていて。少しあわただしい空気の中、けれど、どこか、みなの表情は明るくて。


たすかるん、だ。


その思いに、じわり、と胸が熱くなる。


ふ、と、緊張が溶ける。ああ、どうやら私は限界みたいだ。


急にがくりと力を失った私に、カインが慌てているのがわかる。


――ごめん、カイン、休ませて。


意識を失う瞬間、視界の端に、こちらに駆け寄ってくるレイルが見えた気がして。


そんなはずはないのに、と、切なくなる胸の奥でひそりとわらって、そして、私の意識は途切れた。





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