第九幕 ノスタルジーな旅、ふたりの地元へ
6月の初め、初夏の陽射しを受けながら、電車がゆっくりと郊外へ向かっていた。
窓の外には、ビルの群れが遠ざかり、緑の田畑や林が広がっていく。都心とは違う、のどかな風景。
進行方向左のボックス席。窓際のひのり、その隣に七海。向かいに座る唯香はタブレットを片手に読書中だ。
「ねえ唯香ちゃん、ほんとに来てよかったの? これ、部活のプチ遠征みたいな感じだし」
ひのりの問いに、唯香は指を止めて微笑む。
「観察中でも、演劇部の物語の一部になれる気がするの。だから、来たのよ」
「……詩的〜」
七海が肩をすくめて笑う。
「でも、たしかにこういう交流って大事だよね。舞台づくりにも、きっと役立つし」
ひのりがスマホを取り出す。
「それにさ、みこちゃんと紗里ちゃんの地元って、絶対ネタになる気がするんだよね〜〜」
唯香がうなずく。
「郊外の空気には、物語の“余白”があるから」
「取材気分で来てる……」
七海が笑いながらLINEの通知を確認する。
「ほら、もうすぐ駅だって」
車内にアナウンスが流れる。
「まもなく、終点の見晴駅です――」
「……着いた!」
ひのりが立ち上がり、バッグを肩にかける。
「いよいよ、“地元ツアー”開幕だね!」
白く塗られた木造の駅舎に、電車がゆっくりと滑り込む。
3人は電車を降りると改札を抜けた先、ロータリーには私服姿の紗里とみこが待っていた。
「よっ! ようこそ田舎駅へ〜!」
紗里が両手を広げて出迎えると、隣でみこも帽子を押さえながら、小さく手を振る。
「遠いところ……来てくれてありがとう……!」
「わ〜、ほんとに来たんだ……! 地元っ子のお出迎えって、なんか感動……!」
ひのりは周囲を見回しながら、ふいに目を輝かせた。
「よしっ、では本日も始まりました〜〜! “舞風どうでしょう”、地元探訪編〜〜!!」
そう言いながら、胸を張って一歩前に出る。
「レポーターはこの私、本宮ひのり! カメラは七海さん! ナレーションは唯香ちゃん! そして現地ガイドは――紗里&看板娘のみこちゃんでお送りしますっ!!」
「なにその大泉リスペクト……」
七海が呆れたようにスマホを構えながら笑う。
「……本当に番組始める気なんだ」
唯香がナレーション口調でぼそりと呟く。
「“果たしてこの旅、どんな珍道中になるのか……全貌は、まだ誰も知らない”」
「うわ、始まった!!」
ひのりが嬉しそうに拍手し、紗里がノッて言う。
「じゃ、地元案内はあたしに任せてっ!」
「私……看板娘、がんばる……」
みこがちょっと照れながらも覚悟を決めたように言い、五人は旅番組ごっこの空気のまま、ゆるやかに歩き出した。
駅を出た五人が向かったのは、見晴町の小さな商店街。
舗装のひび割れた通りには、古びた看板とレトロなテントが並び、昭和の雰囲気が色濃く残っている。
「それでは本日はこちら、“見晴レトロストリート”からお届けしまーす!」
ひのりがスマホに向かって大仰に宣言し、七海が横で笑いながら撮影を続ける。
「本日案内してくれるのは、地元っ子代表・紗里さんでーす!」
「どーもー! 生まれも育ちも見晴れ町、地元偏差値98のガイドでーす!」
紗里がノリよく手を振ると、唯香が落ち着いた口調でナレーションを添える。
「――案内人・紗里。地元を知り尽くした少女が、懐かしき風景と人々を巡る“心の旅”へと誘う」
「うわ、ナレーション詩的すぎる……!」
ひのりがツッコミを入れつつ、目の前の店舗を見上げる。
「まずはこちら、“たけうち魚店”さん! コロッケとアジフライが最高なんですわ!」
店先には今まさに揚がったばかりのコロッケが並び、香ばしい香りが漂ってくる。
「この香り……胃袋に刺さる……! 旅番組的に、こういうの一番視聴率取れるやつ!!」
「……番組じゃないけどね」
七海がスマホ越しに苦笑する。
「続いては、“はしもと文具店”! 小学校の頃は、ノートも鉛筆も全部ここ!」
「出た、定番スポット! 旅番組でよくある“地元民の青春”回想ゾーンね!」
「その通り!」
紗里が即答し、唯香がさらに淡々と続ける。
「――幼き日々の記憶が息づく、小さな文具店。棚に並ぶ鉛筆とノートには、確かに“物語の種”があった」
「ナレーションが完全にプロ!」
「私……なんか、こういうの癒されるかも……」
みこがそっとつぶやくと、ひのりが嬉しそうに言う。
「さすが看板娘! 地元愛を背負ってる発言きた〜!」
商店街を歩くごとに、ひのりのテンションは高まり、紗里のガイドもヒートアップしていく。
商店街の片隅にある駄菓子屋「ふるや」が見えてくる頃には、五人の“旅番組ごっこ”は完全に板についていた――。
懐かしさが色濃く残る商店街の奥、ひときわ小さな木造の建物が現れた。
「さあ着きました! ここが“地元キッズの聖地”こと、駄菓子屋『ふるや』で〜す!」
紗里が大きく手を広げて紹介すると、ひのりがすかさずスマホに向かって語りかける。
「おおっ、見た目からしてもう懐かしさ120%……! これぞ“古き良きニッポンの放課後文化”だ〜!」
ギィ、と木の引き戸を開けると、店内に鈴の音が響いた。
「いらっしゃい――」
店の奥から、小柄なおばあちゃんがゆっくりと顔を出す。その目が紗里とみこを見た瞬間、ぱっと柔らかい笑みに変わった。
「あらまあ……紗里ちゃんに、みこちゃん……!」
おばあちゃんはエプロンの裾で手をぬぐいながら、ふたりに近づいてくる。
「まぁまぁ、ほんとに大きくなって……ランドセルしょってた頃が昨日のことみたいだよ……!」
「ばあちゃん、元気だった? 今日は演劇部の仲間を連れてきたんだ〜」
紗里が笑顔で言い、みこも小さく頭を下げる。
「こんにちは……久しぶりです」
「まぁまぁ、あらまあ、みんな可愛いねえ。都会から来たのかい? ゆっくりしていきな!」
おばあちゃんはにこにこと五人を迎え入れながら、店内の懐かしい駄菓子たちを指差す。
「好きなもん選んでいいよ〜。今も昔も、ここは“子どもたちの味方”だからねぇ」
「うわーっ! 懐かしい! この粉ジュースまだあるの!?」
ひのりが目を輝かせ、唯香が棚を眺めながら呟く。
「パッケージデザインに昭和中期の特色が色濃く残っているわ……これは貴重」
「……唯香ちゃん、コメントが考古学者」
七海がくすっと笑いながらスマホのカメラを回す。
「じゃあみこちゃん、旅番組“看板娘”の見せ場、よろしくお願いします!」
「えっ、わ、私……?」
みこが戸惑いながらも、店先に立ち、小さく手を振った。
「い、いらっしゃいませ……おすすめは、ポテトフライです……」
「はいきたーーっ!! 癒し成分100%の地元感!!!」
ひのりの大声に、みこは真っ赤になってうつむく。
「……もう、恥ずかしいよ……」
「でもほんと、みこちゃん、板についてるよね。ここが似合うっていうか」
七海がぽつりとつぶやくと、おばあちゃんが嬉しそうに頷いた。
「そうなのよ、みこちゃんは昔から“いい子ねぇ”って近所の人たちに言われててね。うちの店の“顔”みたいだったの」
「看板娘、実績ありだったんだ……!」
ひのりが感動したようにつぶやくと、唯香がナレーションのように付け加える。
「――記憶に残る風景には、必ず“誰か”がいる。その笑顔が、場所の空気を作っているのかもしれない」
少女たちは笑いながら、駄菓子の小さな世界へと足を踏み入れていく。
店内の駄菓子棚を一通り見終えたころ、奥からジュウゥゥ……という香ばしい音が響いてきた。
「ん? この音、この香り……!」
ひのりがクンクンと鼻を動かす。
カウンターの向こうでは、おばあちゃんが鉄板に向かって焼きそばを炒めていた。
「ちょうどお昼の準備してたとこなんだよ。よかったら、みんなも食べていかないかい?」
「えっ、ほんとに!? うれしすぎる!!」
ひのりが身を乗り出すと、紗里が自信満々に胸を張った。
「ここのばあちゃんの焼きそば、マジで地元で一番うまいからね! うちの小学校のバザーとかにも出てたし、“ふるやの味”って言ったらこれ!」
「えっ、そんな名物なら……期待値マシマシじゃん!」
七海がスマホを構えながら笑い、唯香が淡々と補足する。
「“地元の味”は、その場所の文化を最も如実に表現する要素のひとつ。重要な観察対象だわ」
「……唯香ちゃん、研究モードに入ってる」
焼きそばはおばあちゃんの手で一人分ずつ紙皿に分けられ、みんなの手元に配られていく。
「はいよ。熱いから気をつけて食べな」
「いただきま〜すっ!」
ひのりが割り箸を手にして、一口、もぐり。
「んっ……!? う、うまっ!! ソースの香りと甘み、そしてちょっと焦げた麺の香ばしさが……まいう〜〜っ!!」
「……いや、あんた石ちゃんじゃないんだから」
七海が即座にツッコミを入れる。
「いやでも、これは本当に……そのくらい美味しい! 屋台の焼きそばより断然うまいって!!」
感動してるひのりに、みこもこくりとうなずく。
「……ばあちゃんの焼きそばって、なんか安心する味だよね。食べるとほっとするというか」
「“帰ってきた味”ってやつだな。ソウルフードってやつ?」
紗里が笑いながら補足し、唯香が静かにナレーション口調で締める。
「――味覚とは、記憶の扉を開く鍵。“ふるやの焼きそば”は、きっと誰かの原風景」
少女たちは笑いながら、それぞれの焼きそばを大事そうに口に運んでいく。
甘辛いソースの香り、鉄板の音、懐かしい風鈴の響き。
すべてが、地元の“物語”として静かに、けれどしっかりと刻まれていくのだった。
焼きそばを食べ終え、紙皿を重ねていると、紗里がぽんと手を叩いた。
「さてと! せっかくだし、次は“あそこ”行ってみない?」
「“あそこ”?」
ひのりが首をかしげると、紗里はにやりと笑う。
「“天ノ杜神社”だよ。うちらの地元じゃちょっとしたパワースポット扱いなんだ。祭りの会場でもあるし、けっこう面白いよ」
「おっ、神社ロケ来ましたー! 旅番組的には外せないスポットですね〜!」
ひのりがまたも大げさに身振りを交えながら喜ぶと、奥からおばあちゃんが顔を出した。
「あそこはいいとこだよ。ご利益あるって評判でね。あたしも昔、よくお願いごとしに行ったもんだよ」
「うわぁ〜それは行くしかないっ!」
七海がスマホを構え直しながら呟き、唯香もうなずく。
「“信仰と風景が交わる場所”……観察対象としても最適ね」
みこは少し首を傾げながら、そっと言った。
「……あそこ、静かで好き。空気が澄んでて……なんか、落ち着くの」
「よっし、それじゃあ決定! 次なる目的地は、“天ノ杜神社”〜〜!!」
ひのりが大げさに宣言すると、おばあちゃんが笑いながら手を振った。
「気をつけていくんだよ。道、わかんなかったら、途中で聞けばすぐ教えてくれるからね」
「うん、ありがとうばあちゃん! 焼きそば、ほんっとに美味しかった!!」
「ごちそうさまでした……!」
少女たちはおばあちゃんに何度も頭を下げながら、駄菓子屋「ふるや」を後にする。
外に出ると、陽射しが少し傾き始め、商店街に長い影を落としていた。
「それじゃ、案内は“ご当地ガイド・紗里”にお任せくださーい!」
紗里が得意げに胸を張り、ひのりが大げさにマイク代わりのペットボトルを向ける。
「はいはい、というわけで! 次の舞台は――“神秘と歴史が香る、天ノ杜神社”ですっ!」
旅番組ごっこは続きながら、少女たちは次の目的地へと歩き出す――。
木漏れ日の差す石段をのぼりきると、そこにはひっそりとした境内が広がっていた。
小さな拝殿、手水舎、古びた狛犬。どれも手入れが行き届いていて、静けさの中に温かみがある。
「ここが、“天ノ杜神社”でございます〜!」
ひのりが芝居がかった声で両手を広げると、七海がカメラを向けながらぽつり。
「……また始まった」
唯香は静かにナレーション風に続ける。
「“天ノ杜神社”――町の背後に広がる森に包まれた、知る人ぞ知る小さな神社。地元の人々にとっては、日常の一部であり、思い出の交差点でもある」
その言葉を受けて、紗里がふと真面目な顔になり、境内をゆっくりと見渡した。
ナレーションを続けながら、唯香はふと心の奥で気づいていた。
(……今の私は、“演じさせられて”いるんじゃない。“自分から選んで”この声を出してる)
子役だった頃。セリフの一言一言に、正解を探していた。
でも今は違う。ただの遊び、旅番組ごっこ。そのはずなのに、こんなにも自然に言葉が出てくる。
(きっと私は、こうして“物語の語り手”でいるのが、いちばん自分らしいのかもしれない)
「……ここさ、あたしとみこが出会った場所なんだ」
「えっ、そうなの?」
ひのりが目を丸くする。
「うん。小学校の時、みこが転校してきて、最初のうちはずっとひとりぼっちでさ。あたし、ここでたまたま見かけて、声かけたんだよね。“ラムネあげよっか?”って」
「……そのとき、嬉しかった」
みこが、少し照れたように微笑んだ。
「それからよく一緒に遊んで、この神社が“秘密基地”みたいになって。……なんか、思い出詰まりすぎてて、ちょっと泣きそうかも」
紗里が苦笑まじりに言うと、ひのりも感慨深く頷いた。
「“運命の場所”って、ほんとだったんだね……!」
そのとき――
奥の社務所から箒を手にした神主がゆっくりと姿を現した。
「おや……これはこれは、紗里ちゃんに、みこちゃんじゃないか」
「わっ、神主さん!」
「こんにちは……! お久しぶりです」
二人がぺこりと頭を下げると、神主は目を細めて笑った。
「大きくなったなぁ。まるで昨日まで、ここで走り回ってたみたいだ」
演劇部の他のメンバーにも目を向けて、にこやかに続ける。
「お友達かい? ようこそ。この神社には、舞の神様も祀られておる。芝居を志す者には、なかなか縁深い場所じゃよ」
「出た〜、舞台とご縁のある神社だー!!」
ひのりがテンション高く声を上げ、唯香が即座に補足する。
「神楽や奉納舞がルーツになっている演劇は、神社との歴史的関係が深い。これは資料価値もあるわ」
「ちょっとガチ解説入りましたー!」
七海がカメラを下ろして笑い、紗里とみこも顔を見合わせて自然に笑った。
全員で拝殿の前に立ち、手を合わせる。
パン、パン。
小さく響いた拍子に、木々がそよぎ、どこか神聖な空気が流れた。
「……じゃあ、お参り終わったことだし、そろそろ次に――」
ひのりが言いかけたとき、神主が声をかけた。
「せっかくだ。休憩所で少し休んでいかんかね? お茶とお菓子ぐらいは用意できるぞ」
「えっ、いいんですか!? ありがとうございますっ!」
神主に案内されて、境内の奥にある古風な休憩所へ。
畳敷きの広間に、低い木の机。開け放たれた縁側から、風がそっと入り込む。
テーブルの上には急須と湯呑み、そして地元の和菓子――
「わあ……まさか神社でこんなゆったりしたお茶タイムになるとは」
ひのりが感激したようにお茶を手に取る。
「“神社でお茶会”……なんか新しい絵面だね」
七海も笑いながら湯呑みに口をつけ、唯香は淡々とした声で呟く。
「この静けさと空気の流れ……“舞台装置としての空間美”を感じる」
「もはや感想が芸術寄り!」
紗里とみこは、少し離れたところで並んで座り、静かに笑い合っていた。
「……昔もさ、祭りの後とか、ここでラムネ飲みながら話してたよね」
「うん。今日のことも、きっと思い出になるね」
しばしの沈黙。
心地よい風と、茶の香り。鳥の声と木の葉の揺れる音だけが、静かに時を満たしていく――
神社の拝殿で参拝を終えると、神主の案内で境内奥の休憩所へ。縁側に腰かけて出されたお茶と和菓子を味わいながら、ひと息つく。
「ここ、落ち着くね……」
ひのりがそう漏らすと、紗里が懐かしそうに空を見上げる。
「……うちらさ、実はこの神社で、舞風学園に受かりますようにって願かけたんだよ」
「えっ、マジで!?」
七海が驚き、唯香も興味深そうに視線を向ける。
「うん。たまたま受験前に2人で来てて、“都会の学校なんてムリかも”って話してて……でも、ダメ元でお願いしてみようって」
「まさかほんとに受かるとは思ってなかったけどね」
みこが照れたように笑う。
「……今思えば、ここが最初の一歩だったのかもね」
その言葉に、しばし沈黙が流れる。
風が木々を揺らし、縁側に心地よい影を落とす。
ふと気がつくと、森の向こうがオレンジ色に染まり始めていた。
「……あっという間だね」
みこがつぶやき、全員が静かに頷いた。
夕陽が沈みかけた頃、見晴駅のロータリーへ戻ってきた五人。町全体があたたかな橙色に包まれていた。
「なんか、今日はほんとに旅番組の1日だったね……」
ひのりが深く息を吸いながら笑った。
「“舞風どうでしょう”、無事ロケ完了って感じ?」
七海がからかうように言うと、唯香が軽くうなずいた。
「旅というより、“物語のロケハン”だったわね。とても有意義だった」
「また来てよ、今度は夏祭りもあるし」
紗里が笑顔で手を振ると、みこも隣で静かに言った。
「次は……もっといろんな思い出、作ろうね」
電車のドアが開き、ひのり・七海・唯香の三人が振り返る。
「今日はありがとう! また絶対来るから!!」
ひのりの声に、紗里とみこがそろって手を振る。
列車が動き出し、ホームの灯りの下、笑顔がゆっくり遠ざかっていった。
夕暮れの風が吹き抜け、見晴の町に、静かな余韻だけが残った――。
続く。




