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リルシャの森に住む人  作者: 喜多彌耶子
第四章 森の中で
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カインとレイル

その日は、久しぶりの快晴だった。

ぬれた緑の葉は日に照らされてつやつやと輝き、ところどころに雨の名残の露を抱えていた。


ふと、朝露を集めて、それで墨をすって願い事を書く、という内容が頭の中に浮かび上がる。あれは,、いつ行う風習だっただろうか。

遠い遠い、幼い日の記憶。そして――遠い遠い、今では手の届かない世界での記憶。


ふるり、と首をふる。この前からどうにも感傷的でいけない。感傷にひたる時間はもう終わった。あの最初の数週間、数ヶ月、そして一年で、浸りつくしたはずだ。――自分を哀れむことの空しさも、そのときに悟ったはずじゃないか。


さて。今日は、カインと商品の取引を行う日だ。前に村に訪れた日から軽く一月は経過したことになる。

その間につくった作品と、野草と、香草と――薬と。


私は、荷物を確認すると、家を出る。


少し湿った緑の香り。森の香り。

まず大きく深呼吸をした。

すがすがしい空気が、肺いっぱいにみたされる。

ここが私の「居場所」。そう、ここが私の生きる場所。




「準備できたのか」


かけられた声に視線を向ければ、すでに外で準備を整えていた男が、凭れていた壁から、身体を起こした所だった。


「ええ。できたけれど――ねぇ、本当に貴方もいくの?」


何度も繰り返した言葉だけれど、思わずまた繰り返して問いかけてしまう。

だって、面倒なのだ。どちらかといえば閉鎖的な村、そこの近くまで彼を連れて行くということが。

――そして。


彼とカインが、顔をあわせてしまうことが。


恐らく、レイルはどうということはないだろう。カインと顔をあわせた所で、何があるとも思えない。

しかし。

カインの方はどうだろう。

少なくとも、自惚れではなく、多少なりともカインは私に対して好意を抱いていて、それを示すことに躊躇はない。

そんなカインが。


レイルと私が同居しているのだと知ると、どうするだろうか?


予測できる範囲で様々な状況が脳裏を過ぎるが、どれもあまり好ましくない。

軽く頭痛めいためまいを感じて、軽く頭を振る。


「ああ、いくが。 どうした?」


不審な行動をとる私にレイルが露骨に訝しそうな視線を向けてくる。

ごまかすように、どこかもの哀しい気分になりながら、私は微かに笑った。


――ああ、面倒くさこと、この上ない。


「――ええ、ええ、いきましょう。さっさと済ませてしまいましょう」


こうなったら、そうするしかない。訝しげな男にとりあえず気づかないふりをして、先を急ぐことにした。

……やけっぱちだなんて、そんなことはない、はずなんだから。




待ち合わせは、森の外れにある、目立つ大きな木、そう、元の世界で言うならば神木といわれても不思議じゃないくらい、そんな雰囲気を持つ、樹齢何年だろうと思うくらいの、そんな木の傍らとなっていた。

村の入り口まで少し距離のある、川の近くで、森の家からあるいて、20分程度、どちらかというと村に近い、しかし村からも少しだけ距離のある、そんな場所が、今回カインと落ちあう約束になっている場所だった。

ゆっくりと歩きながら――途中で気づいたが、レイルは、自然と私の歩く速度に足を合わせてくれていたようだ――特に話すこともなく、森を歩く。

最初こそ気まずいような気分でいたのだけれど、そんなことはものの数分で忘れてしまった。


だって、森の中にいるのだから。


私は、やはりどこまでも森が好きらしい。

森の中を歩いているだけで、その空気を吸い、緑を眺め、ゆれる草をみていると、自然心が浮き立つのを感じる。

まるで森と一体になったような――それは大げさだけれど、森に受け入れられているような、そんな感覚。

ふわりと、気が付けば口もとに笑みが浮かぶ。


――ああ、幸せだな、と。


ささやかなこんなことで、思える自分が、なんだか好きだった。


傍らにいるレイルも、特になにもいうことなく。そう、彼が本気で歩けば私はおいていかれたことだろう。身長の差はそのまま歩幅の差でもあり、また、彼と私の体力差など、考えるまでもなく――元現代の女子高生と、異世界でバリバリの傭兵の体力なんぞ比べるべくもない――そんななかで、彼は、急ぐでもなく、無理をしてる風でもなく、ごく自然に傍らを歩いていた。


不思議な感覚。


ひとが隣にいるのに、それが不自然ではない、その、なんともいえない感覚。

境界線の向こうにいるのに、そこに境界線があることを知り、それを守ってくれているような――。


ぱちん、と、意識が弾ける。


危険な思考だ、と、どこかで警戒音が響く。

軽く頭を振り払い、足をすすめることに意識を集中する。

いけない。いけないんだ。だめなんだから。

よくわからないまま、否定の言葉を脳内で繰り返す。


――レイルは、ただ、無言で、隣を歩いていた。




やがて、大きな木が見えてきたとき、思わずほっと肩から力が抜けた。

理由なんかわからない。いや、わかりたくない。


次第に近づくに連れて大きく見えてきた木の下、傍らに荷物を抱えた背の高い影が見える。


「――カイン」


声をかける。

こちらに気づいたカインが、ふわり、と、嬉しそうに微笑んで――そのまま笑顔が固まった。


「……カイン?」


じっとカインが凝視する視線の先、には。

予想に違わず、私の荷物を抱えたレイルが、無表情でたっていた。


「ああ、ミオ。久しぶりだね。元気だった?」


やがて、引きつった笑顔のまま、カインがこちらに声をかけてくる。


「ええ、久しぶりっていっても、そこまでたってないじゃない。それより――面倒をかけてごめんなさいね。こんな所までこさせてしまって」


「いや、ぜんぜん。ミオに会えるなら苦でもなんでもないよ。で、商品は?」


そこで、視線をレイルに向ける。と、彼は自然と自分の持っていたそれを差し出してくれた。

礼を告げて受け取ると、カインに向き直る。


――なんて顔してるの、カイン。思わず固まる。


「――なんていえばいいかわからなかったから、だまってたけど」


低い声が、カインの口から漏れる。


「ねぇ、ミオ。――その男は、誰だい?」


カインは、笑っていた。笑っていた――けれど、その笑顔は。

どこか、怖くて。いつもの彼じゃないようで。

思わず、数歩あとずさる。


そんな私を、レイルは、不思議そうにみやってから、カインに視線を向けて。


「レイル、という。この娘に拾われて居候させて貰ってる」


「――そう」


なんだろう。このいたたまれなさは。

レイルの言葉に、短く応えたカインは、一度もレイルの方をみることなく。

じっとこちらをみながら――笑顔のまま、告げた。


「ミオ、君の中には、警戒心とか自衛心とか、そういう言葉は存在しないのかな?」


……返す言葉もない、とは、このことを言うのでしょうか。


私は、思わずごまかすように、笑うしかなかった。




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