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リルシャの森に住む人  作者: 喜多彌耶子
第三章 落ちていた男
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二人目の男


男は、三日三晩、時折うっすらと目をあけることはあっても、会話できるほどには、意識を戻すことはなかった。とりあえず、男の目の色が綺麗な緑――常盤緑とでもいうか、そういう色なのはわかった。――そのときは、ああ、緑なんだ、で、終わってしまったけれど。

熱が高いようでもあったから、とにかく冷やすことに専念した。氷はないから、只管冷やした布を、小まめに額にあてるだけ、だが。後は熱にいい――発汗を促して下げる効果がある――薬草をせんじたものを、少しずつ含ませて。

まぁ、なにかの病にでも罹っているのかと警戒したけれど、様子をみる限り過度の疲労が一番の原因のようだったので、ひとまずは安静に休ませることに専念した。服をなんとかしなくてはとは思うものの、成人男性をひとりできがえさせる技術なんて、私にはない。できるのは、見える範囲を拭く位のことだったけれど――脱がして清拭するには、勇気がなかったのだ。うん、これでも、うら若き乙女ですから。と、言い訳しつつ、それでもできる限り世話をした。従姉弟のお姉ちゃんに、看護師をしてる人がいたけど、お姉ちゃん、すごく尊敬するよ、と、心からおもいました。


不眠不休に近い状態で、家の事をしながらの介護は、はっきりいって重労働だった。合間合間で休みはするし、最低限の家事雑事にしたけれども、動物の世話は休めないし、植物だって手を入れてやらないとダメになる。必死の三日間だった気がする。その甲斐あって、というべきか。

三日目の午後、やっと男は起き上がれるようになった。




男は、開口一番、こういった。


「……腹減った」



けれども、そのころには私の方がふらふらだった。ふらふらだったのだ。


私は、そのときすでに限界だった。

体力的にももちろん――精神的にも、かなり限界が、きていたんだと、思う。


どこかで、ぷちんと、なにかが切れる音がした。


柔らかくミルクで煮た、オートミールに似たものと、滋養にいい薬草茶。なんとかクッションを当てて体を起こした男に、用意したそれを差し出して、私は宣言した。


「まずはそれを食べて、その薬草茶を飲んで大人しくしてて頂戴。出て行くのも勝手だし出ていけるもんならさっさと出ていって欲しいのが本音だけど、すごく残念だけど、まだ無理だと思うわ。ええ、ええ、すっごく残念だけど! 色々いいたいことも聞きたいこともあるだろうし、私もそうだけど、でも、とりあえず、私は貴方の世話で疲れ切っているの。もう限界なの。今すぐ休みたいの。――だから、悪いけれど! すべては明日! 明日にして下さるわよね?」


疑問形ながらも有無を言わさぬようにきっぱりと言い切る。びし、と指を突きつけたいところだったけれど、さすがにそれはあまり行儀のいいことではないので、我慢した。心中色々複雑だったり色々いいたかったり、ふざけんなこんちくしょー、という気分と言うか、いや、なんともなくてよかったというか、もう、とにかく、そういうもろもろよりも、私の心を占めているのはただひとつ――眠い。その一言に尽きた。


その私の様子に、なにか鬼気迫るものでも感じたのか。じっとこちらを見ていた男は無言のまま頷き、差し出した料理に手を付けた。

ゆっくり、ゆっくりと、私はじっと見詰めるなかで――よく考えずとも、そんなに凝視されながらの食事など、喉を通りにくかっただろうに、そのときの私は、気を配る余裕すらなかった――彼は、その食事を、食べ終え、薬草茶を飲みおえた。


それを確認すると、私はとにかく休みたいと訴える体を引きずって、使った食器をなんとか片付けて、まっすぐに自分の部屋へと三日ぶりに戻ったのだった。

――昔は三晩徹夜でも乗り切れたのに、年を取るってこういうことなのかしら。

余計な事を考えて、余計がっくりと疲れたのは自業自得と言うべきだろうか。




そんなこんなで、やっと自分のベッドに入れた私は、久しぶりにぐっすりと、これまでの不足分を補うかのごとくに眠ってしまった。

ベッドに入ったとたん、墜落するように途切れた意識は、夢さえみないほどの、久しぶりの深い眠りだった。




――気づくと、外が完全に明るくなってしまっていた。

こんなに寝坊したことははじめてで、慌てて飛び起きる。頭の中に、なすべき仕事が次々と過ぎる。朝の動物達の世話に、水遣りに、ああ、色々と予定が狂ってしまう!

かなり焦ってしまい、髪は適当にまとめあげて、服も適当に着て部屋を飛び出す。


慌てて外に出て――ふと気づく。

小屋に入っているはずの動物達が、きちんと庭に出ている。しかも、ちゃんと水置き場にも水が置いてある。

不思議に思いながら、薬草や野菜の畑の方に向かうと――そこにあの男がいた。着ていた服はぼろぼろだったからと、間に合わせに貫頭衣のような簡単なものを作って用意していたのだけれど……生成りのそれを着た男が、畑で水やりをしているではないか!


目を疑う。数度瞬きをして見る。ついでに目を擦ってみた。


目の錯覚ではないらしい。

目の錯覚ではないのならば……この、先日拾った、つい昨日まで寝込んでいた男が、動物達の世話をし、畑の手入れをしていたというのか。

疑いようのない現実には違いないのだけれど、どうにも受け入れきれず、私は眩暈がした。いや、助かった、助かったんだけど……なんだろう、このものすごい違和感は。頭が現実を拒否しようとしている。


「……っ、なに、やってん、の……?」


呆然としたまま、問いかける。本当に、何をやってるんだ。昨日まで寝込んでいた人間が、一体、一体何を考えて、起き上がってるんだ。せっかく世話したというのに、また倒れられたら元も子もないじゃないか。一体、何を考えているんだ。どういうつもりなんだ。

あきれ返ってしまう。むしろ、呆れる以外にどうしろと? と、問いかけたいくらいだ。


しかし。

その声に、やっと、私がいることに気づいたのか、作業をしていた手を止めて、男がこちらに近寄ってきた。


私の呆れ具合になど、気づいていないかのようで。


きらきらと、髪が光に反射する。ああ、まぶしいったらありゃしない。朝からきらきらしい美貌など、目に痛いだけだ。思わずぐい、と、眉根に皺がよる。

それに気づきもせずに、男は口を開いた。


「おはよう」


表情ひとつ変えずにそう告げた男に、どうかえせばよかったのか。


「……おはよう、いい天気ね」


なんだか少しだけ、切ない気分になったのは、仕方がないことだと思う。




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