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リルシャの森に住む人  作者: 喜多彌耶子
第五章 迷いの森
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かわりゆく日々

「それ」を、彼は免罪符に。

たびたび、森の家を訪れるようになった。


彼は、来るたびに、嬉しそうで。


けれど。

けれど、私、は――。






――完全にはじまった雨季は、森を、村を、雨の檻へと封じ込める。



「……っ、ばっかじゃないの!?」


思わず漏れてしまった本音に、目の前の男は、ぱちくりと目を瞬いた。

後ろでは、レイルが愉快そうに喉奥で笑いをかみ殺してる。

そうだろう、そうだろう、さぞかし面白かろう。


雨でずぶぬれになりながら、満面の笑顔で家に訪れたカインを前に、はっきりと――恐らく、初めてではないかと思う――そう告げた私、と。

いつもと違う口調で告げられて、きょとんとしている少し間抜け面のカインと。


傍からみてれば、それはそれは面白いでしょうよ!


笑うならしっかり笑え! とばかりに勢いよく振り返って睨みつければ、降参とばかりに両手をあげてみせるレイル。

――なんだろうこの、あしらわれた感。むっとする気持ちをとりあえず押し殺して。


再びカインに向きなおり、私は手に持っていた布を、投げつけるように渡す。


「さっさと入んないよ! もう!」


呆然とする彼にそう告げて、私は足音高く、家の中へと入っていった。



こぽこぽと、お茶の注がれると音がする。

淹れ終わったお茶を、かちゃん!とわざと食器の音が響くような勢いで、カインの目の前に。びくっっと震えるのを横目に、ついでにレイルにも。


私の、今までと露骨に違う態度に戸惑ってか、どこか悄然と、椅子に座るカイン。

その空気を読んでか――いやちがうな、これ、面白がってる――黙って寛いでいるレイル。


私はどさり、と、椅子に腰を下ろすと、ゆっくりとカップを手にとる。


どこかびくびくとこちらをうかがうカイン。――なんで私が怒ってるか、なんて、わからないのだろうか?

いや、全くわからないわけではないだろうけど。今までは、笑顔で困った顔しかみせてなかったから。はっきりとこういう態度をみせたことなかったから。きっと戸惑って、困惑してるのだろう。


解ってて、とりあえず、お茶を飲み干すまでは放置。


ふわりと漂う香りに、少しだけ苛立ちがおさえられた気がする。


――まったく。

なにかあったら、どうするつもりなんだか。


ふう、と、漏らしたため息は、思ったよりも大きく、部屋の中へと響いていった。




「で。一体どういうつもりなのかしら」


ひとしきり、気まずい雰囲気のなかでお茶を終えて。

私は、ゆっくりと視線をカインに向けて、口を開く。


「どういう、って……?」


まるで解らない、という風に、不思議そうな表情のまま、こちらをみやるカインに怒りがわく。


「雨。これだけの雨の中。迷いの森にはいってくるなんて、一体どういうつもりなのか、と、私は聞いているの」


ゆっくりと、言葉を紡ぐ。視線はまっすぐに、カインに向けたまま。


――そう、ただでさえ危険な迷いの森に。この雨の季節、しかもまだ雨が降っているさなかにやってくるなど、狂気の沙汰でしかない。

ただでさえ悪くなる視界。ぬかるむ足元。それは、普段でさえ迷いやすいこの森を、さらに複雑な迷宮へと変える。

この時期、森に入る狩人などいない。そして――私も、家からそう離れた場所までいくことはほとんどない、と、いうのに。


わかってないのだろうか?

否、村に住んでいるのだから、森の危険性はわかっていないわけではない、はず。

――だとすれば。


確かに、私は森の家に彼が訪れることを容認した。

しかし、それはそんなに頻度の多いことではないだろうと、どこかで勝手に思いこんでいた。

そこまで彼も暇ではないだろうし――雨季にはいるのだから、と。


それが。

それが、だ。


まさか、誰が雨の中、森に入ってくると思うだろうか。

そんな愚かな――愚か以外のなにものでもない――行動をとるものが、いるとは思わなかった。


「――ミオ、心配してくれるんだね」


考えにふけっていた私の意識が、その言葉で現実に戻される。

嬉しそうな、カインの声。――嬉しそう?


違和感を覚えて、気がつくと俯いていた顔を勢いよくあげれば――微笑むカイン。


「でも、大丈夫だよ。――きっと迷わない」


恐れを知らぬ、笑み。自信に溢れる――そんな、微笑み。


何故。

何故そんなにも、自信を持てるの?

何故、自分は大丈夫だと――そう、おもえるのだろうか。


……愚かな。なんて愚かな。


根拠など、どこにあるというのか。

彼にここへ来ることを許可したのは、まちがいなく私。

その選択は、間違いだったのだろうか。



――愚かなのは、いったい、誰?




呆然と見返す私に、カインは嬉しそうに微笑んで、ゆっくりとカップを傾けていた。



――そのさまを、レイルは、静かにみていた。

ただ、静かに――みていた。





雨。雨が降る。

さぁさぁと。細く細く。まるで霧のように。けれど霧よりも深く。

全てを多いつくす雨の幕は、どこまでもどこまでも、家を、森を、村を、世界を包みこむ。


――まるで、繊細な檻のように。


リルシャの森は、迷いの森。

ひとたび足を踏み入れれば、それは緑の迷宮になる。

迷宮を覆うのは、降りしきる雨。

さぁさぁと、静かな音を立てて。


閉じ込められ囚われるのは、一体、誰?




蘇るのは、遠い世界の思い出。

聞こえる雨音は、まるで思い出の扉を開くノックのように、私の記憶を引きずり出す。


哀しい、と、思うには、時間が立ち過ぎた。

けれど、切ない思いは、胸から消えない。


降りしきる雨の音は、途切れることなく、静かにあたりをみたす。


私には解らない。

遠いその記憶を、忘れてしまうべきなのか、忘れないほうがいいのか。

忘れない限り私は、この世界で異端であり続けてしまうように思えるし、かといって、忘れてしまうにはその想い出は大事すぎた。

こうして、どっちつかずのまま、ずっと――そう、この世界に落ちた時からずっと――ふわりふらりと私は在る。


森の娘。森の妖精などと呼ばれる度に、浮かぶのは自嘲。

――地に足がつききっていないことを、まるで看破されたかのようで。


同じ家の中には、レイルがいつもいる。今夜はカインもいる。

――雨の中、村まで歩いて帰ることなど無理だろうから、一晩とめることになったのだから。


ひとりじゃない。

私はひとりじゃない、けれど。


私は、ひとりなのだ、と。


その複雑な境界は、私の中に消えることなく、刻み込まれるように在る。


ことり、と、音が聞こえる。


私は、ゆっくりと、視線を上げる。


そう、こんな夜は。

いつも、こんな夜は。


――静かに、彼は、側にいた。


「……レイル」


部屋に入ることなく、入り口で。扉にもたれかかった体勢のまま、静かにこちらを見詰める視線。

そこにあるのは、どんな感情なのか。


私が夜、ひとりで泣いていそうな時になると、静かに側にいた彼。

何も言わず。何もとわず。――なにもせず。

そう、今夜のように、ただ、じっと私の側に――触れ合わない距離ではあるけれど――あって、見詰める、彼。


それを、いつから居心地悪いと思わなくなったのか。

いつから、それで落ち着くようになったのか。

――いつから、彼のその目にある感情を知りたい、と、思うようになったのか。


抱きしめるわけでもない。

慰めるわけでもない。


ただ、そこにあるだけの存在に、いつしか心を慰められるようになったのは、なぜなのか。


わからない、けれど。


それは、ひとつの変化。

それは、ひとつの兆し。


彼は、危険なものかもしれないのに。

そう――カインに指摘されて憤慨を覚えたにも関わらず、私自身がどこかで彼のことを疑っているというのに。


彼は、時折、姿を消す。

ほんの数刻のそれは、疑問に思うほどのことではないかもしれない。

狩りのためでもあるだろうし、彼自身にもひとりになる時間は必要だろう。


――けれど。


何故か、私は、疑っている――否、理解しているような気がしていた。


彼が、求めることを。

彼の行動の意味を。


恐らくそれは――……。





雨は降る。

ただ静かに雨は降り続ける。

揺らぐ心を、揺らぐ思いを、静かに封じ込めるように。





「……どうしたら、いいの」


夜があけ始める。

ひとりの部屋の中、呟いた言葉は、誰にも聞こえないまま。

静かに森の中へと消えていった。


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