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リルシャの森に住む人  作者: 喜多彌耶子
第五章 迷いの森
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少しだけ違う日常


なんとか無事取引を終えて、引き止められるまま少しその場で話をして。

また次の取引の約束を取り付けた――までは、よかった。


そのまま、また何も変わることのない日常が繰り返されるのだと、私は、疑うことなくそう思っていた。


――変化の訪れなど、あっさりと突然、おこるものだというのに。





「……はぁ?」


私は、庭に立ちつくしたまま、間の抜けた声を漏らしてしまった。

いや、だって――みえるはずのない、いるはずのない存在が視界にはいったら、一瞬そうなるでしょう?

片手には鎌のような農具、首には布をかけて、激しく農作業スタイルのまま、私は――呆然と、生垣がわりに家の回りに植わっている背の低い実のなる木の向こうに見えるひとかげを、じっと見つめた。


「どうしたんだ?」


近くで作業をしていた――こちらは鍬を片手に――レイルが、声を上げた私に気づいて、こちらに歩み寄ってくる。


そして。


「……迷わなかったのか」


私の視線の先を追って、どこかずれたことを呟いた。


そんな私達の視線に気づいて、その人影――カインは、どこか気まずそうに笑いながら、生垣の間を縫って、こちらへと歩み寄ってくる。


「やあ、ミオ。――顔がみたくて、きてみたよ」


……なんだその、「きちゃった」みたいなセリフは。


思わず呆れてしまう。

その表情が表に出てしまったのか、視線を逸らし彷徨わせながら、片手を意味不明に動かしながら、なにか言い訳しようと口をパクパクするカインに、深くため息が漏れる。


いいたいことも、言うべきことも、山ほど、ある。


けれど。


「――とりあえず。ようこそ、森の家へ、と……いうべきなのでしょうね」


しぶしぶ、だけれども。そう告げた私に。

ふっと、カインの表情が和らぐのが、解った。





何はともあれ、と、切りよい所で作業を切り上げて、お客様(・・・)であるカインを、家へと招き入れる。

レイルはというと、片付けを請け負ってくれた――カインをどこか愉快そうにみつつ。

……なんだろうな、アレは。どこかこう、年下の弟をみているような目のような気がするのだけれど。気のせいだろうか?


やれやれと思いながらも、レイルの視線に不服そうな様子のカインを連れて、ダイニングのような台所と続き間になっている部屋へといざなう。


興味深そうにきょろきょろと中を見回すカインに、何が面白いのかと思いつつ、ダイニングに置かれたテーブルに座るよう進めて。

私はキッチンに向かうと、お湯を沸かす用意をし、作りつけの棚に並べてある、お茶用のハーブの入れ物を眺める。


さて、どれにしよう。


小さな入れ物に小分けにしていれられたそれは、香りのいい、飲みやすいものを中心に、乾かして詰めてある。

きちんと乾燥してあるので、そこそこもつそれらは、ハーブでもあるので、多少の効果も期待できる。


森を歩いてきたらしいカイン――そういえば馬はどうしたんだろう?


不思議に思いながら、疲れのとれるといわれている物を選んで、ティーポットにいれる。

しゅんしゅんと沸き立つお湯を注いで、ふわりと広がるのを待つ。


――と。


「……いい匂いだね」


「っ! カ、イン、びっくりするじゃない」


背後にカインが立っていた。


いきなり背後に立つなんて! 驚きが軽い怒りへと切り替わる。

睨みつけるように視線を向ければ、まるで降参といわんばかりにわざとらしく両手をあげてみせる姿。

けれど。その表情は楽しげな笑みをたたえて、いて。

むっといらだつ気持ちのまま、勢いよくお茶をカップに注ぐ。

飛沫が飛んだのか、小さく「あちっ」という声が聞こえた気がしたけれど、知ったことか!


――驚かされることは、苦手なのだ。

驚かされると、狭量なまでにそれに反応してしまう。

理由なんてわかりきっている。とりつくろえない(・・・・・・・・)からだ。感情が揺さぶられるからだ。

昔から――そう、昔から(・・・)感情を取り繕えなくなる状態は、感情が揺さぶられることは、この上なく苦手なのだ。


小心者なのかもしれない。ただの、臆病者なのかもしれない。

けれど、揺さぶられるのは苦手だ。自分らしくなくなるのは、何よりも怖い。

昔から怖かったけれど、今は尚のこと怖い。

だって――どうやって立っていればいいのか、わからなくなってしまう、から。


訪れる、不安を、恐怖を、押し殺す。


勢いのままお盆にカップを載せて、押しのけるようにしながらダイニングへと戻る。


後ろから、どこかしょんぼりとついてくる人の気配を感じながら。





窓から差し込むのは、森の木々によってやわらげられた、穏やかな陽光。

薄く開かれた窓から差し込むのは、雨上がりの濃い緑の香りを含む風。

ダイニングにはふうわりと、どこかすっきりとしたお茶の香りが漂っていて。


なんてのどかなお茶の時間――といいたい所、だ、けれども。


ちろり、と視線を向ければ、どこか不安そうにこちらをうかがうカインの姿。

ちらりと視線を動かせば、我関せずとお茶を楽しむレイルの姿。


そして。

どこかむっすりと――けれど静かに座っている、私。


なんだこれは、と、原因のひとつでもあることを重々承知しながらも、頭が痛くなる気がする。


そもそも、なんなんだろう、この取り合わせ。

まさか、森の家で、レイルとカインを並べてお茶をする、など――どこのタチの悪い冗談だろう。

深々とため息をつけば、視界の端でカインがぴくりと肩を揺らし、レイルが僅かに片眉を上げた。


このままでは話がすすまない。

カップにのこったお茶をゆっくりと飲むと、もう一度、ふう、と、吐息を漏らして。


「――で。カイン、貴方はいったい、こんな所まで――こんな、森の中まで、何をしに、きたの?」


まっすぐに見据えた視線の先、一瞬、ほんの一瞬、カインのその青い目が――まるで傷ついたかのように――僅かに揺らぐのがみえたような、気がした。

しかし。

彼は微笑んでいた。さっき私がそうおもえた揺らぎなど、全くなかったかのように、ふわりと、やわからかに。

――だけど、どこか、有無を言わせない、そんな雰囲気をたたえて。


思わず体が、後ろに下がる。が、座っている状況で、そんなことはできずに、微かに椅子がかたりと音を立てただけで終わった。


「何を? 簡単なことだよ」


静かな声が、カインの口から零れ落ちる。

ゆっくりと、ゆっくりと、カインは言葉を紡ぐ。


「――たとえミオが信用してるっていったところで、得体の知れない男と二人、こんな森の奥で、なにがあっても不思議じゃあない――それに、そこの彼が、村に全く悪影響がない、なんて保障はないならね。様子を見にこさせてもらっただけだよ」


静かに紡がれる言葉。それは、穏やかで。優しい響きで。

けれど――強く、強く、告げられる、意思。


それは。

そこに在る感情は。


心配であり、配慮であり、警戒で、あるのだろうけれど。

その、根底は。


――拒絶、だと。


そう感じた瞬間。


胸の奥のどこかで、なにかが軋む音がした、気がした。


するり、するりと。表情が抜け落ちていくような気がする。


――ああ、そうか。


私は――怖かったのか。


理屈はわかるのだ。得体の知れない男、それが村から距離があるとはいえ、森の中にいることへの不安。

だけど――だけど、どこかで、カインならと、勝手に期待した自分がいたのだと、不意に悟る。


『カインなら解ってくれる』


傲慢で、曖昧で、身勝手なその感情。

そう――カインに何を解ってほしかったのかも、じぶんではっきりと理解しきれていないくせに。


身勝手と解っていても――感情の波は、コントロールできなくて。



うっすらと口元に笑みが浮かぶ。

それは諦め。それは自衛。――それは、壁。

恐怖への、私の自己防衛。


けれど――そんな私をみた、カインは、ほっとしたように表情を緩めて。


「それに、ミオが心配だったんだ。――心配くらい、させてくれよ。お願いだから、さ」


きっと、それは――彼の本音、なのだろう。


だけど。

――だけど。


告げられた言葉は、するりと私の中を通り過ぎていった。


「――そう、ありがとう」


応えた言葉の、冷たさに。


――果たして、カインは気づいただろうか。


僅かに、視界の片隅で、レイルが眉をよせるのが、みえた気がした。



たったそれだけの、些細すぎることなのに。

拒絶だったのか、何が真実かどうかなんてわからないまま。

けれど、乱れた感情は、それを見定めることなんかできなくて。


ただ、私は、静かに微笑んでいた。

――それしか、出来なかった。




「解ってるんだろう?」


カインの去ったあと、再び二人きりとなった森の家で、レイルが静かに告げる。


――私は。


なにも言わず。

――なにも、言えず。


ただ、窓の外をみつめていた。



――夜半過ぎから、森には静かに、雨が降り出していた。








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