食事事情と色々と
『居候三杯目にはそっと出し』
川柳だったか、元ネタは。ふっと頭に過ぎるのは、この言葉だ。
昔の人は、謙虚だったのだなぁと、思う。
否、日本人は、地球世界の人間は、まちがいなく謙虚だったのだ。
いや違うな。普通、居候ってものは、どこの世界であっても、もっと遠慮するもんじゃないんだろうか。
彼が成人男性である、ということを差し引いても、彼の食事っぷりは見事としかいいようがない。
ブラックホールとまではいわないが、よく食べる。
まぁ、元々「成人男性」と関わる機会、食事を取る機会なんかなかったし、比較対象は自分の父親しかないのだから、あんまりあてにならないけれど。
私からすれば、どこにそんなにはいるの? と真面目に聞きたくなるような食べっぷりなのだ。――男の人って、みんなこんなもの?
カインも割りと食べていたような気がするけれど……そこまで印象に残っていないってことは、どうなんだろう。
……この世界にはない言葉だろうけど、このままじゃ、エンゲル係数うなぎ上りだよ。
そこまで考えてふと思う。そういや、あんまり食事にお金かかっていない。
元々私自身の食事は、森の野草や庭の野菜、鶏もどきの卵や牛羊もどきのミルクで成り立ってる。
購入しているのは、入手が難しい塩など、そういうものばかりで。
つまりほぼ、自給自足に近い状況なのである。
彼が増えたことで、野菜の消費量は増えたが――そのほかの食材は、そういえば彼自身の手でまかなわれている。
そう、肉類である。
彼は、朝の仕事が終わるとふらりといなくなり、気が付くと無駄にはならないだけの獣をとって戻ってくる。
剣を持ってはいるようだが、使っている気配はないので、獲物はナイフだけなのだろう。
よく迷わないものだ、と、感心半分――迷って返ってこないならばそのときはそのとき、とも思っている、酷い女である。
さて、その取ってきた肉類を、彼は器用に捌く。そして、調理しやすいように、きちんと処理を行う。
一度目の前でみたけれど……やはりだめだった。
白状しよう、私が「ほぼ」ベジタリアンな食生活になった理由のひとつが、この獣を捌く行為にある。
異世界に飛ばされたばかりの、まだ17だったか18だったかの頃、おじいさんは時折森へと獣を取りに行った。
目の前で捌かれることはほとんどなかったのだが――好奇心旺盛だった私は、つい、のぞきにいったのだ。
そこでみた光景は、忘れられない。
さすがに「きゃー、残酷ぅー」などと悲鳴を上げていうほど、おろかではないつもりだったけれども、目の前の、その明らかに命を頂く行為に、今まで漠然と捉えていた「命をいただいていきる」という、食事の挨拶の基本の考え方の、その本質を、くっきりと理解させられた気がした。
悲鳴こそ、あげなかった。けれど、普通の、それこそわりと都会よりの、農業や畜産に縁なんかのない、本当に普通の、女子高校生だったのだ。
そんな現場をみたこともなければ、実際にそういう場面での生き物の状況なんか、知らなかった。知識として知っていたことであっても、現実の生々しさは、その想像の比なんかじゃなかった。
予想以上にそれは、情けないけれども私の中でショックな出来事として残り、そして私は、肉類をあまり受け付けなくなった。
そう、菜食主義を気取ったところで、じつはそんな理由だったりするのだ。
「だけどほんっと、貴方って器用よねぇ……」
夕食の席で、自分でとってきた獲物を料理したものを、よくみれば美味しそうだとわかる表情で食べている、感情が表に出にくいらしい男をみながら、私は思わず呟いた。
そう、この男、器用なのだ。
先の自分の分の食料の調達はもちろん、それの処理についてもだが、畑仕事もでき、ついでにいつも私が困っていた、料理用や冬の暖炉用の薪の準備、その他こまごました家の修繕などなど、頼めばもちろんのこと、頼まなくてもああ、あそこ壊れてるかもー、なんて思った翌日には直ってたりするのだ。
ついでにいえば、自分の食べる肉の調理も、最初は自分でやっていた。塩を振って焼くだけ、というその野性的というかシンプルな調理法を毎度続ける彼に、つい、料理は嫌いではないことと、一度にやってしまったほうが二度手間にならないなどの理由から、私がやると申し出たのは、いつのことだったか。
それ以来、私の料理欲は大いに満足させられている。全く肉類を食べられないわけではないので、味見程度ならできる。香草を使ったりミルクや調味料を工夫したり、ある種実験のように楽しんでいるのは、秘密だ。
結論として。器用で、わりと小回りが効く。結構便利な男である、というのが、ここしばらく暮してから感じた、私のこの男への感想であり――まぁ、おいといても邪魔にはならないかな? というのが、率直な意見だったりする。
そう、意外に気遣いもできる。獣を捌くとき、一度目の前でみていた私の様子に思うところがあったのか、それ以来ある程度の処理をしてから持ち帰ってきたり、見えないところで処理するようにしてくれているのだ。
獣も捌けない娘、など、この世界の、しかもこのような森の中にいて、その点をこの一言おおい男のことだからきっとからかわれるに違いない――なんておもっていたのに、そんなことは一切なくて。
この男、意外にいいやつなのかも。
最近そう、おもったりも、する。
けども、だ。
片眉を僅かにあげた男は、粗末な食器とその職業に似合わぬ、上品な仕草で食事を続けながら、ちらりとこちらをみやる。
「まぁ、人間生きていくには、それなりのことができなければいきぬけないからな。それにしても――」
ふっと言葉を切ったレイルは、食事の手を止めると、じっと私の方を見詰めた。
常盤色。常緑の、森の木々の色。その瞳に、私がうつっていて、おもわずどきり、と、心臓が跳ねる。
「おまえはもう少し、肉をつけたほうがいいんじゃないか?」
「太れってこと? そんなにがりがりじゃないとおもうんだけど」
前にカインにも同じことを言われたことを思い出す。同じように、つい、手を目の前にかざして眺める。
心配してくれているのだろうか? そう考えると、意外とやさしいところもあるじゃん、なんて、ほんわかしていたら。
「いや、出てるところが出ていないと、髪の長さだけでは性別を間違えかねないからな」
はっと気づく。視線の先は、私の胸元。
「――っ!! 余計なお世話っ!」
いったい、どこをみてやがる! 反射的に手で隠す。
くくくっ、と、低くレイルが笑うのが聞こえた。――それは、共に暮し初めて初めて聞いた、彼の笑い声。
しかし、しかしだ。今はそれどころじゃない。それにそこまで小さくはない、はずだ! 普通、普通のはず!
思わず胸元を見下ろして確認、それから、きっ、とレイルをにらみつける。
前言撤回! やっぱりこの男は、いいやつなんかじゃ、ない!
むかむかした気持ちのままに、テーブルの上に残っていた料理を、勢いよく片付ける。
そんな私を――レイルは、じっと眺めていた。
ただ、静かに、眺めて、いた。