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リルシャの森に住む人  作者: 喜多彌耶子
第四章 森の中で
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二人の距離


どうして気づかなかったんだろう、と、後から思うことは、昔からよくある。

私が特別鈍いわけじゃない、と思いたいけれど、そういう部分も多々あるかもしれない。

だけど、そういうことって、人間誰しもあるんじゃないだろうか。


どうして気づかなかったんだろう。

どうして――気づけなかったん、だろう。


のちのち、私は、それをしみじみと思うことになる。

けれど、それは本当にのちの話で――ほんのりと感じている違和感はあれども、今はただ、繰り広げられるごくありふれた「日常」に、ふりまわされながらも、充足した日々を送っていた。




さて、あの日以来(あれだ、胸を指摘されて以来である)、微妙に私は、レイルを避けてしまうようになっていた。

避ける、といっても、無視をするわけではない。ちゃんと会話はある。必要最低限ではあったが。

傍からみれば、まあ、普通に接しているようにみえることだろう。

けれど、微妙に、違うのだ。今までと心持ち、というか、感覚的に違うのだ。

それはたとえば、物を受け渡すときであったり――近距離ですれ違うときであったり。

そういったときに、微妙に距離をとってしまうのだ。ほんのすこし。相手が気づくか、気づかないか、の、距離を。


うら若き乙女である。これでも一応。うん、おくればせながらの警戒心が、わき起こったわけで。

我ながら遅すぎる、と、思わなくも無いが、いまさら大げさに距離をとって警戒するのも、なんとも間の抜けた話のような気もするし、特に何らかの、明らかな接触やらなにやらむにゃむにゃがあったわけでもないのに、過剰に警戒するのもなんだか自意識過剰っぽい気がしてしまう。

相手にして見れば、『ふん、おまえごとき相手にするものか』なんて思ってるかもしれないわけで――あ、それはそれでなんかむっと来たけど、おいといて、そう考えると、『きゃー、近づかないでっ』っていう感じでも無いし、かといって完全に無警戒ではいられないし、というわけで、この微妙な警戒状況となったわけだったりする。


はたして、相手は気づいているのか。

今の所、そういうそぶりはないが――気づいていたところで、気にもかけないか、気にもかけないがゆえに気づかないか、のどちらかだろう、と、とりあえずは私のうちでけりをつけて、あまり考えないようにしている。


そのほかの点では、本当にある意味平穏な――例の微妙なレイルの毒舌もどき以外は――生活が、ゆっくりとゆっくりとすぎてゆく。

春から夏にうつる季節、まるで日本の梅雨のように、雨が多くなる。

梅雨、というわけではないらしいのだけれど、時期的に雨季に近い状況に、森周辺はなってゆく。


一日の仕事をある程度終え、午後のお茶を済ませた後、いつもの作業椅子に腰掛けて縫い上げたサシェの袋に刺繍をいれていた最中、聞こえる雨音にふっと窓の外を眺めると、森が雨にぬれ、木々の葉が緑を濃くしていた。


「雨、うっとおしいね」


話しかけるとも無く呟いた言葉に、視線をレイルに向ければ、床に敷いた敷きもの上に直に腰を下ろし、短剣の手入れをしていたらしいレイルは、ふっと顔をあげ、一度ちらりと窓の外をみやると、再び視線を伏せる。


答えを期待していたわけでもなかったので、私も再び刺繍に戻る。


「この時期、主に西の辺境は、多く雨が降る。――中央などはそうでもないがな」


「……そう、なんだ。地域によってやっぱり違うんだね」


返って来た言葉に、いつもと異なる状況だと思わず驚く。止まりそうになる手をなんとか押し留めて、さりげない風を装いながら刺繍を続ける。

針先が乱れそうになる――落ち着け、何を私は、動揺しているの?


「ああ、東の辺境の方は、どちらかといえば雨が少ない。――ゆえに、いろいろとあるようだけれどな」


「……色々?」


「ああ、東の人間は西の人間を厭う傾向がある。『西の辺境の田舎者』と。雨が多く、川の氾濫などの災害が多いことも起因しているのだろうな。――同じ辺境に変わりはないというのに」


「へんなの、同じ国の人間同士なのに」


「ああ、そうだな。西の方が農業などが盛んで豊かであることを羨んでもいてのことだろうが――変な話だな」


異なる色彩を持ち、異なる民族であり――異なる世界の人間である私が厭われるのはわかるけれど、同じ国の中でも、色々とあるようだ。

排斥しあうほどのものではないとしても、世界が変われど「人」という種族は、なんとも罪深い生き物なのだろう。


私は手を止めると、ひとつ吐息を漏らす。

世界は変われど、変わらぬものもある――だけど、こんなものまでかわらないなんて。


それを聞きとめてか、レイルも手を止めてこちらをみた。


視線の高さの差ゆえ、見上げるように向けられる、常盤色の瞳。深い深い森の緑。雨にぬれて深く色を染めた、森の木々の葉の色。

吸い込まれるようなその色に、私は、森に包まれる感覚を覚えて、目を離すことができなかった。


――思えば、こうして普通に会話をすることは、ほとんどなかったように思う。必要最小限の言葉以外は、時折からかうように彼に言葉をかけられることがあっても、こうしてゆっくりとした時間に、彼と語り合うことなど――今まで、あっただろうか。


特に必要ではなかったし、彼自体が口数が多いほうでもないようでもあり、さらに私も、そこまで彼と関わるつもりもなければ元々のべつまくなしにしゃべっていたい、というタイプでもない。――でなければ、今まで森の中で一人、過ごしてなどこれなかっただろう。


想えば、挨拶に挨拶が返ってくる毎日など、どのくらいぶりのこと、だったんだろうか。

――そして。それがあたりまえだった世界の、なんと幸せなことだったの、だろうか。


外は雨。

さあさあと響く音は、元の世界と何も変わりはない。――きっと成分は、こちらの世界の方が純粋。向こうのように穢れていない、純粋な美しい、雨。


けれど、響く音も、見た目も、降るさまも――降る時期さえ、変わらない、なんて。


異なるのは、聞こえてくる音の少なさか。葉ずれの音、風の音、そして――二人の、静かな吐息の、音。


雨。思い起こされるのは、梅雨の教室。雨が降りしきる窓の外を、ただ、じっと眺めていた。

窓の外でぬれる木々の葉、さぁさぁと窓越しに聞こえる雨の音。じっとりと湿気を含んだ重い気。

並んだ机。綺麗に消された黒板。ところどころに残る、人の気配。遠くから聞こえる、室内練習中であろう部活の練習の声。

そして――雨の中をじゃれあいながらかけていく、数名の男子生徒。

心に浮かぶ情景と、雨音と――目に映る常緑の色。


とろり、と、記憶の断片が、雨と緑に誘発されて、流れ出してゆく。


見詰めているつもりはなかった。けれど無意識のまま、逸らすことの無かった先、かちりと合わさったままだった瞳の緑が、微かに揺らいだ。

それは、光の加減だったのか――それとも、なにかが伝わってしまったのか。


はっ、と我に返える。今、私はどんな表情をしていた? 零れ落ちた記憶の断片を慌てて心の奥に再び封じ込める。

出てきてはダメ。奥底で眠っていて。――でなければ、私は、きっと耐えられない。表に出さぬよう、心の中で強く唇を噛む。

忘れてはいない。忘れられるわけはない。――だけど、思い出していられるほど、私は強くなんか、ない。


硬く閉ざした箱の中に詰め込まれた思いは、もしかしたらいつかあふれ出してしまうかもしれない。

――けれど。私は、生きているから。ここで、生きているのだから。だから――生きていかなくてはいけない。

生きている以上、生きつづけるしかないのだから――だから、硬く硬く、錠をかけて胸の奥底にしまいこむのだ。


さまざまな、思いのすべてを。


内心の動揺を悟られぬよう、私は、慌てて取り繕うように微笑むと、やりかけの刺繍作業に目を戻す。


「どこでも雨は同じね。柔らかくて、静かで、だけど、うっとおしくって――どこか、寂しい」


その言葉に返ってくる声は、なかった。



さぁさぁと、雨は降り続く。

静かに、穏やかに――森を湿らせ、恵みをもたらす。


雨はやむ気配を見せぬまま、その日は静かにすぎていった。





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