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舞風学園演劇部1 青春の開演  作者: 舞風堂
第二章 心の物語
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第七幕 ひのりの原点 

 その日、六時間目の授業が終わった教室には、開放感と脱力感が漂っていた。

 だが、それも束の間。チャイムが鳴ると同時に入ってきた音屋先生の姿に、教室の空気がピリッと引き締まる。


「はい、ホームルーム始めます。プリント、配るわよ」


 音屋先生は淡々と、束になったプリントを配り始める。

用紙の上部には『一学期中間試験のお知らせ』と大きく書かれていた。


「来週から中間試験に入ります。赤点を取った場合、部活動は停止。これは全員共通、例外なし。

“うっかり”じゃ済まされないから、各自きちんと準備するように」


 淡々としたその口調に、生徒たちは一斉にため息をつく。

 プリントを斜めに眺めながら、ひのりもまた机に突っ伏した。


「うぅ……テスト苦手だぁ……」


 小声でぼやいた瞬間――


「――特に、本宮さん?」


「へっ!? わ、私!?」


 教室の前方、音屋先生がぴたりとこちらを見ていた。

 少し微笑みすら浮かべながら、さらりと告げる。


「あなたの演技力は認めてるけれど、テストの台詞はアドリブ不可よ。

読解力と記述力も、“表現力”の一部だと理解してちょうだいね?」


 ひのりの心の中では練習で噛んだこと、初公演のハプニングが過ぎった。


 教室にくすくすと笑い声が広がる。

 隣の席の七海が、冷静に囁いた。


「おいおい、HRで名指しはズルいわ。完全に主演女優扱いじゃん」


「主演っていうか……吊るし上げだよぉ……」


 ひのりは顔を真っ赤にして、机に突っ伏したまま、小さくうめいた。


⸻


 放課後、演劇部の部室には重たい空気が漂っていた。


「……というわけで、勉強会をやります」


 七海があっさりと告げると、ひのりはガバッと顔を上げた。


「えっ、今すごく自然に流されたけど!? 勉強会!? しかも“やります”って決定済み!?」


「だって、赤点で部活停止とか絶対イヤでしょ? ひのりの家、ちょうどいいし」


「私の家……!? えっ、どういう基準で!?」


 紗里がすかさず乗っかる。


「いや〜見たかったんだよね〜、ひのりちゃんの“聖域”。絶対さ、変なぬいぐるみとかいっぱいあるんでしょ?」


「あるけど!? あるけどさぁ!」


「お母さんとか、びっくりしない……?」


 みこがそっと心配そうに尋ねると、ひのりは一瞬考えたあと、思い切ったように言った。


「……お菓子はある! 勉強できるかどうかは……保証しない!」


「お菓子あれば十分だな」

七海は満足げに頷くと、スケジュール帳を開いた。


「それなら土曜の13時。ひのりの家集合かな?」


「Wi-Fiはあるかな?」


紗里が聞くとひのりはツッコむ。

「あるよ!? 家のスペック聞かれるとか初めてなんだけど!」


 帰り道、ひのりは最寄駅から七海と一緒にとぼとぼと歩いていた。

 部室でのにぎやかさとは打って変わって、静かな夕暮れが彼女を包み込んでいる。


 試験前になるたびに、こうだった。

 小中学校の頃からずっと、勉強は苦手。どれだけ楽しく過ごしていても、

 「テスト」という言葉ひとつで、気持ちが冷え込んでいく。


「でも演劇部では、“伝説作るぞー!”って言って……なんか、うまくいっちゃって……」


「勉強から逃げてばかりいたらダメだよ。演技だけやってればいいってもんでもないのよ」


 七海が指摘すると何も言い返せなかった。

 小さくつぶやいて、空を見上げる。

 橙色に染まった雲が、ふわりと形を変えて流れていった。


「次は……ちゃんとやらなきゃ、だよね……」


 けれど、「ちゃんと」って何?

 どうやれば“ちゃんとした自分”になれるのか、ひのりにはまだわからなかった。


⸻


 土曜の午後。

 制服ではない、ラフな私服姿の七海・紗里・みこが、ひのりの家の前に集まっていた。


「そういえばさ、唯香ちゃんは来ないの?」

 紗里が何気なく尋ねる。


「“私は一人で勉強します”って。テスト前は本気のようだからね、あの子」

 七海は肩をすくめて答えた。


「らしいね……真面目だね」

 みこがぽつりと呟く。


 そんな会話の最中――


「ここか……ひのりちゃんの家って、なんか意外とちゃんとしてるんだね」


 みこがぽつりと呟くと、紗里が腕を組んでニヤリと笑う。


「いやいや、中は分からんぞ? 隠しきれない混沌(カオス)が潜んでる可能性大~」


「やめてよぉ……」


 思わず背後から声がして、玄関の引き戸がガラリと開いた。


「ようこそ舞風学園演劇部勉強会へ! って、今の会話、丸聞こえだったからねっ!」


 登場したのは、テンション高めのひのり。

 その後ろから、優しげな笑みを浮かべたひのりの母と、もう一つ、勢いよく動く影――


「わんっ!」


 突如飛び出してきたのは、大きなラブラドール・レトリバー。

 ひのりの叫びが響く。


「ハッピー! ちょっと待って! 落ち着いてー!」


 だが止まらない。

 ハッピーは弾丸のように走り、まずは紗里に豪快に飛びついた。


「きゃあっ!? って、うわ、なにこれ! でかっ! でも可愛い~~~!!」


 ハッピーは全力で飛びつき、紗里は爆笑しながら受け止めていた。


「わ、わわっ……っ!」


 みこはというと、目を見開いて数歩後ずさる。


「ひのりちゃん、こっち来ちゃってる、こっち来ちゃってるよ!? 無理無理無理!」


「ハッピー、ストーップ! みこちゃん怖がってるからあああ!」


 ようやくハッピーを抱き抱えて落ち着かせると、ひのりの母が申し訳なさそうに現れた。


「すみませんねぇ、うちの子……ちょっとテンション高くて」


「大丈夫です! もう、めっちゃ可愛いですから!」


 紗里が笑いながらハッピーの頭を撫でる。みこはまだ少し距離をとっていたが、ようやく「だ、大丈夫……たぶん……」と小声で呟いた。


「じゃ、リビングどうぞ。冷房も効いてるし、テーブルも広めにしてあるから」


 ひのりに案内されて、三人は家の中へ入っていった。


⸻


 ひのりに案内され、リビングに通された三人。


 そこは拍子抜けするほど“普通の空間”だった。


 木目調のフローリングに、ベージュのソファ。

 テレビ台の横にはレシピ本が並び、壁には家族写真が整然と飾られている。

 窓際には小さな観葉植物。涼しげに風がカーテンを揺らしていた。


「……なんか、普通の家だね……」


 みこがぽつりと呟く。


「でしょ? うちの親、こういうとこだけきっちりしてるからさ〜」


 とひのりが笑うと、紗里が腕を組んで警戒したような目を向ける。


「だがしかし……“魔窟”はこの奥にあるに違いない……!」


「やめてよ、探検隊みたいなノリで来るの……」


 そして一行は、階段を上って2階へと向かった。


 ひのりが2階の自室の前で立ち止まり、後ろを振り返る。


「じゃあ……覚悟はいい?」


「うわ、その言い方……フラグじゃん完全に」


 紗里が苦笑しながら身構え、みこは不安げにひのりと七海を見比べた。


「……七海ちゃんは、平気なの?」


「うん。小さい頃から来てるし。今更ていうか――」


 七海は腕を組み、ドアを見つめながら淡々と続ける。


「何回も来てるけど今日はいつもより、ちゃんと片付いてると思うよ」


「それもう、家族目線じゃん!」


 ひのりが突っ込みながら、照れ隠しのようにドアノブを握った。


「いくよ……それでは、いざ――開幕!」


 ギィ……とドアが開け放たれる。


 次の瞬間、三人の目に飛び込んできたのは、ひのりワールド全開の光景だった。


 壁にはひのりの好きな魔法少女キラリンのポスター。

 ベッドには色とりどりのぬいぐるみが埋め尽くされ、まるでファンタジー空間の小劇場のよう。


「うわ……」


「……すご……」


「完全に……舞台の裏側って感じ……」


 みこがそっと息を呑むように呟く。


 紗里は部屋の真ん中まで進み、棚を見て思わず笑い出した。


「これ……なに!? 主役のグッズ展開!?」


「そりゃ聖域って呼ばれるわけだ……」


 七海はぬいぐるみをよけるようにして座りながら、肩をすくめた。


「うん、片付いてる。だいたい床が全部見えてる日は“奇跡の日”って呼んでいいやつ」


「失礼なこと言うな〜〜!」


 ひのりは笑いながら枕を構えかけたが、すぐ我に返って勉強モードに戻る。


「……ってわけで、はい! 本日ここで“赤点回避作戦”を決行いたします!」


「言い出した割にはテンション高っ!」


「作戦名が既にアニメのサブタイなんよ……」


 とぼけたやり取りに笑いが起こる中、ちゃぶ台のまわりにそれぞれ座ってプリントを広げていく。


 みこが、ふと魔法少女キラリンのフィギュアに目を留める。


「……なんか、すごく“大事なもの”って感じがする」


「うん。ひのりにとって、これは“出発点”みたいなもんだから」


 七海の言葉に、ひのりは少しだけ照れくさそうに頷いた。


「……そう。今の私が、ここにいるのって……たぶん、ここから始まってるんだよね」


 紗里がテーブルに教科書を広げながら、ひのりの部屋をぐるりと見回して言った。


「……ってかさ。あたし打ち上げで言ったよね。ひのりの原点って」


「えっ……ああ、紗里ちゃんが勝手に次回予告したやつ?」


「うん。今日、完全にそれじゃん。照明もセットも完璧。“本宮ひのり”主演の回って感じだよ」


 ひのりはちょっと照れたように苦笑して、ポテチをつまみながら呟いた。


「……そっか。確かに、そうだったね。“私が主役の回”かぁ……」


 ふと、その手が止まる。


「……ねえ。ちょっとだけ、昔の話してもいい?」


 みこが目を丸くして頷き、七海は黙ってうなずいた。


 ひのりは息を吸って、ゆっくりと言葉を紡いでいく。


「私ね、物心ついたときから“誰かになりたい”って思ってたの」


 ひのりは少し照れくさそうに笑った。


「幼稚園の頃は正義の味方に憧れてて、“悪の幹部から先生を守るんだー!”って言いながら、布団の上を飛び跳ねて怒られてた」


「……めっちゃひのりっぽい」


 紗里が吹き出しそうになりながら笑う。


「小学校に入ったら、『魔法少女キラリン』に夢中になってね」


 ひのりの表情が少し明るくなる。


「毎週テレビの前で変身シーンを真似したり、キラリンになりきって遊んだりしてたの。お姫様のドレスを画用紙で作って登校したこともあったし、ランドセルに魔法ステッキをつけて、“今日は魔界からの刺客が来る日”なんて言ってた」


「それ……友達は?」


 みこがそっと尋ねる。


「最初は“面白いね”って笑ってくれたよ。でもね、みんなは少しずつ、ごっこ遊びを卒業していった」


 ひのりは少しだけ目を伏せる。


「私だけ取り残されちゃって。“いつまでやってるの?”って言われたこともあった」


 部屋が少し静かになる。


「でもね。その頃に、一度だけ忘れられない出会いがあったの」


「……出会い?」


「公園で、同い年くらいの女の子が一人で泣いてたの。近くには撮影スタッフみたいな大人たちがいて、その子は逃げてきたみたいだった」


「え……」


「そのときは分からなかったけど、今思えば子役だったんだと思う」


 ひのりは遠い日を思い出すように微笑んだ。


「ちょうどキラリンごっこばっかりしてた頃だったから、“魔法使いごっこしない?”って声をかけたの」


「その子は?」


「最初はびっくりしてた。でも、少しして頷いてくれてね。一緒に魔法使いになって遊んだんだ。公園のベンチを“空飛ぶ馬車”にしたりして」


 少しだけ笑ったあと、ひのりは続ける。


「帰るとき、“魔力を託します”って言って、おもちゃの指輪を片方渡したの。そしたらスタッフさんが迎えに来て、その子は連れて行かれちゃった。名前も聞けなかった」


「へえ……優しい子だったんだね」


 紗里が穏やかに言う。


「ううん。その子、誰かに見られるのが怖いって感じだった。でも、一緒に遊んでる間だけは、本当に楽しそうだった」


 ひのりは引き出しから小さなプラスチックの指輪を取り出した。


「これと同じ指輪を渡したんだ。その子が笑ってくれたらいいなって思って」


 みこがそっと覗き込む。


「……今も持ってるかもね」


「だったら嬉しいな。あの日だけは、“魔法って本当にあるのかも”って思えたから」


 ひのりは指輪を見つめたまま、小さく息をついた。


「でも、中学に入ってからが一番つらかった。演じることを話すと“イタイやつ”って言われるし、なりきってると“キャラ作ってる”って笑われて……いつの間にか教室でも孤立しちゃってた」


 誰も言葉を挟まない。


「でも――七海ちゃんだけは違った」


 静かに名前を呼ばれた七海が、少し目を伏せる。


「“風の精霊が降りてきた”って言っても、“じゃあ傘持ってくるね”って返してくれて。笑わないで受け止めてくれた。それが、本当に嬉しかった」


「……そうだったんだ」


「だから舞風に来て、演劇部に入って、また“誰かになれる場所”を見つけられた」


 ひのりは指輪を握りしめ、穏やかに笑った。


「もしかしたら私、ずっと誰かを救いたかったのかもしれない。だから演じるっていう形で、自分の居場所も探してたんだと思う」


 沈黙が、優しく降りる。


 誰もすぐには言葉を返さなかった。

 けれどその沈黙には、確かに――“理解”と“共感”があった。


 そして、紗里が静かに、けれど少し誇らしげに口を開いた。


「……やっぱり今日、“ひのりの原点”で正解だったね」


 ひのりは照れくさそうに笑って、言った。


「……うん。ありがとう。ちゃんと、自分のこと……話せてよかった」


 ひのりの語りが終わって、しばらく誰も言葉を発しなかった。


 けれど、その沈黙は重くもなく、優しくそこに満ちていた。


 そして――


「……ねえ、その子、今どうしてるんだろうね」


 ぽつりと、みこが言った。


「え?」


 ひのりが少し驚いたように顔を上げる。


「撮影から逃げてきたって子。その後どうなったのかなって。……なんか、ひのりちゃんの話を聞いてたら、気になっちゃって」


「……そうだね。あの時も、きっと何か悩んでたんだと思う。

 今はどこでどうしてるか分からないけど……」


 ひのりはそっと天井を見上げた。


「……笑っててくれたら、いいな。あのとき“ありがとう”って言えなかったからさ」


「指輪、大事にしてるといいね」


 紗里がにやっと笑って言う。


「近い内に再会して、“あの時の魔法使いごっこの子だよね?”とか言われたら超エモいじゃん」


「そんなこと……あるかな。でも、もしあったら……泣いちゃうと思う」


 ひのりは少し照れたように、そして嬉しそうに笑った。

 七海は撮影から逃げてきた女の子に関して何かを察したようだが、口には出していない様子。


 そしてそのまま、外の空を見た。


 窓の外には、夕暮れのオレンジ色がじんわりと広がっていた。

 一日が終わる静かな気配と、どこか新しい始まりのような、透明な光。


「……そろそろ、帰ろっか」


 七海が立ち上がって、みこや紗里もそれに続く。


 ひのりの母が玄関先で見送る中、三人は「ありがとうございましたー!」と明るく手を振って帰っていった。


「……ふぅ」


 玄関のドアが閉まったあと、ひのりはリビングに戻り、ちゃぶ台の前に座り直す。


 そこには、使いかけのプリントと、開きっぱなしのノート。


 少しだけ眺めて――


「……よし。やるか」


 苦手な数学のプリントを開いて、深呼吸する。


「“伝説作った”とか、“演劇は好き”とか言っといて……赤点で部活停止なんて、カッコ悪すぎるもんね」


 誰に言うでもない独り言が、静かな部屋に溶けていく。

 シャーペンを走らせるひのりの表情には、小さな覚悟が宿っていた。


 演劇だけじゃなく、自分の苦手とも向き合おう――そう決めたのだ。


 続く。

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