――ロナの涙
恋情と、感情と、理性と。
その全てが入り混じって、ぐるぐると回って。
ああ――。
どうして、私は。
どこまでいっても、「女」であることからは、逃れられないのだろうか。
村での生活は単調で、しかし、それでも、やろうと思えば出来ることは多い。
最近では、父も多少は認めてくれたのか、仕事を割り振ってくれることもあり。
主に村の娘達や女性達の纏め役として、寄り合いを開いたり互助の世話をしたりと、それなりに忙しい日々を送っていた。
そんな毎日の中で、時折見かける、カインの姿は――どこかで心の慰めになっていたのかもしれない。
婚約者候補であり、また外見が整っていること、そして、街へと出る事が他の村人よりも多いためか、どこか垢抜けた雰囲気を漂わせる彼に、あこがれる村の娘は多い。
確かに、村の裕福な商家の息子であり、次男ではあるものの独立して店を持つであろうことが決まっている、そんないい男で。
はたからみればそうであるし、私自身もその部分を認め尊敬はしているけれど――けれど。
幼馴染なのだ。小さいころから、知っているのだ。
彼の、どこかまっすぐな性根も――根拠ない自尊心も。
その自信溢れる姿に憧れる娘が多いけれど、私は知っていた。
――それは、彼のコンプレックスの裏返しなのだ、と。
――兄と比べられて育った彼の、自己防衛なのだ、と。
あえてそれを、口に出して告げたことはない。
告げる必要もない、と、思っていた。
そう、いくら彼であっても、その自信から、過度な危険に踏み込むことはない、と、信じていたのだ。
――そう、信じて、いた、のに。
西の辺境たるトマソンの村周辺に、恵みの雨季が来た。
雨に降られることが多くなり、湿気にこまりはするものの、これがあるから作物がよく育ち、また、水に困ることはないのだからと、この時期は畑仕事の合間に、室内で出来る繕い物や、編み物などをして過ごすことが多い。
また、女性同士の寄り合いも増え、共同でなにか大きな作品を縫い合わせながらおしゃべりをする、などということも多く、雨に閉じ込められながらも、人と関わりあう時間がもてることで、それも悪くない季節といえた。
この季節、森へいく人はいなくなる。
雨季の前には、狩人の一部が迷いの森へ入ることはあったけれど、雨季には誰も入らない。
そう――森に住んでいたダロス老ですら、雨季にはほとんど、森からでてくることはなかった。
――ミーオは、森にひとりでいるのかしら。
なにかのおりに、ふっとそう思いだすことはあったけれど、森に入ることが出来るわけで無し、今までも彼女は暮らしてこれたのだから、心配するのはある意味彼女に対して失礼だろうと、そんな風にも思って。
過ごして居た、ある日の、こと。
――カインが、森へといっていることは、知っていた。
――カインが、商品のやり取りのためだけではなく、森へいっているのを。
――ミーオに会いにいっていることを、知って、いた。
そう――カインが、ミーオに惹かれていることなんて、大分以前から知っていた。
そのカインの持つ感情が、恋情なのか愛情なのか、その細かな差はまだはっきりとはわからなかったけれど、しかし、村に住む娘などより彼女に――その漆黒の髪をもつ少女に、魅了されているのは、知っていた。
けれど、そう、けれど――私は、どこかで。
彼女は、私達とは違う存在だから。彼女は違うものだから。だから――カインと結ばれることはない、と、そう、思っていた。
その日は、ずっと振り続けていた雨のあがった日で。
僅かな雲の切れ間から、微かな日の光がみえるような、そんな日、だった。
用があり雑貨やへと向かう道すがら、村の外へ出る準備をしたカインといきあった。
「あら、カイン。どこかにでるの?」
そもそも雨季に街にいくこともそう多くないため、そう問いかけた。
「ああ。――ちょっと、森へ」
「……え? 森? ちょっと、カイン、これから森へいくつもりなの?!」
驚いて声が大きくなる。愕然としている私に、カインは笑みすら浮かべていて。
「ああ、少し晴れたことだし、森の家に、ミーオの様子をみにいってこようかと。――雨に降りこめられて、憂鬱だろうからね」
にこやかに告げられた言葉に、どこか胸が痛むのを感じながらも、私はいい募る。
「まって、カイン、この時期の森は危険よ。それにこの天気、いつくずれるかわからないのよ!?」
必死で止めるために言葉を紡ぐ私に、カインは――ああ、カイン、は。
「大丈夫だよ」と。
ただそれだけ告げて。
村を、でた――。
――沸きあがる感情。
――渦巻くどろどろとした、醜い想い。
それは、心配を振り払ったカインに対してのものなのか――彼女に対してのものなのか。
わからないまま、私は、ただ、たちつくしていた。
そして、不安は、悪い方へと的中する。
私は取り乱して――ひとり森の中を駆け抜けた。
帰ってこないカイン。――二つの意味で、考えたくない状況を想った。
もしかすると。
もしかすると、ただ、二人でいるだけかもしれない。
カインと、ミーオと、二人で、過ごしているのかもしれない。
だけど。
いやな予感が消えない。
予感としかいいようがないそれを、不吉なそれを振り払うように、ひたすらに森の家を目指した。
――もしかすると、自分が迷うことになるかもしれないという思いすら、浮かばず。
ひたすらに向かった先、森の中にたつその家がみえたとき、再び心を別な方の予感が過ぎる。
もし。
もし、彼と彼女が二人で。
二人が、そういう関係になって。
もし、そうならば――私は、何をしに、ここに、きたの?
あとから冷静に考えれば、カインから聞いていたレイルという男の存在の事や色々と、思い浮かんだだろう。
けれど、そう、一瞬、その瞬間には全くそれらは浮かばず、思わず足が止まりかける。
でも。
そう、でも、と、思いなおす。
もしそうならばいいけれど。そうでなかった場合――それを思うと、体が震える。
再び私は走る。頭を振り払い、まっすぐに。
そして――カインは、いなかった。
震え泣き崩れてしまった私を、ミーオは静かに宥めてくれた。
大丈夫、と、繰り返し伝えられても、何度も首をふった。
リルシャの森は迷いの森。
そして――獣の森。
いくらカインがそれなりに鍛えてるといっても、危険なのだ。
カイン、ああ、カイン――どこまでもそれしか考えられずに、私はただ取り乱したのだった。
やっといくらか落ち着いてから、私はやっとミーオのいう状況を知る。
――レイルがカインを探しに出たこと。
――明日にでも村に行って話をしよう、ということ。
まずは、と、暖かい香草茶をさしだされて、まだ微かに震える手で、それを受け取る。
優しいミーオ。そして、冷静で落ち着いているミーオ。
かいがいしく世話をされながら、私は――ああ、なんて愚かなことだろう――再び裏暗い感情に揺さぶられていた。
ミーオがいなければ。
ミーオがカインと知り合わなければ。
――こんな不安になることなんか、なかったのに。
それがどれほど理不尽で、どれほど傲慢な言い分なのか、なんて、自分が良くわかっていて。
いっそミーオを嫌いになってしまえれば、排除するように動ければ違うのかもしれない、と思いながら、けれどそれはできなくて。
――彼女を嫌うことなんて、できなくて。
それでも、口から零れた言葉、に。
彼女は、微かに微笑んだ。――まるで森の中に消えてしまいそうなほどに、儚く。
結局の所、無事カインが戻ったことで決着したこの一件で、私は――再び考える機会を得た。
愚かな自分。醜い感情を抱える自分。
それを否定するつもりなんて、ないけれど。
その感情もまた、人だからなのだ、と、わかるつもりでいるのだけれど。
でも。
カインがこちらをみてくれないと嘆き、ミーオを理不尽に恨むくらいなら。
振り向かざるを得ないほどの女に、なってみせればいいのだ、と。
泣いて、そしてミーオとともに過ごした時間で、そう、思うようになった。
森に住む、儚くも愛しい、そして――ひとりぼっちの少女。
友人と呼ぶには、恐らくまだ距離が遠くて、知人と呼ぶには近い、そんな、私と彼女。
生まれた場所であり環境であり居場所という土台を持つ私と、どこかそれらから切り離された孤高ですらある彼女と。
鏡あわせのような私達、だけど。
――いつか、は。
そう、いつかは、友と呼べる存在になれれば、と。
ふと、そんな風に、思えた。