そして一人
さて、それからの事を、少し話してみようと思う。
村から森にもどって数日たって、やっと、私の頭は落ち着いてきた。
最初から落ち着いていると思っていたのだけれど、やはり、少し混乱していたようだ。
人間、そのときには気づかないものなのかもしれない。
毎日の作業を同じように繰り返すうちに、やっと色々と、考えを纏められるようになった、ともいうべきか。
村への立ち入り禁止令が降りたことで、問題点はいくつかあった。
まずは私の作った商品をロシェに卸す方法と、生活必需品の購入。これについては、ロシェ当主が便宜を図ってくれることとなり、当主を通してではなく、半分流動的に動ける、万が一にも独立した存在といいはることもできるカインが、完全に責任者として、取引を取り仕切ってくれることとなった。
もともと、ロシェ当主自体が、カインに独立して仕事をさせようと思っていた時期でもあったらしく、私は、「トマソン村のロシェ家」との取引ではなく、「商人のカイン」と、個人的に取引をする、という立場へと変化した。
これに伴って、カインは森の家まで、商品の受け取りと配達に来る、と言い張ったのだけれど、これは私が拒絶した。拒絶、というといいすぎかもしれないが、村から森の家に至る道は、確かに他の道に比べればわかりやすくはあるけれど、万が一、ということもある。
――リルシャの森は、迷いの森。
それは生い茂った木々や草だけの事では、ないのだから。
事実はどうなのかは、わからない。けれど、迷信深い人は、こういうのだ――リルシャの森は精霊の森、と。
詳しくは私も知らない。もしかしたら、おじいさんは知っていたかもしれない。けれど、そのことについて、詳しく教えてくれはしなかった。――だから、誰も知らないこと、なのだろうとおもう。
ただ、現実として、まっすぐ進んでいるつもりが曲がっていたり、いつもの道のつもりが違うところに出たり、ということが、稀にありうる森なのだから、自衛するに越したことはない。
そういう理由で、物品のやり取りは、森の入り口近く、比較的安全と思われる大樹の所で行われることと、なった。
取引する品物は、私の方からはサシェや香草・薬草。香草をブレンドしたお茶・柑橘系にクローブに似たハーブを突き刺した、ポマンダー。このポマンダーは、みた目はちょっと綺麗とはいいがたいけれど、病避けになる、なんて説もある。そのほかにも、その時々で出来上がったものを預ける。
カインの方からは、村であまったはぎれや、裁縫に必要な道具、日常生活に必要な道具や、森では手に入らないものをいくつか。
村から森に帰る前に、大まかにそれだけ、取り決めをした。
――けれど、私は、できれば森で自給自足できないか、と、考えていた。
針や金物なんかは、買い入れるしかないけれど、他のものはなんとかならないだろうか。小麦はなんとか暮していく位は収穫でいないこともないし、不足するようならイモ類で補えばいい。野菜は畑で取れるし、森には野草があふれている。ヤギとひつじのあいのこは、ミルクを出してくれるし、鶏もどきの卵もとれる。これでたんぱく質も補える。
男手がないから、大変といえば大変だけど――無理をしなければ、つつましく暮らしていけるはずだ。
昔。否、元の世界に居たころ、スローライフにあこがれた。というか、田舎生活に憧れた。隠居生活が、したかった。けれど、スローライフって、現実にはスローじゃない。毎日忙しいし、毎日することがいっぱいある。
けれど、私はこの生活が嫌いじゃない。土に触れて太陽を浴びて風感じて。そんな毎日は、決して嫌いじゃない。
森の中で一人。怖くない、といえば、嘘になる。けれど、森の静寂は、木々の葉ずれの音や、遠くの川の音、静かな自然が奏でる音に包まれている。
気が付けばそれは、私にとって子守唄にも等しい物で――この森での生活は、私にとってとても大切で、大事な時間、なのだ。
朝から働きはじめて、ゆっくりすることができるのは、大体夕方近くなってから。ちょうど午後のお茶くらいの時間に、私は一日のたいていの仕事を終えることができる。
それからの時間が、私にとっての憩いの時間。サシェを縫ったり、時々はレース編みをしてみたり。本も好きだけれど、これはおじいさんがもっていた本があるだけだから、すでに読みつくした。この森の中で、しかも割りと本が貴重らしい時代にしては、冊数はあるほうだと思う。そう考えると、おじいさんは一体何者だったんだろう、なんて思ってしまうのだけれど。
――それを知る人は、もう誰もいない。
村長も、ロシェの当主も知らなかった。ならばおじいさんは、自分の出自を語ることなく、この世を去っていったのだろう。森の中で、変わり者として。ただ、受け入れられていたのは、薬師としての腕の確かさと、貴重な野草・薬草の流通のせい、か。――それとも。
なんらかの、最低限の身元を証明できるなにか、が、あったのだろうか。
ならば、私は?
排斥された私は、これから先、村に受け入れられることがあるんだろうか。
考えても仕方がないとわかっていながら――しかし、考えてしまう。
はたして私は、村に受け入れられたいのだろうか? それとも、受け入れられなくて構わないと思っているのだろうか。
自分の気持ちが、どこかはっきりしなくて――なんだか、すっきりしなかった。
数度、頭を振る。考えても仕方がない。気分を切り替えなくては。
夕方のひととき、次第に朱に染まる風景をみるともなく眺めながら、レース編みの手を動かす。薄い布で作った袋に、レース糸で編んだ模様入りの小さな袋をかぶせると、普通のサシェより少し大人っぽい、おしゃれな感じに出来上がる。
今回から新しく作るその形は、好みが別れるかな、という気がしなくもない。でも。新しい事を始めるのは、なんだかどきどきする。この大人っぽい、レースのサシェには、花の香りのポプリを詰めよう。女の人がそっと懐に忍ばせていられるような――考えるだけでなんだか楽しい。
どれくらい時間がたっただろう。こだわったせいか細かな作業の多い、レース編みは、目に結構来る。そろそろ薄暗くなってきたことだし、と、手を止めて、ろうそくに火をともそうかと、椅子から立ち上がる。
居間の棚に保存してあるそれを取り出そうと、扉をあけたところで――がたん、と、入り口の方で大きな音がした。