第九幕 ノスタルジーな旅、ふたりの地元へ
「みこ、またお引っ越しよ」
母の優しい声に、小さなみこは静かにうなずいた。
「……うん」
段ボールが積まれた部屋。
慣れたはずの光景なのに、胸の奥は何だか苦しかった。
父の仕事の都合で、何度も町を変えてきた。
幼稚園でも、小学校でも。
「また転校するの?」
そう聞かれるたびに、みこは笑って「うん」と答えた。
だけど、本当は違った。
(また、お友達とお別れなんだ……)
ようやく名前を覚えてもらえた頃には、また引っ越し。
仲良くなれそうな子がいても、すぐ離ればなれ。
だから、少しずつ思うようになった。
(どうせまた転校するから……)
無理に友達を作らなくてもいい。
そう自分に言い聞かせるようになっていた。
⸻
そして今回の引っ越し先は、母の実家がある見晴町だった。
「しばらくは、おばあちゃんのおうちから学校に通うのよ」
古い商店街。
木造の駅舎。
ゆっくり流れる時間。
初めて見る町なのに、不思議と落ち着く景色だった。
⸻
転校初日。
「今日からお友達になる、城名みこさんです」
教室の前に立ったみこは、小さく頭を下げる。
「よ、よろし……よろしく、おねがいしま……」
緊張で言葉がもつれ、教室が少しだけ静かになる。
「よろしくお願いします……」
もう一度言い直し、席へ向かう。
休み時間になっても、誰にも声をかけられなかった。
みこも、自分から話しかけることができない。
窓の外を眺めながら、一人で時間が過ぎるのを待っていた。
⸻
放課後。
なんとなく歩いていると、小さな神社にたどり着いた。
石段に腰を下ろし、一人で空を見上げる。
(ここでも……友達できないのかな)
その時だった。
「ねぇ!」
元気いっぱいの声が響く。
振り向くと、ラムネ瓶を二本持った女の子が立っていた。
「ひとり?」
みこは小さくうなずく。
「じゃあさ!」
女の子は笑顔で一本差し出した。
「ラムネ飲も!」
「……え?」
「一人で飲むより、二人で飲んだ方がおいしいから!」
あまりに自然な笑顔に、みこは思わず受け取る。
「……ありがとう」
「私は小塚紗里!」
胸を張って名乗る少女。
「みこは?」
「……城名みこ」
「じゃあ、みこちゃん!」
その呼び方が、少しくすぐったかった。
二人は石段に並んで座り、ラムネを飲む。
ビー玉が落ちる「カラン」という音が、静かな境内に響いた。
「また明日も遊ぼ!」
「……うん!」
その返事は、この日一番大きな声だった。
後に二人が「秘密基地」と呼ぶことになる天ノ杜神社で、紗里とみこの物語は始まった。
「まもなく、終点の見晴駅です――」
見晴町。ここは風丘市からは電車で1時間程の場所。
紗里とみこの地元でもあり、昔ながらの雰囲気が残っている。
「……着いた!」
ひのりが立ち上がり、バッグを肩にかける。
「いよいよ、“地元ツアー”開幕だね!」
白く塗られた木造の駅舎に、電車がゆっくりと滑り込む。
ひのり、七海、唯香は電車を降りると改札を抜けた先、ロータリーには私服姿の紗里とみこが待っていた。
「よっ! ようこそ田舎駅へ〜!」
紗里が両手を広げて出迎えると、隣でみこも帽子を押さえながら、小さく手を振る。
「遠いところ……来てくれてありがとう……!」
「わ〜、ほんとに来たんだ……! 地元っ子のお出迎えって、なんか感動……!」
ひのりは周囲を見回しながら、ふいに目を輝かせた。
「よしっ、では本日も始まりました〜〜! “舞風どうでしょう”、地元探訪編〜〜!!」
そう言いながら、胸を張って一歩前に出る。
「レポーターはこの私、本宮ひのり! カメラは七海ちゃん! ナレーションは唯香ちゃん! そして現地ガイドは、紗里&看板娘のみこちゃんでお送りしますっ!!」
「何その大泉リスペクト……」
七海が呆れたようにスマホを構えながら笑う。
「……本当に番組始める気なんだ」
唯香がナレーション口調でぼそりと呟く。
「“果たしてこの旅、どんな珍道中になるのか……全貌は、まだ誰も知らない”」
「うわ、始まった!!」
ひのりが嬉しそうに拍手し、紗里がノッて言う。
「じゃ、地元案内はあたしに任せてっ!」
「私……看板娘、がんばる……」
みこがちょっと照れながらも覚悟を決めたように言い、五人は旅番組ごっこの空気のまま、ゆるやかに歩き出した。
まず最初に向かったのは見晴町の小さな商店街だった。
ひび割れた舗装、レトロな看板。どこか懐かしい昭和の匂いが漂う。
「はいっ、本日はこちら“見晴レトロストリート”からお届けしまーす!」
ひのりがスマホに向かって叫び、七海が苦笑しながら撮る。
「ガイドは地元代表、紗里さーん!」
「どーもー! 生まれも育ちも見晴れ町、地元偏差値98です!」
ノリノリの紗里に、唯香が淡々と付け加える。
「案内人・紗里。地元を知り尽くした少女が、懐かしき風景へ誘う」
「詩的すぎるナレーション……!」
ひのりが笑いながら、店先へ目を向ける。
「まずは“武内魚店”! コロッケが名物!」
揚げたての香りに、ひのりが目を輝かせる。
「これぞ旅番組の“視聴率取れるやつ”!」
「番組じゃないってば……」
七海がすかさずツッコミを入れる。
「次は“橋本文具店”。小学校のころはここで全部そろえたの!」
紗里の解説にひのりが笑い、唯香はまだ淡々と。
「棚の文具は、記憶と物語の種でもあるわね」
「唯香ちゃん、もうほぼプロ……」
みこが小さくつぶやく。
「……こういうの、落ち着くかも」
「看板娘みこちゃん、いいコメント入りました〜!」
軽口を交わしながら歩くうちに、五人の“旅番組ごっこ”はすっかり板についていた。
⸻
商店街の奥に、小さな木造の住宅兼駄菓子屋が見えてきた。
「到着〜! ここが、みこのおばあちゃんが営んでいる“地元キッズの聖地”『ふるや』!」
紗里の紹介に、ひのりがスマホへ向けて興奮気味に語る。
「懐かしさ120%……! これぞ放課後文化!!」
店の引き戸を開けると鈴が鳴る。
「あらまあ、紗里ちゃんにみこ! おかえり」
奥から顔を出したおばあちゃんが、二人を見てにっこりと笑う。
「お邪魔しますおばあちゃん!」
紗里が元気よく手を振る。
「今日は演劇部のみんなを連れてきたの!」
みこも小さく会釈する。
「ただいま……おばあちゃん」
「まあまあ、お友達も一緒かい。みんな、好きなもん選んでいきな〜。ここは昔も今も“子どもたちの味方”だよ」
「粉ジュースまだあるの!? エモすぎる!」
ひのりが目を輝かせ、唯香は淡々と棚を眺める。
「昭和中期のデザイン……資料価値が高いわ」
「唯香ちゃん、急に学芸員みたいになってる……」
七海が笑うと、紗里がみこを前へ押す。
「ほら、みこ。いつものやつ!」
「え、わ、私……? ……い、いらっしゃいませ。おすすめは、ポテトフライです……」
「来たーーー! 癒やしの地元オーラ!!」
顔を真っ赤にするみこに、おばあちゃんが目を細める。
「みこは昔からお店のお手伝いが大好きでねぇ。近所の子たちにも可愛がられてたんだよ」
「やっぱり看板娘だったんだ……!」
和やかな空気の中、奥からジュウゥ……と香ばしい音。
おばあちゃんが鉄板で焼きそばを炒めていた。
「ちょうどお昼だよ。よかったら食べていきな」
「ほんとに!? おばあちゃんの焼きそばとか優勝じゃん!!」
紗里が胸を張る。
「ここで一番うまいからね。“ふるやの味”といえばこれ!」
紙皿が配られ、ひのりが勢いよく一口。
「んっ……まいう〜っ!! 香ばしさが神ッ!!」
「……石ちゃんじゃないんだから」
七海が即ツッコミ。
「でも、ほんと安心する味……」
みこがそっと言うと、唯香がナレーションのように呟いた。
「――味覚は記憶の扉。“ふるやの焼きそば”は、きっと誰かの原風景」
食べ終えたところで、紗里が手を打つ。
「よし、次は“天ノ杜神社”行こ!」
「神社ロケきたー! 絶対いい画になるやつ!」
おばあちゃんが笑って送り出す。
「気をつけておいで。また晩ご飯までには帰ってくるんだよ」
「はーい!」
紗里とみこが声を揃えて返事をすると、ひのりたちは顔を見合わせて笑った。
「ばあちゃん、焼きそば最高でした!!」
何度も頭を下げながら、五人は「ふるや」を後にした。
「それじゃ、案内は“ご当地ガイド・紗里”にお任せくださーい!」
紗里が得意げに胸を張り、ひのりが大げさにマイク代わりのペットボトルを向ける。
「はいはい、というわけで! 次の舞台は――“神秘と歴史が香る、天ノ杜神社”ですっ!」
旅番組ごっこは続きながら、少女たちは次の目的地へと歩き出す――。
木漏れ日の差す石段をのぼりきると、そこにはひっそりとした境内が広がっていた。
小さな拝殿、手水舎、古びた狛犬。どれも手入れが行き届いていて、静けさの中に温かみがある。
「ここが、“天ノ杜神社”でございます〜!」
ひのりが芝居がかった声で両手を広げると、七海がカメラを向けながらぽつり。
「……また始まった」
唯香は静かにナレーション風に続ける。
「“天ノ杜神社”――町の背後に広がる森に包まれた、知る人ぞ知る小さな神社。地元の人々にとっては、日常の一部であり、思い出の交差点でもある」
その言葉を受けて、紗里がふと真面目な顔になり、境内をゆっくりと見渡した。
ナレーションを続けながら、唯香はふと心の奥で気づいていた。
(……今の私は、“演じさせられて”いるんじゃない。“自分から選んで”この声を出してる)
子役だった頃。セリフの一言一言に、正解を探していた。
でも今は違う。ただの遊び、旅番組ごっこ。そのはずなのに、こんなにも自然に言葉が出てくる。
(きっと私は、こうして“物語の語り手”でいるのが、いちばん自分らしいのかもしれない)
「……ここさ、あたしとみこが出会った場所なんだ」
「ここが……」
ひのりが境内を見回す。
「うん。あの日から、この神社があたしたちの秘密基地になったんだ」
紗里が懐かしそうに笑うと、みこも静かに頷く。
「……この町で初めて『帰ってきた』って思えた場所なの」
少しの沈黙のあと、紗里が笑った。
「でもさ、昔のみこって今じゃ想像できないくらいドジだったんだよ」
「えっ、みこちゃんが?」
「自己紹介で噛むし、水筒こぼすし、先生に叱られると『ありがとうございます』って返すし」
「……あれは、どう返せばいいか分からなかっただけ」
みこが恥ずかしそうに俯くと、みんなが笑う。
「でもね」
紗里は優しく続けた。
「みこって、すっごく頑張り屋なんだ。運動苦手なのに毎朝ひとりで走ってたし、誰にも努力してるところ見せなかった」
「みこちゃん、それすごいことだよ」
ひのりが真っ直ぐに言う。
みこは照れながら微笑む。
「……ありがとう」
「だからあたし、みこのこと支えたいって思ったんだ」
「……紗里ちゃん」
二人を見て、七海が微笑む。
「なるほど。二人が親友になった理由、分かった気がする」
木々を風が揺らす。
ひのりは境内を見回しながら、小さく呟いた。
「……“運命の場所”って、本当にあるんだね」
そのとき――
奥の社務所から箒を手にした神主がゆっくりと姿を現した。
「おや……これはこれは、紗里ちゃんに、みこちゃんじゃないか」
「わっ、神主さん!」
「こんにちは……! お久しぶりです」
二人がぺこりと頭を下げると、神主は目を細めて笑った。
「大きくなったなぁ。まるで昨日まで、ここで走り回ってたみたいだ」
演劇部の他のメンバーにも目を向けて、にこやかに続ける。
「お友達かい? ようこそ。この神社には、舞の神様も祀られておる。芝居を志す者には、なかなか縁深い場所じゃよ」
「出た〜、舞台とご縁のある神社だー!!」
ひのりがテンション高く声を上げ、唯香が即座に補足する。
「神楽や奉納舞がルーツになっている演劇は、神社との歴史的関係が深い。これは資料価値もあるわ」
「ちょっとガチ解説入りましたー!」
七海がカメラを下ろして笑い、紗里とみこも顔を見合わせて自然に笑った。
全員で拝殿の前に立ち、手を合わせる。
パン、パン。
小さく響いた拍子に、木々がそよぎ、どこか神聖な空気が流れた。
「……じゃあ、お参り終わったことだし、そろそろ次に――」
ひのりが言いかけたとき、神主が声をかけた。
「せっかくだ。休憩所で少し休んでいかんかね? お茶とお菓子ぐらいは用意できるぞ」
「えっ、いいんですか!? ありがとうございますっ!」
神主に案内されて、境内の奥にある古風な休憩所へ。
畳敷きの広間に、低い木の机。開け放たれた縁側から、風がそっと入り込む。
テーブルの上には急須と湯呑み、そして地元の和菓子が置かれていた。
「わあ……神社でお茶会って、なんか不思議」
ひのりが湯呑みを両手で包みながら笑う。
「この静けさ……舞台の幕間みたい」
唯香が縁側の外を眺めながら、小さく呟く。
「感想がもう演出家なんだよなぁ」
七海が苦笑混じりにツッコむ。
紗里とみこは、少し離れたところで並んで座り、静かに笑い合っていた。
「……昔もさ、祭りの後とか、ここでラムネ飲みながら話してたよね」
「うん。今日のことも、きっと思い出になるね」
しばしの沈黙。
心地よい風が静かに時を満たしていく。
「ここ、落ち着くね……」
ひのりがそう漏らすと、紗里が懐かしそうに空を見上げる。
「……うちらさ、実はこの神社で、舞風学園に受かりますようにって願かけたんだよ」
「えっ、マジで!?」
「受験前に来てさ、“都会の学校なんてムリかも”って話してたんだよね」
「まさか受かるとは思ってなかったけど」
みこが照れたように笑う。
「いいなぁ〜、青春の受験祈願だ……!」
ひのりが羨ましそうに声を漏らす。
「ちなみに私は、七海ちゃんの鬼特訓のおかげで受かったんだ」
「人聞き悪い言い方やめてくれる?」
七海が即座にツッコみ、場に小さな笑いが広がる。
「……でも、ここが最初の一歩だったのかもね」
紗里がぽつりと呟いたあと、少しだけ視線を落とした。
「あたしさ、“しっかりしてるね”って昔から言われること多くて。……だから、“元気な紗里”でいなきゃって思う時あるんだよね」
みこが静かに紗里を見る。
「……私は、どっちの紗里ちゃんも好きだよ」
「私も! 悩んでても、紗里ちゃんは紗里ちゃんだと思う!」
ひのりが真っ直ぐに言い切ると、七海も小さく頷く。
「無理して明るくしようとするのも、紗里ちゃんの優しさなんじゃない?」
唯香も静かに微笑む。
「演じてる自分も、“本当の自分”の一部なのかもしれないわね」
紗里は一瞬きょとんとしたあと、照れくさそうに笑った。
「……なんか今日、めちゃくちゃ照れるんだけど」
その言葉に、しばし沈黙が流れる。
吹く風が縁側に心地よい影を落とす。
ふと気がつくと、森の向こうがオレンジ色に染まり始めていた。
「……あっという間だね」
みこがつぶやき、全員が静かに頷いた。
見晴駅のロータリーへ戻ってきた五人。町全体があたたかな橙色に包まれていた。
「なんか、今日はほんとに旅番組の1日だったね……」
ひのりが深く息を吸いながら笑った。
「“舞風どうでしょう”、無事ロケ完了って感じ?」
七海がからかうように言うと、唯香が軽くうなずいた。
「旅というより、“物語のロケハン”だったわね。とても有意義だった」
「また来てよ、今度は夏祭りもあるし」
紗里が笑顔で手を振ると、みこも隣で静かに言った。
「次は……もっといろんな思い出、作ろうね」
電車のドアが開き、ひのり・七海・唯香の三人が振り返る。
「今日はありがとう! また絶対来るから!!」
ひのりの声に、紗里とみこがそろって手を振る。
列車が動き出し、ホームの灯りの下、笑顔がゆっくり遠ざかっていった。
夕暮れの風が吹き抜け、見晴の町に、静かな余韻だけが残った――。
続く。




