――レイルの思索
――与えられた指令は、森の探索。
それはひとりで行うべき内密の指令であり、任務であった。
断れない筋から持ち込まれた、極秘のそれに、苦虫を噛み潰したような腹立たしいような気分になった。
たかが森の探索。見下すつもりはないが、狩人どもでも充分可能なはずの仕事である。
しかし、それが極秘である、ということ。そしてその内容を聞けば、なおのこと苦々しい想いに囚われる。
けれど、断れない以上、うけるしかない。
うけてしまえば、あとは簡単だと、思っていた。
さくっと探索を済ませ、報告すればいいのだと――そう、簡単に考えていたのだ。
それに――情けない話ではあるが、森を舐めていたことは否定しきれない。
戦場でもない、荒事でもない、森の探索だと――狩人を雇うことなく、森に入ったのは、愚かなことだった、と、今なら素直に思える。
そして、その愚かさのツケを、おもいきりよく、自分の身で体験することとなった。
まさかの遭難――食料が尽きるなどと、誰が予測しただろう。
普通の森でいき抜くだけの能力が、自分にないとは思いたくはないし、実際、それだけの力はある。
しかし、この森は――迷いの森。まっとうな方法では、一歩過てば抜けられなくなってしまうのだ。
自分の間抜けぶりを痛感するはめになるとは。
それまで、範囲を固定して、少しずつ薦めていた探索も、一気に水の泡。
獣を捕らえてなんとか生きながらえようとするも、何故かそのときに限って近くに居らず。
3日目、なんとか得られた水で命を繋ぐ中で――その家を、見つけた。
最初は、自分がおかしくなったのか、と、目を疑った。
あまりの状況に、幻影でもみえるようになったのか、と、まず浮かんだのがそれで。
続いてやっと、状況を把握する。
――ああ、これが、森の家、なのか。
春にシュトレックの街できいた噂が、頭の中を過ぎる。
――黒髪の、細身の人間。
――まるで、妖精のような。
そして――与えられた指令の意味を、はっきりと悟る。
そういうことか。
そうだったのか。
覚えていたのは、そこまで。
家を目の前に、そこで体力は限界だったのだろう。
暗く消えていく意識ともに、記憶はそこで途切れた。
ふわり、と、意識が浮上する。
額に触れる冷たい感触が心地よくて、吐息が漏れる。
宥めるように確かめるように触れる手の感触が心地よくて、うっすらと開いた目の前に、さらりとゆれる漆黒の髪。
――誰だ。
見知らぬ人間への警戒が僅かに浮かぶものの、亡羊とした意識は、それよりもその漆黒へと意識を囚われさせる。
漆黒。黒――闇の色、そう、薄暗い中にあって尚、はっきりと主張するその色に、ふわふわと夢うつつの狭間を彷徨う意識の中で、目を奪われる。
それは、ひとりの少女。
さらりとした黒髪を揺らし、眉を僅かによせ、こちらを心配そうに伺っている。
かちりと。
合わさった視線の先、ゆらりとその瞳が揺れた、気がした。
――それは、漆黒の目。深く光る闇の、安らぎの目。
理由などわからない。解らないけれど、それを理解した瞬間、ふっ、っとひどい安堵を覚えて――再び、意識は闇へと落ちていった。
それは、とても、穏やかな眠りだった。
目覚めて。
空腹を訴えたらば、どこか最初にみたときよりも疲れ果てて見える少女から、勢いよく言葉を告げられて。
最初の印象と違う、そのいきいきとしたさまに、強い興味を覚えたのは、否定できない。
凝視される中食事を終えて、再び休んだ次の日。
鍛えてあった身体は、すぐに動けるだけの回復を見せていた。
起き上がった、ベッドの上。
しばしの思案の中、浮かぶのは、あの疲れ果てたような少女の姿。
ぐるりと見渡す家の中に、まだ彼女の起きた気配はなく。
彼女の他に生活している人間の気配はない。
世話になった恩、というわけでもないが。
ゆっくりと起き上がると、恐らくどこの家でも行われているであろう、朝の支度をするために、家を出る。
――やがて、家から、寝起きそのままで飛び出してきたらしき少女の、驚いた顔に、どこか満足を覚えたのは否定できない。
別に、何があったわけでも、何を望んだわけでもなかった。
任務は――そう、任務は、これでおわりのはずだった。
戻って、報告してしまえば、それで終わり。――おわり? 本当に?
彼女の存在を、何故あちらは知ろうとしているのか。
なにかあるのか――それとも、脅威と思われている、のか。
そのなにか(・・・・・)を、知ってからでも、遅くはないのではないだろうか。
ふと想い浮かんだそれは、誘惑と言うには抗いがたい感情で。
そして――そうするとの不利益は、これといっておもいつかなくて。
「まさか、とは、思うけれど。……ここに居座る気じゃ、ないでしょうねぇ?」
どこか不満げな表情の彼女に。
「何を言う――しばらくここに滞在するに決まっているじゃないか」
告げた瞬間の、唖然とした表情が。その様子が。
楽しくてしかたがない、などと。
口にすることなど、ありはしないだろう、と。
あまり表情に出るたちではない自分に感謝しながら、内心ほくそ笑んでいたことなど、誰にもわからない。
こうして、森の家での、奇妙な居候生活は、はじまったのだった。