或る青年の独白
その噂を聞いた時、強く沸き起こった感情に、らしくなく表情が強張る。
リルシャの森に人が住む――シュトレックの酒場で偶然、さも特別なことのように噂されるその内容を耳にしたカインは、それがあまりに特別であるかのように語られているということに、強い不快感を覚えた。
何故、今になって。
何故、噂になるのか。
――しかも、まるでいきなり、そこに人が住み始めたかのように。
シュトレックから馬で1日強、リルシャの森の近くに、トマソンという村がある。
カインは、そこの住人であり、月に数度、この付近では一番大きな街であるシュトレックへと、村の産物を売り、生活必需品の共同購入するために、訪れる商人でもあった。
――そっとしておいてほしいのに。
浮かぶのは、かの人の面影。
噂を耳にした時に感じた不快感は、かの人が外界に煩わされるのではないか、という不安か。
それとも。
――知ってる人が少ないほうがいい、という、説明しがたい感情からなのか。
とにもかくにも、かの人はこの噂を知っているのか。いや、知るはずがない。
稀に集落に顔を出すことしかしないかの人は、必要以上に人と関わることを好まない。
ゆえに、噂になっていることなど、微塵も知りはしないだろう。
かの人は、どこか、ひとつ離れた壁の向こうにいるような、不思議な存在感を持つ。
かの人は、揺らがない――そう、揺らがないのだと、カインは思っていた――故に、自分が心配することなど、なにもないのかもしれない。
それでも。
村長やかの人に関わる人達には、話しておいたほうがいいだろう。
かの人が煩わされないように。
浮かぶ感情のはらむ熱に、囚われそうになりながらも、薄く微笑む。
そう。
あの、漆黒の髪の、強く儚い人に、害が及ばないように。
静かに、しかし強く、カインは想った。