眠れぬ夜の結末は
静かに夜があける。
朝日は、何があろうと昇るのだ。
誰の元にも。どこであっても。
たとえ、雨が降っていて、みえなくとも。
――果たして、迷ったのは、いったい誰?
――レイルたちが戻ったのは、それから2日ほどたった、日が昇りきったであろう時刻だった。
レイルがカインを探しに出たその翌日、雨が弱まるのを確認して、一度村へとロナを送っていった。
村の前で待つ間に、ロナに、カインの家とロナの家へと状況を伝えて貰って。
捜索を出そうという村人に、あまり深く入らないように伝言を頼んで。
そして、森で待ちたいというロナを連れて、再び森の家へと戻った。
そしてそれから、一日、二人だけでまんじりともせず、なんとか食事を取りながら待ち続けた。
雨は、強くなったり弱くなったりを繰り返しながら、緑の森を覆いつくす。
響くのは、雨音と風の音――ただ、それだけ。
その日の朝。
二人して寝不足の顔で、朝食の準備をしていたとき。
どん。と、扉になにかがぶつかる音がした。
はっと、顔をあげ、ロナと視線が合う。
頷けばはじかれるように、ロナが扉へと向かう。
あとをおって扉にかけよれば、扉はこちらから開くより先に、開かれた。
ぶつかるようになだれ込んできたのは、カインとレイル。
ぼろぼろのカインを、レイルが支えていた。
青ざめた顔、それは、体が冷え切っていることを示していて。
けれど、カインは、視線が合うと、ぎこちないながらも、僅かに笑みを浮かべた。
「……っ、カインっ!!」
感極まったように、ロナがカインにかけよる。
ぶつかるように縋りつかれたカインが、ふらりと揺れながらもなんとか踏みとどまるのが見える。
ほっ、と、溜息が漏れた。
ちらり、と、視線をレイルにむければ、疲れた様子ながらも怪我などはないらしい彼は、小さく頷いてみせた。
視線をロナたちにもどせば、泣き縋るロナを、カインがなだめている所で。
「……心配かけた。本当にすまない」
すがりつくロナを、離すこともできず、困ったような表情のカイン。
――その、カインが。
ロナをなだめながらも、こちらに視線をむけているのに、気づいては、いた。
けれど。
私はそれをとりあう気にはならなかった。
――とりあう余裕が、全く、なかった。
その視線を無視して、とにかく、動き始める。
急ぎ、彼らを暖めるために暖炉へ薪をたし、湯を沸かす準備をはじめた。
湯の中には、精神を休める成分の薬草を足そう。
それに、疲れが取れる香草でお茶をいれよう。
おなかはすいてないだろうか。
ああ、見える範囲に怪我はなさそうだけれど、大丈夫だろうか。
――忙しく立ち働きながらも、自覚、していた。
思った以上に自分が混乱していること、を。
どこか泣きだしそうな気持ちをごまかすために、立ち働いているという事実を。
そして――ぐるぐると沸きあがる、「なにか」から、逃げているのだ、と、いうことすらも。
森の家には、お風呂はない。
正しくは、湯船はない。
この世界では、みな、湯を使い体を洗って流す、もしくは水場で体を洗うのが主流で。
大きな家などであれば、ある程度大きな入れ物に湯をわかして溜め、それを使い体を洗う浴室があったりするのだけれど、それもあまり多数ではない。
王都や大きな町の宿などではどうなのかはわからないが、少なくともこの森周辺の村では、その設備は少ない。
しかし、現代日本で生まれ育った私にしてみれば、風呂は重要で。
完全なものは、まだ実現してはいないが、それでも森の家には浴室といえる部屋がある。
排水しやすいように加工された床と、大きめの湯を溜める桶。
川から引いた水を、大きなかまどで沸かし、入れ物に溜める。
それを体にかけてから、石鹸で擦り、流す。
お湯につかれるほどの大きさの桶を置いて、お湯を運ぶことを考えたこともあるけれど、まずその労力と時間が厳しいことで断念。
五右衛門風呂のようなものを作る事も考えたけれど、火にかけられる入れ物が用意できなくて断念。
それでも、この時代においては、割りと恵まれているといえる環境を、この家はもっていた。
お湯を沸かし終えて、とにかく汚れた二人を、浴室へと送り出す。
その間に、温まるスープとパン、それに香草のお茶の準備を済ませ、用意していれば、二人が戻ってくる所だった。
まずはとにかく、と、テーブルを4人で囲み、お茶を飲む。
スープとパンを差し出せば、無言のままもくもくと食べ始める二人。
まともに食事がとれていなかったのだろうか、と、思いながらも、ロナと二人、それを見守る。
――食べながら話そうとおもったけれど、無理みたいね。
森の中で、ろくな物も食べていなかったのだろう、と、内心考えた。
やがて、二人が食事を終えた所で、やっと話せるだけの落ち着きが戻ってきたようだった。
「――心配かけて、本当に申し訳なかった」
その言葉を皮切りに。
静かに、カインは、経緯を語りはじめた。
雨がやんだ合間に、森に向かったカインは、降り始めた雨に焦って、急いだ所、迷いこんでしまったらしい。
雨は強くなるし、次第にあたりは暗くなる。これはいけないと、雨宿りをするために、大きな木を見つけそこにいたらしい。
食料をなんとかしないと、と、思いながらも、森の中でどれが食べられるのか、知識が乏しいので手をだせない。
雨の弱い時を見計らってはあるいて居たらしいのだが、人間一日食べないとやはり、多少なりとも弱ってくるもので。
雨にぬれていたこともあり、これはさすがにまずいだろう、と、おもって居た所で、レイルと遭遇したらしい。
レイルをちらり、とみると、視線だけ返してきた。
レイルと遭遇したカインは、火を起こし体を温めることができた。
食事も、レイルが狩って来た獣と、集めた野草でしのげたらしい。
雨の様子をみながら、周囲を警戒しながら、過ごしつつ、雨がやんだ合間には森の家の方角を図りつつ、少しずつ移動を繰り返し、そして戻ってこれた、と。
「いや、本当に。レイルがきてくれなければ、どうなっていたかわからないよ」
どこかしみじみとした声で、カインがいう。
「ミオにも、ロナにも、心配かけてしまって、本当にすまない。――森の怖さを、理解してたつもりで、でも、侮って居たんだな。本当に、レイルには感謝してもしきれないよ。ありがとう」
どこか苦いものを含みつつも、感慨深く、その悔恨の言葉は紡がれた。
「もう――ロナ、に、心配かけちゃ、だめよ?」
薄く微笑んで、告げた言葉に、カインの表情が微かに歪む。
なにか言いたそうなそれには、気づかなかったフリで、ロナに視線をむけた。
「雨がやんで様子をみてから、村へ戻るといいわ。今日の様子だったら、村までの道は明日の昼過ぎには大丈夫だと想う」
「ええ、ありがとう、ミーオ。――本当に、ありがとう」
ロナが、私の手を握る。
ぎゅ、と握り締められたそれから伝わる温もりを感じて――どこか、怖かった。
温もりを伝え合う距離にある存在が、怖かった。
たとえ何が起ころうとも、夜は静かに闇のとばりを下ろす。
雨のあがった森の上には、しかしどこかぼんやりとした月が浮かんでいて。
みなが寝静まった夜、そっと家を抜け出して、私は、家の近くの、少し森の開けた所にきていた。
ここ数日に起こった出来事と――不可抗力とはいえ、ロナと過ごした数日。
それらは予想以上に私の精神に負荷をかけていて、どこかキリキリと削り取って居た。
相変わらず。
そう――私は相変わらず、人が側にいることが苦手らしい。
人とともにあることが怖い。人が側にいることが怖い。――そう、私は人間が、こわいのだ。
元の世界にいるときから。
元の世界で生活していた中で培われたそれは、世界が変わり私を傷つけるものがなくなったというのに、未だ私を苛み苦しめる。
3年。
この世界にきて、3年。
短いというべきか、長いというべきか、その期間で世界になじめたのは、ここが元の世界と全く関係のない世界だったからであり――私を知る人がいなかったからだと、私はそう考えている。
この世界にきたことで、私はしがらみから解き放たれた。
そして――この森でいきることで、人と関わらず、ひっそりと暮らすことができた。
だから私は、この世界になじむことが――なじんだように見える状態になることが、できたのだ。
関わる人間はダロス老だけ。それもべったりしたものではなく、程よい距離の関係で。
会う人も多くない、ひっそりとした生活。――村で忌避されることすらも、私にとってはどこかで好都合だったのかもしれない。
世界が変わって、そう――新たに1から始められるとおもったにもかかわらず、私はどこもかわっていなかった。
ロナとともに過ごした数日。状況が状況だったということもあるけれど、側に他人の熱がある状態が、これほどまでに苦痛に感じるとは、自分でも想ってはいなかった。
――私はどこまでも、傲慢で臆病なのかもしれない。
誰も、誰とも、ともに生きてなどいけないのだ。ひとりで――そう、たとえどれほど寂しくとも、ひとりで生きるべきなのかもしれない。
そう、考えたとき。
ふっと。
ひとり、ここしばらく生活をともにした男の顔が浮かぶ。
そういえば、彼の存在は苦痛ではなかった、と。
気づかないでいた事実に気づいて、眉をしかめた。
そう。
彼の存在は、苦痛ではなかった。
――それどころか、側にあって心地よくすら、なかったか。
気づいた瞬間、眩暈を覚える。
沸きあがる「なにか」――それは、恋情や愛情ではなく。
あのとき感じた、あの感覚は――「疑問」
彼は、何故、森の中で迷わなかったの?
気づいてはいけない、それは、私の中で大きく膨らんで――体が震えた。
彼の側が心地よいと気づいたと同時に気づいてしまった、現実。
どこかで目を逸らしていた、気づいていたのに気づかないふりをしていた現実に――ただ、震えるしかなくて。
うすらぼんやりとした月の光が照らす森でひとり、私は、たちつくして、いた――。