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リルシャの森に住む人  作者: 喜多彌耶子
第五章 迷いの森
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長く眠れぬ夜

――ことは、いつだって、突然起こる。


何事もなく平和に過ぎてゆく日々の中で、人はそれを普遍だ、また同じような日々が来る、と疑うことはない。


けれど。


私が突然、元いた世界からなんの予兆もなく切り離されたように。


平穏を崩す非日常は、突如として訪れるものなのだ。




カインが帰った翌日から、珍しく続いた晴れ間は、再び雲に覆われた。


さあさあと降り続く雨の中、家の中で静かに過ごす日々が続く。


雨の中、出来る仕事はすくなくて。

室内でできること、湿気に関係なく出来ることを行いながらも、意識は雨へとむいていた。


梅雨が嫌いだった。雨に降り篭められ閉じ込められる梅雨が、大嫌いだった。

じっとりと蒸し暑く、重苦しいあの空気が、大嫌いだった。


それは――遠くはなれたあの世界での記憶。

忘れられないその思い出とともに、心に残る苦い感情。


この世界の雨季は、蒸し暑いということはない。

むしろ、少しばかり肌寒くて――どこか、物悲しい風情すら、ある。




その日の朝は、肌寒さを感じて目覚めた。

ふるりと震える体に引き寄せた上着をはおり、ベッドから降りる。

窓に歩み寄り、ゆっくりと引きあければとたん部屋に湿った冷たい空気が吹き込む。


雨にぬれてしっとりと深く、緑に輝く木々の葉と。


聞こえるのは、風の音と雨音ばかり。


今日も変わらぬ一日が始まる――そのはず、だった。




今日はとても気温が低い。

そこまで冷え切っているわけではないけれど、と、暖炉に細く火をいれる。

部屋が暖まるまで時間がかかる。その間に体を動かすことで、寒さから意識を逸らした。

やがてほわりと、部屋に温もりが広がる。


ぱち、と僅かにはじける音を聞きながら、居間で作業を行う。

瓶の中には、雨季に入る前に採取した薬草の数々。

劇的な効能があるわけじゃない、けれど、なければ困るそれらを、丁寧に仕分け、潰し、混ぜ合わせる。

ふわりと漂う緑の香り。薪の萌える匂い。

傍らでは、剣の手入れをしているらしき、レイルの姿。


穏やかな静寂。

この上なく穏やかな空気が、居間には流れていた。




――しかし、その静寂は、ひとりの訪問者によって、破られる。


ぱち、と、薪のはじける音がした。

ふ、と、それに誘われるように、レイルが顔をあげる。


動いた空気に気づいて、作業を止めてそちらを見れば、ゆっくりとレイルが立ち上がる所だった。


「――レイル?」


問いかければ、ちらりとこちらに視線を向けた後、扉を見る。


つられるままそちらをみるが、特に変化があるようには思えない。


「……客のようだ」


静かに告げるその声に、ふと耳を澄ませば、雨音にまじってどこか乱れた足音が聞こえた気がして。


ふいに沸きあがる疑念、そして、出所のわからない焦燥。

どこから来るのかわからないそれに、眉をしかめながら、渦巻く疑問に頭を巡らせる。


足音が近づく。雨にぬかるんだ道を走る、乱れた足音。

やがてそれは家の前でとまって――。



がたん、と、激しい物音と共に、扉が開いた。




「っ!ミーオ!!」


「……ロナ?!」


思わず絶句する。豊かな赤い髪が、雨に濡れ風に吹かれて乱れ、美しい緑の瞳は、焦燥と悲しみに彩られて。

震える唇はなにかを告げようと震えるが、声にならず。

あちこち土が跳ね濡れたドレスはぴったりと彼女の体へと張り付いて、いて。


――森を抜けてきたのだ。

――こんな雨の日に。なりふり構わず。

――ロナ・・が!


何故、とか。どうして、とか。疑問より先に驚愕が強くて。

今にも崩れそうなロナに、慌ててかけより抱き止める。

震えながら縋りつく彼女を支えれば、震える視線が、室内をなにかを捜し求めるようにさまよって。

――そして、救いを求めるようにミオに合わせられた。


かちり、と。


かみ合うように。


くしゃり、と、ロナの顔が歪む。

その瞬間、震える声が、室内の空気を揺らした。


「――っ、ミーオ! カインが、カイン、は、きてるわよね、きてるのよね……っ!?」


掠れる、けれど悲痛な響きを持ったその声が、切り裂くように大気を揺らす。


カインが、きているかどうか。

カインは、ここにはきていない。



それは――。




「……あ、」


声が出ない。

体が強張って、動かない。

縋りつくロナの体が、濡れて冷たくて。

ああ、早く拭いて暖めてあげなくては、と、どこか頭が違うことを考える。


カインが、


カインが、帰らない。


それは――それ、は。


体が震えた。

支えるように抱きしめていたロナの体を、今は支えているのか支えられているのかすらわからない。


誰の、せい?


誰、の。


目の前が暗くなる。

どうして、どうして、私は――。


抱きしめる腕に力がこもる。

応えるように、ロナからの力も強まった。


冷たい体。しかし、かすかに伝わる熱。

ああ、しっかりしなくては。ロナが、カインが――。


混乱する思考が、どこまでもとまらない。

落ち着かなくては、と、思えば思うほど、乱れた感情がキリキリと胸を締め付ける。


と。


ばさり、と。


大きな布が、ロナにかけられる。

はっ、と、意識をそちらに向ける。


頭の上に、手が触れた。

大きな手。

暖かい温もりがじわりと伝わる。


誰の、なんて、思う必要はなかった。


伝わる温もりに、いたわるその仕草に、すっと心が落ち着いてくる。


手はするりと頭をなでると、ぽん、と、一度、軽く頭を叩いて。


「――レイ、ル」


震える声で名を呼べば、常緑の瞳が、穏やかにこちらを見詰めていた。


じっと。答えを求めるように。

唇を開く。けれど、声は出てこなくて。

震える唇を、再び閉じ、ただ、じっと見詰め返した。


――そこに、何をみたのか。

微かに唇を歪めて笑んだ男が、ひとつ頷く。


ちらり、と、一度、ロナに視線を向けた男は、くるりときびすを返す。

一度部屋を出た男は、マントと剣を手にしていた。


「――大丈夫だ」


言葉は、短く。


答えを返せぬまま見詰める視線の先、男は、するりと、家を出て行く。


雨の、森へと。


――雨の、森へ、と。




「……っ、ミーオ…・・・?」


腕の中で震えていたロナが、掠れた声で、戸惑うように問いかけてくる。


そっと抱きしめた腕の中、布から見上げるその緑の目に、微笑みかける。


「ロナ、ロナ――大丈夫、きっと大丈夫だから」


体の震えはもう、止まっていた。






ぱちり、と、木のはぜる音がした。

雨音はまだ、止まらない。


無言のまま、濡れた体を拭い、かわいた服を着替えさせて。

暖かな飲み物を手に、暖炉の前に、ロナと二人座る。


聞こえるのは、雨音。風の音。


無言のままの空気は、どこかぎこちなくて。


そっと伏せたままの視線を上げれば、ロナと目があう。

揺れる、緑の瞳。そこにうつしだされるのは、不安と――罪悪感、だろうか。


あわせた視線のまま、小さく微笑む。

どこかぎこちなくなってしまったであろうそれに、ロナがまるで泣きそうに笑った。


――長い夜は、始まったばかり。


眠れぬ夜は、始まったばかり。



カインは、 いつものように(・・・・・・・)、この森へくるために、村を出たのだという。

ちょうどでがけにいき合わせたロナは、この天候不順な時期であることもあり、止めたという。

――けれど。

彼は、大丈夫だと笑って。

森にはもう慣れたからと、どこか自信に溢れた顔で、応えたという。


――森の恐ろしさは、子供の頃から叩きこまれる。

――一歩間違えば、精霊に囚われるとすら、いわれる、森。


その自信に、不安を覚え、戻るのを待ち続けていたが―― 一晩たっても戻らず。

一縷の望みをかけて、恐怖の中、自分も迷ってしまうかもしれない危険をおして、森へと駆け込んできたのだという。



二人並んで、寄り添うように。

離れるには不安すぎて、ロナと二人、暖炉の前に座って。

沈黙の中、時折、ぽつん、ぽつんと交わされる会話。


「止めたのに。必死で止めたのに――」


「……ロナ」


ぎゅっと噛み締められた唇は、震えていて。

視線を合わせぬように伏せたまま、一度強く閉じられたロナの瞼が、ゆっくりと開いて。


そして――ロナがぽつり、と、呟いた。


「ミーオ……私は貴方が大好きよ。だけど――ときどき、とてもにくらしくなる」



嫌われていたとは、思っていない。

けれど、好かれているとも、思っていなかった。


だから、どうってことない。そう、どうってことない、はずだった。


雨のおりに閉じ込められた森の中。

ロナと二人、眠れぬ夜をまんじりともせずに過ごす。

語らう言葉は、少なく。


ただ、暖炉の火だけが、二人を照らしていた。


「でも」


ぽつり、と。

再び小さな呟きが、ロナから零れ落ちる。


「嫌いには、なれないのよ」


震える言葉は、小さくて。

思わず抱きこんだ彼女の体は、未だ小さく震えていた。


――なにも。

なにも、かけることばなど、あるはずが、なかった。



呟かれた声は、ただ、静かに、風にとけて消えた。



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