差し込む朝日
理由なんてわからない。
原因なんてわからない。
何が原因で何が起こったのか。
何が要因でなぜそうなったのか。
わからないことばかりで、頭の中が混乱して。
うずくまって、耳を塞いで、目をつむって。
ただひたすらに逃げたかった――なにもかも、から。
この、どこまでもリアルでけれど信じたくない「世界」という現実から。
――でも。
目の前に広がる、光景が。
目の前に広がる、現実に。
このまま、逃げつづけたくない、と、心のどこかがきしむから。
このまま、見ないふりなんて出来ない、と、心が叫ぶから。
今できることは、目の前の現実に立ち向かうこと、だけ。
――その届いた第一報に、村は絶望に近い感情に支配された。
あの日、私たちの前に姿を表さなかったカインは、村に病が広がり始めると同時に動いていたらしかった。
まずは薬草や食料の手配、その他、必要となる備品の手配。
さらには、隣の街まで、救援を依頼しにいっていたらしい。
薬師の手配、更には、人手の要請。上へと直に掛け合ったらしいそれは、けれど、芳しい答えはなく。
言葉だけは穏やかではあったけれども、その内実は厳しかった。
――すぐに救援することはできない、という、こと。
――病が収まるまで、行き来を控えるという、こと。
それはとどのつまり、どれだけ言葉を飾った所で、中身は、全く手助けできないということでしかなかった。
村を助けたいと思うように、街を守らなければならないのだ、といわれて、それ以上押せなかった、と、搾り出すように告げたカイン。
救いの手はないのだ、と、その通達を聞いた人々の目に、薄く絶望に近い色が浮かばせるには、十分なものだった。
けれど、それでも、なにもしないわけには行かない。
どこか力なくうなだれ、気力を失う人々が増える中、声を掛けできることをする。
看病、という行動は、予想以上に気力と体力を使う。だけれども、泣き言をいう余裕なんて、これっぽっちもなかった。
――言える相手すら、いなかった、ともいえるのだけれど。
周囲にいるのは、同じように必死に看病に当たる人々と、病に倒れる人々。
――そして、その家族。
向けられる視線は、優しいものだけじゃない。優しい視線がないわけじゃない、けれど、人は弱いから。人は、怖がりだから。だから、抱え込んだ暗いものを、これと見定めた相手に向けて叩きつけてくる。
――ひとは、よわいから。
しょうがないことだ、と、言い聞かせながら、たたきつけられる八つ当たりに近い思いを、ただ、受け止める。受け止め続ける。
――出来ることは、ただ、ひたすらに働くことだけ。言い訳も、なにも、必要なかった。
ただ。
ひとり、また一人と。
気がつけば櫛の歯が零れ落ちるように、看病にあたっていた人が倒れていく。肉体的な疲れと、精神的な疲労。その両方から苛まれて、限界を超えてひとりひとりと抜けていく。
じり、と、心に焦りが湧き上がる。どうしよう、どうすればいい。
出来ることなんか、何もない。解決策なんて見当たらない。でも――だけど。
「……っ、ロナ!」
ふらりと倒れこむロナの姿に、叫びながら駆け寄る。
壁に持たれるようにうずくまる彼女は、もうすでにボロボロで。やつれた顔に掛かる紅の髪も乱れ、呼吸も荒い。
――限界、なんだ。
ぎゅ、と唇を引き結ぶ。
ロナは最初から、ずっと、先頭にたって働いていた。村長の娘として。一人の、若い娘たちの統率者として。
そうだ、彼女はもう、限界だ。そっと額に触れれば、熱を帯びている。発病の可能性にぞっと背筋が凍る。
「……ロナ!?」
ちょうど薬を届けに来たらしいカインが、ロナに気づいて駆け寄る。その表情は青ざめて、いて。
「だい、じょうぶ。すこし、やす、めば」
とぎれとぎれに、けれど、うっすらと苦しげにではあれど微笑みながら呟くロナの声に、カインが苛立ったようにまゆを寄せる。
「馬鹿な! もう休むんだ」
そのままカインに抱き上げられたロナに、疲れからこわばる顔を笑顔に変えて向ける。
「ロナ、休んで。だいじょうぶ、頑張るから。――おねがい」
ゆらりと絡んだロナのエメラルドの瞳が、不安に揺れて。それから、静かにひとつ、頷いた。
頷き返して、見送る。
――彼女も、わかっているのだ。
急に息ができなくなったような苦しさに、は、っ、と、息を漏らす。
ああ――がんばろう。
ふらりと、再び看病に戻る。
今は、それしか、出来なかった。
現実は、厳しい。
どれだけ逃げ出そうとどれだけ拒否しようと、そして、どれだけ努力しようと、現実は変わらない。
看病することのできる人員が減ったことは、そして、ロナというリーダー格の人間が抜けたことは、この上なく残りの人たちへの負担となった。
それでも。
――それでも。
諦める、ということは、出来なかった。
諦めるということは、つまり、人の命が消えてゆくということだったから。
それでも。
まだ、みなが生きようと頑張っていた。
まだ、みなが助けようと頑張っていた。
みなが必死で、みなが無力で、けれど、微力であっても全力で尽くしていた。
これが、現実で。
苦しくて苦しくて、切ないけれど。
――とても、暖かいものでもあるのだと。
だからこそ、フラフラになりながらも、働いた。
それが、今、私に出来ることだったから。
それしか、今の私には、出来なかったから。
日が昇り、日が沈み。また、日が昇る。
何度それを数えただろう。
助けの手が来るかどうかもわからない中で、何度泣き叫ぶ人を慰めただろう。
たたきつけられるように向けられる怒りの声に、何度身を震わせただろう。
明けない夜はないのだ、と、信じたかった。
こんな、ばかみたいに苦しい現実だからこそ、救いの手が全くありえないなんて、考えたくなかった。
くらり、と揺らぐ視界を、頭を振って払う。
――誰か、たすけて、と。
心の中でつぶやいたとき、不意に浮かんだ面影は。
「……レイル」
つぶやいた声は、小さくて。
誰にも聞こえずに、空気に混じって消えていった。
「ミーオ、っ、もう、もういいんだ!」
声が聞こえる。
誰の声?
ああ、カインの声だ。
いいってなにが?
手を休めれば、私が倒れれば、命が消える。
だったら、どうして休むことなんてできるだろう。
いいわけなんかないじゃないか。
なにを言ってるんだろう、と、視線を向ければ、なぜかかなり高い位置にカインの顔がある。
なぜだろう、と、自分を見下ろせば、いつの間にか壁にもたれかかるように、座り込んでいて、いけない、と、立ち上がろうとするのだけれど、体はピクリとも動かない。
どうしたんだろう、と、首を傾げれば、泣き出しそうな顔のカインがいて。
「ミーオ、だいじょうぶ、もうだいじょうぶだ! 辺境伯が、助けを送って下さった。だから、だからもう、っ」
ああ、だから、朝から、どこかざわざわしてたんだ。
助けが、きた。
すっと、その言葉が頭に染み渡る。
たすかる、の?
みんな、たすかる、の?
じわり、とこみ上げる思いのまま見つめれば、カインが何度も頷く。
意識を失いかけるのを必死で押し留め、立ち上がろうとすればカインが支えてくれた。
ゆっくり、ゆっくりと、立ち上がって見渡せば、どこか鬱々とした室内に、人が増えていて。少しあわただしい空気の中、けれど、どこか、みなの表情は明るくて。
たすかるん、だ。
その思いに、じわり、と胸が熱くなる。
ふ、と、緊張が溶ける。ああ、どうやら私は限界みたいだ。
急にがくりと力を失った私に、カインが慌てているのがわかる。
――ごめん、カイン、休ませて。
意識を失う瞬間、視界の端に、こちらに駆け寄ってくるレイルが見えた気がして。
そんなはずはないのに、と、切なくなる胸の奥でひそりとわらって、そして、私の意識は途切れた。