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リルシャの森に住む人  作者: 喜多彌耶子
第六章 訪れる災い
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暗闇の中で

「……何しに来た。村を呪いにでもきたのか!」


叫ぶように言い募る男性を、そばにいた女性が袖を引いて止める。一瞬すくんだ私の目の前を遮るように、背中がみえた。レイルが一歩進み出たようで、呆然と見あげれば、その背の向こう、叫んだ男性が息を飲むのが見えて。緊迫した空気の中、見渡せば返される視線は、不安そうなもの、訝しげなもの、そして――まっすぐに敵意を向けてくるもの。


――覚悟していたはずでしょう、と、自分に言い聞かせながら、一度ゆっくりと目を瞑る。

深く息を吸って、吐き出して。ゆっくりとまぶたを開いたら、もう迷っている暇はない。目の前にいるレイルの腕を一度叩いて合図すれば、わずかにまゆを寄せてこちらを見返してくるから、大丈夫だとうなずいてみせる。――私は、覚悟をしてここにいるのだ。できることをするためにいるのだ。だから――迷わない。


「薬を。いえ、薬草を届けに来ました。それに、私にも手伝わせてください。――お願いします」


ゆっくりと頭を下げれば、さらりと髪が落ちる。黒髪。忌避される色の髪。――だけど、なぜ忌避されるのか、誰も知らない、色。


沈黙がかえる。誰も何も言わない。頭を上げることなく声をかけられるのを待てば、小声で吐き捨てられる言葉が聞こえた。――役に立つわけ無いだろうに、と。ぐ、と唇をかむ。わかってる。薬師でもなくこの村の人間としてもあまり深く関わっていない私が、どこまで役に立てるのかはわからない。でも、それでも――出来ることはあるはず。お腹に力を入れる。顔を挙げないまま、声を絞り出す。


「――お願いです」


「……っ」


言いよどみ舌打ちした男性が、視線をそらす。その袖を引いていた女性に目を向ければ、一瞬びくりと震えて、それから同じく視線をそらされる。――仕方がない、のだろう。色を忌避する慣習、根付いた文化。――でも、心のどこかで私が叫ぶ。私が何をしたというの? 黒い色が何をもたらしたというの? ――その答えは、どこにもありはしないのに。


「――なぁにやってんだい」


聞こえてきた声に、はっと顔を向ければ、そこには料理屋の女将さん。少し呆れたように笑いこちらを見る彼女に、わずかに気が緩む。


「おかみ、さん……」


「ああ。まぁ、色々あれだが、手はたりてないんだ。――こき使うよ」


「女将!」


叫んだ男にうるさそうに手を振り、私を招く、睨みつける男性に一度目を向け、おずおずとそちらに歩み寄れば、頭をなでられる。


「――綺麗な髪じゃないか」


ちっと舌打ちしその場を離れる男性。その後からこちらをきにしながらも去っていく女性。それを見ながら、ふう、と女将さんがため息を漏らす。


見あげれば、笑い返してくれる。その顔には、濃く疲労の色が滲み、どこかやつれていて。――それが現実を突きつける。


「さあ、奥へおゆき。ロナがいるよ」


そっと促されて、うなづくとそちらへと足をすすめる。ちらりとレイルをみれば、外に出る所で。どこにいくのか、と、気になりながらも、足を進めていれば。


「……まったく、あの子が何をしたって言うんだい」


小さな、小さな、そんなひとりごとが聞こえて。


少しだけ、泣きそうに、なった。





「……っ! ミーオ!」


扉を開けば、中は薄暗かった。閉めきった部屋はどこか空気が淀んでいる気がして、わずかにまゆを寄せる。中には横たわる人、人、人。床の上にマットや干し草を引いて、シーツを被せて寝具にしているらしい。結構な人数がここにいて、驚く。そして、横たわる人々の間を歩く、数名の人の姿。扉をあけたとき、一斉にこちらを向いた彼らの中の数名が、そのまままゆをしかめた。――なにをしにきた、と。口に出さずとも雄弁に語るその視線に、思わず怯み、後退りそうになりながら、踏みとどまったのは、よくしった人の声が聞こえたからだ。


「ロナ……っ、だ、だいじょうぶなの?」


駆け寄ってきた彼女に声をかけ、そしてそのまま絶句する。いつも綺麗に云われている髪は、ところどころ乱れ、美しく整えられた肌も、疲れからか薄くくまが浮き出ている。それどころか――やつれている。その様相に、思わず声が詰まる。それだけの状況だということか。そういうことなのか、きゅ、と唇を噛めば、つらそうにまゆを寄せた彼女が、きつく目をむけてくる。


「なぜ、きたの。――わかってるでしょう?」


きつい言葉。けれど、それがどこから来るのか、すでにわかってるから。ふ、とわずかに笑んで頷く。驚いたように目を見張ったロナは、やがて仕方がない、という風に笑ってくれて。それから、表情を引き締めた。


「……予断を許さない状況よ。一応病気の人が増えるのは、今のところ食い止めてる。ここにいる人間以外は、ここに入らないようにしてる。でも――」


ちらり、とロナが視線を向けた先には、弱々しく泣く赤子とそれをあやす母の姿。その両方がすでに衰弱しているのが、はたから見てもよくわかる。


「ええ……薬草をもってきたの。これで少しは違うとおもう。それと――」


直接行動しても、受け入れてもらえないかもしれない。けれど、ロナがいるならば、と、幾つか伝えれば、一瞬目を見張ったロナは、それらの説明を聞いて、真剣な表情でうなづいてくれた。


「わかったわ。出来る限りのことはする。ああ、そうだ――ミーオ」


そこで言葉をきったロナは、一瞬、迷うように視線を彷徨わせる。そして、意を決したように、口を開いた。


「無理は、しないで」


小さく呟く声は、どこまでも切なく、空気に消えた。






『あっちにいって! うちの子に近づかないで!!』


『なんで、なんであんたは元気なのよ!』


『あなたのせいでしょう! あんたなんか、あんたなんか……っ!!』





耳に残る声が消えない。


必死だった。必死に働いた。何ができるかなんてわからなくて。だけどじっとなんてしてられなくて。

とにかく、持っている知識――それだとて最小限でしかない、所詮小娘の知識に過ぎないのだけれど――の限り、環境の整備と、あとは出来ることをした。

皆が皆倒れてるわけじゃない。だけれど、一人、またひとりと倒れていく。元気いっぱいな人はもう殆どいない。皆が疲れていて。皆が苛立っていた。


――出口がみえない。弱っていく子どもたち。それにお年寄りたち。体力がないものから、命の火が細くなる。


ひとり、またひとり。


気がつけば、悲鳴のような泣き声が聞こえて。


失われた命に、胸がひきつる。痛む、なんて、言葉じゃ足りない。息が詰まるような、苦しさ。

――何もできない。役にたてない。力になれない。

無力感だけがつのるなか、言葉がたたきつけられる。悲鳴のように。悪意と悲しみに満ちた、声が。


――わかっている。私のせいじゃないことを、私も、まわりも。

だけれど、苦しいから、辛いから。それを私にぶつけているだけ、と。


わかっては、いても、苦しい。


――もういいじゃない、と。


逃げ出したくなる気持ちを、無理やりねじふせて、そこにいる。


無言のまま、背を叩いてくれる人がいるから。

無言のまま、弱々しい力でも、励ますように手を握りしめてくれる人がいるから。


今、私のすべきことを、するだけ。





疲れた体は眠りを求めているけれど、気持ちを切り替えるために外に出た。


月夜の、晩だった。

月の綺麗な夜だった。


まるで今の村の状況が嘘のような、そんな夜空に、深く息をつく。


――そして。


ひっそりと、後ろに感じた気配に、静かに声をかけた。



「――あなたは、一体、だれ?」


ずっと疑問に思っていた。だけれど、封じ込めてきた言葉。

迷って来たといいながらも、森の中で迷わないでいた、あの日のこと。

そして――まるで守るように、静かに控える、その様子。



うっすらと笑う気配がした。


答えではないそれに、思わず頭に血が上る。疲れているせいか感情に直結してしまう。

振り返り大声を上げかければ、強く手をひかれる。――そこまで間近に来ていたなんて、気づかなかった。



引き寄せられてバランスを崩した体は、他愛なく男の腕の中。それはすでに馴染みがある温もり。――レイルの、腕。


腰に回される手。近づく顔。そこに浮かぶ表情は嘲笑なのだろうか。気づかずに受け入れていた――そして惹かれ始めていた私への、嘲りなのだろうか。


伺おうとあげた顔は、後頭部に手を回され、引き寄せられる。


「……っ、んっ」


熱が伝わる。

唇から、自分以外の体温を感じる。

息苦しくなって思わず薄く唇を開けば、そこから無遠慮に舌が進入してきてめまいがする。


初めての、感覚。

初めての、行動。


混乱と、困惑と、羞恥と――歓喜と。

わけのわからない複雑な感情が、体を巡って熱を帯びる。


静かな森に響くのは、微かな水音。


やがて終わる口付けに、離れる熱を惜しむ心がわきあがる。


どうして。

なぜ。

自分とレイルの両方に対しての、疑問がぐるぐると脳内をわきあがり。



問う間もなく、強く強く、抱きしめられる。



「……答えは、いつか必ず」


耳元で低く囁かれたのを最後に、体は開放されて。


「辺境伯へ連絡を取る。それまで、持ちこたえろ」


ざっ、と聞こえた足音。


見詰める先で、レイルは――森へ消えていった。


残るは、静寂に満ちた村。


視線の先には、まるで何事もなかったかのように、いつものままの、森。





月だけが、すべてをみていた。



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